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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
85/121

ソニアの生贄たち

「――では、申し開きを聞こうか。お嬢様」


 目の前に立つのは、すらりとした長身の透明感のある男。人間でありながら、左右対称の整った容姿に恵まれた青年は、その表情に氷の笑みを貼り付けて、ルカを見下ろしていた。

 先日、黒犀に見下ろされた時の比ではない。絶対零度の瞳がルカをとらえて離さない。

 こうなることは当然予想の範疇だったが、対策をまったく練ってはいなかった。結果的に、言い逃れるためにひたすら謝るか、ひたすらとぼけるかのどちらかを選択する羽目になる。



「ええと、総合的に判断して――」

「んなことは、分かっている」


 ぼんやりと言い逃れる選択肢を選ぼうとしたが、逃がしてくれるつもりも無いらしい。


「何故、決める前に本人に相談しなかったんだ、と聞いているんだ」

「だってレオン絶対嫌がるでしょっ」

「当たり前だ!」



 ぴしゃりと雷が落ちてきて、ルカは両手で頭を抱えた。彼が怒るのはもっともなことだった。

 ワンポーズにつき金貨二枚。この大金に目がくらみ、ほいほいとソニアの提案に乗っかった。実際これは美味しい取引な上、夜咲き峰全体としても何の痛みも伴わない名案ではあるわけで、乗っからない理由が無い。

 が、その結果、レオンとアルヴィンをほいほい生贄に差し出した形になることくらい、ルカも理解していた。


「でもでもっ。これでこの冬は何とかなりそうだし、ほら……取引の件も先延ばしに出来るじゃない? お願いっ、レオン! 五回! 五回だけ!」


 両手を擦り合わせ、懇願する。が、レオンは驚きで目を丸くした。


「はっ!? 一回じゃ無いのか!?」

「貸し出すのはレオンとアルヴィンでってことにしたんだもの。ワンポーズで金貨二枚ってことは、最低でも五ポーズは……」

「チクショウッ!」


 悲鳴に近い声を上げて、レオンが大げさにのけぞる。

 そんな彼の怒りをアルヴィンが宥めようと、前に出た。が、今度の標的はアルヴィンに移ったらしい。キッとアルヴィンの方を睨み付け、彼は語気を強めた。



「鴉! お前もだ。今回決められたこの意味が、お前に分かるかっ」

「俺もルカの役に立てる」

「違うッ」


 苛立つのを隠そうともせず、レオンは首を横に振る。


「自分の与り知らぬところで勝手に役目を押しつけられる。いいかっ、これは、常習化するからなっ! 嫌と言いたくても、もう後戻り出来ないところまで、いつも勝手に決定されるようになるから名っ」

「……!」


 謝ったところで、すぐ忘れるんだお嬢様は。と、言葉を付け足し、レオンは悔しそうに額に手を当てる。はあ、と分かりやすいため息をつき、抗議の意を露わにした。


 なんだかんだ言っても、レオンが最終的に言うことを聞いてくれるのは、ルカもよく知っている。それに甘えてついついお願い事を山積みにしがちだが、レオンが優秀だから仕方が無い。



