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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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星祭の夜に(9)

 年若い、しかも実際の年齢よりも幼く見える少女に言いくるめられ、ロマンサは呻いた。ぎゅっと拳を握っている様子から、この先どう行動したものか相当悩んでいることが伺える。

 どう悩んだところで無駄なことだと思う。上級妖魔たちは許さないだろう。この先に人間が立ち入ることを。


 一番厄介なのは、犠牲を厭わず一斉に森へ向かって侵入されることだ。ルカはこの場で犠牲を出すことを望んでいないし、流石にこの数に一気に入り込まれたら同時に対処することは難しいだろう。


 ルカが最も恐れること。それはミリエラの種のように、峰の特殊な植物や鉱物が安易に外に持ち出されることだ。

 万が一にでもカイゼル卿の手に入ったらどうなることだろう。その影響を考えるだけで、目眩がする。

 スパイフィラス領は昔から魔術具の素となる素材研究が進んだ地。夜咲き峰独自の素材が手に入るともなれば、少々無理を通さんとする可能性が十分にあり得る。

 妖魔の文化を人間に流すとしても、少しずつだ。そして、一定の権力に偏らないようにバランスをとる。もしくは、王家の許可無くば広がらぬよう、確かな管理先を確保するべきだ。

 少なくとも今、ロマンサの気の迷いのせいで外に出て行くことだけは防がねばなるまい。



「ロマンサ将軍。今日の所はお引き取り下さい。後日改めて、スパイフィラス領領主カイゼル卿の元へ会談を申し入れましょう」

「しかし」

「ここで無意味に命が散ることだけは避けたく思います」


 ――そして、ディゼルの楔とミリエラの種が起こした、あのような事件が再び起こることだけは。


 最後まで言葉にせず、ルカはロマンサを睨み付けた。同じように、上級妖魔たちが一斉に彼の方へと視線を向ける。静かに口を閉じているが、誰もがその身に威圧ともとれる妖気を纏っている。




 その時だ。

 ひとつの光の帯が空に上がったかと思うと、小さく光って散っていった。その色、黄色。

 ルカ自身はあまり見たことは無いのだが、知識として知ってはいる。後ろからレオンが「あれは……」と呟いているから間違いが無いだろう。


 ――呼応色。……黄色は、注意喚起の色。


 目の前のスパイフィラス軍の者からしてもなじみのある光に、なんだなんだと声があがった。

 貴族の中ではごく自然に使われる信号光だ。魔術具を操作することで、色をも変えることができる。

 その光は整列した彼らの更に後ろから現れた。と同時に、スパイフィラス軍の後方でなにやら言い争うような声が聞こえはじめる。どうやら軍の者が上げたわけでは無いらしい。


 ルカ自身も何事、と目をこらすが、幾人もの人に阻まれて様子が伝わってこない。

 そんなルカの代わりに、ロマンサが声をかける。何事だ、と。すると、後ろから伝令の兵が駆けつけ、ロマンサの近くで何かを呟いた。


「――何?」


 訝しげに彼に視線を投げかけてみると、ロマンサは驚きに目を見開いた様子で何やら声を上げた。そして軍の後方とルカの顔を何度も見返しつつ、通せ、と命を出す。

 軍の中央から皆が一歩ずつ左右に避けていく。壁が切り開かれるようにして、スパイフィラス軍の中央に一本の道が出来た。



 ――誰?


 遠くに、何名かの人間が見える。スパイフィラスの兵たちとは明らかに服装も違っており、騎士らしき甲冑を着込んだ者と、文官らしい衣を纏った者が居るように見えるが――


「あ」


 と、目をこらしたところでルカは声を漏らした。あいつ……と、後ろでレオンが独りごちる。非常に良く見知った――懐かしい顔が二つ……あろうことか、二つ、ある。

 聞いていた報告と違うではないかと、ルカはレオンに視線を送った。レオンも寝耳に水だったらしく、知ったことかと全力で首を横に振っていた。


 こちらへ歩み寄ってくる一団の先頭は、二人の男だった。

 一人は鍛え上げられた肉体を鎧で包んだ大男。黒に近い紫色の髪を短く切りそろえ、後ろのみのばしたものを一つにまとめている。その瞳は紅。強い意志、太い精神を反映したかのような強烈な自信が彼の表情にみなぎっている。

 そしてもう一人は、顔立ちは隣の男と似ているのに、どこか柔らかな印象をもつ華奢な男。おかっぱに切りそろえられたやわらかな藤紫の髪を揺らし、ローブに近い、仕立ての良い文官服を身に纏っている。瞳の色は蘇芳。隣の男と色さえ似てはいるが、印象がまるでちがう。

