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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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レオンの不在(1)

 かちゃり、と、エリューティオがカトラリーを置く音が聞こえた。皿の上には三分の一ほど手をつけた肉がそのまま残っている。

 その眉間の皺が、彼の気持ちを代弁している。心の底から、波斯と菫に全力で謝り倒しながら、ルカはおずおずと訊ねた。


「あの……どうしました、エリューティオ様?」

「……いや……」


 文句が言いたいのに言えない。そんな状況なのだろう。お口直しにワインを一口。こちらはいつもと同じ味であるにも関わらず、彼は物足りなさそうな顔をする。

 それはそうだろう。メインディッシュが味気ない方向性は見えるがいろんなものが足りない何らかの野菜が凝縮されたソースがかけられた牛肉。圧倒的に味気ないその一品が、ワインに合うとも思えない。


 予想はしていたものの、予想通りの味の具合に、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 いや、塩味だけではなかっただけ、逆に及第点かもしれない。ため息は、必死で我慢だ。エリューティオの斜め後ろに控える波斯が、今にも泣き出しそうな、悔しそうな顔をしているから。

 きっとルカの後ろに控える菫も、同じ顔をしているのだろう。彼女はこれまでも、自分の不甲斐なさに悩んでいた。


 今まで、当たり前に居たはずのレオンが不在。ハチガたちを迎えに、アルヴィン共々アヴェンスに派遣しているわけだが、その影響が顕著に現れているのが食事面だった。

 菫と波斯は、レオンが不在のこの状況で、己の能力に改めて直面し落ち込んでいる――そんな気がする。



 味気ない素材たちを口の中に押し込み、ルカも紅茶を口にした。何事もないかのような態度で全て平らげ、手を合わせる。糧への感謝の祈りを捧げ、菫の方を振り返った。



「菫! レオンがいなくて大変だと思うけれど、峰のこと、お願いね」

「は、はい! あの……出来ることは限られますが。私、頑張りますのでっ……」

「分かってるわよ。お昼も煩いのが多いから大変だと思うけど……」

「やらせてください」

「うん、お願いね」


 申し訳なさそうにオレンジの瞳を翳らせて、彼女は食器を片付けていく。エリューティオはというと、いよいよ食べきれなくなったらしく、波斯に下げるように命じていた。

 波斯もまたすっかりと肩を落とした様子で、見ていて痛々しい。


 昼食以降も、もし彼らを責めよう者が現れたなら、はり倒す準備くらい出来ている。だからこそ、レオンの食事が当たり前になっているエリューティオが何も言わなかったのには安心した。




 肩を落として奥の部屋へ下がっていく二人に目をやる。部屋の中に二人きりになって、朝から辟易した様子のエリューティオをみて、ルカは苦笑を浮かべる。


「大丈夫ですか、エリューティオ様?」

「なるほど、其方が急務と言った意味が分かった」

「こればかりは、特性のようですね……彼らを咎めないで下さいね、エリューティオ様」

「自分に出来ぬ事を咎めるつもりもない」


 なるほど、彼らに何も言わなかったのは、自分にも料理を作ることが出来ないからだったらしい。

 プライドの高い彼のこと。彼が眷属を一人もつれていない理由がしっくりきた。この人は、何事も自らの手でしたい人だったのか。



「私は朝のうちに宵闇に行って、お昼は下弦で皆で食事にします。エリューティオ様は」

「私のことは気にしなくてかまわない」

「そうですか。では、私の方でまとめた、貴族社会における書き付けがあるのです。それに目を通して頂けますか?」

「スパイフィラス対策か……」


 うーんと唸りながら、ルカの差し出した書類を手に取る。峰に来てからまとめた、人間社会に関する覚え書きだ。彼にスパイフィラスにどうこうしてもらうなら、必ず頭にたたき込んでおいてもらわないといけない。



「これだけか?」


 ルカがこれまで資料として書き溜めてきたものを手にして、彼はパラパラと紙をめくる。もちろん、それだけではないのだが、一日で読める量には限りがある。それでも、少し多めに渡したつもりなのに、彼は涼しい顔していた。


「え? 結構量がありますでしょう?」

「たいしたものでもない」


 トントン、と束を整え、テーブルの上に置く。本当に、なんと言うこともないらしい。


「この程度ならばすぐだ。後ほど所用で外す。何かあれば夜に言いなさい」

「はい、ありがとうございます。エリューティオ様」


 これまで、彼の日課は日がな夜咲き峰の管理をすることと、ただぼんやりと過ごすことだけだったらしい。それが、ルカと共に寝起きするようになってから、暇を持て余しているようだった。

