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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
84/121

特殊輸送部隊

 天候は快晴。

 しかし、峰の下から吹き上げてくる風が強く、下弦の峰の外へ出た瞬間、ルカは己のスカートを押さえた。


「ひゃっ」


 ごうっ、と巻きあがる強風に対応できず目をつぶると、隣に立っているロディ・ルゥが手を正面に突き出す。瞬間、ルカの周囲だけ空気が柔らかになり、巻きあがってしまった髪の毛もふわりと落ちついた。



「ふぅ……すごいのね、ロディ・ルゥ」

「この季節になると、風の強い日も多いですから。さあ、ルカ様」


 今日、付き添ってくれているのはロディ・ルゥだった。それはこれからルカが顔を合わせる妖魔たちのことを考えると、当たり前の人選ではあった。


 ――またいきなり襲われたりはないと思うけど。


 かつての出来事を思い出し、冷たい汗が流れた。

 ロディ・ルゥのことはこうやって名前を縛ることによって、全面的に信頼するに至った。特に彼の場合は、オミやアルヴィンとは違い、名を縛る際、無意識のうちに強く制約をかけたらしい。何があっても自分には逆らわないことを“本能で”知っている。

 だから襲われた過去も、ましてや魅了の術にかけられかけたらしい事実も横に置いておくことが出来る。

 しかし、今から合う面々は、少しだけ、彼とは立場が違う。



 緊張感を感じ、ルカはぎゅっと手を握りしめた。

 いつかはこうやって顔を合わせなければと思ってきたし、ロディ・ルゥも気を遣ってきてくれたのはよく知っている。しかし、いい加減覚悟を決めなければ。

 今、この峰は圧倒的な人手不足だ。特に、上級妖魔で、自分たちの味方になってくれる者は一人でも多く必要だ。

 これから、この夜咲き峰も宵闇の村も大きくその在り方を変えるだろう。その時に、彼らの援助が受けられるかどうかで、この先の舵も大きく変わる。



「大丈夫ですよ、ルカ様。私が、名前を縛っておりますから」

「それはそうなんだけど……」


 こくりと、首を縦にふるものの、不安が解消されることはない。

 おそらく、ロディ・ルゥとは違って、自分自身が彼らを――上弦の峰の妖魔たちを直接縛っているわけではないからだろう。ロディ・ルゥを縛っているからこそ分かる。彼自身が縛っている者に関して、ルカは直接の影響は与えられない。


 これから先お願いしたいことは勿論あるわけだし、ロディ・ルゥを通して事前にお願いはしてあるものの、今まで交流の無かったかれらに託して良いものかと、どうしても不安になってしまうらしい。



 ロディ・ルゥに引かれ、ルカは峰の外を歩き始める。ぐるりと周囲を見渡すと、季節に関わらず花が咲き乱れる更に向こう。大小様々な影が見えた。

 かつてルカに対して攻撃を仕掛けてきた彼らに身が強ばる。が、その中央に立つ妖魔を見てようやく、少しだけ気分が軽くなった。


 その者もルカの気配に気がついたらしく、一歩二歩と前に出る。

 深紅のドレスを身に纏い、ほっそりとした小柄な身体。漆黒の髪が風に揺れ、人形のような無表情に深紅の双眸が煌めく。

 まるで人工物であるかのように精巧な顔は、ルカと目が合うなりふと、口もとを緩めた気がした。



「随分待った。もう立つ」


 短く言葉を切り、赤薔薇はルカに背を向けた。待て待て、と周囲が彼女を止めると、今度は不機嫌そうにこちらを振り返る。


「どうした。急いでいる」

「赤薔薇ったら、急がなくても」

「――そうか」


 ルカが宥めるも、彼女は明らかにそわそわしている。傷ひとつ無い白い脚がドレスのスリットからのぞくわけだが、彼女はそれを揺すってはチラチラと空の向こうを見ていた。

 彼女が今から向かう先。今回の彼女の使命を考えると、いても立ってもいられないのだろう。このような雑用を彼女に頼むのもどうかなと考えたわけだが、案の定、大乗り気なようだ。

