私をデートに連れてって!(1)
「私、誕生日だったのです」
「?」
金の瞳がきらりと光る。
うららかな午後。最近すっかりと生活習慣が乱れに乱れたルカは、二日ぶりに起きたかと思えば、おもむろにそう告げた。
気がつけば実り多き土の月も半ばにさしかかっていた。五週も六週も、ルカは寝て、起きては峰の妖気補充をし、またうとうとし始める日々を過ごし続けている。
正直、峰の管理を風の主ーーエリューティオから引き継いでから、ルカにはまともな記憶がない。皆に背中を押されて、鴉ことアルヴィンの名前を受け入れたくらいで、特筆すべきことを何もしていないからだ。
むしろ、寝ていた。全力で、寝ていた。全身全霊で、寝ていた。寝る子は育つとはよく言うが、不思議なことに、年齢よりも幼く見えたルカの顔が、たった数週間で少しばかり大人びた顔つきになっていた。
今までの人生の中で、一切使用することの出来なかった魔力・妖気の類いを、まるで十四——いや、誕生日を迎えた今なら十五年分取り返すかのように消費しまくっている。それに応じて体も成長しているらしく、たった数日で、少しスカートの丈が短くなったようにさえ感じていた。
ルカは結界のことでいっぱいいっぱいで、他のことが全て後回しになっている。特に心配なのは、眠りこけて疎かになっていたスパイフィラスへの対応と、これから向かえる水の月へ向けての冬支度の事。
四季の神々は気まぐれで、今年の秋が短いのか長いのか予測がつかない。十週を迎える頃には、冬の準備を終えていたいが、問題は山積みだ。
しかしだ。
それも勿論頭には入っているがだ。
まずは、何よりも優先したい事がある。
だって、ルカは頑張ったのだから。この峰のために、ここのところこの身を捧げ続けたのだから。
少しくらい、我が侭を言っても良いではないか。
「眠っている間に、過ぎておりました」
誕生日が。あろう事か。
「それがどうかしたのか?」
目の前の豊かな縹色の髪の男は、その整った顔を僅かに傾けた。どう反応していいのかわからないらしい。
はっきり言わないと伝わらないことくらい、ルカも学んでいる。仕方がないのでドストレートに主張することにした。
「誕生日。人間はこれをお祝いする習慣があるのですよ、エリューティオ様?」
「祝う? 何故だ」
「産まれてきたことに感謝を。命を与えてくださった、母と女神に感謝を。そして、皆で成長を祝うのです」
「其方の成長を祝えばいいのか?」
「そうです、祝えばいいのです。だから、エリューティオ様?」
いつになく楽しげな、爛々とした目でエリューティオを見る。
風を思わせる涼しげな彼の瞳が不安に揺れるが、ルカが気にすることはなかった。
「私を、デートに連れて行って下さいませ!」
ルカ・コロンピア・ミナカミ、十五歳。
自分の欲望に忠実な彼女が所望するのは、この峰の主とのおデートだった。
***
「駄目だ」
まるで音のしない所作で、レオンは静かに紅茶を淹れる。最近ではすっかり、エリューティオの私室と言うよりルカの私室となりつつあるこぢんまりした部屋には、今、エリューティオの姿は見えない。
峰の管理を解放された彼は、夜咲き峰の範囲内でだが、たまに移動する様子が見受けられた。引き篭もりを不安視したこともあったが、枷さえなければ、彼もある程度自由に過ごす性質があったらしい。
目の前には、ルカに紅茶を差し出すレオン。隣には、彼の所作を見逃すまいと、食い入るように見つめる波斯。そして、相変わらず腰回りにオミの存在を感じる。
鷹こと、オミの名を呼んでから、遁甲していてもどこにいるか強くわかるようになってしまい、厄介だ。つつつ、と、腕が這うような感覚を覚えて、背筋が凍る。
「……ひっ。ちょっと! オミ!」
咄嗟にぶるりと拒否反応が現れ、変な声が出てしまう。何もないところで突然声を出したルカに、何が起こったのか分かったのだろう。レオンも目を三角にして、ルカの腰回りを睨みつける。
