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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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私をデートに連れてって!(2)

 ビシ! っと、立ち上がるなり真っ直ぐにルカに指を突きつけた少女は、その山吹色の瞳でもって真っ直ぐこちらを睨み付けてくる。まさかの真っ向勝負にルカは苦笑しつつも、とあることに気がついた。


「どうして私とエリューティオ様とのデートの話を、雛が知っているの?」


 はて、と首を傾げたところ、エリューティオがうっと視線をそらした。

 そもそも、このデートの話は、本日の妖気供給をした時に話題としたのが初めてだ。それから半日どころか、一ノ刻をも経っていない。エリューティオがこの部屋を出てから僅かな時間で、いつの間に彼女がそんな噂を耳に出来たのだろうか。


「風様は、わたしの所に聞きに来てくれたのっ」

「え?」


 ふふん、と、自信たっぷりに雛は腕を組んだ。この自信たっぷりな割に根拠が皆無な表情、ルカは既視感を覚える。自分の脳内の記憶を引っ張り出してきて気がつく。あ、そうだ、この子、人間の貴族の娘にそっくりなんだと――特に、レオンの取り巻きになりたい令嬢達の表情に似ているのだと納得した。

 ただ、彼女たちと明らかに違うのは、その生まれながらの可愛らしさ、そして雛自身に揺らぎがないところだ。雛は、エリューティオに物怖じしない。それは人間の娘にも、下級妖魔でも珍しい。圧倒的な力の差に屈しないという彼女なりの誇りがそこにはあった。


 白い髪をふわっとかき上げ、雛は微笑んだ。菫が用意したお仕着せをまるでドレスのように扱い、スカ―トをつまんではゆったりとお辞儀をする。

 貴族の令嬢のようにカッチリと教育されたものではない。だが、生まれながらに身につけている可憐さが、その仕草を輝かせた。


「風様、デートなら私と行くでしょう?」


 本当に、どこから湧き出た自信か知らないけれど、まるで決定事項のように述べられてしまうと、流石のルカも不安になる。そっとエリューティオを見上げてみると、彼はこめかみに手を当てて、途方に暮れている。


 断じて違う、と言葉にしていることから、雛の言葉は当てにしない方が良いのだろう。

 きっと誰かとの会話の中でデートの聞きつけたのだと予測できる。それからエリューティオを追ってきたわけか。


 普段からルカ以外に対しては無関心であることの多いエリューティオが、こうまで感情を露わにするのは珍しい。どんな方向であれ、自分以外に彼の心を動かす者が居る事実に、ちくりと心が痛んだ。



「おい、雛! 失礼だろう!」


 彼女を止めたのは、当然ながら一番彼女に近しい者だった。波斯が目をつり上げて、彼女の肩を掴む。

 仮ではあるがエリューティオを主として従者見習いの身である波斯は、そんな雛の行動を許して良いはずがない。そもそも、雛も波斯と同じように峰に残っているのは、彼女も自分の役割を求めたからだ。侍女見習いとしての、役割を。


「何が? 何故失礼にあたるの?」


 その証拠のお仕着せだ。菫とおそろいの、落ちついた紺色の衣装は、装飾も少なく動き回りやすいように出来ている。

 彼女がこの峰で、エリューティオに仕える侍女になりたいと望んだのだ。元々は。――その本来の目的は、今のルカの位置だったらしいけれども。


「風様はこの峰の主。で、私はあの方にお仕えする妖魔よ? 仕えているのだから、当然でしょう?」


 ふふん、と、自信たっぷりに笑って見せて、雛は一歩一歩、エリューティオの元へ擦り寄る。

 何をもって当然と言い切るのかは全くわからない。が、まるで小悪魔のような瞳を細めた顔は、少女にはとても見えないほどに妖艶だ。ルカには到底出せない魅力をたっぷり引き出されてしまい、ルカとしても言葉を失ってしまう。


「お仕えって、雛。仕えるって決めたなら、ちゃんと自分の役割を――」


 そこまで言ったところで、ルカはまだ迷う。“〜するべき”、“〜しなければならない”という使役の言葉を、妖魔の皆に押し付けるのはルカの主義とは少し異なっている。

 あくまでもルカが行いたいのは、人間の文化を教えてなお、彼らに選択肢は委ねたい。ルカの身の回りの妖魔達は皆、喜んで人間の文化を取り入れてきたし、自ら好んで動いていたからこそ、戸惑う。


 ――波斯のように、働きなさいと、言える?


