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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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リョウガと花の子たち(2)

 じっとリョウガの笑顔を見つめた後、雛は戸惑うようにして瞳を伏せた。リョウガが正面から挨拶したことにどう反応して良いのやら戸惑いを見せつつも、たちまち雛は、口を閉じてこくりと首を縦にふる。

 彼女の従順な態度に、ルカは度肝を抜かれた。

 隣に立ったロディ・ルゥも、興味深そうに口の端を上げているし、向こうに立っている波斯に至っては焦って手を伸ばしたり引っ込めたりと忙しい。



「ルカの為に働いてくれているのか。迷惑かけるな、俺の妹が。何か困ったことがあったら俺に言ってくれ」


 リョウガも調子の良い台詞を言うものだから、ますます雛が目を丸くする。そして口を閉じ、明らかにはにかんだ様子で、頷いた。その殊勝な様子に、ルカは戸惑う。


 ――雛ってば、エリューティオ様に対する態度とも違うんじゃないの?


 押せ押せをそのまま体現したかのような態度に辟易した過去を思い出す。てっきりあれは恋する乙女だからだと思っていたが、琥珀が主張していた言葉を思い出す。


 ――もしかして、彼女、ほんとに“侍女”になる目的のためにエリューティオ様に近づいていただけだった……?


 僕従の契りを結ぶことによる妖気の供給。それを目的とした彼女に、それでもやはり、恋慕の気持ちがあるのだと思っていた。いや、今でも少しは持っているはずと勘ぐっている訳だが。

 しかし、リョウガに見せる態度は、今まで見たことのないものだった。彼の言葉に純粋に照れているだけにしては随分しおらしい。あまりの出来事に、ルカの頭もついていかないようだ。



「良い子だ、雛。時間があるときに、この峰の案内をしてくれな」

「……仕方ないわね」

「ああ、そうだ。仕方がないんだ、俺は。まだ来たばかりだからな。頼りにしているぞ」


 彼女を地面に下ろし、その頭をくしゃくしゃに撫でる。顔を背けて不本意そうにしている雛だけれども、その頬が、明らかに染まっている気がする。


「どうしてもって言うなら、案内してあげてもいいわ」


 素直でないながらも、ボソボソと呟く。彼女自身、頼られることに悪い気はしないらしい。そうして、そっぽ向く雛に対して、リョウガは優しい目をして頷いた。


「おう、頼んだ。そこのボウズも、ルカが世話になるが、頼むな!」


 雛の頭をがしがし撫でながら、リョウガは今度は波斯に目を向けた。

 波斯は呆気にとられていたようで、言葉に詰まる。が、すぐに我に返って、大きく頷いた。


「はいっ。……ほら、雛」


 すっかり足止めされた波斯が、雛に呼びかける。雛も素直に頷くが、リョウガと波斯を交互に見て、少し名残惜しそうな顔を見せる。お仕着せの裾をぎゅっと掴んで、波斯の方へ駆けていった。


「なぁんだなんだ、元気のない顔をして。遊んで欲しいんならいつでも付き合うぞ!」

「遊んで! 欲しくなんか……!」


 後ろから声をかけられた雛は、驚いたような顔をして振り返る。山吹色の瞳を溢れそうなほどに見開いた後、絆されるのを拒否するかのごとくリョウガを睨み付ける。


「違うもん! そんな子どもじゃ、ないもん!」


 そうして顔を横に振り、そそくさと彼女は奥の部屋へ駆けてゆく。

 その後ろに続くように、波斯も奥へと退出していった。




 まるで嵐のように入ってきては去って行く彼女に、あっけにとられたまま立ち尽くした。隣に立ったロディ・ルゥも困惑するかのように、ルカに視線を寄越してくる。

 あまりの態度の変化に、お互い困惑することしか出来ない。

 しかし、リョウガはまったく違うらしい。本来の彼女の姿を見たことが無いからなのか――いや、単に、どんな彼女であってもリョウガ本人が受け入れるだけの度量があるからなのだろうが――物事を深く気にしない彼にとって、小さなレディがやけにお気に召したらしい。