 ルカの見知らぬ妖魔たちの中に、彼女が同行してくれることがせめてもの救いだった。



「私が言うのも何ですが、随分と変わった組み合わせですね」


 そこに割り込んできたのは、赤薔薇の横に控えている長身の男性だ。

 白鷺、と赤薔薇が呟く。にっこりと、微笑んでいるようにも見える細い目に、逆に警戒心を覚えて身構える。

 彼が首を傾げると、さらさらストレートの白い髪に、黄色の毛が一房揺れた。


「えっと……」

「ルカ様。そう警戒なさらないでも。いつかのことはあるでしょうが、私は白雪様にお仕えする身。今回の外出も、貴女の望むように致しましょう」

「えっと。よろしく……」


 大丈夫だと言われたところで、簡単に警戒心が緩むはずも無い。ルカの緊張が伝わったのだろう。ロディ・ルゥが耳元で、大丈夫ですよ、と呟いた。


「ラージュベル。頼んだよ。くれぐれも、ガングリッドを野放しにしないよう」

「はい、わかっております、白雪様。――ガングリッド、ルカ様にご挨拶を」

「ルカ様だぁ〜?」



 ああん、と腹に響くような大きな声を上げたのは、人ではあり得ないほどの、堂々たる巨躯を持った男――黒犀。

 額から真っ直ぐのびる二本の角が猛々しく、彼の気性を表しているようだった。ぐいっとその角を突きつけられように頭を突き出されて、ルカは後ろに飛び退いた。


「ほんっとにちっこいな。こんなガキが白雪様を縛っているたぁ……信じられんな」


 大きな身体は陽を遮る。その大きな影にすっぽりと覆われてしまい、ルカは身を強ばらせた。

 威圧感をおさえるつもりも無いらしい。ぎろりと睨み付けられて、平気という方が嘘になる。



「ガングリッド」

「ぐっ……!」


 しかし、そんな黒犀に白雪がしっかり釘を刺した。

 とたん、彼の態度はするする萎み、体まで一回り以上小さくなったような気がする。


 非常にもどかしそうな、それでいて気まずそうな表情を残し、彼は後ろに一歩引く。すると今度は、彼の後ろからひょっこりと、別の妖魔が顔を出してきた。

 巨体に隠れてまったく見えなかったが、どうやら背中に女の子の妖魔がへばりついていたらしい。

 彼女は黒犀の巨体によじ登るようにして、肩に脚をかけ、彼の頭をからかうように掻き回す。



「んもぉ〜、黒犀! いきなり怯えさせちゃ駄目でしょ〜? あたしがいなくて、本当に大丈夫かにゃあ?」


 蜘蛛、と黒犀が名を呼んだ。

 くるくるパーマの黒い髪は瞳まですっぽりと覆ってしまい、その表情はわからない。しかし、ゆるゆるに緩んだ口もとが、彼女の天性の明るさを隠さない。


「馬鹿にするな! 俺だってなあ!」

「うっかり目的の人間、殺しちゃやだよん?」

「うっ」


 そんな彼女にまでぐっさりと釘を刺されて、黒犀はますますしぼんだ。ふふふっ、と彼の上から笑い声をかけた後、少女は黒犀の肩から飛び降りる。


 オレンジと黒のボーダータイツが目に痛い。黒をベースにしたフリルたっぷりのドレスは膝丈。布をたっぷりと使ったボリュームのある衣装にも関わらず、彼女は行動的な印象で目に映った。


