五分の三裸の君(1)
「なんだったの、あれは」
ぜえぜえと呼吸荒く、ルカはつぶやいた。
「ずいぶんと気持ちわ――個性的な方もいるのね」
奇天烈露出魔の出現に、すっかりとうろたえてしまったのは、ルカだけではなかったらしい。レオンも顔色悪く、額に手を当てている。
「男の尻を見るのがあそこまで不愉快になるとは……」
「形は綺麗だったけどね」
「……」
ルカがついうっかり感想を述べたところ、レオンに頭を捕まれる。無言でぐりぐりと圧をかけられ、ルカはうめいた。
「うう……」
「おい、アレに二度とかまうんじゃないぞ」
「心からそうしたいと思ってるよ」
「とにかく、ここまで無事にこれて良かったです。こちらのお部屋が、ルカ様のために用意されたお部屋ですわ」
菫は少しばかり安心したように息を吐き、目の前の光の扉を潜る。どうやらこの城、基本的に扉は光の膜のようになってるらしい。
光を潜ると、そこには思っていた以上に広い空間が広がっていた。
大きな天蓋付きのベッドにテーブルやソファ。ベースとなる部分は白い石で出来ているのだろう。どれもこれも花を模したかのような繊細な彫刻が刻んであり、高価なものであろうことが一目で分かる。
更にベッドやソファにはフカフカの布が張ってあり、柔らかな手触りに満足する。奥にはまだ続きがあるのだろう、同じように光の扉が輝いている。
そして何よりも気に入ったのが、入って正面に見える、とても広いバルコニーだった。
「すごい!」
外に面する壁一面がそのままバルコニーにつながっている。
扉と同じように光の膜のようなものが輝いているが、所々にキラキラした粒が見えるくらいで、外の景色が非常にクリアに見えた。
パタパタとそちらに駆け寄る。膜の外に出てみると、先ほど回廊でも見えた森が続いている。
少し離れたところには平地も広がっているようで、目をこらすと、いくつか人間の街や集落も目にすることが出来た。
「んー、あれはスパイフィラス領よね? 方角からして、アヴェンスかしら……?」
「規模が大きいな。そうかもしれん」
レオンも現在位置を確認しているのだろう。目印になりそうなものを探しているようだ。
「この城のお部屋はどれも大きなバルコニーがありますのよ。少しはお慰めになりますか?」
「なるなる!」
「それはようございました。お部屋を案内しても?」
「うん、よろしく」
頷くと、菫が中に入るよう促す。
主な部屋に備え付けてあるものやら、部屋の奥に続く小部屋について一つ一つ解説してくれる。そして出た結論としては「今のところ、何もない」という事だった。
部屋の奥には、小部屋がいくつも連なっていた。しかしそれらは基本、妖魔の眷属のものらしい。
上級妖魔は自分の妖力でもって、側に仕える者を生み出しているらしく、そんな彼らのために誂えられた空間だったようだ。もちろん、ルカには眷属などいないわけだが。
「とりあえず、奥の部屋はレオンが自由に使っていいんじゃないの? いくつか書斎用にあけてくれると嬉しいけど」
「そうだな」
「菫は? 今までどうしていたの?」
「私は、実は宵闇の村の出でして。どなたかにお仕えするのは初めてで……先日、こちらの奥の部屋を一つ賜ったばかりです」
「なるほど。じゃ、それはそのままで良さそうね」
うんうん、とルカは満足そうに頷く。
予想以上に広い空間が用意されていて、夢が膨らむ。研究用の資料と妄想用物語を山ほど積み上げるための書庫。それを何部屋作ってもまだ余裕がありそうだ。によによしてしまうのも無理はないと言えよう。
どうにかしてローレンアウスから自分の荷物を運べないものかと妄想を膨らませる。
一方で、レオンの方は芳しくない様子だった。難しそうに視線を落とし、額に手を当てる。これは彼が何か思い悩むときの仕草であることを、ルカはよく知っていた。
「どうしたの、レオン?」
「まずいな」
「何が?」
「この部屋だ。足りない。何もかも……」
絞り出すようにして、つぶやく。
まさか不満が出るとは思っていなかったのだろう。菫は不思議そうに目をぱちくりした後、思いついたように声を上げる。
「もしかして、お洋服ですか? それは大丈夫です。ルカ様のサイズが分からなかったので……いくつかは、すぐにでもサイズを直せるよう準備致しておりますし、新しいものもすぐに誂えさせます」
「や、そうじゃねえんだ」
菫の言葉に、レオンは首を振る。一体何を不安がっているのだろうか。ルカも分からずに、首をかしげた。