 レオンの隣では、ことの重要性を悟ったらしいアルヴィンが、わなわなと震えていた。

 そう言えば、何かと役目を押しつけるのはレオンにばかりだったはずなのに、いつの間にかアルヴィンも数に入っていたことにルカは気がつく。

 無意識のうちに彼のことも全面的に信頼していたことを実感し、感慨深くなる。彼に対してもまた、すっかり甘えてしまっていたようだ。



 悪かったかな。ようやくそう思い至り、アルヴィンの方へ目を向けた。が、彼はすぐさま目を逸らし、口もとに手の甲をあてるようにして、表情を隠してしまう。

 レオンと彼は違う。レオンは本気で嫌ならもっと違う怒り方をすることは知っているが、アルヴィンの感情に関してはまだまだ把握しきれていない。


「えっと……怒ってる、よね?」


 びくびくと、彼の表情をのぞき込むようにして近づいた。が、目があった瞬間、彼がびっくりしたように飛び退く。ふるふると顔を横に振りながら、彼は声をうわずらせた。 


「ちが……」

「ごめんっ。今回だけだからっ!」


 そんなわけないだろう、と横からレオンの冷たい目線が刺さるが、ルカは平謝りの姿勢をみせた。

 調子が良いと言われても甘んじて受け入れる。勝手にアルヴィンまで巻き込んだことは、正直に謝らないといけない。


「っ……違うんだ。ルカ。いい。頭を下げるな」


 しかし、アルヴィンの方が申し訳なさそうな顔をしていた。そうじゃない、と繰り返し、彼は続けた。


「もっと、頼ってくれていいから」


 そうして再び彼は背を向ける。どうやら今回のことを怒っているわけではないらしい。すこしはにかんだような表情を見せていることから、純粋に、頼られることを悪くないと思ってくれているようだった。




 そんな鴉の態度に、安心して息を吐き出したとき、同じタイミングで後ろから吐息が漏れた。

 それはルカとはまた違った吐息で、まるでうっとりするような、感嘆のため息に近い。

 振り返ると一部始終を眺めていたらしいソニアが、その頬を染めていた。


「本当に……私、幸せですわ……」


 うっとりとするその仕草は、今はご令嬢モードらしい。ルカとのやりとり――もとい、おそらくレオンとアルヴィン二人のやりとりしか彼女の目には映っていないのだろうが――を眺めているだけで、昇天しそうな勢いである。


「うふふ、お二人とも、よろしくお願い致しますわね」

「ソニア嬢? 貴女は、そのような……」


 語尾は女性らしいのに、瞳が完全に逃がさないと決めている。そんな彼女の表情を見るのは、レオンですら初めてだったのだろう。


「レオン様。私、ルカ様に貴方をお借りしましたの。しっかり働いて下さいませね」

「あの――昨日までと随分とその――雰囲気が」


 違いませんか。とレオンは言いたいのだろう。

 おそらくソニアは、文官風騎士モードの姿しか彼に見せていなかったらしい。


「あれですか? 猫を被っていたのです」

「なっ……!?」

「うふふ……うふふ……逃がしませんわよっ」


 うふふふふ、と不気味な笑い声を出す彼女に、レオンは完全に動揺を見せていた。先ほどまでの怒りはどこへやら。頬を引きつらせたまま後ろに下がる。



「ルカ様に契約書にサインは頂きました。うふっ、観念なさって、レオン様」

「お嬢様っ!」

「ひいっ!」


 彼の怒声に耐えきれず、ルカはソニアの後ろに隠れる。しかしレオンは、イライラしながらも逃げるつもりも無いらしい。

 ちくしょう、と言葉を吐き出し、腕を組んだままその場で立ち尽くした。――怒ってもどうしようも無いことを悟ったようだ。




「このままこのお部屋をお借りして良いとのことですし――早速スケッチだけでもいたしましょうか」


 ソニアは上機嫌に、手をふって彼らを誘導した。

 レオンの返答を待つ気も無いらしい。彼女が峰までいそいそと持ってきたらしい画材一式に付け加え、アヴェンスで調達したものもずらりと並べ、いつでも良いですよ、と声をかける。


「この部屋だけでも、描きたくなる構図がいくらでも思い浮かびますわ。さあ、お二人とも。そこにお並びになって」


 ちゃっかりとイーゼルまで持ち込んで、その向きをベランダの方向へ向けた。

 下弦のルカの部屋は、窓とも扉とも言えない柱の連なりが、外と内の境目となっている。そこに光の膜がかかっているため、風などは内側に入ってこず、光だけが差し込む開放的な空間となっていた。その柱の手前に、二人を並べたいらしい。



 レオンはアルヴィンと顔を見合わせた後、黙って柱の手前へ移動する。

 もう何を言っても無駄だと諦めたのだろう。不本意という言葉を表情に貼り付けて、レオンは無愛想な様子でそこに突っ立った。

 同じように、どうして良いのか分からないらしいアルヴィンも、柱に寄りかかるようにして目を瞑る。



 並んで日差しを浴びているだけでも、対照的な見た目の二人。おお、これは良いぞとルカも改めて彼らを見直した。

 そう言えばまじまじと、彼らの容姿だけに着目することなどあまり無かったかもしれない。ソニアの着眼点にとたんに興味が出てきて、どんな構図で絵を描くのか楽しみになってくる。


