星祭の夜に(4)
「……ロディ・ルゥ」
ルカは目を伏せた。白雪――ロディ・ルゥはルカの手を取ると、恭しくそこに唇を落とす。
いつの間にかルカの心をとらえて離さなかった甘ったるい匂いも、どこかへ消え去っているようで、ほっと胸を落とした。
安心したと同時に、体中をぐるぐる取り巻いていた魔力のような妖気のようなものがおさまっていく。指輪から徐々に光も失われていき、夢のような大小様々な光が飛び交う空間も落ち着き、いつの間にか転移の広場が見えるようになっていた。星祭の星屑だけが相変わらずふよふよ漂い、しん、とした静寂が押し寄せる。
そうして、ほう、と息を吐いた瞬間、ルカは膝から崩れ落ちた。
「――!?」
「ルカっ!?」
慌てて、ロディ・ルゥと、鷹ことオミが手を差し出す。ぐったりとしたまま二人に支えられ、ルカは大きく深呼吸した。
「……体に力が入らない」
「慣れない状態なのに力を放出しすぎだよ、ルカ」
「……だってぇ」
感じたことの無い類いの疲労感に襲われて、ルカは肩で息をする。今は二人に支えられているが、少し休めばまた立てそうではある。くてりと身を預けて、ルカは顔を僅かに上げる。
何らかの力が体の中を暴れ回っていたのがわかる。まだまだ力はたくさん残っているようだが、体がついて行っていないらしい。一気に放出をした反動で、節々が一切の活動を拒否しているようだ。
「動けない」
「……しばらくこうしていなよ、僕のルカ」
「やめてよ気持ち悪い」
そうだった。オミってこんなのだった。と、ルカは全力でため息を吐く。
最近寝てたし放置していたからすっかり忘れていたけれど、彼が起き上がったと言うことは終始この調子で腰に纏わり付いてくるのだろうか。いくら遁甲していても、気持ち悪いものは気持ち悪い。
いっそ、真名で縛った権限で、巻き付くなと言ってやろうか。しかしそれはそれで、超絶落ち込んで余計にちょっかいかけてきそうだから面倒だ。
しばらく接していなかったため、折角身につけていたスルースキルを失っているようだ。はやいところ慣れなければと心に刻みつつ、ルカは鴉の方へと目を向ける。
「――鴉、大丈夫?」
ルカの声に、ロディ・ルゥもはっとする。灰色の瞳を僅かに揺らし、視線を逸らした。そして、彼は涙でべたべたに濡らした頬を拭う。
名を縛ることで彼の心境にどんな変化があったのかはわからない。先ほどまで傷つけていた鴉を心配する気持ちがあるのだろうか。ぎゅうと目を閉じると、ルカをオミに預け、鴉の方へと歩いて行く。
う、と、呻き声を出す鴉へと、手を差し出した。
鴉はと言うと相変わらず力が入らないようで、そんなロディ・ルゥを見上げるばかりである。仕方なしと言ったように、ロディ・ルゥは鴉の体を起こした。そして小さく、何かを耳元で呟いていた。
「……っ」
鴉はその小さな瞳を僅かにふるわせて、ロディ・ルゥを二度見する。しかしロディ・ルゥは薄く笑みを浮かべ、彼に肩を貸すようにして鴉を起こした。お互い顔を見合って、息をつく。とりあえず、この場を無事に収めることが出来たようで、ルカは胸をなで下ろした。
しかし、そう悠長にも言っていられないらしい。
突然けたたましい足音が聞こえてきたかと思うと、間髪入れずに大きな怒鳴り声が森に響き渡った。
「……っ! 白雪っ!!!」
弾かれたようにして、声の主を見た。深い森の中からその者は全力で駆けてきたらしく、草むらから突然現れたかと思うとロディ・ルゥに突進する。
「今、何をしやがったっ!!」
おおおおお! と大きく振りかぶって差し出したその者の拳を、ロディ・ルゥは何と言うこともなく、するりと避けた。
「うぇっ!?」
全力で空振りし、勢いづいたままその男――山猫は地面に転がった。相当な勢いでの転倒ぶりで、随分と痛そうだ。現に、ぴくぴく動く両耳を押さえながら、山猫は「痛ってぇー!」と転がっている。尻尾がぴーんと張り詰めており、相当御立腹の様子だが、それは自業自得と言うものだろう。
「山猫!」
この状況で無事であることに安堵して、ルカは彼に声をかけた。
「嬢ちゃん! お前は下がってろい!」
「え!? ちょっと待ってってば、山猫!」
むくりと起き上がった山猫に、止まる様子はない。むしろロディ・ルゥ相手に武者震いをしているようで、舌舐めずりしながら構え直す。
ーーそういえば、山猫ってば、戦闘好きだったんだっけ?
