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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
49/121

静寂な村(1)

 いつも通りの朝だと思っていた。

 目が覚めると、部屋には美しい花が飾られていて、菫がにっこりと微笑んでいる。

 最近は宵闇の復興も進んでおり、彼女の表情から曇りが消えた。病人の介抱も花梨たちに任せられるようになってから、菫もよく下弦の峰に残ることになった。ルカたちの生活環境を整えるのと、鷹の世話だってある。彼女にお願いできるなら、非常に心強い。


 風の主と朝食を食べて波斯や雛を預けて後、皆と合流して宵闇の村へ。

 赤薔薇は相変わらず姿を消していて、他の上級妖魔たちにレオンを加えた状態で、例の集落を目指す。最近ではどんどんと豊かになっていく村の様子が嬉しくて、ルカも皆に会うのを楽しみにしていたというのに。


 なぜだろうか。

 誰ひとりとして、眠りについたまま起き上がらないのは。





 その異常な光景を見て、口を閉ざしたのはルカだけではない。

 誰もが目を瞠って、目の前の状況を読み解こうとしていた。トイレを中心に作り込まれた建物たち。

 あれからこつこつと建築を進めて、はや四週以上が経とうとしている。トイレだけでなく資材置き場、共同の食堂、住居も順番に作り始めて、村が形になりつつある。

 それらの建物はそのままで。もちろん、住人も至る所に立ってはいる。


 そう、ただ、立っているのだ。

 まるでいつかの赤薔薇のように。眠りから覚めぬ、妖魔のように。



「これ、は……」


 ルカの口からぽろりと言葉がこぼれた。ふらふらと前に進んで、一番近くの妖魔に触れる。

 確かに、いつも通りの彼らがいる。しかし精神だけぽっかりとどこかに行ってしまったかのように反応しない。ねえ、と揺さぶってみるが、一向に返事もない。


「……ルカ、待て。不用意に動くな」


 後ろから鴉に肩を掴まれる。振り返ると、鋭い眼光のまま鴉が何かを唱えた。とたんに黒の羽根が周囲に舞い、ふわりと風に包まれるような感覚に覆われる。

 ふと彼を見上げると、黒の大きな翼を生やして、ルカを覆い隠してしまった。


「鴉、お嬢様を」

「わかっている、レオン」


 二人で頷き合って、身を寄せる。鴉とレオンが背中を合わせ、周囲を警戒しているようだ。花梨や琥珀も緊張した顔つきになり、どうやら妖気を集中させはじめていた。



「琥珀、気がつきまして?」

「……変な空気だね、ここ」

「?」


 ルカにはまったくわかり得ないことを、彼らは共有している。きょとんとした顔でいると、鴉が小声で説明してくれた。


「若干だが、妖気が吸い取られているようだ」

「え?」


 何に、かはわからない。ただ、明らかなる異常事態が起こっているらしく、誰もが表情を強ばらせて、視線を動かす。




「花梨」

「わかっていますわ、琥珀」


 琥珀の呼びかけに、花梨は一歩前へ出た。そして両手を天に掲げ、空中から何かを取り出す。

 淡い色に輝く、果実のような石。それは生命力に満ちあふれているかのように、キラキラと光を発していた。

 それを見た瞬間、妖魔の事情に詳しくないルカですら、ピンときた。



 ――あれが、花梨の生まれ石。


 花梨が果実に触れた瞬間、光の蔓のようなものがたちまち伸びてゆく。

 地面を這い、宙を飛び、まるで大樹が育っていくように、枝分かれし、葉を生い茂らせた。やがてそれは宵闇の集落をすっぽりと包みこむ。光の膜のようになったのち、空気に消えてゆく。