「馬鹿、お前っ。お嬢様に何をっ」
怒鳴られ、にゅるんにゅるんと空気中に姿を現したオミは、悪びれもない様子。にへっと人の神経を逆なでするような笑みを浮かべては、別に〜、と宣った。
「前と変わらないよ? あの時はルカもレオンも怒らなかったじゃないか」
「いや、結構忌避感は示してたけどね?」
まるで問題にしていなかったと言われてしまうと、語弊がある。いくら名前を縛ろうが、目の前に現れた表面積の五分の三が肌色の妖魔とは一定の距離感を保ち続けたい。
「感覚が敏感になったせいで、気に障るのよ、貴方の妖気が」
「んふ、僕を感じ取ってくれて嬉しいよ」
「まったく褒めてないけどね?」
嫌味どころか直接的な暴言もご褒美にされてしまうとなす術がない。
まったくもって無意味な押し問答に嫌気がさし、しっし、と手を振りオミを追い払う。オミはふよふよと空気中に寝そべっては、己の腕を枕にしてこちらを見つめてくる。
いつの間にかその顔を覆っていた布はなくなっており、かつて彼の瞼の上に描かれていた古き祈りの言葉も、綺麗さっぱりとなくなっていた。ルカと同じ金の瞳でもって軽くウインクをしてくる者だから、顔をしかめるしかない。
流し目を見せられたところで、呆れるか引きつるかしか選択肢がないわけだが、彼は勇猛果敢に鬱陶しいポージングを続けてくる。波斯までがどうして良いか分からず、顔を背けたところで、ああ、この幼き妖魔も自分が守らなくてはと使命感に燃えた。
「波斯、いい? この変態仮面は無視で良いからね」
「もう仮面じゃないよ?」
「るさい! 貴方は黙ってて!」
えー、自分のことなのになあ……。と物言いたげな様子で話しかけてくるが、ルカは断固無視の姿勢をとる。
波斯もルカ言葉に唾を飲み込み大きく頷いたが、戸惑いがありありと顔に出ていた。そういえば、オミははぐれでも上級妖魔。一方の波斯は下級妖魔だ。そこには明らかな力の差がある。
しかし、ルカとしては二人とも一緒だ。というより、鬱陶しいだけのオミと、いろいろ頑張って仕事を覚えようとしている波斯とでは好感度が段違いだ。いくらその名を縛ってようと、オミをいちいち相手したいとは決して思わなかった。
断言する。
オミはルカのヒエラルキーの中で、最下層だ。勝手に湧いて出てくるのだから、それくらいの位置づけじゃないと相手していられない。
相手しない。と心に刻みつけながら、ルカはレオンに向き直った。そうしてどうにか話の軌道を元に戻す。
「で。レオン、何が駄目なの?」
「あのな、何故いいと思ったんだ?」
首をかしげるルカに対して、彼は、その神経を疑うかのごとくに冷たい視線を浴びせてくる。
「えっ!? えっ、でも、でもでも。エリューティオ様も峰から出られるようになったし、私がついてたら、お忍びくらい……」
「どうやって忍ぶつもりなんだ……」
レオンはと言うと、額に手を当て、絶望的だと表情で告げてくる。
ああ、うう。と言葉に詰まり、自分の根拠のない自信を振り返ってみた。
「そんなに、無謀?」
「無謀だ」
「駄目?」
「ゼッタイ」
「レオンの分からず屋!」
「分からず屋で結構!」
パン、と、ルカの希望を一刀両断し、代わりに紅茶を差し出す。物理的飴と鞭状態だ。
「せめて俺と誰か他に連れて行け。お嬢様達だけで、どうやって平穏無事に過ごすんだ」
「うっ!」
「ただでさえ、無理にスパイフィラスとの会談を遅らせてるんだぞ? アヴェンスで妙な噂でもたってみろ」
「噂になんて、なるはずがーー」
「なる」
まるでレオンは、確信するように呟く。
「風の主の風貌はーーいくら何でも浮きすぎるだろう」
「うっ!!」
脳天を直撃するような一言に心をえぐられ、ルカはたじろいだ。
これまでも下弦の皆をアヴェンスに行かせた事はもちろんあるのだが、人間風の服を着せたら、それなりに溶け込む事が出来ていた。唯一、花梨だけは華やか過ぎたが、絶世の美女だと思えば何とかなる。……なっていないかもしれないが、まあ、人間らしく見えなくはない。