彼よりもよっぽど好戦的な仲間に囲まれているため忘れていたけれど、以前、狼に対しても闘志をメラメラ燃やしていた山猫だ。相手が上弦の峰筆頭ともなれば、その好戦意欲は計りしれない。
「もういいんだってば、山猫」
呆れるように制するが、山猫は問答無用に振りかぶって再びロディ・ルゥにつっこんでいく。しかしロディ・ルゥは、いともあっさりとその攻撃を避け、彼の首根っこをひっつかんだ。
「やめろっ、はなせっ! 何しやがるっ!」
宵闇の仇、と言わんばかりに憎々しげな瞳でロディ・ルゥを睨んでいるが、ルカにとってはもう終わったことだ。子猫がきゃんきゃん騒いで時間を無駄にするのも嫌なので、さっさと否定しておきたい。
「山猫、もういいんだって」
「だけどなっ、嬢ちゃんっ!」
「こっちはもう、片付いたの! ちょっと冷静になりなさいよっ」
しかし、血が上りきった彼になかなか言葉が届かなくてもどかしい。歯がゆい思いをしていると、ルカの気持ちを汲んだように、支えてくれるオミがにっこりと微笑みを浮かべる。
「そんなだから馬鹿猫なんだよ? 馬鹿猫」
「なんだって!? ……って、あれ?」
一瞬血が上りきったまま声を荒げるが、鷹の姿を目に映し、そのまま固まった。
「……鷹?」
二人に面識はあるらしい。目を丸めたまま、山猫はオミの頭のてっぺんから足の指先まで目を通す。
「……相変わらず奇天烈な格好してんなァ」
そのだいたい肌色の彼に毒気を抜かれたように呟いた。……なるほど、オミの五分の三裸には相手を正気にさせる効果も見込めるらしい。
「……って、えっ。瞳、どした? うぇっ!?」
次にオミが瞳を開いていることに対して混乱が押し寄せてきているらしく、山猫は目を白黒させている。
“白雪”どころじゃ無くなったことを、ロディ・ルゥ本人も理解したのだろう。彼を押さえる手を緩め、代わりに鴉を起こした。
「ルカ様、馬鹿に構ってても仕方ありませんので。先を急ぎましょう」
「え? 白雪何言って……何? 何なの? どういう状況? ちょっと俺に説明しろい!」
「馬鹿は放っておきましょう。まずは上弦の者を止めないと」
ロディ・ルゥがルカに対して至極丁寧な態度になっていることに度肝を抜かれたらしい。まあ、それはそうだろう。彼の対応が豹変したのだから驚くのも無理はない。
彼の主に当たるルカも、困惑する気持ちがないではない。しかし彼のこの態度がポーズではなくて、心からの敬意であることを、ルカの本能が知っている。名を縛る、というのはこう言うことなのだろう。
それに、今は悠長にしている場合ではないのだ。混乱する山猫のことは置いておく。事態の全体像を把握するのも後で良い。
「……そうね。オミ、連れて行ってもらって、いい?」
本当は風の主の元へも向かいたい。しかし、下弦の者と上弦の者、彼らがまだ争っているのであれば止めないといけないし。それに、村の皆の様子も気になる。
結界。宵闇の村。上級妖魔たち。気になることは数あれど、まずは確実に手を出せるところから塗りつぶすことしか、今はできない。
「ルカ……! 僕の名を呼んでくれるんだねっ」
横で感極まったようににへらとしている変態から目を背ける。ルカの緊張感を粉々に崩し去る彼に呆れて、ものも言えない。彼の肌に触れていることも非常に不本意な気持ちになってきたが、今は考えないことにする。
さくっと聞こえないふりをしつつ、ルカはロディ・ルゥ達の方を見た。
「ロディ・ルゥ、鴉をお願いできる? 山猫、出来ればついて来てくれると嬉しい」
皆で頷き合い、転移の広場を後にする。
ルカ自身、かなり安心した気持ちになりはしたが、まだ油断出来ないのだ。
気になる気配がある。以前からオミの存在だけは不本意ながら感じてはいた。
それに加えて先程、オミにより魔力やら妖気やらの弁が空いたようになってから、周囲の気配が勝手に流れ込んでくる。これが先程からルカの神経を逆撫でしてくるようだった。
ーー小さな、プツプツが沢山あるみたい。
ルカは、その感覚を上手く説明できない。今まで感じたことのないものを、改めて言葉にすることの難しさを知った。
不安で、表情をしかめると、その気持ちがオミやロディ・ルゥにも伝わったのだろう。
オミが目を細めて、小さく「飛ぶよ」と告げた。次の瞬間、ルカの身体は浮上する。
彼はいつもルカに負担をかけないように手加減して飛んでくれていたように思う。なのにこの時ばかりは、未だかつて経験したことのない風の強さを感じた。
ルカにとって新しい力は“異文化”です。
感覚を言葉にすることの難しさを感じました。
次は下弦と上弦の争いです。