「黒犀がいない間、あたしはルカちんに遊んでもらお〜♪ ルカちんルカちんよろしくねっ♪」


 スキップする以上に軽い足取りで、ルカの目の前にやって来ては、んふふ〜、笑みを浮かべる。いや、その目は確認出来ないが、きっと満面の笑みなのだろう。



「……ええ、よろしく」


 少し気圧されながらも、挨拶を済ませる。

 蜘蛛、と呼ばれた彼女は、それだけで満足そうに口の端を上げる。突然迫ってきたかと思うと、ルカの肩に手をかけて、彼女はそのままぐるりとルカを飛び越した。何が起こったか分からないでいると、とすん、と両肩に重みを感じる。


 彼女が肩に乗ったからだとすぐさま理解するが、その時にはもう、彼女は自分の上にはいなかった。ルカを踏み台にロディ・ルゥの肩の上へと移動しており、横からぽんぽんと頭を叩かれる。


「んふ。ルカちん身長低いにゃあ〜」

「タチャーナ」

「ふぁ〜い。分かってますよん、白雪様」


 お遊びはこれで終わりと言わんばかりに、蜘蛛は肩をすくめる。そしてそのまま、白雪様の頭も落ちつくにゃあ〜、とふああと大あくびして、彼女はそのままこてりと力を抜いた。

 蜘蛛はすっかりロディ・ルゥの頭を自分の顎置き場にしてしまっている。が、慣れているのだろう。何も気にすること無く、ロディ・ルゥは他の妖魔たちに目を向けた。




「ルカ様。改めてご紹介致します。上弦の峰の妖魔、白鷺ことラージュベルと、黒犀ことガングリッド。そして、不本意ながら私の頭に乗っかっているのが――」

「タチャーナこと、蜘蛛よん、ルカちん♪ でも、名前を呼んで良いのは白雪様だけ」


 んふ、と笑みを溢す彼女の表情は、やはり妖艶な印象が残る。

 よろしく、とルカが声をかけると、彼女は満足そうに、にたーっと笑った。


「上弦の峰の妖魔、以上三名。私の手足です」

「三名?」

「ええ――もともと上弦にいた薊という妖魔は、貴女もご存じの通りでしょう? 彼女は宵闇に下りましたしね。あとはもう一名居たのですが……」


 そこで、ロディ・ルゥは言い淀む。が、彼に乗っかった蜘蛛がかわりに答えを告げた。


「絶賛、家出中よん♪」

「……そう、玻璃は家出中なのです」


 ロディ・ルゥの苦笑いを浮かべる。おそらく、あまり見せたくなかった一面なのだろう。

 ルカも、アルヴィンにことの顛末は聞いてはいた。上弦の峰で、ロディ・ルゥが名前を還した妖魔がいる――理由はおそらく、ルカに近づけたくなかったからなのだろう。

 ルカがこの峰にやって来たことで、確実に上弦の峰の管理体制に大きな影響を与えてしまった。玻璃と呼ばれるその妖魔には、正直、心苦しい気持ちはある。が、それを気に病んでいるばかりではいけないことも、ルカは知っている。



「……そう。では、白鷺、黒犀。いきなり貴方たちの力を借りることになるけど、よろしく。赤薔薇を、助けてあげて」


 ちら、と赤薔薇に視線を向けると、彼女はまだかまだかとイライラし始めているようだった。少しでも早く目的地へ向かいたい気持ちを、隠す気がないらしい。



「――ガングリッド、わかってるね?」


 一方で、ロディ・ルゥが念入りに黒犀の方を確認すると、彼はバツの悪そうな顔をして、鼻頭を掻いた。


「わかってますよ。人間の集団と、荷物! 運べば良いんでしょう? だぁっ……! こんな雑用俺じゃなくったって!」

「むしろ、一番頼りにしてるんだ、ガングリッド。君は力持ちだから」


 体も大きいしね。とにっこりと付け足して、ロディ・ルゥは彼の肩を叩いた。そのまま彼の耳に口を寄せて、一言二言付け加えている。

 すると、黒犀の表情がピシリと凍りつき、とたんに口を閉じた。

 また碌でもない脅し方をしたのだろうが、先ほどまで大騒ぎしていた男はますますしょんぼりと体を丸める。後ろで白鷺がさも面白いものでも見たかのように、糸のように細い目を更に細めた。