「……きれい」


 初めて見る大規模な妖術に、ルカは目を奪われた。ドレスや装飾などを作る様や、ちょっとした攻撃・防御妖術は見たことがあったのだが、このようなものは初めてだ。

 植物のような光は、ルカたちが作り上げた村をすっぽりと囲ってしまい、直感的にこれが結界のような役目を持つ事がわかる。


「私とて、ぼんやりと日々過ごしていたわけではないですのよ」


 にこりと誇らしげに花梨が笑った。

 彼女曰く、日々宵闇の村へ訪れ皆の介抱をしながらも、狼たちの襲撃を警戒し、周囲に防壁の妖術を施していたらしい。ルカが気楽に日々を過ごしている中、上級妖魔は上級妖魔らしく、環境を整えるのに余念が無かったとか。

 本当に全く気がつかなくて、ルカは感心したように声を上げた。同時に、周囲が呆れたように苦笑いを溢す。



「ルカは本当にぽややん娘ですからね」

「そうだね。護る方も大変だよ」


 次は琥珀が前に出る。右目をぎゅっと手で覆い隠したかと思うと、離した瞬間、その目が鋭く輝いた。

 じっとその瞳を見つめると、まばゆい光のその奥に、黒く小さな核のようなものが見える。こちらもルカは理解した。琥珀の生まれ石は、彼の瞳の中にあったらしい。


「上乗せするよ、花梨」

「ええ、頼みましたわ」


 琥珀は集中するかのように目を伏せ、ふわりと体を宙に浮かせる。右目から光の糸のようなものを引き出し、まるで蚕のようにくるりと彼の目の前で纏め始めた。

 今度はそれをまるで、ペンで引っかけるような動作をして、彼は宙に文様を描いていく。光の糸はインクのように形を変え、空気上に文字のようなものを描いていった。



 この文字を、ルカは知っている。

 おそらく、今よりも少し昔。三百年ほど前に使用されていた――歴史を学ぶ際は必ず習得するべき古語。言い回しは現代語と大して変わりは無いが、一文が長く、細やかな禁則処理・約物の表記が今とは違う。

 書かれているのは自然界と、月への祈りの言葉。そして石への誓いの言葉。堅固なる意思を持って、守り抜くという意思を言葉にかえて。

 結びの点を打った瞬間、その光は絹糸のように細やかな線になって、四方へと飛び散る。先ほどの花梨が生み出した膜へ絡みつくかのように伸びていき、そして空気へと溶けてゆく。