だが。
確かに、どう考えても風の主は無理だ。
非の打ち所がない顔立ちは勿論の事、男性にしてはあり得ないほどの麗しさ、俗っぽさのなさ、それに加えてあの髪だ。縹色の艶やかな髪。しかも、それをずるずると足元まで引きずる勢い。最早高貴な世捨て人のような風貌は、取り繕いようがない。
脳内で、人間の服装をした彼が街を歩く様を想像してみる。
例えば、だが——下弦の者が足を運ぶという西門市場。ルカも見たことはないが、想像だけは出来る。
威勢の良い売り子たちがやんややんやと声を掛け合う賑やかな場所。それぞれ、動きやすいように髪を切りまとめ、労働による節のあるかさついた手をしている。着たおしてよれよれになった服やら、お下がり、繕いだらけの雑多な服装を身に纏い、世間話に花を咲かせる一般人たち。
そこにだ。
ずるずるとした縹色の髪の、麗しき世捨て人(誇り高き高貴な者としての立ち振る舞い・表情付き)が、いわゆるパンツスタイルでつんつるてんなお洋服を着込んで練り歩く。その隣には彼とは十以上年の違う幼い顔立ちの少女——。
「……どうしよう、似合わない」
絶望的に。どうしようもなく。果てしなく、無理だった。
彼に下町が似合うはずなど、なかったのだ。だったら貴族街はどうだと考えたところで、アヴェンスがどれほど発展しているかを想像してみる。
王都しかイメージ出来ないルカが、己の知識を総動員して妄想してみた。
大丈夫、妄想は得意だ。
——うん、似合わない。
即刻解析を終えて、ルカは大きく頷いた。
「アヴェンスという街自体がエリューティオ様に合わないのね! いっそ、王都に行く?」
「何故そうなる」
ぷるぷると肩を震わせていると、レオンが呆れるように声をかけてくる。
え、そういうことではなかったのか。と瞬きして、再度考えてみる。
しかし、本当にどうしたものだろうか。
似合わないという至極くだらない理由で、このまま彼と外に出る事を諦めるわけにもいかない。折角、彼は満月の峰から出られるようになったのだ。他の皆と同じ様に、新しい世界を目にする機会があってもいいのではと思う。
いや、もちろん、何らかの方法でエリューティオが王都の様子を知っていることも理解している。しかし、実際に足を運んで、その目で新しい世界を見て欲しい気持ちがあるのだ。彼にとって、珍しくないかもしれないけれど。
ーー本当は、私がデートしたいだけかも。
彼の命に関する大きな不安がひとつ消えた。
ルカも、一日程度なら峰を離れても結界は維持できそうだし。そしたら、二人でお出かけしてみたい。十五の女の子にとっては当然の願望である。
「あの、ルカ様。少しいいですか」
どうやってレオンを説得したものかと考えていたところ、隣から意見を述べてくるのは波斯だった。ぴっと顔を上げて、真っ直ぐにとかした藤黄色の髪を揺らす。
ピンと背筋を伸ばし、レオンへの対抗心を露わにした彼は、彼なりに良かれと思う事をおくびもなく行動に移す事のできる少年だ。従者見習いとして、レオンもかなり気合を入れて教育しているようだ。
「デートというのは、どうしてもアヴェンスに行かなければいけないのですか?」
「え?」
「別に街など出なくても、美しい場所はたくさんあります」
「あっ……」
当たり前の事なのかもしれない。
しかし、ルカにとってもレオンにとっても、思いつきもしない選択肢だった。
都の女の子の定番デート先といえば、街中をぶらぶらしたり、芝居を見たり、パーティに同伴したり、だ。ルカは“夢のデート先は都立図書館!”と、やや微妙なチョイスをする娘ではあったが、それでもやはり王都内で済む話。
「そっか……もう……」
彼女を縛るものは、何もない。ここは王都ではないし、彼らの常識に囚われる必要は、ない。
じわりと、頬が緩んだ。
ねえ、レオン。と声を掛けるとうーん、と唸る。