 ルカはイーゼルの手前、ソニアの隣に立って、二人の様子に目を向ける。彼らは慣れないモデル業務に戸惑いながら突っ立っている。

 特にレオンはと言うと、といろいろ言いたそうに、口を開けたり閉めたり、忙しい。もはやどう見ても、モデル慣れしていない不安を隠すための言い訳にしか聞こえないが、分かってない振りをしておいた。

 ごめん、ごめん、と彼に付き合うように何度も頭を下げていると、そのうちレオンの気が静まっていくのが分かる。というより、完全に諦めた顔をしている。不本意そうな表情で隠しているが、アレは、折れた顔だ。


 ――乗り切った……。


 怒りの山を通り越したことを悟ったルカは、ソニアに目を向けた。

 後の采配は彼女次第になるわけだが、さて、どうするのだろうか。絵を描く作業を見ることなんて初めてで、それもまた興味深い。彼女がもともとどのような絵を描くのか、それも純粋に楽しみだった。




 しかし、ソニアは未だ筆を動かす様子は無かった。黒鉛筆を握ったまま、じいっと鋭い目で二人を睨み付けている。


「……もう少し、絵に動きが欲しいですわね。少し、絡んで下さいますか?」

「は?」


 あまりにストレートな物言いに、レオンがぽっかりと口を開けた。


「だって、この構図だと、お二人の関係性が見えてこないではありませんか」


 しかし、ソニアはさも当然のことのように納得しない顔を見せた。呆然とする二人に向かって、一切ひるむこと無く意見を述べる。


「この構図では、商品として不十分だと申し上げているのですわ。私、貴方がたのお客様なんですもの。納得できる商品を提供して頂かないと、購入することなど出来ません」

「……納得できる構図とは、何でしょうか」


 おそるおそる、レオンが問いただす。


「モデルの初心者に、動きのエチュードをさせるのは酷ですわね。仕方が無いので、一枚目は直接指示させて頂きますわね」


 ソニアの声に弾みが出てくる。たちまち嫌な予感がして、ルカは目を背けた。

 少し身構えるレオンに、何でも言えと言わんばかりにやる気に満ちたアルヴィン。その二人に視線を真っ直ぐ向けながら、ソニアは、レオンを指さす。



「まず、レオン様。その柱に、背中を預けて下さいませ。ああ、そうですね。採光の関係で、少し顔を斜めに――そうそう」


 レオンは、ひとまずソニアの言うとおりに動いているようだった。モデル素人としては何も言い返せないのだろう。

 顔を少しだけ斜めに向け、外からの柔らかな日差しが彼の頬を照らす。形の良い鼻は影を落とし、手前の瞳が少しだけ闇に沈む。

 憂鬱そうな顔をしているのに、妙に絵になる角度。なるほどソニアは空間を演出するのに長けているのがよくわかる。


 ――本当に、レオンは口を開かなければ綺麗なのよね。


 改めて、自らの従者の見た目の優秀さを実感する。

 先ほどアルヴィンと対比させたのも良かったが、角度による美しさを再発見し、美形の楽しみ方と言うものが分かってきた気がする。

 さて、この状態のレオンに、アルヴィンをどう立たせるのか。楽しみなような怖いようなで、力が入る。




「では、鴉様。少し想像してみて下さいませ。この状態のレオン様の服を脱がせるとしたら、どうなさいます?」

「――?」

「は?」

「えっ」


 が、ソニアの一言に、皆凍り付くことになった。


「……」


 ぱたぱたと、嫌な汗が流れ始める。

 これは、駄目かもしれない。何が駄目って、レオンに謝ったところで、もう、許されないかもしれないといろんな恐怖が迫ってきている。



「脱がせる……だと? 何故だ」


 が、アルヴィンは真っ直ぐと質問の意味を考え始めている。ちょっと、待て! と、レオンがギャアギャア騒ぎ始めるが、アルヴィンは冷静だった。


「その方が、素敵だからですわ」

「そうか」


 瞬間、アルヴィンは何も無い空間から鈍く輝く刀を取り出した。それでもってすぐさまレオンに斬りかかろうとしてしまい、皆、目を白黒させた。


「お待ちになって! そうではないです!」