「ふう」


 大仕事をしたかのように大きく息をついて、琥珀も朗らかに笑った。


「とりあえず、だけどね。もし上弦の奴らの仕業なら、ここには近づけなくなるはずだよ。でも……」


 そう言った瞬間、琥珀の顔が醜く歪む。

 びきびきと、まるで血管のようなものが浮き出るかのように、顔のあちこちに脈が走るような。

 表情、とは言い切れないほど、顔の造形からして歪んでしまい、彼が物理的にも自分とは異なる存在であることを、ルカは実感した。


「動いている気配が、二つあるね?」



 どうやら、すでにこの結界内に入り込んでいる者がいるらしい。中に居る者には今更二人の防御壁は意味を成さないようだ。


「二つとも近づいて参りますわ」

「ふうん、良い度胸してるじゃないか」


 花梨と琥珀が睨みをきかす。レオンと鴉がジリと背中を寄せ合い、ルカも鴉の懐へ身を寄せた。

 鴉の体がピクリと動いて、肩に手を回してくる。そのまま、ぎゅう、と抱え込むように力を入れられた。かなり慎重になっているようだ。



「来ます!」


 一つの気配が近づいたらしい。花梨の視線の先を、皆が凝視する。

 しかし、茂みの方から現れたのは見慣れた三角の耳。ぴょっこりとそれらを動かしながら飛び込んできたのは、焦った形相の山猫その人だった。

 とたんに、最高にまで達していた周囲の緊張感が僅かに緩んだ。


「ルカ! なんだ、これは!?」


 彼自身もかなり混乱しているようで、ばたばたとこちらへ駆け寄ってくる。

 ルカたちの周辺妖魔も動きそうに無い様子。この状況を他の場所でも見てきたらしく、焦りを露わにしながら彼は状況を報告した。


「やばいぞ。今朝、目が覚めたらもうこの状態だったんだ。向こうの方まで、誰ひとり動く気配がねえ!」

「朝から? このあたりは見回ってくれたのね」


 現れたのが山猫であったことにほっと胸をなで下ろして、ルカは少しだけ鴉から離れる。とは言っても鴉の方は、肩から手をどけてくれる様子はないが。


「トイレも、その先も。全滅だ。って……琥珀様!?」


 明らかに形相が違う琥珀に目を向けて、山猫も目を白黒させた。浮き出た脈が異様で、明らかに彼が怒りに猛っていることが一目でわかる。



「……なんなんだ一体?」

「多分、この状態が、気に掛かってるのよ」


 ここ最近、宵闇の村の者たちともすっかりと打ち解けていたように思う。彼の手伝いとして一心に働きまわる者たちを無碍にするような琥珀ではなかったということらしい。

 下級妖魔たちを馬鹿にする節がある彼だった。しかし、こんな非常事態になって改めて実感する。少しずつ、彼の世界は広がろうとしているのだ。益々、宵闇の皆をこのままにしておく訳にはいかない。



「周囲の状況を把握しないと。花梨、もう一つの気配って言うのは?」

「ええ。この感覚は……待った方が良さそうですね。ここに近づいてきているようですわ」


 そう言って、花梨は山猫が来た方向とはまた違った――南の方角へと視線を向ける。それに続くようにして、皆が体を南へ向けた。

 周囲の妖魔だけは数多いのに、誰ひとりとして話さない。異様な雰囲気の静けさに、体が強ばる。しかし、それも僅かな間のことだ。

 ガサガサガサ、と、向こうから草をかき分けるような音が聞こえてきて、ぎゅっと拳に力を入れた。

 鴉の手にも再び力が入り、皆、いつでも戦闘に入れるかのように身構える。


 そして、大きな影が飛び込んできたと思いきや、直ぐに叫び声を上げた。




「小娘! お前、一体何をした!?」


 怒りに猛った表情で飛び込んできたのは、狼。ごわごわの尻尾も耳も、ピンと逆立てている。筋張った筋肉が彼の緊張感をあらわにしていて、真っ直ぐにルカを睨み付けては、声を荒げた。


「皆を病にかけるだけじゃ気がすまねえのか!? ここに妖魔を集めたのも、村をこんな状態にするためか!?」


 あちこちに立ち尽くしている妖魔たちに視線を向けつつ、吐き捨てるようにして言った。

 しかし、流石に手は出してこないようだ。ルカの周囲には上級妖魔が何人も控えている。たったひとりでは勝ち目がないことくらい、わかっているのだろう。


「ちょっと待って、狼! 聞きたいのはこっちの方よ! 今こちらに来たら、みんなが動かないの」

「とぼけるなっ」

「とぼけてなんかいないわっ」


 ルカも声を張る。

 狼ですら、この状況に混乱しているらしい。一瞬彼の関与も考えられたのに、違っていたのだろうか。


 目的が見えない。しかし明らかに張り巡らされた糸のようなものを感じて、ルカは冷たい汗をかいた。のんびりとしていた昨日までとは打って変わって、気を緩められない状況に陥っている。

 このままこの周囲の様子を見るのか。それとも、一旦風の主へと報告をすべきか。



 悩んだところで、体の奥底で、とくん、という揺れを感じた。

 胸のあたりに、直接働きかけるような緩やかな振動。

 何? と思ったけれどもそれは一瞬のことで、たちまち感覚から消え去ってしまう。


 恐怖でぶるりと体が震えた。

 とたんに、明らかに強ばった顔をしたらしく、鴉が上から声をかけてくる。


「案ずるな。狼ひとり、たいしたことはない」


 どうやら狼に恐怖したと勘違いされたらしいが、ぎゅっと力を込めてくれる彼の手が心強い。

 震える心を奮い立たせて、ルカはなんとか前を向いた。



「ええ。……まずは、冷静になりましょう」

異常事態です。


引き続き、村の様子を見守ります。

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