星祭の夜に(5)
「……見えたっ!」
丁度ルカたちが逃げるために皆と別れたその場所。宵闇の皆が新しく集落を作り始めた所に、真白い神殿のような建物が見える。実にわかりやすい目印だと思いつつ、あまりに素早い移動に驚きを隠せなかった。
確かに、かつて鴉に連れられて、王都からスパイフィラス領まで飛んできた時の速さを思えば、当たり前の移動速度なのかもしれないが。
ちらと後方に目を向ける。そこには鴉を抱えたロディ・ルゥが山猫の首根っこを捕まえた状態でついてきていた。そういえば、着いてこいと言ったは良いが、飛べない山猫には無理な話だったと、今更ながらに実感する。
文字通り首根っこを捕まれた山猫は些か不本意そうだが、大人しくぶら下がっていた。ここで身を振り回すと確実に落とされるので、賢明な判断と言えよう。
「ルカ、降りるよ?」
オミに声をかけられ、ルカも頷く。木々に阻まれ下の様子は見えない。
ふわりと下降する感覚がおとずれ、木にぶつかるすれすれのラインを飛行する。
奇妙なことに戦闘しているらしき音も声も聞こえない。それが妙に気にかかる。しかしルカには――なんとなくだが――彼らが無事で居ることが分かる気がした。
――皆月が、教えてくれる?
石を通して、皆の妖気の低下が止まったこともなんとなくわかる。ただ、何故こんなにも静かなのか。
現場に到着してようやく、その理由がわかった。
皆、揃っている。
明らかに戦闘の跡はあるのに、誰もが動こうとしない。
地面に平伏せた狼。肩で息をする花梨と琥珀。ルカの顔を見て目を丸め、安堵の息を吐くレオンに、静かにこちらに目を向ける赤薔薇。そして、上弦の妖魔たち。
上弦の誰もが、かつてのロディ・ルゥと同じ様に、その双眸から大粒の涙をこぼしていた。呆然とした顔のまま、ルカの後ろに控えるロディ・ルゥに視線を向ける。
一方で、下弦の皆はルカと共にオミが居ること。そして後ろにロディ・ルゥが控えていることに驚きを隠せないようだった。琥珀などはその反応が顕著で、瞬時に表情が醜く歪む。
しかしルカは首を振って彼を制した。同じように、ロディ・ルゥも上弦の皆に声をかける。
「皆、もういいんだ」
そうして彼は、山猫を乱暴に放り投げた。一方で、鴉を丁寧に地面に下ろしてから、彼はルカに並んだ。山猫が横でぎゃあぎゃあ騒いでいるが、黙殺する。
その光景すら異様らしくて、皆どう声をかけて良いのか分からない。そんな戸惑いを表情に表していた。
「もう終わったんだよ。……わかるだろう?」
ロディ・ルゥはそう告げ、一人一人の名前を呼ぶ。
――セルステア。タチャーナ。ガングリッド。ラージュベル。そして、ミメイ。
その呼び方を聞いて、ルカも、ああそういう事かと悟った。
彼らも縛られていたのか。ルカがロディ・ルゥを縛っている様に。
ずらりと、五つの影がロディ・ルゥの前に並ぶ。傅く彼らは、星屑の光に照らされて、神聖な儀式のように見える。
こうして、この五人は向かい合ってきたのだ。ロディ・ルゥと。
名を縛る行為によるまやかしなのか、それとも長い時をかけて彼らが築いてきた絆なのかはわからない。しかし、五人は皆、ロディ・ルゥに対して確かな信頼を寄せていることだけはわかった。
同時に、ルカが彼の名を呼ぶことで、その関係を壊したことも、悟った。
「……ルカ、どういう事?」
あっけにとられた様子で琥珀が訊ねてくる。
はっとして、ルカは言葉を探した。彼らに逃がしてもらってから、この短い時間の中で何故ロディ・ルゥと和解しているのか。琥珀たちからしたら理解しがたい状況なのだろう。
この状況を的確に、素早く伝える言葉を見つけて、ルカは声にした。
「オミ、私は大丈夫だから狼を。ロディ・ルゥ、上弦の皆のことは頼んだわよ?」
はぁ〜い、と間の抜けた声でオミは狼の元へと飛び、ロディ・ルゥはしっかりと頷く。
けして呼べないはずの名を呼ぶこと。そしてそれに従う白雪ことロディ・ルゥ。
敏い彼らならもう気がついているのだろう。ルカの体の中に妖気と魔力の両方が混在している事が。
ちらと琥珀の方向に目を向けると、驚きで顔を硬直させているのがわかる。花梨も同じように息を呑み込み、レオンはルカから視線を逸らした。そのままぎゅうと瞳を閉じて考え込むような表情を見せる。