 大満足そうに笑みを浮かべながら、しみじみと声をだす。


「いやあ……可愛い子だなぁ〜。おい、ルカ。あまり無茶な仕事させるなよ」

「わかってる――けど、兄様すごいわね」


 リョウガはおそらく、いや、まず間違いなく何も考えていないだろう。いつもの調子で子どもをあやしただけにすぎない。

 が、あの気難しい雛を一発で手懐けてしまった。リョウガ自身が人間であるにも関わらず、だ。

 何にも考えてない癖に、こうやって人心を集めるあたりが次兄の恐ろしいところ。ルカに至っては特殊な愛情を授かってしまい面倒極まりない相手だと思っているが、普段も部下には慕われているのだろう。


「何だ、嫉妬か? 嫉妬かルカ! 抱きしめて欲しいか!?」

「嫉妬じゃないし、いらないわ」


 大きくため息をついて、ルカは兄から距離を取る。そっとロディ・ルゥの側に寄ったから、これでいきなり突進されても大丈夫だ。

 可愛い妹に邪険にされて、彼は明らかに落ち込んだ顔を見せるが、付き合ってはいられない。ハチガが居ないのであればこの部屋に用もないので、さっさと立ち去ろうかと思い至る。


 しかし、今度はリョウガを一人にする不安が押し寄せる。

 放っておいて、じっとしていられるリョウガでもない。皆が言うには、アルヴィンと独特な関係性を築き始めているらしいが、今、アルヴィンには最重要任務を任せている。わざわざ付き添いのためだけに、リョウガにつけるわけにはいかない。



 となると、実は世話焼きなリョウガには、いっそ雛の面倒を見てもらうのもアリな気がしてきた。雛にとっても、誰かと交流したり、人間がどのようなものか知ってもらうには良い相手かもしれない。あいにく、リョウガには彼女の毒舌も意味を成さないだろうし――。


 ――名案かも。


 ぽん、と手を打ち、ルカは目を輝かせた。

 これで雛を単独で動かすことが出来れば、人手不足もそれなりに解消するはず。リョウガもまたミナカミ家の男児。軍に所属する身であるため、掃除・洗濯・料理程度なら、非常に大雑把ながらも一通り身につけているはず。


 早速提案してみよう、と思ったところで、ルカの意識に妖気が走る。

 また誰かが部屋に入ってくる感覚を覚えて、入り口の方へと目を向けた。




「あら? ルカ様、いらっしゃったのですね」


 すると現れたのは、両手いっぱいにシーツを抱えた菫だった。

 きょとんと小首を傾げる仕草が可愛らしい。かなりの数のシーツは、きっとハチガやリョウガたちのものも入っているからなのだろう。

 しかし、その重さを感じさせない足取りで、彼女は部屋の中央に歩んでくる。もちろんリョウガの存在にも気がついたらしく、彼女は笑顔を浮かべて一礼した。


「リョウガ様も。訓練ですか? 精が出ますね」

「すっ……すっ……菫さん……!!」


 さっきまでの余裕はどこへやら。たちまちリョウガの頬は真っ赤に茹で上がる。何か声をかけたいが、言葉が出てこないようで、彼はもじもじしながら後ずさった。


「お召し物を替えられるのでしたら、お申し付けくださいね」

「あっ……いや! 菫さんの手を煩わせるなどっ! というか! それ! ボク! ボクが運びますからっ」


 そうしてリョウガは、きょとんとしている菫から、大量のシーツをひったくる。首を何度も横に振りながら、うわずった声で彼女に声をかけた。


 奥ですね! 運びます! 行きましょうっ。と、前方も見ぬまま、前へと進む。が、進行方向は明らかに、部屋の入り口の方へと向いていた。


「あの、リョウガ様? 私、奥に運ぼうかと」

「!? ……あっ、いや! すみまっ……うあ!」



 ずべし。


 意識だけが前と後ろで混乱し、反転しようとした瞬間、彼はものの見事に足をもつれさせた。

 あれだけ身体能力の高い男であるにも関わらず、リョウガは何も無いところで、無残にも地面へと顔面から崩れ落ちる。もちろん、洗い立てのシーツもろともに。

 無様すぎる次兄を見下ろしながら、ルカは呆れて物も言えなくなった。


 ――この人手不足の時に、菫の仕事増やすかなあ……!


