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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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私をデートに連れてって!(3)

「いいですか、ルカ。あまりはしゃぎすぎて、淑女らしさを忘れてはなりませんよ?」

「うー、わかってるよう」

「はい、確認しますから。背中をむけて」

「うん」


 くるくると、言われるがままに体を反転させる。ピクニックデートをしたい、というルカの要望は、いつの間にか名前を縛ったルカの供達の枠組みを超え、下弦にも上弦にも広がりに広がっていた。

 そして、色恋の話になると当然ながら、この者が飛び込んでくるのは想像に安かった。



「流石私ですわね、完璧ですわよ、ルカ」

「ありがとう、花梨(かりん)


 珍しく下弦の峰の自室に戻って、彼女の着せ替え人形になっている。

 デートというのは、待ち合わせからせねばなりませんのよ、というどこから仕入れたのかも分からない彼女の謎な知識により、今日だけは朝から下弦の峰だ。



 秋らしいくすんだピンク色のドレス。シフォンのような手触りの柔らかいリボンをきゅっと胸元で結べば、少し肌寒くなってきた気候でも風が入ってこなくて暖かい。その上にダークグリーンの外套を羽織れば、完全にお出かけスタイルだ。スカートは膝下丈で、十分動き回れるようになっているし、外歩きを考慮した完璧なデートスタイルである。

 髪の毛だけは梳かしたままになっているあたり、恋の御使(みつかい)と本人が豪語するだけのことはある。エリューティオ自身に髪を触らせようという魂胆が透けて見える。が、彼女の考えを分かっていながらも乗っかってしまうあたり、ルカ自身も少し期待してしまう部分はあるのかもしれない。




「あの……ルカ様。雛がご迷惑をおかけしているようで、本当に申し訳なく」

「菫が謝ることじゃないでしょう?」


 一方で、菫が申し訳なさそうに頭を下げた。いつも元気なオレンジ色の瞳を陰らせて、先ほどまでルカが着ていたネグリジェを片付けている。


 レオンが波斯の面倒を見ている一方で、菫が雛を担当している。

 正確には、雛はすでにレオンに相手にされていない。彼の性格なら致し方ないことだが、ルカの側に控えさせるのを良しとしなかったらしい。

 本来ならば宵闇に送り返したいと零しているのも、ルカは知っている。


 そういった事情により、雛はエリューティオつきの侍女でありながらも、満月の峰に自分の小部屋を持つことすら許されていなかった。

 仕方なしに、菫と一緒に下弦のルカの私室にある小部屋にて生活している。日中も、菫に付き添って仕事はこなすものの、何かと逃げ出しては好き勝手しているらしい。

 単純に仕事以外の面でも、レオンと自分の差を感じてしまっているらしく、ここ最近、彼女もまた落ち込みぎみだ。そんな菫を見て、ルカもまた、どうしたものかと頭を抱えた。

 ルカがいなければ、まず間違いなく上級妖魔の誰かに消されてる、と溢すくらいだ。よほどひどいのだろう。



「放っておいて良いと思いますけどね? 風の主も相手していないのでしょう?」

「うん、迷惑がってはいるみたいなんだけど」

「ルカが頭を振れば、皆喜んであの娘を消すと思いますけどね。貴女はそれを望まないでしょう?」

「花梨までそんな物騒なこと言わないでよ」


 ルカが肩をすくめると、ピリ、と後ろから妖気が飛んでくる。肌でなくて、直接体の芯を痛めつけられるような鋭い感覚に、ルカは目を丸めた。

 驚いて振り返ると、彼女は切れ長の美しい瞳を吊り上げ、ルカを睨みつけていた。


 美人が怒ると凄味が出るというけれど、彼女の場合はまさにそれで。ついついルカは背筋を伸ばす。



「激甘ですわね。あまりポヤポヤしていると皆が歯がゆく思いますわよ?」

「うっ」

「貴女を主と仰ぐ妖魔も多いのです。主が下級妖魔で無作法者の娘に遠慮していて、良い気持ちがするはずがないじゃありませんの。貴女は誇り高き夜咲き峰妖魔たちの主なのですわよ」

