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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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星祭の夜に(3)

 ――本当の、名?


 問われたところで、脳内に薄い膜が張ったような気がして、答えにたどり着けない。

 彼は何のことを言っているのだろうか。ルカは、ルカだ。ミナカミ家の娘、ルカ・コロンピア・ミナカミ。それ以上でもそれ以下でも無い。

 なのに、まるで本当の名前が別のところにあるような――とまで考えたところで、思考が動き出す。


 ルカは知っている。

 その本当の名――真名の、示すところを。



「私の本当の名はルカ・コロンピア・ミナカミ」

「――そうじゃないだろう。それはただ、人間がつけた記号にすぎない」

「いいえ……」


 それだけは、否定できない。


「私は、ルカ。レイジス王国緋猿将軍の娘。ルカ・コロンピア・ミナカミ……!」


 大好きな父がつけてくれた名前だ。ルカは。ルカだけは否定してはいけない。

 とろとろと、白雪の思考に染まっていっていた脳が動き始める。自分の名前を呼ぶだけで、こんなにも、自我を支えることが出来るとは、思わなかった。

 人間というのもまた、名前に誇りを持つ生き物なのだろう。

 ミナカミ家の一員として、魔力を持ち合わせずとも認めてくれた家族が居るのだから。


 ――名がこんなにも、力を持つだなんて……!



 キッ、と、白雪を睨みつけた。彼のものになどならない。そう自分に何度も言い聞かせる。

 思いの外取り込むのに時間がかかったからか、白雪は不愉快そうに顔をしかめた。逆らうのか? と、脳に直接話しかけられる。

 彼へと縛り付ける鎖のような妖気が、ルカの意識内で視覚化された。全身を縛り付けるような灰色の鎖。何故それが見えるのかはわからない。だが、その鎖は容赦なくルカを締め上げた。


「うっ……!」


 実物でないそれが、ルカの肌を切る。

 亀裂のように入った肌の裂け目から、ありえない量の血飛沫が舞い散った。


「……ルカっ!」


 後ろから、動けない鴉の悲鳴があがる。身を切り裂く痛みより、その叫びの方が余程、胸に響く。



「やはりね……」


 一方で、白雪は歓喜の声をあげた。つう、と流れるルカの血をすくい取っては、僥倖でも出会ったかのようなうっとりとした笑みを浮かべる。


「君は、自分の血の色を見たことがあるかい?」

「え?」

「君がーー君という者が、唯一無二である証拠さ」


 れろりと。白雪は人にあらざる先のとがった舌を見せる。青みがかったその舌で舐めとったのはルカの血。

 その色ーー紫。


「……」


 ざわりとした。

 脳裏に蘇るのは、風の主の言葉。


『其方は人間として非常識ではないのか。妖気でなぜ体が動く』


 なぜ妖気で体が動くのか、だって?

 そんなことが、あるのだろうかと、ルカは震える。

 しかし、おかしいとは思っていたんだ。魔力も妖力もない空っぽの器でーー何故生きてこられたのか。

 ルカの予測が間違っていなければーーいや、今まで、ずっと妖魔のことを調べてきたルカだからこそ、直感的にわかる。


 妖魔の血の色は青。それに満たない紫の血。それはすなわちーー。


「妖魔の血が……混じっているとでも?」


 この体を構成する半分に。

 ルカに流れる血の半分に。


「ーーそれがどうしたって言うの?」




 ルカは瞳を閉じた。

 じわりと、心に熱いものがわき始める。

 先ほどまで感じていた、白雪への想いとは異なる、別の熱さ。

 それと同時に、ルカの指に輝くレイルピリアが、光を放ち始める。その色、月白。


「私は、ルカ・コロンピア・ミナカミ。それ以上でも、それ以下でもない」


 自分が何者かなど、どうでもいい。

 白雪の思うままになってはいけない。

 皆を、護らなくてはいけない。


 ーーだからこそ、あの人も自分に名前を託してくれた。


 夢で会った。母の温もり。

 人ならざる手をかざし、見守ってくれた。

 そして、闇の中を切り裂く光の鷹を遣わして。



 ――ああ、何故自分が彼の名前を受け入れられなかったのか、ようやく分かった。


 彼の名前、命を背負う事を重荷に思っていた。

 でも、名を背負うことは、彼の命に責任を持つだけではない。


 ルカは受け入れなければいけなかったのだ。夜咲き峰を変えると決意をした時から。この峰皆の命を預かることを。

 変えることへの反発。自身の危険と、それに伴う皆の危険。

 何ひとつ、責任をもつ覚悟なんて出来ていなかった。

 だからこそ、皆を巻き込み、このような事態にしてしまった。

 白雪ごとき、自らの手で何とかせねばならなかったのにーー!



 ルカは前を見据えた。抱きしめてくる白雪に抵抗するように、ぐいと腕に力を入れる。まさか抵抗するとは思わなかったのだろう。白雪も僅かに目を見開き、驚いたような様子を見せた。


 母の使いよ。

 光の鷹。


 ――私は彼の名前を知っている。


 ――きっと、生まれる前から知っていた。


 凜と、真正面から白雪を見据えて、ただ、言葉にする。



「闇を斬り裂け光の鷹! オミ……!!」






 瞬間。ルカを中心に光の風が渦巻く。白雪が残したテリトリーのような銀世界ーーそれを吹き飛ばすかのように、強く、激しく渦を成す。

 それに耐えきれなくなったのか、白雪は数歩、後ろへ退いた。


 星屑がルカの周囲を護るのように、ゆらりと輝きを増す。大小様々な淡い輝きは、ルカを中心にして弧を描き、やがて図面となる。


 それは遠い遠い、昔の文字。今は失われた古代言語。

 人々は祈りを捧げる代わりに彫り込んだ、意味を成さぬ祈りの言葉。月の女神を愛し、自らを捧げると誓約する言葉。


 誰にも読み得ぬ古の祈りを全身に浴びて、ルカは空を見上げる。

 今宵は新月。母なる月は姿をくらまし、地上の生命は自らの命を燃やす。それが、星祭ーー。


 手をかざした。星屑となった命の欠片達。文様となったそれらに触れ、心に刻む。


 深く呼吸し、目を閉じた。祈りの言葉を受け入れると、心に柔らかな風が吹く。



 ーー僕を、受け入れる心の準備は出来たかい?



