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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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レオンの不在(2)

 久々に会った白髪の少女――雛は、すでに目にいっぱいの涙を溜めている。彼女を止めきれなかったらしい波斯が遅れて入ってきて、入り口の向こうで申し訳なさそうな表情を浮かべていた。どうやら、この場所に通してしまったのは波斯らしい。


「アンタ、風様に何を言ったのよっ!」

「へっ? 何って……」

「うっ……ううっ……!」


 ほてり、ほてりと、大きな山吹色の瞳に涙を浮かべる。とってもわがままな理由で泣いている気が全力でするわけだが、目の前で妖魔の美少女が泣いているとなると、放っておけるルカでもない。

 オロオロしながら宥めようと手を差し出したところ、パシリと彼女に弾かれた。


 瞬間、後ろから氷点下の気配がした。

 予想通りの展開すぎて、ルカは頭を抱える。こうしてルカ自身がぞんざいに扱われることに対し、絶対的な怒りを示す者が後ろにいる。



「ちょ……琥珀ちょっと待って……あっ、ああもう、雛もっ!」


 前に後ろにと気を払ってオロオロするものの、時すでに遅し。うわんうわんと声を出して泣き始めた雛の目から、涙が途切れることが無くなった。


「あああ、ちょっ……菫! 鍋! 鍋キープねっ! そのまま、弱火でっ。ここに切ってある野菜もっ……あ、琥珀っ、ちょっ……」

「やっぱりルカ、こいつには分からせた方が良いよ」


 今にも雛に妖気をぶつけようと出された琥珀の手を、ルカは両手で押さえる。


「私の部屋では安易に攻撃するの禁止っ。って雛、もう、どうしたの!」


 折角の楽しい調理の時間が台無しだ。右往左往と情けない限りだが、仕方が無い。

 下手すれば、琥珀は躊躇なく雛を消しそうだから厄介だ。しっかりと説き伏せると、落ちついてルカの話を聞いてくれる彼ではあるが、逆に言うと、油断をしたら暴走する。勘弁してくれと思いながら、泣く泣くルカは料理を中断することにした。



「菫、とりあえず、しばらくはそのまま煮込んでくれていいから。ここは、任せたわ」

「はい、あの、ルカ様っ」

「あー、雛の事は私が。波斯、お茶を入れてくれる? ほら、琥珀も、行きましょう。ちょっと落ちついて、お茶にするわよ」



 少し強引に琥珀の手を引く。手を繋ぐと琥珀は少し落ちついたらしくて、ぎゅうとその手を強く握りかえしてきた。

 隣に怒り狂ったちびっ子。後ろに泣きじゃくるちびっ子。彼ら彼女らを連れて行くルカ自身もちびっ子と言って差し支えはない程度の発育しかしていない。

 急に幼い頃に戻った気がして、不思議な感覚がしたが、きっと気のせいだ。

 雛はともかく、琥珀の年齢は超長寿なはず。誤魔化されてはいけないと思いつつ、ルカを純粋に慕ってくる少年を邪険にすることも出来なかった。




 テーブルを三人で囲む。意味の分からない組み合わせにクラクラしながらも、ルカは脳内で命名した。


 ――ちびっ子大会、開催!


 そうとでも思わないと、やっていられない。状況が分からなさすぎて一周回って冷静になったルカは、さて、と雛の顔をみて呟いた。


「どうしたの、雛。そんなに泣きじゃくって」

「ううーっ! だって……だってぇ……」


 ぐずり方が完全に子どもだ。先日はエリューティオに向かってまるで色仕掛けのような目つきをしていたではないか。あれは一体何だったのだろうか。

 殊勝な態度でいたことが馬鹿らしくなるくらい目の前の彼女が子どもで、ため息しか出てこない。


 隣で琥珀が、醜い、と呟いているところも実に厄介だ。

 彼も彼で、この状況が気にくわないらしい。泣きわめくのは彼の美学に反するのだろうが、彼の大泣きもルカは見たことがある。自分のことを棚に上げているのが、もはや可愛らしくも憎らしく感じてくる。