「うん……」


 花梨と言わんとしている事は、ルカも頭では理解している。

 彼らの概念で、上級妖魔と下級妖魔の上下関係は絶対だ。というよりも、上級妖魔たちは下級妖魔たちを自分たちとはまったく別の枠組みとして捉えている。

 そんな中で、ルカが雛に下手に出ていてどうする、とは自覚している。が、ルカの概念では彼女もまたいち妖魔でしかないのだ。そこには、上級も、下級も関係ない。


 うー、と、考えが纏まらずにいると、追い打ちをかけるように花梨が続けた。


「このまま主が腑抜けたままなら――そうですわね。私なら、勝手に雛を消してしまいますけどね? 現に、白雪など、その気になったらすぐに動きそうではありませんの」

「……肝に銘じます」

「人の良さは人間では長所かもしれませんが、私からは卑屈に見えますわよ?」


 大きな釘をぶっすりと刺されて、ルカは肩を落とした。

 エリューティオの事を思い出して、ため息をつく。

 誰かのことをいいなと想うのも初めてならば、それが他の女の子の想い人と重なることも初めてだ。

 人間社会でも極端に人との関わりが少なかったルカにとっては初めてなことばかりで、どうしていいかわからない。


 それどころか、かつて自分は魔力を持ち合わせていなかった。貴族どころか平民以下のルカにとって、誰かと結ばれることなど最初から諦めていたというか、選択肢になかった。

 だから、彼が婚約者であることも、主張もしにくい。そもそもエリューティオとの婚約も、未だにどうなるのか先が見えないでいる。


 そんな何者でもなかった自分が、妖魔に関わる役目を与えられ、喜び勇んで夜咲き峰に来たけれども――役目をそっちのけにして、純粋に婚約者のことを気にしているなんて、過去の自分からは想像も出来なかった。




「あら、嫌ですわ。ルカ、そんなに暗い顔しないで。貴女はもっと自分に自信を持ちなさいと言っておりますのよ?」

「うん。花梨、ありがとう」

「そうそう、笑顔の方がよくってよ? ルカ、今日は楽しんでらして?」


 最終チェックを終えて、お出かけルカの完成だ。

 やはり皆、雛のことをよく思っていないのは気になるが、今日は、せっかくのデートの日。

 少しずつ起きていられる時間も長くなってきて、短い時間だがお出かけを許してもらえた。

 花梨は花梨で勝手に張り切って、ルカを着せ替えした次第だ。花梨の作るお洋服は、少し仰々しすぎるが、素材の圧倒的な快適さと、細部までのこだわりが素晴らしく、異論などあるはずがない。


「この服も、すごく可愛い。ありがとう、花梨」

「あら、当然ですわ。私が仕立てたのですもの。――さあ」





 花梨に背中を押されて、下弦の峰にある庭園の出口に向かう。

 そこにはすでに、エリューティオをはじめ、アルヴィンやレオン、琥珀までもが待機しているようだった。まさかデートにこのような見送りをされるとは思わず、気恥ずかしさでどうにかなりそうだ。