 そんな彼らは、ルカの顔を認め、笑みを溢した。



「うおおお! ルカぁーーーーー!!! 元気だったか!!!」


 目が合った瞬間、大男の方が我慢しきれぬと駆け寄ってくる。まるで大きな猪が突進してくるかの勢いで、風の主に抱えられたままのルカは頬を引きつらせた。


「風様、避けた方が良いです」

「……誰だ、あれは」

「……兄です。残念ながら」


 ぼそりと言葉を返し、風の主の袖を引っ張る。

 愛情を爆発させた兄――次兄のリョウガがとる行動と言えば、力一杯にルカを抱きしめること。現状風の主に抱えられた状態では、問答無用で風の主ごと抱きしめられかねない。……後が怖いので、回避しておくのが得策である。


 目前に差し迫ってきたでかい図体を、風の主はひょいと跳び越えた。地面からかるく飛んだかと思うと、体重を感じさせない軽い飛行でリョウガを避ける。勢いあまったリョウガはそのまま後方のレオンの方へつっこんでいくが、ここは目を背けておくのが得策だ。


 わぁ……あいかわらず元気だなあ……と、横からオミの声がぼそりと聞こえた。一方的にではあろうが、オミはリョウガのことを知っているらしい。流石生粋のストーキング男子。夜咲き峰に来る前から、ばっちりルカのことを追いかけていたようである。

 へぶしっ、と後方からリョウガとレオンの悲鳴が聞こえてくるが、黙殺する。地上に降り立ったところで、ルカは次兄ではなく三男に笑いかけることにした。



「……ハチガ兄様。お久しぶりです」

「ああ、ルカも。相変わらずちっこいね」


 くすり、と嫌みったらしい瞳で見下ろされたかと思ったが、それも一瞬のこと。次の瞬間に、彼はルカたちの目の前で傅いた。


「お初にお目にかかります。風の主。私はレイジス王国緋猿将軍が第三子、ハチガ・ミナカミ。ルカの兄にございます。どうかお見知りおきを」


 そうして名乗りをあげると、彼の後ろに控えていた部下らしき者たちも一斉に傅く。突然現れた乱入者にスパイフィラス軍の者たちはぽかんと口をあけている。しかしそれが気にならないくらい、ルカは胸が疼く気持ちをどうにか抑え込んだ。


「ハチガ兄様っ」


 触れたくて、手を伸ばす。するりと風の主の胸元から抜けようとして、前へ出た。しかし相変わらず足に力が入ることは無く、そのままべしゃりと地面に倒れ込もうとしてしまう。間一髪の所をどうにか風の主が引き留めた。

 ルカの気持ちをある程度汲んでくれたのだろう。風の主はルカの両脇を手で持ち上げた状態で、まるで荷物を差し出すようにハチガの前に掲げた。まさか妹が立てない状態にあるとは思わなかったらしく、ハチガは驚愕の表情を見せた後、訝しげに風の主を見やった。


「……失礼ですが、一体ルカは……?」


 その表情には怒りが浮かび上がろうとしている。

 婚約するためにある夜突然攫われた妹が、再会した時には立てなくなっているのだ。それも当然かもしれない。


「あー、ハチガ兄様。これはね、話すと長くなるから後でね。ちゃんと元に戻ると思うから、大丈夫」


 苦笑しつつ、ルカも手を差し出した。

 心得たように、ハチガはルカの手を取る。そして抱きよせるようにして彼女を抱え込んだ。

 奥から次兄のぎゃんぎゃん喚く声が聞こえたが、無視だ。場の空気を読めない兄にルカは冷たい。


 それよりも、とルカは言葉を付け足した。兄の力添えがあるならなおさら、ここは貴族として交渉してもらいたい。少なくとも、二人の兄は王都でもそれなりの実力を買われた貴族だ。しかもルカとは違って正真正銘、中央の貴族なのだ。



「初めてお目にかかります、ロマンサ様。私はレイジス王国緋猿将軍が第三子、ハチガ・ミナカミ。木蔦の女神のお導きに感謝を。どうかお見知りおきを」


 ルカの気持ちを汲んでくれたのだろう。貴族らしい言葉を添えて、ハチガは膝を落とした。そうしてまっすぐにロマンサを見つめると、彼の言葉を待つ。


「スパイフィラス軍第二軍将軍、ロマンサ。木蔦の女神の祝福に感謝しよう。してハチガ殿、一体何用でこんな所まで?」

「何、アドルフ卿お使いですよ。糸の女神は悪戯者ですから、銀の糸を再び紡ぐ日が来るのではないかと案じているようです」


 そうしてハチガはふふ、と笑う。

 糸の女神。運命や歴史を紡ぐ者として例えに使われる神の一人だ。スパイフィラスの歴史をよく知る者なら当然意味が分かるだろう。現にロマンサはピクリと眉を動かしている。



 レオン経由でお忍びとは聞いていたが、状況が変わったのだろうか。アドルフ卿の名前を出すのもそうだし、リョウガを筆頭に緋猿軍も連れてきている。私軍ではない彼らが動くということは、少なからず王家が関与していることとなる。