「お嬢様、お前、このままじゃ生活できねえぞ」
「えっ……、ど、どう言うこと?」
「キッチンがない」
「ん?」
「キッチンがなければ、トイレもない。風呂も。洗面台も。寝具以外の用具が一切そろってない」
「……あ」
そうだった、と、ルカは思う。
基本的な生活用の家具は、史料と一緒に王都に全て置いてきてしまった。というより、持ってくることなど出来よう筈もなかった。本が意識の先に出てきてしまい、生活することなどすっかり忘れてしまっていたが、レオンの言うことはもっともすぎた。
もちろん、ローレンアウスにいる頃は、こちらの環境が見えなかった。十分すぎるほどにありとあらゆる準備はしていたし、あの場に迎えが来ることもわかっていた。内密に、王宮の一室にまとめさせてもらっていたのだ。実際、身一つで攫われてきてしまった訳だが。
それでも風の主には、生活に不自由のないよう一通りのものは揃えられている、と聞いたはずだった。しかし寝具以外に何もないというのは、一体どういった事だろうか。
「ええと……」
菫に視線を向ける。レオンからも、説明を求める目を向けられているようで、菫は驚くように目を丸くした。
「何が、足りていないのでしょう? 水でしたら、すぐご用意できるようにと水宝珠は備え付けられていますよ?」
「ん? そうなのか? それはありがたいが、全く足りん」
「あの、よく話が……」
レオンの攻めるような口調に怯えたのか、菫が瞳を震わせる。なるほど、先ほど果敢に武器を片手にしていたものの、菫はそこまでの武闘派ではないらしい。来て早々、いきなり戦闘に巻き込まれたため、妖魔はすべて武闘派だと思い込んでいたのだが。
「例えばだがな。俺が主にお茶を淹れたいと思う。どうすればいい?」
「……お茶、ですか?」
菫は、何を言ってるのか分からないかのような顔つきで、首をかしげる。
「そうだ。食事するときはどうだ? どこかに厨房があるのか? 食器はどう管理すれば良い?」
「……食事……ですか?」
「うん?」
愕然とした。根本的なところから、人間と違う生き物だと言うことを実感する。
「まさか、食事の習慣、ないとかないわよね?」
恐る恐るルカが尋ねてみると、菫はオレンジ色の瞳を揺らして、目を伏せる。
「申し訳ありません、私にはわかりかねます……」
「う、ええ」
「本気で言ってるのか」
途方に暮れたのはルカだけではない。レオンからもまるで悲鳴のような声が漏れる。
ルカたちはそもそも人間だ。本日の糧が無ければ、明日を生きていけない。後回しに出来るような問題ではない。つまりは夜咲き峰で活動をはじめる前に、自分たちの生活環境を整えることを最優先しないといけないようだ。
「すまない、お嬢様。風呂とか洋服の問題を後回しにしてでも、生きる手段を考えねばならんようだ」
「大丈夫。全面的に同意するわ」
レオンと二人で、視線を交わし合う。
そもそも、連れ去られたのは昨日の夜だ。時間にして半日以上経過している。正直に言うと、ルカの腹はすでに空っぽだった。
「菫、森に降りる手段はあるか? 狩りをする。できれば、弓のようなものもあると助かる」
「森ですか? すみません。上級妖魔の皆様なら、飛行や遁甲で簡単に降りることも可能なのでしょうが。私には……」
そう告げて、菫は益々自信なさげに表情を曇らせた。
まとめると、こういうことだろう。峰を降りたければ、自力で頑張れ。
ふとバルコニーの方向を見やる。森ははるか麓だ。ちなみにここは断崖絶壁。どうにもならない現実に、うめいた。
「私、流石に饑餓で死ぬとは想定してなかったわ……」
「死なせるか、この、馬鹿」
一喝して、レオンは菫を見やる。
「おい、まずは環境を整えるとか言う大嘘つきやがった風の主に訴えるぞ。空腹で倒れるなぞ、みっともない真似させられるか!」
「はあ、仕方ないわね」
ため息をつきつつ、ルカも賛同する。その時だった。
「あー、いい。いい。僕が行ってあげるよ」
突然声が響いて、ルカは目を丸める。
驚いたのは、声が聞こえた方向だ。自分の真下、いや、腰のあたりから聞こえてこなかったか。聞こえてこなかったよね。いや空耳だろう。いそいそと神に月にと祈りつつ、嫌な予感を全力で振り払って、ルカは自分の腰を見た。
「貴様!」
レオンの怒鳴り声が聞こえてきたのも同時だ。
何の冗談か。冗談なら良かったのだが。声の聞こえてきた腰まわり。いつの間にやらそこに巻き付くように引っ付いていたのは、他ならぬ五分の三裸の君こと鷹だった。
鷹のストーキングは続きます。