ソニア・エスターニクの願い
先立つものの話はそこそこに、情報を共有し合って会議は一旦解散となった。
その後、リョウガがアルヴィンを連れて峰の外に、ハチガはどうしてもエリューティオに話があるからと、彼を連れ立って満月の峰の方へと向かっていった。正直、ハチガとエリューティオが何を話すのか気になって仕方が無いわけだが、今はソニアと、交渉を済ませてしまわなければいけない。
レオンたちをエリューティオにつけると、一気に部屋に人が少なくなる。ロディ・ルゥだけは残ろうとしたわけだが、それすらソニアは許さなかった。
リョウガがいなくなったからと、一度、菫を呼び出してみる。女の子ならばとソニアも異論はないようだ。
「今、お茶を入れ替えますね」
石への声は無事に届いたらしい。皆の分のティーカップを下げながら、菫はくすくすと笑みをこぼす。
彼女の指先は繊細で、爪の形まで美しい。まるで作られた美しさとしか言いようのない整った顔には温もりがしっかり宿っていて、ルカは改めて妖魔の美しさを実感した。
一緒に居すぎてすっかり慣れてしまったが、この峰には、美男美女が溢れている。リョウガが彼女に一目惚れするのも、おかしな事ではなかった。
「菫、さっきはごめんなさいね。私の兄様が煩くて」
「いえ。とても元気な方ですね」
ルカ様そっくりです。と、何やら微笑ましそうに言われてしまったが、一体どういうことだろう。あのリョウガに似ているなどと、不本意極まりないが、菫は楽しそうだ。
ふふ、と笑いながらワゴンにティーカップを乗せ、一旦奥へと下がっていく。あの様子だと、リョウガの一目惚れは全くもって伝わっていなさそうだ。
「さてと、ソニア」
二人きりで向かい合い、姿勢を正す。ここからが正念場。彼女の要求、まず間違いなく妖魔に関する事だろう。緊張するのは仕方が無いことだ。
しかし、目の前の彼女はというと、先程まできりっとした面持ちだったのに、今は違うようだった。両頬に手をあて、まるで恋する乙女のように頬を染めては、息をつく。
「……ソニア?」
「ほう……っ」
ぺたんと、彼女はテーブルに突っ伏した。
瞬間、バタバタと地面を蹴るような音まで聞こえてきて、一体何なのだと言葉を失う。
「私……私っ、幸せですわっ」
そして、突然騎士らしからぬお嬢様言葉で奇声をあげたかと思うと、顔を伏せたままのたうち回った。
「隊長をけしかけて、ここまできた甲斐がありましたわっ。最高! 最高の気分です、ルカ様!」
――兄様をけしかけた?
ソニアの言葉に聞き捨てならない単語がある。元々ハチガのみが派遣される予定だったのに、何故かリョウガの部隊が加わったことはルカも聞き及んでいる。妹可愛さにリョウガが暴走した事も十分に想像できたわけだが。
「もしかして、貴女がリョウガ兄様をつついたの?」
「うふ、当たり前じゃないですか! 麗しいと噂の妖魔に逢えますのよ! 何が何でも! どんな手段を使っても、来ないわけにはいかないではありませんの!」
ソニア・エスターニク。
ばんっ、と、両手でテーブルを叩いて主張する彼女は、何というか非常に――リョウガの副官だった。
***
「えっと……じゃあ、貴女が騎士団にいるのは、もしかして」
「うふふ、そんなの、素敵な殿方が溢れているからに決まっているではありませんの」
なにを今更と言わんばかりに、彼女は頬を染めた。どうやらルカとはまた違った理由で、彼女は妖魔に興味が……否。素敵な殿方に目がないようだ。
彼女の勢いに気圧され、動揺を隠すために、菫が入れ直してくれたお茶に口をつける。
「新月の夜、私もあの場に居ましたのよ。鴉様がレオン様を抱えて飛んでいく様――それはもう、美しくて」
「ん?」
アルヴィンが抱えていたのはルカだったはず。その後無理やり、ルカがレオンを巻き込んだのだ。だが、彼女の目にはルカの姿は綺麗にカットされているようだ。
完全に事実が良いように塗り替えられている気がするが、あまり気にしてはいけないのかもしれない。
「アヴェンスからここまで来るとき、驚きましたの。あの時のお二人が、半年の時の中であそこまで打ち解けていらっしゃったことに。――金の髪と黒い髪。まるで光と影のようなお二人は、種族の壁に戸惑いながらもお互いを認め合い、その友情は親愛の域を越えて――」
「ちょっと待った、ストップ。ストーップ!!」
「? なんでしょう?」
ルカの全力の制止に、彼女はきょとんと小首を傾げる。少し話を聞くだけでどっと疲れたが、なるほど、彼女が殿方厳禁と言った意味は理解した。
「レオンたちが仲良しなのは十分伝わったから――話を先に進めましょう」
「あらいやだわ。私ったら!」
口元を押さえて驚く様は、完全に貴族の御令嬢だ。先程までのデキる文官風騎士は一体どこへ行ったのだろうか。
「取引を始める前に、私の身の上からお話し致しましょう。ルカ様」
「ええ」
「私はソニア・エスターニク。貴族の皆様が仰るには、身分を金で贖ったなどとありがたくもくだらない評価を頂いておりますパラティノア商会ハリスン・エスターニクの次女ですわ」
「パラティノア商会――」
ずいぶんな言いようをするものだが――名くらいは聞いたことがある。とはいっても、ルカに馴染みのあるものではなかったため、業務内容までは全くわからない。