「何処がいいかしら? この辺りで、無理なく帰って来れそうな——ピクニックね。すごい、兄様以外の方と初めて!」
きゃっきゃと、ルカは黄色い声をあげる。
誰にも会わない、誰もいない場所ならば忍ぶ必要など無い。
「お嬢様、はしゃぐな。それでもまだ、体調が——」
「でも、人間のいない場所なら、ね? エリューティオ様と一緒なら」
万が一があっても、大丈夫だ。と、ルカは安心しきって声を上げる。
レオン的にも危惧していたことが一気に解消される提案ではあるはず。これ以上ルカの我が侭を膨れあがらせないためには、適度なところで手を打つ必要があることを自覚しているのだろう。
うーん、と更に考え込んだ後、仕方ないのか、と言葉を漏らす。
いつか、遠い過去。兄に連れられて王都の外へ出たことを思い出す。あの時は、広大な世界に心が躍り、風の気持ちよさにうっとりとしたものだった。
誰か、保護者が一緒にいないと、どこにも行けない娘だった。けれど、そろそろ卒業してもいいのかもしれない。
自分一人の足でどこかに向かうのはまだ抵抗あるけれども、エリューティオとならば安心できる。力を取り戻した彼に以前のような儚さはもうない。きっと、しっかりと付き添ってくれるだろうとルカは思う。
以前、一度だけ彼に抱えられて空を飛んだときのことを思い出す。
星祭の夜。あの時は必死だったから意識はしなかったけれども、軽々とルカを抱え、大切に扱ってくれた。エスコート、という言葉が相応しいとは思わないが、それに似た安心感を彼に覚えたものだった。
そんな彼と出かけるならどこが良いだろう。
夜咲き峰からの景色は絶景だが、場所を変えると、世界は違って見えるから。
「人里離れた綺麗な場所かぁ。……アルヴィンに聞けば詳しいかしら?」
なんとなく、鴉ことアルヴィンはいろんな場所を見ているイメージがあった。
それは、彼がキラキラしたものを各地で収集していた印象があるからかもしれない。あの黒い翼で、ローレンアウスまでルカを向かえに来てくれたからかもしれない。
ルカに忠実な彼のこと、一緒に知恵を捻ってくれるだろうと期待する。
ちなみに、先ほどまで、腰に巻き付いていたアレのことも一瞬思い浮かべたが、当然のことながら横に置いておく。彼もまた峰の外に詳しそうだが、変な知識を埋め込まれそうで、いまいち信用がならない。
「……お嬢様、お願いだから鴉に聞くのだけはやめてやってくれ」
「え? どうして?」
「ーーどうしてもだ」
しかし、レオンはごく冷静に却下した。
別にピクニックに出かけることに対して苦言をしているわけではないらしい。アルヴィンに聞くことに、何か問題でもあるのだろうか。
きょとんとしていると、やれやれ、とレオンが首を横にふった。
ああ、憐れだね、と、オミもまた呟いていることから、ルカは鴉の過去が蘇る。
「あ、そっか。アルヴィンの趣味って……」
彼は特殊な趣向の持ち主。彼のアドバイスがあてにならないことを教えてくれているのだろう。うん、そうに違いない。
ルカは全力で何かを察して、分かった、と力強く頷いた。レオンの目が僅かにそうじゃないと言っている気がするが、まあいいだろう。
「だったら、誰に……」
琥珀やロディ・ルゥ? 花梨はずっと峰に引きこもりだったから、詳しくないかもだけれど女性の意見的には——と思い悩んでいると、光の扉が揺れる。
おや、と思ったときには、まるで白磁のような白い手が空間を越えて、髪と同じ縹色の袖が目に映る。
そのままずるりと、長身の妖魔が現れたかと思うと、すぐにルカを目にとめた。
「まだ起きていたのか、ルカ」
縹色の長い髪。碧く透明感のある瞳。
その涼しげな表情が目に入った瞬間、反射的に背景に人間の街を照らし合わせてしまい、これは駄目だと心から実感する。
風の主ことエリューティオ。
彼に俗世は似合わない。
「……」
「どうしたのだ、ルカ。黙り込んで」