 この際、リョウガの心配など一切しない。

 浮ついた気持ちのまま、余計なことをしてくれたと怒りすら湧いてくる。そうしてルカは、絶対零度の視線で彼を見下ろした。



「リョウガ様!? 大丈夫ですか!?」


 一方で、菫は悲鳴に似た声をあげていた。ルカと違った心の綺麗さを浮き彫りにするかのごとく、菫はオレンジ色の瞳を蔭らせて、彼に駆け寄る。

 シーツのことなんて見向きもしていない。心の底からリョウガを心配しているようで、転倒した彼に柔らかな手を差し出している。


「あっ……これは……みっともないところをっ」


 それがますますリョウガを混乱させるようで、彼は勢いよく飛び起きようとして身を反転させた。が、今度は着地の際に足を滑らして、今度は後頭部を地面に打ち付ける。


「……」


 憐れな虫けらを見る目で、ロディ・ルゥも彼を見下ろしていた。その気持ちは分からないでもない。ルカも、もはやどう言葉をかけたら良いのかも分からず、次兄に冷ややかな視線を送るだけだ。



「ふふっ、お元気ですね。リョウガ様ったら」

「あっ……いやぁ、ぼかぁ元気だけが、取り柄なもので」

「ふふふっ、素敵です」

「すっ――ステキ、ですか」

「ええ」


 にっこりと微笑む菫に偽りは無い。次兄は明らかに素敵の意味を取り違えているが、もう勝手にすれば良い。リョウガの浮ついた心などどうでも良いが、彼の行動はだけは頭が痛かった。

 菫は怒る様子も見せないため、どうしようも無い兄には、妹から直々に言って聞かせないといけないらしい。


「――菫、怒っていいのよ。ほら、兄様! しっかりしてよ! 折角菫が洗ってくれたシーツをめちゃくちゃにして!」

「!? あ!? すすすすみません菫さんっ」


 ようやく自分のやらかしたことに気がついたらしく、そのままリョウガは何度も頭を下げた。

 しかし今度は、頭を下げることに夢中になって、地面に這いつくばったままシーツをこすりつけているものだから、始末に負えない。どう見ても、あれは洗い直しだ。



 人間が増えたせいで菫の負担が格段に増えた。どうせこの峰でリョウガがすることなど無いのだから、失敗した分はしっかり働いてもらおうと心に決める。

 もちろん、菫がいると逆効果なため、作業は彼女と切り離すとして。先ほど、完璧な計画も立てたのだから、問答無用で実行するしか無いだろう。


「――菫。このシーツは良いから。菫は奥で、波斯の手伝いをしてきてくれる? かわりに、雛をこっちに呼んで」

「え? ですが、雛は……」

「洗濯は彼女に任せられる? 雛には悪いけれど、リョウガ兄様の後始末を彼女に手伝って欲しいの」

「その、よろしいのですか?」

「雛に聞いてみて。多分だけど――悪い返事はしないんじゃないかしら」


 苦笑いを浮かべながら、ルカは菫に提案した。

 地面では這いつくばったままのリョウガが絶望的な表情をしている。よほど、もっと菫と一緒に居たかったのだろうが、彼の嘆きは全面的に無視だ。


「兄様は私がよく叱っておくから、菫ははやく奥へ」

「そんな、お気になさらずとも」

「貴女に負担をかけることを、私が良しとしないの。さあ」


 ルカに促されて、菫は少し後ろ髪を引かれるような顔をしつつも奥の部屋へと入っていく。

 その後ろ姿を見つめるリョウガは、ぐしゃぐしゃにしたシーツをさらに、自分の素肌に押しつけてぎゅうぎゅう抱きしめていた。もう、シーツは完全に使えそうにない。




「はぁ〜〜〜〜、菫さん……」

「ほら、兄様! ぼーっとしてないで。やること無いなら、菫のお仕事増やした分、きっちり働いて!」

「可憐だ……」

「だめだ、しばらく戻ってこない……!」


 ソニアと言いリョウガと言い、リョウガ隊は一体どうなっているのだろうか。普通は妖魔のテリトリーに来たのだから、もう少し緊張感を持っても良いと思うのだが、あまりにもマイペースすぎないだろうか。