 だて、どうしたものかと途方に暮れていると、奥から波斯がやってきた。

 その手に紅茶の用意を一式揃えているのが目に入り、ああ、そう言えば琥珀が泣いてたときもこんな状況だったなあと思い出す。

 あの時は花梨を待つために、美味しいお菓子を毎日準備して――と、そこまで思い出したところで、この状況を打破する一つの手段を思い出した。


 いや、頭の片隅にあったのだ。人間――いや、妖魔も、取り乱したときの絶対的対処法。

 正直、この手段は今使うつもりなんてなかった。が、背に腹は代えられない。怒り狂った琥珀がうっかり雛を消してしまわないように、早いところ手を打つ必要があるだろう。



「波斯。お茶、ありがとう。もう一つお願いできる?」

「何でしょうか」

「保存の魔術具の中確認してきて。レオンが私のために用意してくれたものがあるから、持ってきてくれる?」

「? ……あ! はい、確認してきます」


 彼は一瞬小首を傾げたが、ルカの言わんとしている事が分かったのだろう。一礼して、すぐさま奥の小部屋へと戻っていく。

 お茶に口をつけて少しだけ落ちついたのか、でも、気持ちが揺らいでいるらしく、琥珀の顔が安定しない。ぴしりとたまに、まるで虫の頭のように異形へと姿を変えてたり戻ったり。物理的に頭部が変形するところを見ると、彼は本当に人間ではないのだと理解する。


 一方で目の前の雛は、ぐずぐずと涙と一緒に鼻水まで垂らしてきた。涙が出るのは知っていたが、成る程鼻水も出るらしい。

 まあ、人化が進んだ彼女だからかもしれないが、少しだけ興味深く見てしまい、違う違うと気持ちを軌道修正した。


 泣きじゃくる彼女にハンカチを差し出したところ、それは素直に受け取ってくれた。

 ちーん、と容赦なく鼻水をかまれて苦笑いする。レオンお手製の刺繍が雛の鼻水まみれになったけれども、気にしてはいけない。




 そうこうしているうちに、波斯が慌てて戻ってきた。今度はトレイに三つの皿が並んでいる。その上に何が乗っているかも知っているルカは、咽び泣きたい気持ちになった。


 ――はぁ……私の、おやつ。


 ふわっふわのムースが三つ。

 慌てて用意してもらったから、味は全て同じだけれども、全てルカのものになる予定だった。

 “レオン食”断ちは言わば上級妖魔たちの教育に必要なものであって、ルカには今更のこと。だから、一人になった時にこっそりと食べようと思っていたのだ。

 一日一個。レオンが四日目に帰ってくるなら、それでこと足りると思っていたのに。



 ――トラブル用にもっと用意してもらえば良かった……。


 が、今更嘆いたとて仕方がない。計らずしも最後の一個になってしまったムースが目の前に置かれている。もはやこれを味わって食べるしか無くなってしまった。

 ほろりと侘しい気分でいると、隣に座っている琥珀の表情が少しだけ緩んでいる。結局のところ、美味しいものが食べられずにイライラしていたストレスもあったのだろう。


 早速彼は、ムースをスプーンで掬い、口にしている。現金なもので、この時ばかりは彼の周囲にはお花が飛んでいる様だった。



 一方で雛はと言うと、目の前に置かれた物体をどうしていいのか分からずに、気まずそうに涙を流し続けている。大声を出すことは無くなって、ずるずると鼻を啜りながら、何度もお皿の上のムースを目で行ったり来たりしていた。


 はあ、と大きなため息をついて、ルカも目の前のムースを口にした。季節柄、栗の風味を詰め込んだらしい。あの独特のブツブツ感を感じず、ふわふわした食感のみを残しているのは、もはやどの様な技を使ったのかわからない。



 ――流石レオン……おいひい。


 どうせ誰かにあげるなら、エリューティオに食べさせたかった。しかし、もう遅い。

 食べなよ、と雛に告げると、彼女はキッと鋭い目線でこちらを睨みつけたものの、お菓子の魅力には勝てなかったらしい。


 一口掬って、口に運ぶ。瞬間、彼女の涙が引っ込み、勢いよく手と口が動き始めた。小さなスプーンに山盛りムースを盛って、口に運ぶ。サイズ感が測れないのか、大口を開けても溢れるほど掬ってしまったらしく、非常に不恰好な食べ方になってしまっていた。