 その答えなど、聞かなくても分かっているでしょうに。



「出来ているわよ、オミーー?」


「それでこそ、僕のルカだーー」




 腰にくるりと巻き付けられた腕。その色、肌色。

 相も変わらず五分の三の肌を確保した彼は、風の渦の中心。ルカの隣へと姿を表していた。

 両目を覆う目隠しはなく、ルカと同じ金の瞳を輝かせて。



 鷹がつい、と手を上げる。ルカの周囲で輝く文様が一斉に集まり、彼の中へと集約していく。その命を共有するような心地がして、ルカも恍惚と頬を染めた。

 銀世界はたちまち、星屑の光に包まれた夢のような空間に様変わりする。目を奪われるようにして、顔を上げた鴉の顔。彼にふと笑みを投げかけた後、ルカは白雪を見た。


 信じられないと言った目で、彼はふるふると首を振っていた。

 なんて甘い、とルカは思う。目を細め、彼を睨み付けるようにして呟く。


「……これを知ってて、貴方は私を取り込もうとしたのね?」


 どれだけ自分が請われていたのかが分かった。鷹だけで無く、自然界そのものにも。ルカの元へと集約した命の灯りが、歓喜の声を上げているのが分かる。

 ルカ自身、自分の身に何が起きているのかはわからない。

 しかし、母が与えてくれた人ならざる力。使えるものはすべて使う。


「ならば、こうなることも予測できていたのでしょう?」

「……っ」


 白雪の顔が強ばった。

 ルカを取り込む為に、ルカの目覚めを待っていたのは何故だ。――いや違う、彼は待たざるを得なかったのだ。


 宵闇の力を自らに吸収しきるのを。

 ルカの意識を飛ばす香りと魅惑の術が回るのを。

 風の主の力を無効化するのを。

 妖気が最も低下する新月の夜を。


 そうまでしなければ、本来のルカの力を抑えるだなんてこと、出来なかったはずだから。



「私を隣に置いて、貴方は妖気の媒体として使おうとしたのね。永遠に――貴方の思う、妖魔で在り続けるために」


 ルカは前へ出た。

 ひたり。ひたりと白雪へ近づく。


 恐れを成したように、白雪は後ろへ下がろうとした。しかし、ルカへの畏怖に感情を支配され、その足も動かぬようだ。



 ちかり、と、ルカの脳裏にひとつの言葉が舞い落ちる。

 成る程、彼が先ほど、ルカを取り込もうとした方法。ルカの本能がすでに知っていた。

 彼は問うた。ルカの、本来の名を。

 名を呼ぶことで、相手を知り、縛ることが出来る。

 もちろん、名を呼ぶ本人に、その資格があればだけれども。


「悪く思わないでね、白雪」


 ルカは手をかざした。

 ルカの妖気を支えるように、鷹が彼女を支えている。そんな二人に迫られても、白雪は一歩もその場から動く気配は無かった。

 ごくりと、息を呑む。見開かれた白雪の灰色の瞳から、大量の涙が溢れた。

 心が伝わる。



 呼んで。


 呼ばないで。


 縛って。


 縛らないで。



 切望とも言える悲痛な心の叫びが届いて、ルカは笑う。問答無用で、真っ直ぐに彼の瞳をとらえた。


「私、ルカ・コロンピア・ミナカミは貴方を永劫縛ります。白雪の妖魔――ロディ・ルゥ!」



 瞬間、先ほどと同じようにルカの指輪からまばゆい光が飛び出した。

 鷹の瞼に描かれたような古代言語。それがまるで鎖のように光の文様を描きながら白雪を縛り付ける。


 ルカには見えた。その時の彼がまるで、灰色の、雪の結晶のような形をしていたことを。

 彼本来の姿を縛り付け、ルカの胸に刻み込む。灰色の粉雪を心臓に直接叩きつけるような感覚を味わい、ルカも額いっぱいに汗を浮かべた。


 白雪は目を見開いて、声にならない声をあげる。

 歓喜に満ちた産声のようなそれ。

 ルカという枠組に縛られた白雪に対して、手を差し出す。


 そうして祈りの言葉と光を受けた白雪は、自らの肩を抱き、蕩けるような恍惚とした様子で目を細めた。


 光がたゆたう空間の中、ルカと白雪は真っ直ぐ向き合う。

 白雪はその瞳を潤ませて、ほたり、ほたりと雫を流した。


「ようやく、出逢えたのですね」


 白雪は、感無量と言った様子で、言葉をはきだす。

 そして、その瞳にたっぷりと涙を浮かべながら、ルカの手を取り、膝を折った。

 ルカが纏うまるで月光のような輝きを眩しそうに見つめ、彼は頭を下げる。


「我が主よ。ーー未来永劫。貴女の側にお仕えすることをお約束致します、ルカ様」

鷹ことオミの復活。

そして、白雪ことロディ・ルゥを名で縛りました。


まずは、一段落ですが……。

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