「ロディ・ルゥ、助けて」

「関わりたくありませんね」

「私もそうしたい……!」


 あっさりと、騒々しい状況に巻き込まれるのを拒否したロディ・ルゥは、その容姿を生かして存在感を消している。

 短い時間行動しただけで、どっと疲れがたまって、目眩までしてきそうだ。だが、リョウガと雛を引き合わせるまでは、この部屋から出られそうに無い。




 辟易しながら雛を待っていると、やがて奥からこちらを覗きこむ白い髪の少女が目に映る。地面に転がったまま呆けているリョウガに訝しげな視線を向けつつ、警戒しながらこちらの部屋へ入り込んできた。


「……リョウガ……様を手伝えって……お姉ちゃんが言ってきたんだけど」

「お姉、ちゃん、だと?」


 その言葉に反応し、大きな図体がピクリと動く。どこか別の世界へ行っていたはずの意識は、一瞬にして戻ってきたらしい。

 顔を上げるなり、雛と目があったリョウガは、緩んだ頬を引き締める。頼りになるお兄さんの面構えで、少し気恥ずかしそうにしながらも余裕を見せた。


「雛か。どうしたんだ。もう、仕事は終わったのか?」

「何よ。ええと、貴方の――リョウガ様の手伝いをして来いって言われたから……その」

「手伝い? 何のだ?」


 呆けていたリョウガにはまったく状況を理解できていないらしい。その様子を横目で見ながら、ルカが後ろから説明を付け足す。


「シーツ。さっきも言っていたでしょう。菫の仕事を増やしたんだから、自分で洗いなさいって言ってるの。――雛。リョウガ兄様を助けてあげてね」


 少し気まずいながらも、雛に声をかける。流石にルカの言葉には不服そうな顔を見せたものの、目を逸らして、雛は僅かに頷いた。


「別に良いわ。ここには慣れていないんだもの。案内するから、ついてきなさいよ」

「……ああ、これ、俺が洗うのか。そうか。そうだよな」


 ようやく、自分がやらかしたことを認識したのだろう。己の腕に抱えるシーツの悲惨な状態を目にして、苦笑している。

 兄様なら大丈夫よね、と声をかけてみると、彼は大きく頷いた。


「――ん、まあ、軍にいるからな。掃除洗濯炊事なんでも出来るぞ、俺は」

「え?」


 リョウガの反応に意外そうな顔を見せたのは雛だった。

 当然の反応かもしれない。まだまだ表には出してもらえないとは言え、雛も苦労しながらも、それなりに修行をしている自負があるのだろう。だからこそ、目の前の男が平気な顔をして、何でも出来るというのが信じられないらしい。


「おう、うちの部隊は基本男所帯だし、遠征も多いからな。なんでも自分で出来るぞ」

「……っ! わ、私だって! 負けないんだから!」

「おっ。ちっこいのにすごいな。じゃあ、どっちが綺麗に洗えるか、勝負だな」

「望むところよっ」


 雛は気づいているのだろうか。完全にリョウガのペースになっていることを。

 リョウガは片手でシーツを抱え込み、雛の頭を撫でながら入り口の方へと向かっていく。


「ちょっと、子ども扱いしないでよっ」

「はっはっは、悪い悪い」


 邪険にする雛を、優しい瞳で見下ろしながら、彼は部屋から出て行った。雛も家事に対する対抗心が湧いたらしく、やる気満々な様子。彼の後ろを追いかけるようにして、退出していく。

 



「――思った以上に、あの二人、上手くいくかも?」


 二人がいなくなると、とたんに静かになる鴉の部屋。その部屋の中央で、あっけにとられたままルカは呟いた。


「……なるほど。血気盛んな者同士、ああいう動かし方もあるのですか」


 ルカ自身も思わぬ結果になったわけだが、隣でロディ・ルゥに感心されてしまいくすぐったい。

 しかし、雛が少し嬉しそうな様子だったのが、妙に印象に残る。ずっとイライラした姿しか見てこなかったから、少しでも、気が楽になる相手が現れたのならそれに越したことはない。まさかそれが、人間であり、ルカの実兄。更に、よりにもよってあのリョウガになるとは思わなかったが。


「頼りたくないけど、任せたわよ、リョウガ兄様」


 何も起こしてくれるなよ、と、信頼半分不安半分――半ば祈るようにして、二人が出て行った入り口を見つめていた。

リョウガの周辺が騒がしくなってきました。


次回は、ハチガとエリューティオのお話です。

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