筆頭妖魔との面会(2)
さて。風の主が認めてくれたわけだ。これで胸を張って行動できそうだ。ぽつぽつと風の主と話しつつ、これからの動きについて考えを巡らせる。
「では、人間のことを伝えるにあたって、具体的にはどう致しましょう?」
「さてな。他と干渉せぬよう生きてきた私だ。きっと其方が考える方が適任だろう」
ところが、事は簡単にはいかないらしい。先ほどの感動もどこへやら。風の主は、ものの見事に”丸投げ”という方式を持ち出してきた。もちろん、これは十分に予想し得ることだったが。
ひく、と頬を引きつらせ、ルカは恐る恐る彼の顔をのぞき込む。
「右も左もわからない私には事が大きすぎます。……そもそも、妖魔の皆様は、教育環境はどのような形なのでしょう」
「おそらく、其方の想像しているものとは異なる。基本的なことは、生まれながらにして本能が知っているからな」
「……なるほど」
これは手強そうだ。
考え方や、生きてきた環境がまるで違う者に教授するわけだ。簡単に方法論やその内容について提示出来そうにない。一度菫あたりに相談し、練り込んだ方がいいかもしれない。
「わかりました。具体的な方法については一旦こちらで考え、提示します。最初は小規模なものになるかもしれませんが」
「任せよう」
なんてことだとルカは思う。妖魔社会の何たるかについても――いや、そもそも妖魔のこと自体が分かっていないルカに、妖魔全員の面倒を見ろと無茶ぶりされるようなものだ。
くらくらと事の大きさに頭を抱えつつも、夜咲き峰に来る時から当然覚悟はしてきては居るわけで。とりあえず、手がつけられるところから状況を把握し、動いていかなければいけないことは認識できた。
いっそ、具体的な命令を下されるより、やりやすそうだと考えることにする。自由に出来る裁量をもらったわけだ。責任は重たいが、やりがいはある。
畏まりました、と、短く告げ、ルカは思考に耽った。
――まずは相互理解が必要だ。
知識の共有――すなわち、妖魔がどのように生活しているのか、自分が知ることから始めないといけないだろう。と同時に、手探りでも人間の情報を伝えていくとして……やはり、実験台がが必要になって来る。だとすれば……
「ルカ」
ぐるぐると頭の中を高速回転させる。方法論と内容論を構築し、何度も練り直し熟考する。今まで、王都での研究をする中で何度も繰り返してきた行為だ。考察するのには慣れている。
「ルカ、聞いておるのか」
「うひぇっ」
ぐい、と、腰を引っ張られた。何ぞや、と風の君の方を見てみると、ずいぶんとご機嫌斜めな顔になっている。
「申し訳ありません。少し、思考に捕らわれていたようで」
「……後にせよ」
「ですよね。失礼しました」
そう言って、苦笑いを浮かべる。
研究は後にしろ。王都の家族にも頻繁に言われてきたが、まさか妖魔の婚約者にまで言われるとは思わなかった。少し拗ねたような表情になっているのが微笑ましくて、ちょっと得した気分だ。
「他に困ったことはないか、と聞いていたのだが?」
しかし、ずいぶんと相手の好意を踏みにじっていたようだ。自分のあまりの失礼さに反省しつつ、ルカは考える。
こう言った気遣いは、正直ありがたい。足りないものだらけなのは勿論だが、風の主にしか頼めないことが幾つかある。
「あります」
「ふむ。申してみよ」
「人手が。正直、人の手が全然足りないのです。物資がないために、レオンは出ずっぱりになるでしょうから。彼がいない間、出かけられないのは困ります」
「なるほど」
風の主は顎に手を当てる。しばし考え込んでから、答えを発した。
「宵闇の村で適当に見繕うのが良かろう。……少々難しいかもしれんが」
「どういうことですか?」
