私をデートに連れてって!(4)
晴れた空の下。眼下には森林。遠くに目を向けると、大草原が広がり、そこには大きな川が悠々と流れている。
別にどこかへ向かわずとも、この変わりゆく景色を見ているだけでもう、心躍る。
エリューティオに抱えられて、こうして空の旅を楽しむ日が来るだなんて、それだけでどんなに自分が幸せ者かと実感した。
いつもルカを抱く細いながらも力強い腕。形の整った長い指。
彼の部屋のソファーで、ルカの腰に手を回してくるときと同じ感触。彼がこのようにルカの腰に手を回すのは、もはや当たり前のことになっていて、慣れない空中なのに何故だか落ちつく。
えへへ、と頬の筋肉も緩まりっぱなしで、まるで普通の女の子になったようだ。ふわふわした心地がくすぐったい。
恋愛など本当に、諦め続けてきたことだったのに。まさにこれは、普通の女の子らしい当たり前の恋愛に近いのではないだろうか。移動手段は空中遊泳で、相手は夜咲き峰の筆頭妖魔ではあるが。
逆に相手が普通の人間でないあたり、ルカが惹かれてしまうのも当然なことと思えるから不思議だ。この特殊な巡り会いに感謝するしかない。
今日一日は、彼と二人きり。
雛もやってこないし、普段纏わり付いてくるオミもいない。
レオンもアルヴィンもロディ・ルゥもいなくて、こんなにも落ちついて彼と過ごせる日が来るなど、思わなかった。
彼の腕の中にいることも嬉しくて、そっと、己の頬を彼の胸に埋めた。
「エリューティオ様? 結局、本日はどこに向かわれるのです?」
「――ふむ」
そのまま本日の予定を訊ねる。が、芳しい返事は返ってこなかった。
ルカが眠っている間に、彼がプランを立てたらしい噂は聞いた。信じがたい事実ではあるが。
だからこそ、また誰かに変な入れ知恵でもされてないか不安にもなる。が、彼はルカの心配などつゆ知らず、南の空を見るだけだった。
南と言えば、このあたりは領境。すぐにダットルトアーニ領となる。もしかして今日は初めてのダットルトアーニ進出か、と別の意味でも心が躍る。
だが、目的地を秘密にするなど、これまた誰かの入れ知恵なのだろうか。別の意味では嫌な予感がふつふつと湧き上がってきて、怪しむべきか気にしないようにするべきか悩ましい。
「あの、エリューティオ様。このお出かけのこと、誰かに相談なさいました?」
が、気になることを捨て置けるルカなどではなかった。恐る恐る聞いてみたところ、彼はふい、と視線を逸らす。
「エリューティオ様?」
「静かにしていなさい」
「デートですのに!?」
余程言いたくないらしい。
一体何があったのかは知らないが、ほんのりと彼の表情が緩んでいる気がする。
この顔は彼が美味しいものを食べた時と大体同じ顔だ。悪くない気分なのだろうが、どう解釈したらいいのかルカには全くわからない。
――エリューティオ様ったら、本当に、鉄面皮。
もう少しわかりやすくして欲しいところだか、この涼しげな印象もルカは非常に気に入ってる。彼の気持ちは知りたいが、鑑賞するには最上の表情。どちらを取るか非常に悩ましいところだ。
「……デートしているだろう、今」
ううむと唸っていたところ、エリューティオの方から解説が入る。そうして彼は、いつも通りの口調で淡々と続けた。
「手を繋いで街を歩くのであろう。街など行けぬ故、別の場所へ向かっている。これは仕方が無いだろう」
「そうですね」
「空中で手を繋ぐのみに留めれば、其方が不安定になるではないか。だから抱きかかえている。これも問題ないな」
「はい、仰る通りですね」
「デートをしているではないか」
「はい?」
「何か」
さも完璧だと言わんばかりにエリューティオは言ってのけて、ルカは目を丸める。
どこからどう切り込んで良いのかまったく分からないが、何か返さねばいけない。
「つまり、エリューティオ様は、こうして私を抱えて空を飛ぶ。それで本日のお役目は終わりだとでも仰るのですか?」
「問題なかろう」
しれっと彼は頷き、その任務を忠実に遂行しようと努める。
「問題ありまくりです!」
ペン、と彼の胸を小突きながら、ルカは抗議した。まさか否定されるとは思っていなかったらしく、エリューティオも驚いたようにルカの顔をのぞき込んだ。
「私は良いですけれど、そんなのじゃ、全然、エリューティオ様が楽しめないではないですか!」
「楽しむ、だと……?」
なんだその奇妙な単語は、と言わんばかりに、彼は表情を歪める。