 そうするとあっという間に無くなってしまったらしく、彼女はしゅんとしょげてしまった。静かにはなったものの、何だか調子が狂う。




「ちょっとは落ち着いたかしら」


 改まって、ルカは声をかける。

 涙と鼻水でずるずるになったハンカチがテーブルの上に置いて。それを握ったり緩めたりしながら、雛は俯いている。


「で? 貴女は何をそんなに怒っているの?」

「……っ!」


 再びつつくと、止まっていた彼女の涙が再びホロホロこぼれ出した。


「何か私に思うことがあるのでしょう? 聞くから、ちゃんと言って」

「貴女が……風様に、余計なことを言った……」

「ん?」


 ルカはこてりと首を傾げた。

 確かに雛のことは気にかかってはいたが、エリューティオの前で話題に出すほどの事でもない。彼と話す時間は貴重だから、いちいち雛のことを話題に出す必要性も感じない。

 そもそも、彼女がルカのポジションを狙っているなら、何故ルカがその後押しをする様な真似するだろうか。



 雛は少し、自意識過剰なのではないだろうか。侍女だと言っておいて、やるべき事もしない。

 なるほど皆が色々言うわけだ。ルカとしてはもう少し様子を見るつもりだったけれども、今日のようにハラハラしてはたまらない。早いところ、何か手を打った方がいい気がしてきた。



「余計な事って、私が何をしたと言うの?」

「か、風様……今日は何も反応くれなかった……!」

「?」

「妖気を通しても……何もっ! いつもは、拒否するにしても、はん……反応がっあるのに……!」


 そこまで話してもらって、思い当たる。彼女は、施錠がわりの光の扉のことを言っているのだろう。

 エリューティオの部屋に自由に出入りすることが出来ない雛は、当然部屋の主の許可が必要になる。しかし、今日はその反応がないとか。


 そこまで聞いて、ルカはため息をつかざるを得なかった。

 雛は無視されたと思っているのだろうが、恐らくそれはただの勘違いだ。彼は今日、外す、と言っていた。単に部屋にいないだけなのだろう。


 ――勘違いでここまで大騒ぎしたわけ?


 辟易して、ちらと波斯の方を見ると、彼も首を横に振っていた。




「雛はさ――エリューティオ様のところに押しかけて、どうするつもりなの?」


 いい機会なので、改めて聞いてみる。

 彼女のことはどうしても避けてしまいがちで、まともに話したことがなかった。

 それはルカが彼女とどう接していいのかいまいち方針が定まっていない為でもある。だがそれ以上に、ルカに対していちいち突っかかってくる彼女にこちらから積極的に関わる気にもならなかったからだ。