ルカはオミの手を離れ、よたよたと一人で立ち上がるがいまいち力が入らない。見てられないのか横からロディ・ルゥがするりと手を出してきた。実にスマートである。
躊躇なくその手をとると、琥珀がカッと怒りに目を見開いた。確かに、未だ許せない気持ちはよく分かる。しかし今、無駄な争いが止まるのであればそれで良いのだ。先ほどの山猫のように、突然攻撃されても困ってしまう。口論も考察も後回しにしたい。
「琥珀、手を出したら駄目だからね。私も分かっていないことが多いのだけれど――全ては後で話しましょう」
一度にっこりと笑ってみせると、腑に落ちない様子を見せながらも、琥珀の顔が元に戻った。彼も自分の心をコントロールするのに精一杯らしく、先ほどからピクピクと、血管が浮き出るかのように顔がいびつになっては戻り、歪んでは戻りを繰り返している。
手招きすると、少し戸惑いの表情と、ロディ・ルゥに対する警戒心をむき出しにしながらも、琥珀は近寄ってきた。そしてルカはロディ・ルゥの手を放し、彼に歩み寄る。
ぎゅう、と抱きしめると、明らかにほっとした顔をして抱きしめ返してきた。
胸に顔を押しつけながら、本当に、ルカ? と聞いてくるから笑う。くしゃくしゃと頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。
「花梨。無事だった?」
「ルカ。私は……」
「ごめんなさいね。いつも綺麗な貴女のお洋服を、こんなに汚れさせて」
「……構いませんの、その……」
花梨と向き合うと、彼女は明らかにバツの悪そうな表情を見せた。
そして小さく、正直助かりましたわ、と声を漏らす。
見たところ、大きなダメージを負っているのはこの二人のようだった。
おそらく大変な戦闘だったのだろうが、レオンが無事で居たことが何よりだった。かなり服装を乱しているし、頬も泥だらけだが、大きな外傷はなさそうだ。
安堵して息を吐いた。しかしボヤボヤしている場合でない事も、ルカは分かっている。全員の目を見渡して、静かに、しかしはっきりとした声で、彼女は訴えた。
「気になることがあるの」
先ほどから感じているプツプツした感覚。少し体内で暴れる力が落ちついてきたらしく、だからこそその違和感のようなものが際だって感じる。
「先ほどからほんの――ごく弱い力がたくさん――移動してきているみたいで。言葉にするのが難しいんだけれど」
上手くは説明できない。同じ感覚を持つ者は居ないのだろうか。
言いようのない不安が夜咲き峰の外からやってくる。そんな気がして告げてみたが、皆は首を傾げる。
「ここよりも東。私も、自分で自分の感覚が正しいのか分からないけれど、でも、何かいるわ。……宵闇の皆も動く気配が無いし」
そう。騒動が一通り収束を迎えようとした今でも、彼らはピクリとも動かない。同じように、夜咲き峰の光も戻ることは無く。
「風様も……」
最後に苦々しく言葉を吐いた。
この峰の異常。結界が消えた原因と、夜咲き峰の花弁が輝かない夜。風の主の身に何かが起こっていることは、分かっている。それに、感じるのだ。ルカの力に対する意識が過敏に動く今なら。
ルカの指に嵌められた皆月の指輪。それに添えられた彼の生まれ石の欠片。そこからほとんど、力を感じないということを。
体が震える。この場は収束していたが、心配事はまだまだ尽きない。 次にどこから手をつけたら良いのだろう。
ロディ・ルゥに話を聞いて、宵闇の村から手をつけるべきなのだろうか。でも、本当は風の主の元へと向かいたい。この胸騒ぎを、どうにかして鎮めたい。
「ルカ」
そうして迷うルカに声をかけてきたのは赤薔薇だった。彼女から何か口にするのは珍しく、弾かれたようにして彼女を見る。
「満月の峰に」
彼女が何を思って、満月を口にしたのかはわからない。ただ、風の主の元へ行けと。そう口にしてくれている。
場を収束する責任を感じてここに来たけれども、ルカはずっと気になっていた。だからこそ、ぎゅっと胸が苦しくなる。
「でも他にも」
「戻りなさい」
強い口調で言われて戸惑う。心の中で、僅かに安堵の気持ちが生まれる。
しかしその言葉は、彼女がルカの気持ちを汲み取ってくれたからではなかったようだ。
「赤薔薇!」
反論したのはロディ・ルゥだった。厳しい視線で彼女を睨み付け、ルカを守るようにして前へ出る。
「ルカ様を、身代わりにする気か?」
身代わり?