「おしゃべりしたり、一緒にご飯食べたりしてワイワイキャッキャするのですよ。いや――エリューティオ様にワイワイキャッキャは言い過ぎですけれど、久しぶりに外に出たのです。こう、外の空気を吸って、気分転換したり――」
「空気など、どこも同じではないか」
「うっ。……美味しいものを食べたり」
「峰でレオンの作りたてが一番美味なのではないのか?」
「ううっ……! ほら、綺麗なものを愛でたり、とか……!」
「綺麗なものなどどこにあるのだ」
「今日の目的地……」
「そんなものはない」
「一体何処に行くつもりなんですか!!」
いかん、ネタ切れだ。と、ルカは思う。何一つまともな答えが返ってこないばかりか、あまりの感性の違いに目眩がする。
デートの定義どころか目的すら共有出来ず、ルカは首を垂れた。成る程、こんな所でも感覚の違いは大きく出るらしい。もちろん、彼の場合は特に、なのかもしれないが。
峰の妖魔たちを見ていても良く思う。
比較的感覚を共有しやすい琥珀や花梨たちと違って、赤薔薇やエリューティオとは何かと食い違いやすい。
ルカの見立てでは高位の妖魔になる程、感性を共有しにくいと感じている。が、たったデート一つでこの有様。表情がようやく分かってきたというのに、彼の喜びや楽しみを理解するのは、まだ時間がかかりそうである。
ルカの持ち得た情報の中ではっきりしているのは、他の妖魔と同じように彼が美しいものを好むことと、美食を愛でる感性は持ち合わせていること。後は、彼がルカの髪を触ることを非常に好ましく思っていることくらいだ。
思い出すと、頬に熱がほんのりと灯る。
先ほどまでぎゃあぎゃあ煩かったルカが突然黙り込んだのを不思議に思ったのか、エリューティオがどうした、と声をかけてくる。
貴方の楽しみを、もっと知りたいのですよ。とは言えず、ルカはふるふると首を横に振った。
とりあえず、彼との感性の差は埋めがたいことがよく分かった。しかし、こうして義務のように付き合ってもらったところで、ルカが嬉しいはずもない。
ルカを抱えて空を飛ぶのも負担だろう。ほう、と息を吐き、何かできないものかと考える。
「あの……エリューティオ様。一つ質問良いですか?」
「何だ」
「私を抱えて飛ぶのって、大変ではないのですか?」
「些末なことだ」
そう答えたきり、周囲が沈黙に包まれる。
いやいや、このままでは一方的に気まずい気持ちに陥るだけだと、ルカは首を横に振りながら、質問を考える。
「ええと、ええと。じゃあ! エリューティオ様! 空を飛ぶのってどうするのでしょう? ほら。かなりの速さで飛んでいるのに、強い風も感じないし、快適ではないですか?」
まるでデートには似つかわしくない会話だが、これは正直、ルカにとっても興味のあることだった。
頭を切り替えて、考察してみる。こうして大空の下、二人きり。話すことしかできない状況は、ルカの質問責めたい気分には好都合だ。
「単に浮遊する力を動かし、風に対する防壁を同時に張っているだけだ。大したことはない」
「ええと、飛ぶ力と、押さえる力。二つを同時に働かせている、という事ですか?」
「端的に言うと、そうだ」
「……単純な図式ですけど、何だか難しそうですね……」
ごくりとルカは唾を飲み込む。脳内で人を浮かせるイメージと、それを進行方向に動かすイメージをする。下からの力と押す力。二つの力を操ると同時に、風を抑え込む。妖気をどのように制御するかは全くわからないが、とても難しそうと言う事だけは伝わった。
そう言えば、夜咲き峰でも、空を飛べる者は多くなかった。上級妖魔たちは例外なく可能そうだったが、宵闇の者たちは、一部翼を持った一族以外は無理らしい。そう言えば、山猫も飛ぶことができなかったと思い出す。
「私が空を飛ぶ日は何だか遠そうです――」
「何を言っているのだ?」
「だって。この身に妖気が宿ったならば、夢見るのは当然じゃないですか」
「?」
「そうしたら、きっとエリューティオ様の負担も減るでしょうし」
さも当然のようにルカは言ったが、エリューティオには理解が出来なかったらしい。その碧色の瞳を細めて、素直に疑問を口にする。
「飛ぶくらいならば私に任せれば良いではないか」
「はい?」
「このようなことで其方が力を使うこともあるまい」
エリューティオもまた、当然のように宣う。彼の中で、己がルカの為に力を使うのは当たり前のことらしい。よく言えば至れり尽くせり、だが、ルカにしてみればとんだ見当違いの配慮でしかない。
「あの、エリューティオ様。私、エリューティオ様の手をいちいち煩わせるつもりはないのですよ?」