 ロマンサだってその事に気がついているのだろう。額に汗を浮かべながら、ハチガとルカを交互に見た。

 そして更に、ルカたちの後ろから声があがる。


「緋猿将軍が第二子、緋猿軍所属リョウガ・ミナカミ。木蔦の女神に感謝はするが、俺はアンタを止めにきた!」


 存在を見て見ぬ振りをしていたが、そうもいかないらしい。不躾な挨拶という言葉がぴったりなほど乱暴な様子で、リョウガがずんずんと前に出てくる。

 ルカの横を抜ける際、彼女の頭に手をぽんと置き、にかっと笑った。しかし今、リョウガの意識はロマンサの方へと向いているらしく、彼の元へとずんずんと歩み寄る。無遠慮に間合いまで詰め寄ったかと思えば、刀を引き抜いた。

 彼の目の前に刀を突きつけ、宣戦布告せんばかりに大声を張り上げる。


「俺たち緋猿軍がわざわざ動いた意味が分からんわけではないな?」

「ちょっと、兄様!!」


 突然の物言い、そして刃を向けたことに対し、ルカが声を上げた。

 後ろではハチガが「あの、バカ」と周囲に十分聞き取れる声で呟いているが、否定はしない。ここまで何とか戦闘を回避しようとしてきたのに、率先してそれを切り崩すとは何事か。



 しかし、ここはロマンサの冷静さに救われることとなった。

 いきなり刃を向けられて、怒った周囲の騎士たちを手で制し、刃に近づく形で一歩前へ出たのだ。ここでリョウガを相手にすることは、夜咲き峰と敵対するのとは意味が変わる。


「われわれとて、緋猿軍と相対するつもりはない。ここは一度体制をととのえ、こちら側から改めて風の主への会談を申し入れよう」

「いいえ、ロマンサ将軍。その必要はありません。どんなに要求されたとて、夜咲き峰への侵入は一歩たりとも許すことは出来ません」


 ルカの最大の懸念は、夜咲き峰のものを無断で持ち出されることだ。それだけは、なんとしてでも阻止しなければならない。


「ここ夜咲き峰は未開の地。貴方がたが立ち入りたいと思う気持ちは察します。しかし、この地は妖魔の持ち物であり、スパイフィラス領ではありません。それだけは宣言させて頂きます」

「しかしそれでは、カイゼル卿は納得すまい!」

「そうですね。ですので、私の方から赴きましょう。――会談を申し込みます。夜咲き峰筆頭妖魔、風の主と、その婚約者のルカ・コロンピア・ミナカミ、カイゼル卿の元へ赴くことをお約束します。ですので――」


 きり、とロマンサを睨み付ける。

 その瞳には力が揺れ、その圧迫感を感じたのかロマンサは後ろに足を引いた。


「本日はお引き取り下さい。無断でここまで足を踏み入れている事実を責められたくなければ」


 見逃すのは今のうち、と脅しをかける。

 ルカの意識に同調したのか、風の主とオミも瞳に力を込め、ゆらりと妖気を場に流す。さらにそれに続いて、他の者たちも己の体に妖気を纏わり付かせた。

 これ以上は我慢できぬと、臨戦態勢を見せたところで、ロマンサは首を横に振る。


「……わかった、ルカ殿。こちらとて、王家が出てくるのなら話が変わる。会談の場を整える事をお約束しよう」


 ロマンサの態度が幾分か柔らかくなったようで、ルカは胸をなで下ろした。

 ロマンサが近くの騎士に目配せし、配下の騎士とハチガの部下らしき女性が話し合いを始める。彼らの間で今後の段取りを決めているのだろう。

 ルカもレオンに目配せをしようとしたが、指示を出す前にレオンも彼らの元へと歩み寄っていた。夜咲き峰側の意向は、彼に任せておけば良いだろう。

 そもそもルカたちの都合など何も無い。できれば会談の準備のため、出来る限り時間を稼いで欲しいと思ってはいるが、わざわざ言わずとも彼は分かっているはず。


「ご理解頂けたようで、何よりです」


 ルカはにっこりと笑って、腰を落とす代わりに胸の前に手を重ねた。思うように力の入らないルカには、これが精一杯の感謝の意を示す行為だ。


「会談の日取りなどについては、そこにいるレオンに一任しておりますので、彼を通してお話下さいませ。私とて元はレイジス王国の人間。レイジス王国のためによりよい未来が築けるよう、尽力致しますわ」

緋猿軍が介入して、この場は一旦納まりました。

スパイフィラス領との交渉は二章以降にて。


次回、第一章最終話です。

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