「服だけ斬ることくらい、容易だが」

「道具は使わないで、じっくりと攻めて下さいませ」


 止めるは止めるが、それはあくまでも、彼女の趣向によるものだったらしい。


「ちょっと、ソニア!?」


 脱がせたいのは決定事項なようで、流石に声をかけた。が、ソニアの耳には届いていない。同じく、アルヴィンもアルヴィンで、言葉の裏を考えず、そうか、とひとつ頷いた。

 彼は刀を消し去り、ソニアの要望を素直に考えた結果、レオンを射竦めるように見据えた。ぎょろりとした小さな黒目。それが真っ直ぐレオンを刺し、彼に手をのばす。

 いやいや、ちょっと待て! と、レオンは後ずさるものの、逃がすアルヴィンでも無かった。



 ぽたぽたぽたと。

 ますますルカの背中に滝のような汗が流れ始める。薄々は分かってはいたものの、当事者でないため、半ば面白がるようにして了承してしまったが、これは、マズイかもしれない。というか、マズイ。


 先ほどまで怒りを露わにしていたレオンは、何故か男に迫られる状況に陥り、首を横に振った。


「待て、鴉。お前、意味分かっているのか」

「俺はルカの役に立てる」

「いやっ、違うだろうっ。いくら何でもこれは――」

「覚悟しろ」


 そう告げるアルヴィンは、完全に獲物を狩る者の目をしている。厳しい空気を身に纏い、逃がすまいとレオンを押さえ込んだ。

 いやいや流石にこれ以上は、と、ルカははっとした。

 ぼんやり見ていて良いはずがない。レオンの尊厳を護るためにも、このあたりでストップをかけておいた方が良いだろう。



「ちょっと! ソニア! 止めて! 流石にこれは……!」

「うふっ……うふふふふ……やっぱり鴉様ってば」


 ――だめだ! 向こうの世界に行ってしまっている……!


 手を動かす様子も無く、ただぼんやりと、二人の様子を堪能する状態に陥っているらしい。ソニアは恍惚とした表情で、両手を頬にあてているだけだ。


「アルヴィン! だめ、アルヴィン待って! それで良い。もう、そこで良いから!!」


 仕方なく、ルカが直接声をかける。シャツのリボンを解かれ、ボタンに手をかけられたレオンが救いの手を求めてくるのを流石に黙って見ては居られなかった。というか、これ以上はルカも同席したくない。

 流石にルカ直々の命となると、アルヴィンもピタリと動くのを止めた。


「何だ、これで良いのか。ルカ」

「いいっ。十分っ。はいストップ。そのままの体勢で良いから。いい。とても良いから」


 やり過ぎ注意と言わんばかりに両手で制止のポーズをとり、ルカはゆっくりと後ずさる。未だ夢の中で続きに想いを馳せているらしいソニアを横目に、レオン達から距離をとった。


 正直に言うと、これ以上は、見ていてつらい。

 居たたまれなくなる気持ちを味わうくらいなら、今すぐこの場から退散したくなった。



「待て。お嬢様! 俺を見捨てるな!」

「大丈夫レオン。アルヴィン、脱がすのはそれくらいにしときなさいね。――ほら、今、抑止力、かけたから」

「信用できるかっ。待てっ!」

「だいじょぶだいじょぶ、ほら、私、アルヴィンの名前、縛ってるし。兄様達の様子も見てきたいし。他にも用事が。ね? 後はね? 任せたから」


 己の指輪に向かってロディ・ルゥに呼びかけつつ、ルカは後ろ歩きに入り口の方へと退いてゆく。手を差し出して必死に縋り付こうとするレオンには悪いが、そのままのポーズでしばらくは頑張ってもらいたいと思う。

 ソニアにはきっと、満足してもらえるだろう。今でさえ、夢の中に飛び立っているようなのだから。


 アルヴィンにがっちりと押さえ込まれて涙目のレオンにエールを送りつつ、後はお願いね、と言い残す。するりと部屋の外へと出て行く際まで、レオンの嘆きが聞こえた気がした。

レオンとアルヴィンを生贄に捧げました。

見ているのがつらくなったルカは、とっとと部屋から立ち去ります。


次回は、リョウガたちの様子を見に行きます。

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