正座の朝
はっと目覚めたとき、まるでいつもの朝の風景だった。肌触りの良い薄手のネグリジェ一枚。ふかふかの寝具と、彼の腕に抱え込まれて、その温もりに微睡む。
新月の夜以来、峰に力を供給しては記憶がないまま眠り込んで、起きたらエリューティオの腕の中、という日々が続いた。おかげさまでもうすっかり、彼の隣で眠ることに慣れてしまっている。
レオンは何か言いたそうなことくらい知っている。が、一緒に眠ると言っても何が起こるわけでもない。
人間社会ではあるまじき行為だが、夜咲き峰では今更なのだろう、とルカももはや気にならなくなっていた。そもそも、眠るという定義が、人と妖魔では異なっているのだから。
今日も今日とて、その力を使い果たし、いつものように眠りこけていたらしい。ふああ、と大あくびをひとつ。目を擦りながら、彼の腕の中から這い出ようとした。
「起きたか」
すると。
まだまだ寝ぼけ眼のルカの耳に、聞き心地の良い穏やかな声が聞こえてくる。
なんだかんだでルカを丁寧に扱ってくれるひと。目覚めて一番にその声を聞けて、ルカは嬉しくなる。
おはようございます、エリューティオ様。そう言おうとして彼の顔を見た瞬間、ルカは、硬直した。
「……」
「……」
お互い、無言で向き合う。
いつも涼しげなその瞳――の筈なのだが、どこからどう見てもルカに対して怒りの感情を抱えていて、涼しさの欠片もない。
いつも冷静なエリューティオが一体どうしたのだろうかと思ったところで、ルカの脳裏に、眠りに落ちる直前の出来事が駆け巡った。
蘇る浮遊感とあの落下。ぶるりと全身が震えると同時に、何が起こったのかを認識する。
「……!」
瞬間、全身に緊張が走り、がばりと彼の腕の中から這い出た。
体を起こし、ピンを背筋を伸ばし、寝台の上でぴっちりと正座をする。
「ごめんなさいっ! 申しわけございませんでした! エリューティオ様っ!!」
そしてルカは、父の故郷であるゲッショウ名物“土下座平謝り”を即行キメた。
***
「お嬢様は当分外出禁止だな」
「風でも止められなのでは、仕方ないですね」
「ううう……」
もはや己には何も言い返せなかった。
菫の手伝いで着替えはしたものの、ルカは相変わらずゲッショウ名物土下座の体勢を崩すことは許されぬ。そのままレオンを中心とした妖魔の円陣に取り囲まれることとなった。
ルカが名前を縛っている連中に取り囲まれているわけだが、オミの姿だけは見当たらない。が、狭いエリューティオの私室に、図体のでかい男性陣がずらりと見下ろしてくるわけだから、それだけで圧迫感がある。
普段から茶化してくるような、オミがいないのはせめてもの救いと言えるだろう。
レオンが本気で怒っているのがわかる。
びっちりと笑顔でかためた表情がその証拠だ。怒りの度合いを通り越すと、彼は笑顔になる。
普段上級妖魔に囲まれたとき、彼は従者らしく一歩引いて状況を見ていたが、今回ばかりはそうも言っていられなかったらしい。
雷を落とすのも上等と言わんばかりに、怒気を隠す気がなく、一層笑みを濃くする。
そんな彼の並々ならぬ様子に、隣でアルヴィンが三白眼をキョロキョロさせている。きっと彼は馬鹿正直に心配してくれているのだろうが、救いの手は差し伸べてくれないようだ。
「ルカ様はなかかな非常識ですね。風が飛ぼうとする妖気をも止めてしまうとは」
「ルカの意識が消えなければ、まず間違いなく墜落していただろうな」
ロディ・ルゥの言葉にエリューティオが頷いたところで、ルカは事の重大性をようやく認識した。
「えっ……私、エリューティオ様の邪魔をしてたのですか?」
「抵抗するのを止めよと言ったろう」
後ろからぐりっと当てつけに頭を押さえ込まれ、ルカはうううと呻くことしか出来ない。
ことの顛末を聞いたところ、うっかりルカ自身が力を暴走させ、それを止めようと今度は全力で制止しまくったらしい。
「それだと危なくて、誰も貴女をお連れできませんね……」
ほとほと困ったように、ロディ・ルゥもため息をつく。彼の場合は呆れと同時に同情の色を滲ませていた。その原因も、まさに、彼の隣に立つ笑顔の王子様と言えよう。
人間の女の子だったら誰もがときめく蕩けるような笑顔――もとい、その笑顔の裏に渦巻く真っ黒なドSな心にルカもまた後ずさりたい気持ちになる。
だが、今は正座中。簡単に後ろには退けないし、物理的にもルカの真後ろはエリューティオが陣取っている。
「丁度いいじゃないか。色々ほっぽり出して、デートに出かけた罰だな。お嬢様、分かっているだろうが、仕事は山ほどあるぞ」
「仕事っ!?」
「仕事だろう? お嬢様は遊びのつもりで峰の改革してたのか?」
ふふ、と益々笑顔を、もとい怒りの感情を濃くして、彼はルカを見下ろしてくる。