「まだまだ新興と言われる商会ですけれども。もともとは画家の系譜に連なる一族でして。芸術品・画材を主に取り扱う商会ですわ」
「芸術品ですって――?」
ちらと家具に目を向ける彼女をつい警戒する。しかし、ルカの不安などお見通しなのだろう。彼女はくすくすと上品に微笑んでは、首を横に振った。
「確かに、この峰の家財でも売れば、金貨十枚などあっという間でしょう。ですが、先程までのお話を聞いたところ、ルカ様はそれを良しとしないでしょう?」
素材を分解されることも考えられますし、と、彼女は言葉を付け足す。
「そこは御安心下さいませ。私から、この峰の素材を直接外へ出すことなど致しません」
「直接ですって? ――間接的に、は?」
「ふふっ、他意はありませんわ。私の願いは、ひとつ。それが叶えば、金貨二枚」
「二枚?」
「はい。二枚」
足りないではないかと言おうとした瞬間、彼女は被せるようにして、ルカに提案を持ち出した。
「ワンポーズにつき、金貨二枚」
「ワンポーズ?」
「妖魔の皆様、もしくはレオン様をモデルに、絵を描かせて下さいませ、ルカ様。絵画五枚分で金貨十枚。悪くはない提案でしょう?」
にっこりと微笑む彼女の要望。聞くと同時に嫌な予感が全力で駆け巡ったが、ルカ自身は痛くもかゆくもない。
彼女の申し出た値段は破格中の破格。モデルを提供するだけで、平民が目玉を飛び出すような金額を提供すると言う。
ハチガたちが何故見知らぬ人間を連れて来たのかと勘ぐったが、なるほど、彼女の趣向と懐事情、そして兄たちの信頼が両立して初めて導き出した人選だったのだろう。
「いいわ――レオンとアルヴィン、いえ、鴉を貸しましょう」
「商談成立ですわね」
腕が鳴りますわ〜、と、両手をわっきわきと動かす彼女は、やや目が据わっている。というより、恍惚とした気持ちを抑えきれないようで、口元はでろっでろに緩んでいた。
レオンとアルヴィンの仲の良さに大喜びしてた彼女のこと。二人を犠牲にして済むなら、それに越したことはない。むしろ、他の妖魔を巻き込んではいけない気がする。
ソニアはけして見目が悪いわけではない。
有能だし、家柄的にも申し分ない彼女。しかし年齢的にはそろそろいき遅れと称される頃なはず。そんな彼女が王都に残らず、のうのうとこんなところまで来た意味がわかってしまった。
――ご両親、諦めてるわよね……?
うふふ、うふふふふー、と夢の世界に飛び立っている彼女を横目に、ルカは大きくため息をついた。
なるほど、金銭的な問題以外で騎士団に入団する女性は、一味も二味も趣向が違う。金で自由を買い、思いのまま男性ウォッチングに勤しむ――それが彼女の生き方らしい。
「それで、買いている最中のことですが、場所をお借りしたり、画材を購入しに行ったり細々とお手伝いが必要なのですけれども、そちら、手配はお願い出来ます?」
「――むしろこちらからお願いしたいくらいだものね。ええ、危険のないようにもしなきゃいけないし、なんとかするわ。護衛ならアルヴィンがいれば問題なさそうではあれけど」
「なるほど」
ぽんっ、と手を打って、ソニアは満足げな顔をした。そして、ありがとうございます。とひとしきり礼を述べた後、表情を一変する。
「隊長はともかく、ハチガ様には報告が必要ですね」
先程までの令嬢モードは何処へやら。初めて見た時の印象通り、生真面目でキリリとした顔を見せて、何度か頷く。なんぞと目をぱちぱちしていると、彼女は容赦なく、端的に述べた。
「二十点です。色々考えてはいるようですが、確かにルカ様は商売に向いていません」
「はい?」
「ふふ、ご心配なさらずとも、お約束を守っていただけたら、金額十枚は差し上げます。入り用でしたら、冬支度の手配まで致しましょうか? ――しかしルカ様、貴女はせめてもう少し、お勉強なさった方が宜しいかと」
お粗末すぎます。そう述べながら、彼女は冷静に、ルカの評価らしきものを手前の紙に書き落としていく。これを後ほど、ハチガに報告するつもりなのだろう。
久しぶりの兄との再会は実際心躍るものであったが、そのうちお小言大会になりそうで恐ろしい。
「もし、まともに商業に乗り出そうとなさるなら、適任を探すか、信頼できる代理人を探した方が良いと判断しました。私が峰にいる間でしたら、協力して差し上げることもあるかと――もちろん、それなりの対価は頂きますけれども」
にっこりと微笑むソニアの瞳は笑ってはいない。
ああ、これが人間だ、と実感することになって、ルカは肩をすくめた。
「はぁ……それが、さっきの、協力の云々?」
「いえ、それは無償で提供して下さるのでしょう?」
「場所と交通手段だけ、だったわよね」
「――覚えていらっしゃいましたか。五点追加して差し上げます」
「どーも」
生真面目で頼りになりそうな副官とは思ったが、これはこれで、気を抜くことが出来ない。商人の類いとまともに接することなど今までなかったが、この押しの強さ――無闇やたらに商業ギルドへ突入しなくて本当に良かったとほっとする。
当分は彼女だけでなく、ハチガやリョウガもこの峰で受け入れるのだろう。
賑やかになりそうだ。そう考えると、やけに頭が痛くなると同時に、どこか肩の力が抜けたような、心が軽くなったかのような心地がした。
ソニアは無類のイケメン好きでした。
鴉とレオンを生贄に捧げます。
次は、上弦の妖魔たちに、とあるお願いです。