 ただでさえ、眠りによって活動時間が激減しているこの時に、わざわざ彼女の為に時間を割こうとは思えない。


「私はっ! 私に出来ることをしたいだけなのにっ!」

「出来ること? でも、菫の教えも聞かずに逃げ回っているのでしょう?」

「あんなのは眷属の仕事じゃない! 私は風様の眷属にはならない。侍女に、なるのよっ」


 菫と菫の仕事をあんなの呼ばわりした事に対して、ルカのこめかみがピクリと引きつる。しかし、一旦冷静になって話の続きを聞く事にする。


「侍女? エリューティオ様を追いかけ回して、迷惑をかけるのが侍女の仕事?」

「だって! 風様が受け入れて下さらないんだもの! アンタのせいじゃない!」


 とても理不尽な理由で怒られている気がして、ルカは辟易した。

 この峰の皆のことはとても好きだし、大事にしていきたいのに――どうしても、彼女のことはどう受け入れて良いのか分からない。

 気をつかうのが馬鹿馬鹿しくなってきたとき、隣から、静かな怒りの声があがった。



「身の程知らずだよ」


 ずばりと冷静に、雛の主張をぶった切ったのは琥珀だった。先ほどまでの顔の形が変わる程の分かりやすい怒りではないが、静かにそれだけ告げて、彼はスプーンを置く。


「僕でさえ、あの人のものに手を出すのすら避けてるんだもの。どうして力もない、美しくもないお前が風の主のものになれるの? 分不相応だよ。みんな許すはずがない」


 琥珀の主張に、ルカはきょとんとする。いまいち、彼の主張が飲み込めない。

 その琥珀色の瞳に問いかけるように視線を送ると、彼は呆れ顔で言葉を付け足した。


「ルカも勘違いしてるようだから伝えておくけど、あいつの言う侍女は意味が違うからね。あいつが行おうとしているのは、(とぎ)、だ」

「とっ……!?」

「――やっぱり勘違いしてた」


 琥珀の言葉に頭が真っ白になる。

 そのようなものを、自分は容認しようとしていたのかと、過去の自分を張り倒したくなった。



「言い方を変えよう。お前程度が風の主の愛人になれると言うのなら、僕だってとっくにルカを手に入れていた! 僕らは自由だ。何者にも縛られず、己の思うままに生きればいい。だからこそ、他の妖魔のテリトリーには人一倍警戒している! そこを間違った妖魔は、消されたところで文句は言えないからね!」


 今、さらりと信じられないことを口にされた気がしたが、あえてルカはスルーすることにした。妖魔同士の暗黙の了解の上に成り立つ不可侵条約に、助けられていたらしい。


「自分の力を弁えられない妖魔に、僕たちは甘くはないよ。いい加減、目障りなんだ。目の前をちらつくカスを消すのも許されなくて、僕もね、イライラしてる」



 ピリッと妖気を肌に感じて、ルカはまずいと理解する。

 しかし、時すでに遅かった。ぱんッという力の波動を感じた時、雛の体はすでに窓際の壁に叩きつけられていた。


 ギラギラと輝く琥珀色の瞳に、ルカはすっかり血の気が引いてしまう。

 席を立った琥珀は、雛を追い詰めるように壁際に歩み始めた。兄妹だと言うのに、波斯も止めようとはしない。明らかな力の差が、そこには如実に表れていた。



「駄目っ、琥珀!」


 ルカは駆け足で琥珀の隣へ向かう。むんずと琥珀の腕にしがみつき、何もしてくれるなと懇願する。

 そんなルカまでも煩わしそうに見てくるが、ひるむことなく彼の腕を押さえつけた。壁に背中を打ち付けたままへたり込んだ雛は、わなわなと恐怖に震えている。


 まずい、まずいと焦りばかりが湧き出てくる。こんな日に限って、信頼できる者がすぐ側に居ない。誰か助けて、と脳内で何度も叫ぶけれども、届くはずもない。ふるふると首を振って、ただ、琥珀に懇願することしか出来ない。



「ルカ、離してくれない?」

「嫌よ。そこまですることないでしょう?」

「そっくりそのままお返しする。どうしてそこまでして止めようとするの? 終わりにすれば早いじゃないか」

「そう言う問題じゃない!」


 ちら、と波斯の方を見た。彼は動けずに、ただただ苦しげな表情を浮かべて、こちらを見つめている。

 波斯に出来るのはルカに頼ることだけなのだろう。彼の力では、琥珀に意見することなどできるはずもないのだから。いや、本来であるならば、彼と琥珀が出会うことすらなかったはず。


 ルカが峰に来たことで、妖魔の上下関係を超えて彼らが出会うようになってしまった。であれば、それによって起こる軋轢をルカは正さないといけない。

 なのに、目の前の琥珀を止める手段が見つからない。


 彼の体から放たれる妖気の束を感じて、ルカは目を閉じた。

 もう駄目、と不安でいっぱいになった時、空間がぐにゃりと歪んだ。



 ……いや、歪んだ気がしただけだ。

 胸の奥底に灰色の霞のようなものが揺れた気がした。空気が揺れて、はっと顔を上げる。


「お呼びですか、ルカ様」


 ぱらりと、視界に灰色の雪が溶ける。

 琥珀と雛の間に立った彼――妖魔ではあり得ないほどに凡庸な顔をした男、ロディ・ルゥが、にっこりと琥珀の攻撃を受け止めていた。

“侍女”の意味するところが、大きく異なっておりました。


ロディ・ルゥに助けられつつ、次回、雛の処遇についてです。

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