いつになく真っ正面から怒りの感情をぶつけられて、背筋がぶるりと震えた。誰か、誰か助けてくれと視線を彷徨わせると、鴉と目があった。彼もまたその怒りの感情を感じ取りつつも、オロオロしっぱなしだ。
が、明らかにルカが救援を求めているのを悟ったのだろう。何かを決意したように声を出そうと、一歩前に出た。
「レオン、ルカは」
「鴉は黙っていろ」
「……」
レオンが凄むようにしてピリ、と空気を張り詰めた瞬間、鴉は押し黙った。上級妖魔の威厳も何もあったものではない。
縋るように鴉を見つめてみたものの、彼は困惑するかのようにふるふると瞳を揺らしている。
レオンとルカ、どっちの味方なのかと小一時間問い詰めたいが、彼の中の葛藤があまりに大きい様なので、少し不憫にすら思えてきた。
ルカはがっくりと肩を落とした。もはや、ルカに味方はいないようだ。
「なら仕事だ。別に外出は後でも良いだろう。キッチリやることやってくれ。嫌いじゃないだろうが」
「嫌いじゃないよ。もともと、動く予定だったもの。……そんな言われ方すると、なんか腑に落ちないけど」
はあ、と大きく息を吐いて、ルカはレオンを見つめた。
せっかく一連の事件を頑張ったご褒美が、このような形で終わるとは思わなかった。これでは単に、空を飛びながらエリューティオに妖気とはの授業を受けただけではないか。
デートのデもないつかの間の逢瀬に落ち込まない筈がない。しかも、当分デートの許可は下りなさそうだ。
「峰のことで働くのは問題ないわよ。もともと私だってやりたいことだもの。でも――」
この調子だと、空を問題なく飛べるようになるまでは、峰の外に出してもらえないのだろうか。それは実に不本意で、このままいったらいつになるのかわからない。
「私だって、このよく分からない力を制御出来る程度にはなりたい――というか、圧倒的に知識が足りない気がする」
単純に理論だけでもの申せば、ルカには今や魔力も妖気も備わってしまった。
よって、人間らしい魔力の使い方も、妖魔らしい妖気の使い方もできる可能性がある。というより、ある程度動かせることは、先日の空の旅で測らずとも分かってしまったわけで。使わない手はない。
決意を示し、ルカはぴしりと佇まいを直す。そして改めて皆に向き直り、実に真摯な瞳でぐるりと周囲を見回した。
「峰のことは頑張るから、みんな、私に力の使い方を教えてもらえないかしら?」
「駄目だ」
「はい?」
誠心誠意謝ってると言うのに、真正面からぶった切られてしまい、ルカは瞬く。
「どうして? レオン」
「お嬢様。先ほども言ったろう。問題は山積してるんだ。練習だの称していちいち倒れられちゃ、こっちもかなわん。せめて水の月までは我慢しろ」
「水の月……」
季節一つ分。遥か未来の話をされてしまい、ルカはくらりとした。
それまでは力に関する学習どころか、エリューティオとの中途半端になったデートの続きもさせてもらえないと言うことなのだろうか。
オロオロしながら、ルカは両手で頭を抱えた。折角やる気になったというのに、この気持ちをどこにぶつけたら良いのか分からない。
「そ、そんな……」
「それまでは誰かに抱えられて空を飛ぶのも禁止だ。移動は転移陣のみとする」
「酷い、レオン!」
「知らんところでお嬢様に死なれているよりは遥かにマシだ」
「死……っ!?」
「だってそうだろう。今回だって、お嬢様の意識が途切れなければ、風様共々地面に激突だったぞ」
「ひいい!」
痛いのはイヤ! と、首を横に振ったところで、レオンは満足そうに首を縦に振った。
「なら、言うことを聞いておけ。ほら、もういいだろ。とっとと別の話にうつるぞ」
「はい……」
「仕切り直しだ。全員で会議がしたい。が、ここは手狭だな」
エリューティオの部屋は、本当に必要最低限の広さしかない。ルカに仕えている妖魔が揃って定員もいっぱいだ。ゆっくりお互いの顔を見ながら打ち合わせなど、出来るはずもない。
「場所をうつすぞ。鴉、上弦の皆に声をかけられるか?」
「わかった」
レオンの言葉に、鴉がこくりと頷く。そして、次にロディ・ルゥに目を向けた。
「白雪、上弦の皆はどうする?」
「――今回は私だけの参加に留めておくよ。今の状態で、あの者たち全員と対面させるのは時期尚早だろう」
「そうだな」
何やらお互い意思疎通したところで、レオンはルカに向き直った。
「お嬢様の部屋に移動するぞ。寝るなよ。今日は逃さんからな」
「は、はい……」
女の子なら誰もがときめくはずの王子様スマイルで、彼は有無を言わさずルカのこの後の予定を決定した。
なんだか、ルカが寝ている間に、随分レオンが幅をきかせている気がするが気のせいだろうか――いや、気のせいでは、ないのだろう……。
外出禁止令・及び飛行禁止令が出ました。
次回、これからの方針を話し合います。
※一部、レオンが鴉のことを真名呼びになっておりました。
修正しております。大変失礼を致しました…!