何のことを言われているのかすぐには分からずに、ルカは首を傾げた。一方で上級妖魔の皆にはすぐに思い当たる節があったらしい。驚いたように顔を上げ、ルカと赤薔薇を交互に見る。
状況が見えないレオンだけが、ただ“身代わり”という単語にピリ、と空気を張り詰めて、首を横に振る。額に汗がびっしり張り付いているのが分かった。じっとロディ・ルゥや上弦の面々を警戒しつつ、ルカの顔を見つめている。
彼の考えている事くらい、ルカには分かる。きっと、ルカのことを心配してくれているのだろう。
赤薔薇の言にも、ロディ・ルゥの言にも、彼は賛成し得ない。けれど、彼自身もどうすれば良いのか分からなくて途方に暮れている。気持ちばかりが先行している彼に、ルカは首を振って返した。
大丈夫だと、笑ってさえ見せる。
「赤薔薇、私が満月の峰に行って、何とかなるのね?」
「……わからない。でも――貴女の望み。風を。そして峰を」
彼女の途切れた言葉。必要最低限の言葉だけを選び取った赤薔薇は次に視線をルカから外す。
「身代わりになど。させたくないのは私も同じ」
それだけで十分だ。
普段は気持ちを口にすることの無い彼女が、こうまではっきりと意思を示してくれる。それが嬉しくて、ルカは少しだけ気持ちが楽になった。
「三つに分かれましょう」
ルカは、今できる最善を模索する。
「オミ、そして赤薔薇は私と共に満月の峰へ。ロディ・ルゥは上弦の者たちをお願い。宵闇の村は――」
「……宵闇がこうなった原因は分かれど――後先考えてませんでしたからね、私も」
「原因?」
そう言えばそうだった。
いきなり立場が入れ替わった彼のこと、村をこの状態した発端は彼だ。事情を聞くためにも満月の峰まで同行してもらった方が良いかと考える。しかし、上弦の皆をぞろぞろと連れて行くわけにもいかない。それならば――と考えたところで、赤薔薇から声が掛かった。
「ルカ。私が説明する。早く向かいましょう」
どうして赤薔薇が、と思ったものの、すぐに合点する。彼女はずっと走り回っていたのだ。上弦の者のことを探るために。
「……わかった。ありがとう。では、ロディ・ルゥは上弦の者たちと宵闇の村に。全体を把握して報告を。……山猫。鴉と狼をお願いね」
「ん。わぁってらい」
「ありがとう。……それからレオン、琥珀、花梨。皆には向かって欲しいところがあるの」
プツプツとした感覚。
その正体――最悪の事態を想定して、ルカは言葉を発する。
きっとこれに対処できるのはレオン。それから、アヴェンスへ買い出しに行っていた下弦の者たちだけだ。
「ここから東。結界のごく近くに、弱い魔力を持った者たちが複数移動している」
そこまで告げて、レオンが目を丸くする。
まさか、と呻くように声が漏れた。
「人間。――おそらく、軍隊よ」
大集合です。
今回は戦闘にならずにすみました。
ようやく風の主の元へと向かえます。