「其方とレオンとかいう従者とのような関係を、この峰で求められても困る。妖魔には妖魔なりの矜持があると言うことだ。我々は自身が絶対的であるが故、他は全て他者。従属の関係など成立せぬ。これは下級妖魔とて同じだろう」
「でしたら、菫は?」
「かの者は宵闇の下級妖魔の中でも、穏やかな一族の娘だ。御しやすさから召し上げたが、彼女も妖魔。其方に心までは捧げまい」
――少々思い違いをしていたらしい。彼女とは今日一日で随分と分かり合えたと思ったのだが、根本的なところが違っているようだ。
ルカが肩を落としたのに気付いたのだろう。風の主は言葉を付け足す。
「だが、宵闇の村の者は御しやすいのは事実だ。だから、従者が欲しいならかの村へ行けと言っておるのだ」
「わかりました。検討してみますね。許可を下さり、ありがとう存じます」
もちろん、宵闇の村に行く許可が出ただけでは足りない。それから、と、ルカは言葉を続けた。
「できれば、宵闇の村に行く方法など、ご教授頂けませんか。毎回、昨夜のように脇に抱えられて参るわけにも行きませんので」
「ああ、そうだな。では、転移の間の使用を許可しよう。強い妖気が必要だが、鷹がいるなら問題なかろう」
「転移? 出来るのですか?」
「うむ。……勘違いはするな。宵闇の村にしか繋がっておらぬ」
もしかしたら王都から色々持ち込めるのでは、などという甘い考えを早々に潰され、ルカはしょげる。しかし、一歩前進したと考えよう。すべき事が明確になったのだ。いつまでも落ち込んでいる訳にもいくまい。
「でしたら、一度訪問してみます。風様、助かります」
「うむ。鷹は少々厄介な男だが。其方の頼みなら聞くのだろう」
と、ここで風の主から鷹の話が出てきた。彼についても、考えるべき事、知りたいことはいくつもある。鷹が出払っているのも好都合だ。風の主になら菫と違った話も聞けるかもしれない。
「鷹についてなのですが、風様はどのようにお考えで? 正直、何故、彼が私に付きまとっているのかわからないのです」
「ふむ、彼奴は言ってはおらぬのか?」
「ええと、興味があるとか、そういったことくらいで」
「……“名”は?」
ピクリと反応する。
“名”に対する答えが鷹で無いことくらい、ルカには瞬時にわかった。
忘れはしない。さらりと告げられただけなのに、まるで脳裏に直接刻み込まれたように強く、チラチラ光る。思考に対して絶対的な支配力を有しているようで、何とも不愉快だった。
脳内で名前を反芻しつつ、聞きました、とだけ答える。
「ならば何も言うまい。ただ一つだけ覚えておけ。万が一、其方の身に何か起きた場合、彼奴の名を呼んでやれ。必ず其方の助けになるだろう。まあ、その後のことは知らんが」
……その後に何かあるのだろうか。不安にしかならない助言に耳を傾けていいものかどうか悩む。だいたいの結論は出てはいるのだが。
「私が一つ言えるのは、鷹のことは心底気に入らないし、この夜咲き峰にいることすら許しがたい。出来るものならば消し炭にしてやりたいところだが、そうもいかないのだ。気は進まんが、其方の力にはなるはずだ。妖魔の常識にはない絶対的な信頼というものをもって其方を護ってくれるだろう。私の婚約者に付きまとうなど、心の底から許しがたいが」
「――名前は絶対呼びません!」
鷹のことを考えるだけで、風の主の表情が氷点下にさしかかっていくのを目の当たりにした。一体、何をやらかしたというのだ。ここまで目の敵にされるほどの所業をするなんて、本当に信じて良いものかと悩ましいところだ。
しかし、風の主は信頼という言葉を使った。この言葉だけは、一応、心の片隅の端のさらに端に留めておこうとルカは思った。
「万が一のことを言っているのだ。守護の呪文のようなものだ。覚えておけ」
しかし、風の主は何度も何度も念を押したのだった。
名前は絶対呼びません。絶対に!
次ははじめてのお食事です。