 雛と波斯の姿が無いことから、どうやら波斯が彼女を引き止めてくれていることも分かった。ここは素直にありがたいと思っておこう。


 ちらりとエリューティオに目を向けると、少し、違和感を感じた。いつも通り、涼しげな瞳でこちらを見てくるわけだが――何か。

 彼が抱えている荷物へと視線が注がれ、ルカは違和感の原因に気がつく。が、それに関しては、何も言ってはいけないと判断した。


 見て見ぬふりをしてスルーしようとしていた矢先、琥珀(こはく)が全力で駆け寄ってきた。

 わぁー! かわいい! と、彼はルカの胸元にダイヴする。どん、と、なかなかの衝撃に押され、ルカはよろめいた。


「ちょっと、琥珀!?」

「だって、ルカ、最近寝てばっかりで全然遊んでくれないんだもん。ようやくまともに起きたと思ったらデートの約束って、ズルいよ」


 じい、と、臆することなく、琥珀はエリューティオを睨みつける。ルカと同じ様に、淡いグレーの外套を羽織ったエリューティオは、呆れたようにため息を吐き出した。


「琥珀」

「わかってるよ! でも、ズルいものはズルいでしょう? ね、ルカ。今度は僕とデートしてね。行ってらっしゃい!」


 ちう、とほっぺにキスを落とされて、ルカは益々混乱した。

 琥珀、と咎めるようなエリューティオの声が強くなる。渋々ルカから離れる琥珀を一瞥したのち、エリューティオはルカに手を差し出した。




「待たせたか?」


 相変わらず涼しげな瞳で、真っ直ぐにルカを見つめてくる。庭園のに咲く花の花弁が爽やかに舞い、彼がこの場にいる事を喜ぶかのような幻想的な風景。

 うっかり目を奪われるが、脳内には先ほどのエリューティオの台詞が繰り返される。


 何かが、おかしい。

 そう思った時には、無意識に首をこてりと傾け、違和感を口に出していた。


「あの、エリューティオ様? その定番の台詞ですが、後から来た方――この場合は、私が言うのがセオリーですよ?」

「は?」


 彼は一体何の知識を、どこから仕入れてきたのだろう。

 十中八九、誰かに入れ知恵されたのだろうが、そのシチュエーションがイメージ出来ない。

 デートの作法を教授されるエリューティオ。むしろ、自ら自分が聞きに行くエリューティオ。どちらもまったくもって想像すら出来なくて、困惑する。

 頼んでもいないのにオミが吹き込んだかな、勝手に結論づけ、ルカは彼の手をとった。



「あの、エリューティオ様?」


 しかし、彼はというとうんともすんとも言わずにかたまってしまっていた。

 何か言いたいことがあるようで、しかし言葉に出来ずに溜め込んでいるようだ。が、ルカ自身もそれを察するという高度な技術は持ち合わせていない。

 どうしました、と何度か声をかけてようやく、彼のフリーズは解除される。非常に気まずそうに視線を逸らして、片方の手をルカの腰に回した。



 そうして彼の至近距離に立ったところで、いよいよ彼の抱える違和感に目を止めざるを得なくなった。

 先ほどからあえて無視し続けてきたが、涼しげな彼が抱えるブツ。小麦色の、それ。

 ――レオンが丹精込めて編み上げたであろう手作りのバスケットは、可動式の蓋まで付けてあり、編み目も正確だ。

 籠の中には薄いオレンジ色に染められた布が敷かれているらしく、蓋からちょろりとその彩りのぞかせているのも実にチャーミング。

 何が言いたいかというと、その気の利いたピクニックアイテムが、エリューティオに恐ろしく似合わないと言うことだ。


 彼の持つ神秘性も尊厳も、たった一個で全てブチ壊すバスケットに恐れおののくしかない。

 庶民なら誰もが触れ得るお気軽アイテムだが、持たせる人によっては凶器になるらしい。



 ――マズい。エリューティオ様、人間の街になんか、絶対行かせられない。相応しくなさすぎる。


 いろんな汗をかきながら、ルカは無理やり笑顔を浮かべた。まさか彼を憐れんでいる事など、プライドの高い彼に悟らせるわけにはいかない。

 ルカはルカで、彼の尊厳を護る義務があるのだ。




「じゃあ、みんな。ありがとう。行ってくるわね!」


 にっこりと。何事もなかったように、見送りにきてくれた皆に会釈をする。そしてルカはエリューティオの胸に縋り付いた。

 エリューティオも満足そうに目を細め、その身の妖気を集中させる。



 ふわり、と足が地面から離れる感覚を覚えた。そして、あっという間に峰を見下ろすところまで体が浮き上がっている。


「いってきま〜す!」


 皆に元気よく腕を振りながら、ルカはぽかぽかと暖かな陽気の中に身を投じた。

レオンは籠を編むのもお手の物です。


次回は、大空の旅、です。

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