 いいや、言えないとルカは考えた。

 どうすれば良いのだろうか。彼女がエリューティオを気に入っている気持ちは否定されるべきことでもないし、と、頭を悩ませる。

 困り果て、きゅっとエリューティオの袖口を握りしめたところで、上からため息が溢れた。



「だから、其方は良い気持ちにならぬだろうと、言ったろう?」

「うっ」


 すっかりと気持ちが見抜かれていたことに驚く。同時に、この人はいつの間にルカの気持ちを汲んでくれる様になったのか、ということにも驚いた。

 なんだかばつが悪くて、ううう、と呻く。すると彼はぽふぽふと頭を撫でては、目の前の雛を見据えた。


「お前がこの峰でどう過ごそうが、私の与り知るところではない。だが、私の空間は乱すな」


 彼がそう告げた瞬間、ぴり、と空気が張り詰める。不機嫌さを隠すつもりもなく、手をかざした。瞬間、雛を取り巻く空気が刃の様に鋭くなる。

 表面上は何かが変わったようには見えない。しかし雛は確かに、エリューティオの威圧を受けていた。山吹色の瞳を見開いては、突然かたかたと恐怖に震えだす。


 その空気の変化に、波斯がびくりと肩をふるわせ、空気に溶けていたオミがひゃあ、と声を上げた。

 明らかに脅すにしては力が込められすぎていることを理解し、ようやく、ルカはエリューティオを制止した。



「ちょっと、エリューティオ様! そこまでなさらずともっ」

「何がだ?」

「もうっ、お止め下さいませ! 雛っ、ちょっと大丈夫っ!?」


 慌てて彼女の元に駆けつけたところで、エリューティオはその手を下げた。

 とたん、けほけほと咳き込むようにして、雛が地面に膝をつく。涙目になったままルカを睨み付けては、うっ、うっ、と嗚咽を溢し始める。

 怪我などは見当たらないことに安堵する。どんなに相手が自分を憎んでいようが、心配なものは心配だ。

 彼女の背を支え、顔を覗き込んだところで、目があう。山吹の瞳が、うるっ、と歪んだ瞬間、ルカは悟った。


 ――あ、決壊する。


 と思ったのと同時に、彼女はやはりうああああと大声で泣き始めた。

 わんわん言葉にならない言葉を耳元で叫ばれて、ルカはつい身を引いた。雛の後ろで、波斯がゆっくり首を横に振っている。もはや、どうしようもないのだろう。


「わ、わたしはっ! 風様の従者なんだからっ!! あなたなんかに負けないからねっ!!!」


 そうして、悪役さながらの台詞を吐き捨てながら、雛はまるで嵐のようにこの部屋から去って行った。

 つい、その勢いに押され、彼女が出て揺らめく光の扉を呆然と見つめる。


「ああ……泣かせちゃった」

「自業自得です。捨て置いて下さい、ルカ様」




 ルカが宵闇にいっぱいいっぱいになり、その後寝こけている間に、雛とエリューティオはすっかりと不思議な関係になっていた。

 おそらく彼女、 エリューティオがまだ手加減してくれているのが幸いして、普段からそれなりに痛めつけられているようだが、次の日には挫けずにやってくる。

 エリューティオにどんなに相手にされなくともリベンジの舞台に立ち続ける彼女は、もはや尊敬に値した。



「本当に、侍女に……なりたいのよね? 彼女」

「はい、まあ……」


 隣に立った波斯に尋ねてみると、彼もこめかみを押さえながら頷いた。が、非常に言いにくそうに、視線をふらふらさせながら、言葉を付け足す。


「あの、ルカ様。おそらく彼女は、侍女とは言っても……」

「ルカ」


 それを横から、エリューティオが制した。


「気に障るのなら、宵闇に戻せば良い」

「え? でも、エリューティオ様。峰では、波斯も頑張ってるから。彼女だけ帰すわけには――」


 確かに雛の目的意識は、理解しがたい。エリューティオの事が気になっており、彼に近づくための口実に過ぎないことくらい、ルカは分かっている。


 しかし、ルカの目的はあくまでも人化する彼らへの教育だ。正直、宵闇にいるよりも、夜咲き峰にいた方が情報が段違いだ。

 菫も波斯もいるからこそ、滞留が許されている。そんな恵まれた環境を無駄になどして欲しく無い。だからこそルカは、些細な理由で彼女を追い出すつもりはなかった。

 今、ルカの側にいる妖魔たちだって、打ち解けるのに時間がかかった者もいる。少々気にくわないからと言って、彼女の学ぶ機会を取り上げるつもりもなかった。



「ルカ様、僕のことは気にしなくていいのです。彼女の無礼は、僕だって気になりますから」


 しかし、波斯の言葉は容赦ない。赤銅色の瞳を揺らし、その心苦しさを露わにしながら、ではあったが。


「だったら尚更でしょう? 貴方と学ぶ良い機会なのに――余計なお世話かもしれないけど」

「そういうわけでは。……でも、ルカ様、ありがとうございます」


 ぺこりと、波斯はお辞儀をした。

 初めて会ったとき、自分の意見をしっかり持っている我の強い子だと思っていたが、なかなかどうして従者らしい柔軟な態度である。

 まだ話し言葉などぎこちないところはあるものの、ルカにとっての波斯の印象は非常に優秀だ。レオンも気に入っているようで、彼の教育には熱が入っている。だから余計に、雛の存在は浮きに浮いていた。