 彼の手を借りられるならば、生産業にも手を貸して貰いたいが、何となく頼みづらい。本当ならば、ルカの教師にもなって欲しいところだが、ルカの方が教わる時間がない。

 だからこそ、眠る前にぽつぽつと話す時間が非常に貴重で、とても楽しみにしていた。



「もう行くのか?」

「はい、今日は妖気の供給も必要なさそうですし。今日はロディ・ルゥが迎えに来てくれるはずなので、そうしたら」

「そうか。その前に、来なさい」


 いつものように彼は、ルカを呼び寄せ、ソファーに座らせた。そしてその横を陣取るようにして、ルカの髪に触る。幾つかの束を器用に編み込んでいき、そしてハーフアップにまとめた。

 ちら、と彼の表情を見ると、涼しげな碧色の瞳と目が合う。なんと言うことのない当たり前の日常になっているが、ルカはこの時間もとても好きだった。

 人間社会では動きやすさ重視で、必要最低限の身だしなみしか気を遣っていなかったが、夜咲き峰に来てから自分自身の審美眼も随分と鍛えられた気がする。彼にこうやって髪を梳いてもらい、花梨や琥珀に装飾の類いを準備してもらうこと、それが正直、楽しみになっていた。


 深みのある橙色。実り多き秋らしい髪飾りを用意してもらい、うっとりとする。寒々としたルカの髪に、温かみのある橙があると嬉しい。


「ありがとうございます、エリューティオ様」

「今日も無事に帰ってこい」

「勿論です」


 にっこりと笑ったところで、部屋の扉に妖気が通されるのがわかった。どうやら迎えが来たらしい。

 では、と挨拶をして、ルカは部屋の外へと向かう。

 レオンのいない日常。かつて、ルカたちがやって来る前の夜咲き峰と似た環境に戻っただけなのに、きっと皆が抱く感想は、異なっているだろう。

 まずは今日一日も乗り切るぞ、と気合いを入れ、ルカは部屋の外へと出た。





 ***





 だがしかし、案の定としか言いようがなかった。昼食もさんざんな出来だった。

 集まった下弦の上級妖魔たちが皆無言になっていたし、赤薔薇などは途中で退席してしまったりと、菫と波斯は益々縮こまる事になる。

 誰もが皆、レオンの重要性と、付け加えて料理人の育成・派遣の重要性を身に染みて感じたようだった。それだけで、レオンを派遣したことの効果は十分上げられたと思う。

 例えば料理人を外から受け入れるとしても、上級妖魔の洗礼を受けてしまってはいけない。彼らにとって“必要な人材”だとあらかじめ理解させることが重要だった。


 しかし、レオンが戻ってくるまで毎食この調子だとルカ自身もうんざりしてしまうわけで。料理人の重要性を身をもって知らせる時間を確保するため、余裕を持ってアヴェンスまで徒歩派遣にしてしまった。少なくとも四日は見ておいた方がいいだろう。



 結果的に、この状況へ繋がるわけだ。





「あ、あのっ……ルカ様? 本気ですか?」


 手を胸の前あたりでふらふらさせながら、オレンジの瞳が不安を隠そうともしていない。

 四角いテーブルに食材各種とナイフ。壁際にはかまどに水宝珠(すいほうじゅ)火源珠(かげんしゅ)。調味料各種を取り揃えた小棚や、食器類が丁寧に収納されている棚。貴族の屋敷と比較すると部屋自体は狭いが、環境としては十二分すぎる厨房。

 夜咲き峰に来てから、レオンはますますルカを遠ざけた場所ではあるからこそ、懐かしい感じがする。


「久しぶりだけど、別に初めてじゃないからね」


 苦笑いを浮かべながら、ルカは今回使用する食材を手に取った。

 この峰に、レオンとともに来ることが出来たからこそ、彼はルカを厨房から遠ざけた。それは、ルカ自身が調理をしなくて良い立場が確立されたからだと、ルカも分かっている。

 本来、レオンはそうして、貴族のお姫様みたいにルカを扱いたかったのだろう。しかし、婚約が決まるまではそれも無理だった。ルカには、そのような将来が与えられない可能性があったから。