「何故だ。其方は私を使役する事が出来る。どうして使わない」
「使役!? するわけないじゃないですかっ、そんなの!」
驚きでぶんぶんと顔を横に振りながら、全力で否定する。
同時に、名前で縛ることの恐ろしさを実感すると共に、胸がしくりと痛んだ。
いくら彼を助けるためとはいえ、彼の名前を縛ったことは不本意機極まりない。こう言った形で思い出させられると、ついつい、自分で自分を責めたくなる。
しかし、今更どう言っても事実は変わらない。せめて、彼が変な縛りにとらわれぬよう、働きかけていくことしか出来ない。
「エリューティオ様。私、貴方にこうやっていちいち飛んで頂くより、飛ぶ方法を指南して頂いた方が嬉しいです」
「それは何故だ?」
「そんなの、自分の力で飛びたいからに決まってるじゃないですか!」
握り拳を掲げて大げさに笑ってみると、エリューティオはその目を丸めた。まったくもって理解が出来ないらしく、しばらく硬直した後、視線を逸らすように真っ直ぐ向こうの空を見た。
しばらくたった後、好きにしなさい、と言葉が返ってきて、ルカは頬を緩めた。
はい、好きにします。と言葉にして、彼と同じ進行方向を向く。
「でも、エリューティオ様。蒸し返すようで申し訳ないですけれど、やっぱり私を抱えて飛ぶのも、大変なことなのではないのですか? 結構な速さもでておりますし」
「心配はいらぬ。さほどのものでもない」
「そうなのですね。でも、慣れるとこう言ったときも援助出来るかもしれませんしね」
そう言って、ルカは頭を働かせる。
峰の結界の維持も、エリューティオがかなり手伝ってくれているし、力の供給源とそれを操作する者が別個でも目的を達成できることをルカは学んでいる。だからこそ、飛んでいるときも、役割を手分けすることが出来るのではないだろうか。
少しでもエリューティオの負担が減らせると嬉しい、と思い、ルカはイメージする。
――確か、結界を維持するときは己の内側の……胸のあたりに温もりがあって……。
ぽう、と胸が熱くなる。そうそう、こんな感じと思いながら、不思議な感覚を堪能する。
こうやって体の中を力が駆け巡ったり、一カ所に集まるような感覚、今まで経験したこともなかった。だからこそ、新しい感覚が楽しくて、ルカは益々体の中で力を移動させてみる。
――これを外に放出する感じなんだよね、多分だけど。
ふっと前を見ると、変わらぬ青い空が広がっている。あの空の向こうへ、と思いを馳せ、目を細める。
瞬間、エリューティオの抱きしめる力に、ぴくりと力が入った。
「いかん、やめなさい! ルカ!」
「へ?」
叱責が落ちてきて、目を丸める。が、時はすでに遅かった。
かくんと。突然の体感の変化に目を丸めた次の瞬間、ものすごい風の抵抗を感じて、息を呑む。
「っ……きゃああああああ!!!」
突然襲い来る疾走感と墜落するかのような重力の移動。
目も開けていられないような強い風に、髪はぐしゃぐしゃに乱れ、肌が傷む。
「やだっ! やだやだやだやだ!」
身をすくめてエリューティオの胸に顔を埋めるも、この速さに体も心もついて行かない。
「だめだ、落ちつきなさい、ルカ!」
「でもっ……!」
体の中がぐるぐると渦巻き、どうにかして止めたい、と思いに駆られる。
全力で、止まれ、止まれと制止する方向に頭を動かすと、今度はピタッと疾走感が止まった。
疾走感が止まると同時に、がくん、と体が引っ張られる方向が変化した気がする。もはや目を開けていられないルカでも、この体の感覚に何が起こっているのかくらい、分かってしまった。
空中にて、力なき状態で迎える末路など、一つしかない。
地面に引っ張られる感覚。確実に落下していく感覚に襲われ、正気でなどいられない。
「ルカ! 止めなさい!」
「いやああああああ!!」
身を縮めて、エリューティオにしがみつく。何が起こっているのかまったく分からないが、確実に言えるのは、完全に落下しているという事実だけだった。
いやいやと、抵抗するように頭を横に振る。が、エリューティオに頭を抱え込まれ、強く抱かれた。
「ルカ、抵抗するのを止めなさい」
「いああああっ!!」
「ああもう!」
イライラとするエリューティオの声が聞こえる。
ごめんなさい、ごめんなさい。と頭の中で謝るが、事態はどうにもならない。まずい、まずい、と体の中に渦巻く熱を自覚した後、ルカの意識はぷっつりととぎれた。
レオンのお弁当は無駄になりました……。
持って帰って風様一人で楽しみましたとさ。
次回、大反省会です。