「エリューティオ様、貴方は、そのままの貴方でいて下さいね」
「は?」
ルカの突然のお願いに、エリューティオは口を半開きにしてかたまった。そして宝石の様な美しい碧い瞳を見開いては、戸惑いをあらわにしている。
その整った美貌。浮世離れしたこの雰囲気こそ、彼らしさだ。無理に人間にあわせてはいけない気がする。どんなに人化が進もうとも、だ。
ルカの中で、妖魔の中の妖魔に相応しいこの峰の主は、いくら人化が進もうとも、俗に浸らせるには惜しい。というより、俗に浸る彼が想像できないだけであるが。
決意を新たにしていると、再び光の扉が揺れた。
風様ぁ〜! と声が響いたことから、部屋に入れてくれと懇願している者がいるようだ。
「あいつは……」
後ろでぼそりと波斯が呟く。ルカもすぐに誰なのか理解し、僅かに視線を逸らした。
『風様ー!』
かつてのルカと同じ様に風の主を呼ぶ。それがなんだか楽しくない。
まるでぴょんぴょんと小動物が跳ねる様な可愛らしい声。一人ではこの部屋に入ることが許されていないらしく、エリューティオの結界に遮断されているが、妖気を通して必死にアピールしてくる。
エリューティオは、ふぅ、と心労のため息を吐き出しては、のそのそと長椅子へと足を運ぶ。外からの声を完全に無視して、その身を長椅子に預けた。
どうやら“彼女”を無碍にすることも出来ず、この部屋に非難してきたらしい。かなりお疲れの様子である。
「あの、エリューティオ様? よろしいのですか? その……無視しても」
「其方もいい気はしないだろう」
ルカとしては返事に困る質問だ。誰が来ているかなど、ルカにもよくわかっている。うーん、と唸りながら波斯に目をやると、彼もまた肩を落として、申し訳ありません、と言葉にした。
「エリューティオ様は素敵ですから、彼女の気持ちもわからないことはないのですが……」
ルカの立場からしては、歓迎するべきものでもない。
一見、扉の外の“彼女”は幼く見えるが、確実にルカよりも年上だろうし。それでもついつい子ども扱いしてしまう。それは彼女の言動や、初めて出会った時の弱々しさがそうさせているのかもしれないが。
「来なさい」
むすっとしながら、エリューティオは手を差し出した。ルカはティーカップを置き、彼の手前の定位置にちょこんと腰をかける。
外からは相変わらず、風様ぁ〜という声が響いてきて、喧しい。
にやにやと楽しげな顔をしたオミは空気中に溶け、レオンはとっととこの場から引きあげようと、ルカの紅茶を片付けはじめる。波斯がこめかみを押さえながら、扉を睨みつけたところで、受け入れ準備は完了だ。
「入りなさい」
まるで観念するかの様に、エリューティオは解呪する。猪の様に扉に圧をかけまくっていたらしい少女は、鍵が解けるなり、きゃー! と、部屋に前のめりになだれ込んできた。
べしゃり、とそのまま地面に頭から突っ込む。同時にふわふわウェーブの柔らかな白い髪が地面に波打った。
しばらく呻き声が聞こえたが、ピクリとその肩がうごき、小さな彼女は頭を上げる。
「風様、どうして逃げるのっ?」
山吹色の彼女の瞳が儚げに揺れた。キュッと小さな手を胸元で握りしめ、懇願する姿は実に可憐だ。
いくら下級とは言え流石は妖魔。うっとりする様な可愛らしさを持つ彼女は、雛。花の一族筆頭、矢車の直子にして、波斯の兄妹。
その命が助けられたのち、元気を取り戻した彼女は——エリューティオにゾッコンだった。
「その女をデートに連れて行くくらいなら、わたしを連れて行ってよ!」
ビシッ! と、何一つ躊躇することなく、可憐な美少女は、ルカに指をつきつけ、宣戦布告をしたのであった。
本日より新章開始となります。
新月の夜を得て、のんびりしている場合でないにも関わらず、平和な空気が戻って参りました。
さて、ルカは無事におデートにこぎ着けられるのでしょうか。
再びのんびりと進めて参りますので、お付き合い頂けましたら幸いです。