 魔術具の類いを扱えなかったルカには、全ての過程を一人でこなすことが出来なくとも、可能なところまでは出来るようにならなければいけなかった。

 半人前は半人前なりに、認めてもらうだけの努力が必要だったからだ。




「僕も初めてじゃないよ、ルカ?」

「うふふ、そうね、琥珀」


 そしてこの日、ちゃっかりとルカの隣を陣取っているのが琥珀だった。

 というよりも、レオンの居ない状況に爆発したのが彼だった。

 どうにかして、まともなものが食べたい。レオンが居ないなら、ルカに手伝ってもらえばいいと無茶なことを言ってきた。ルカも似たような希望は持ち合わせていたため、菫と琥珀というこのメンツで厨房に集合することになったわけだ。


 アルヴィンもオミも居ない今、琥珀はルカの護衛としても隣に居座る気なのだろう。

 彼らが居ない今、消去法でロディ・ルゥを呼び出す必要が出てくる。しかし、ロディ・ルゥと二人にするのが琥珀にとっては不安らしい。

 琥珀はまだまだ警戒している。いくら名を縛ろうが、ロディ・ルゥがルカを狙っていた事実を未だに引きずっているようだった。


 それに付け加え、ここのところ琥珀は益々、ルカに甘えてくるようになったと思う。

 眠りの関係でルカが満月の峰で生活している。更に普段は名を縛った者の誰かが側から離れない。下弦で生活していた頃とは環境がすっかり変わってしまい、彼と一緒にいる時間もすっかりと減ってしまった。

 それらの事実が総合的に積もり積もって、ロディ・ルゥに対する敵愾心を煽っている気がしなくもない。

 彼は彼で、別に動いてもらっているからルカにつきっきりなわけではないのだが、彼の名誉が回復するのは時間がかかりそうだった。

 


「今日は僕がルカのお手伝いだからね」


 んふふー、と満足そうに笑みを浮かべて、彼は何をすれば良いのかと訊ねてくる。こうして食材に触れるのも楽しいらしくて、やる気満々で笑みを浮かべていた。


「頼もしいわね」


 そう言いながら、ルカも幾つかの野菜を手に取り、水宝珠の前に移動した。丸い桶の中に転がる水宝珠を見て、少しだけ、興味が膨らむ。が、手を触れようとしたものの、まだやめておいた方がいいか、とルカは判断する。

 仕方なく、琥珀、お願いできる? と、一言告げると、琥珀はきょとんと小首を傾げた。


「水宝珠。私は、まだ……」

「あ! もちろん!」


 パタパタと駆けてきて、彼は慌てて水宝珠に触れた。透明な珠が青く輝き、みるみるうちに桶の中に水が溜まってゆく。

 こんな、当たり前のことが、出来なかった。いや、力を持ち得た今も出来ない。いつか必ず、と思いながら、ルカはその水に野菜を沈めた。



 そのまま彼に交代する。ちゃぷちゃぷと、琥珀は野菜濯いでいく。

 それを受け取り、ルカはざっくりとナイフを入れた。菫に鍋の準備をしてもらい、鶏と野菜で出汁をとってもらう。食材だけこちらで指定をすれば、技術面では問題はないそうだ。

 逆に言うと、何故食材を選ぶことが出来ないのか不思議でならない。レオンに鍛えられているだけあって、火の取り扱いや作業の丁寧さは確からしい。なので、きっちり見てさえいれば、大まかな作業は彼女に任せても問題ないようだ。



「ルカ、僕も切るの手伝うよ」


 一通り野菜を洗い終えた琥珀は、今度は切る方に興味を示す。何でもやりたいお年頃なのだろう。ルカからナイフを奪い取り、テーブルの前を陣取る。

 やりたいというなら何も言うことはない。ルカはニコニコと横で見ていれば済むことだ。

 そうして彼の為にスペースを空けたときだった。



 ルカの部屋から厨房へ続く細い廊下。どうやらこのエリアに入ってきた者がいるらしく、足音が聞こえ始めた。一体何だろうと、厨房から顔を出す前に、姦しい声が聞こえてくる。




「いったい何なのよっ!」


 涙目になりながら厨房に入ってきたのは、最近すっかり見なくなっていた白髪の女の子。


「あ……」


 頭の片隅に存在を認めつつも都合良く忘れていた少女――雛の出現に、ルカは目を丸めた。

気がつけば、レオンが居ないと夜咲き峰が回らなくなっていました。

上級妖魔たちのストレスが蓄積する一方です。


次回、雛の主張を聞きます。

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