「ふむ、面倒なことを考える」


 一方エリューティオはというと、実につまらなそうに長椅子に腰掛けたまま、だらりと力をぬいた。非常に気怠げな様子で、彼女に纏わり付かれてよっぽど疲れたことが伺える。



「でもその前に、風。どうしてあの子にデートのことバレたのさ?」


 風の力に呼び寄せられるようにして現れたオミは、再びふよふよと浮きながら、エリューティオの肩を突いた。


「……やめないか」

「やだやだ、すぐにカッカする男は醜いよ、風」

「私に纏わり付くな」


 追い返すように妖気をオミの体に当てると、くすくすと笑いながらオミは再び遁甲する。出たり消えたりと忙しい鷹は、他の妖魔と比べて非常に身を隠すのが得意であることが最近になって分かってきた。

 姿を出したり消したりするのは、どうやらそんなに簡単なことではないらしい。



「だってさぁ、あの子にばれたら大騒ぎするに決まってるの、わかってただろう?」

「……」


 虚空から声だけが届く。痛いところを突かれたらしくて、エリューティオの眉がぴくぴくと動いている。無感情無感動だったエリューティオが、ここ最近、本当に表情が豊かになってきている。それはとても嬉しい。

 だが、雛に関しては正直、今は様子見だ。彼女がエリューティオを好きでいるのは、咎められるべき事ではないのだから。


 言葉に詰まって、オミとエリューティオのやりとりを見守る。虚空からオミのからかう様な声が続き、どんどんとエリューティオが不機嫌に陥っていくのが手に取るようにして分かった。

 なるほど、彼の整った細い眉は、感情の変化がよく現れるらしい。



「其方のせいだ」

「ふへっ?」


 まさか、自分に責があると宣言されるなどと思わなくて、ルカは素っ頓狂な声を出した。目をまん丸にしてエリューティオの顔をのぞき込むと、彼は彼で非常にばつの悪そうな表情を浮かべている。


「わ、私が、何かしましたでしょうか?」

「……」

「あの、エリューティオ様?」

「私とて、わからぬことくらい、ある」

「はい?」


 何を言いたいのか全く伝わってこない。

 遠回しに何か言いたげなことだけは理解できているが、残念ながらルカは察しが良い部類ではない。これで分かれという方が無理だ。



 こてりと首を傾げていると、エリューティオはそこで会話を打ち切った。詳しく話すことすら、不本意らしい。

 まあ、別に無理して聞くことはないかなと判断したとき、突然ルカの目がふさがる。


「わわっ……ちょっ」


 どうやら彼の大きな手で瞼を覆われてしまったらしい。そんなにも顔を見られたくないのだろうか。

 何か弁解しようと言葉を考えるが、どう言っていいものかわからない。口をパクパクしていると、ルカの代わりにエリューティオが声をかけてきた。


「今日は無理しすぎではないのか? いつも通り妖気を供給したろう。早く寝なさい」

「え、でも、エリューティオ様」

「寝なさい」


 問答無用で背中を押され、そのまま寝台へ連れて行かれる。着替えもまだなのだけれど、と付け足すが、いいから、と返されてしまう。何をそんなに隠したがっているのだろうか、と疑問に思ったところで、ふわりと寝具の感触に包まれた。



「あの、エリューティオ様?」


 ようやく手を離され、自由になった瞼を開く。

 視界が彼の縹色で覆われ、少し、気恥ずかしい。まるで寝かしつけられるように頭を撫でられ、ゆるゆるになった頬をどうして良いのかわからない。

 そんなエリューティオの手つきは優しいが、表情は相変わらずぶすっとしたままだった。ほとほと困り果てたように、目を細め、じいとルカを睨むように見据えている。


「ええと、どうされたのです?」

「早く、休め」

「えっと」

「デート――とやらに行くのだろう?」

「……っ」


 瞬間、ルカの頬に熱がぶわっと集まり、口もとが緩む。

 エリューティオはと言うと、視線をふっと逸らしてしまい、その感情を読み取られるのを避けているように見えた。


「……はい」


 こくり、と頷き、恥ずかしさに布団を引き寄せる。すっかりとルカの所有物の様になってしまったエリューティオの寝具に覆われ、目を閉じる。

 瞼の裏の暗闇で世界は隠れるが、しばらくルカは眠れそうにはなかった。

なんだかんだでエリューティオもその気になってるようです。


というわけで、次回、お出かけの準備です。

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