「黒犀、行きますよ。では、白雪様、ルカ様。我々はこれにて」

「ああ、頼んだ。ラージュベル」

「頼まれました、ほら、黒犀」


 にこにこ笑顔を浮かべたまま、黒犀の首根っこを掴み取り、赤薔薇に視線を向ける。赤薔薇もようやく飛び立てることに満足したのか、ふと表情をゆるめ、ルカに向き直った。


「安心しろ。料理人の確保。絶対だ」


 誇らしさすら感じるような口調で、赤薔薇は胸を張る。今までで一番キリッとしているのではないだろうか。使命感に燃えるかのように、黒犀を睨みつけ、奴は私が御する、と宣言する。

 やる気に充ち満ちた彼女に最早託すのみだ。伝達の魔術具だけは忘れずに持っているか最終確認をし、その動力源になる魔石に欠損がないかもチェックする。

 それを彼女に託し、よろしく、と頭を下げた。


「任せておけ。荷、料理人。無事に届ける」


 では、と言葉を切ったのち、赤薔薇はすぐにルカに背を向けた。

 そして別れを惜しむ間も無く、一気に飛び立ってしまう。白鷺も黒犀を引っ張るかのようにその後に続いた。

 かなりの速度らしく、あっという間に姿が豆粒のようになってしまった。



「ふぁ〜、赤薔薇やる気満々だにゃあ〜♪」


 蜘蛛の言葉に、じっと東の空を見据えてルカも頷く。

 王都からすでに出立しているらしいゲン爺ことミナカミ家の料理人。見習いの供も連れて、合計三名でこちらへ向かってきているらしい。


 彼らを含めたミナカミ家を想い、そして、王都を想う。

 あの場所は――家族が居る場所であり、温もりに溢れていた。ハチガやリョウガ達の顔をみて、久しぶりに感じた安らぎがある。それは、王都にあったはずの温もりだった。


 しかし、同時に、胸がギュッと苦しくなるのは何故だろう。

 家という場所を一歩でも外に出ると、世間はルカに冷たい視線を向けた。

 平民と同じ学校に通っても、彼らとすら同じ生活が出来なかった。レオンが側に居ないと、何も出来ない。魔力を持たない人間は、一人では生きていけない。

 だからルカは、年若い頃から、史学の研究室に通い始めた。歴史に興味があるのも、妖魔に興味があるのも全部本当。そしてそこの教授は、唯一、ルカに優しくしてくれる外の人間で――。





「――ルカ様?」


 ロディ・ルゥに声をかけられて、ようやく。自分の呼吸が浅くなっていたことに気がついた。

 温かい家族に囲まれて、幸せ者だと思ってきたけれども、この気持ちはなんだろう。

 心に渇きを感じて、ぎゅっと手に力が入る。

 そして首を横に振り、ルカは気持ちを切り替えるように顔を上げた。


「……ううん。ありがとう、ロディ・ルゥ。皆を説得してくれて」

「いえ、手が足りない今。当然のことです。――タチャーナ、君もわかってるね?」


 自分の上に乗っかる蜘蛛をつつくようにロディ・ルゥが告げる。すると、蜘蛛も大きく頷きながら、実に楽しそうに言い放った。


「はいは〜い! 勿論にゃあ、白雪様♪ 峰の手薄になった警備、頑張るよん♪」


 最近、峰の外が物騒みたいだし? と彼女が付け足したところで、ルカの胸の奥の不安が、少しだけ、膨らんだ。

上弦の皆と顔合わせ。家出中の子以外とは、一通り話をしました。

赤薔薇たちは三人がかりで、人間と荷を輸送するようです。


次回は、生贄二人のその後です。

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