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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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希望の芽吹き(1)

 ぐるぐると。鼻歌交じりに大鍋を混ぜ続ける。

 花の一族の集落にほど近い、森の一角。少し開けた場所を陣取って、ルカはここぞとばかりにスープをかき混ぜ続けた。


 本来ならばけしてレオンに触らせては貰えない類いの手伝いだが、今日は特別である。猫の手も借りたいとはよく言ったもので、下弦の者だけでは到底手が回らない。そのうえ、護衛が必要なルカが動き回るのを阻止する都合もあり、位置固定の調理係に任命されたわけだ。



「うっふんふふ〜ん」


 混ぜるくらいならルカにも出来る。むしろ、料理だってしたことないわけではない。単に、レオンがルカの手を煩わせるのを極端に嫌がるだけで、ちゃんと作れる才能は持ち合わせているはずである。

 とにかく、日常ではなかなか触れられない立ち位置にご機嫌なルカは、うきうき肩を弾ませつつ、鍋をかき混ぜ続けた。



 遠巻きに視線を感じるが、気にすることではない。

 はじめて宵闇に来た時は襲ってきた妖魔たちも、随分と大人しくなったものだとルカは思う。というより、彼らにはもう、襲いかかる気力も体力も無いように見えた。


 ルカの近くには琥珀が少々不機嫌そうに控えている。

 最初は張り切っていたものの、いざ宵闇を助けるという段階になってみたら、彼なりに戸惑いのようなものが出てきてしまったらしい。ルカを襲った彼らを目の前にすると、少なからず憤りを思い出してしまうとか。だが、そんなことは当然無視だ。

 宵闇の者に良い感情を抱いていない琥珀を放置していても危険なだけなので、彼は直接ルカが見守ることにした。というより、ルカの護衛を大義名分に、彼女から離れさせないようにしただけだが。何かがあってもルカがフォローできる。その位置にいて欲しい。



 赤薔薇は相変わらず独自に動き回っているらしい。彼女のことは相変わらずまったく掴めないが、ルカの為に動いてくれているであろう事は予想できる。

 鴉もルカ周辺の警護に力を入れてくれるし、レオンと菫、山猫は勿論看護のために奮闘しているわけで。少々意外だったのが――




「見て見て! ルカ! いかがでしょう?」


 満開の笑顔を咲かせて、この鬱蒼とした森の中にまったく似つかわしくない女性がひとり。

 いつもは華やかウェーブに巻いている髪を、きゅきゅっとお団子スタイルに変え、彼女を彩る宝石は、白の控えめなレースに姿を変えた。マーメイドスタイルで体のラインを綺麗に見せていたドレスすら、今日は膝丈のシンプルなスカート。そしてまさかの白エプロン!

 彼女なりの看護スタイルをキメにキメて。病人たちの間で明らかに浮き立った笑みでくるりと回転してみせる。

 エプロンとスカートがふわりと舞って、華奢で可憐な印象をまき散らしまくっていた。


「似合う似合う! すっごい可愛いよ、花梨」


 何度目かわからない台詞を吐き出す。

 まさかこんな事になるとは思っていなかった。花梨がぶっちぎりでやる気に充ち満ちているとは……。


「たまには控えめな女子をアピールするのも、大事ですものね」


 うっふん。と、満面の笑みを浮かべ、花梨はポーズをとる。足を揃えて、片手を頬に添えて小首を傾げる。にこりと笑った笑顔が非常に可愛らしい。普段大人っぽく見える彼女が、服装や化粧ひとつで随分と幼くも見えてしまうことに今更驚いた。

 まったく控えめな印象は受けないが、この可憐さならば世の男子が黙っていないだろう。普段の彼女でも、十二分に魅力的だが。



「さて、花梨。服装から入ることも勿論大事だけれど、本来の目的はわかっているわよね?」

「もちろんですわ! 私、配膳、頑張ります!」


 びしっと片手を胸にかざし、誇らしげにポーズを決める。白い女神のような彼女に、周囲の者が一斉に注目しているのがわかる。鬱屈とした森に舞い降りた白の女神。明らかに浮きまくっている。そして、看護スタイルをキメキメにしてもらったところ悪いが、彼女の役目はただの配膳でしかない。

 幾つか皿を並べたトレーを持たせ、ルカは笑顔で彼女に言った。


「よろしくね。また、レオンに褒めてきてもらったら良いよ」


 瞬間、花梨はきゃっ、と声を上げ、スキップせんばかりの勢いでスープの配膳に向かった。

 跳ねてスープを溢さないか些か心配だが、レオンの名前を出しておけば彼女はよく働く。ついでに、服装の変更を勧めたのも、後から考えれば良かったらしい。



「なんだよ、花梨。やる気になっちゃって」

「目的はどうあれ、人のために頑張れるって、美しいことだと思うよ?」

「……」


 隣で拗ね気味の琥珀は、ぷう、と頬を膨らませ、ルカに抱きついた。こんな時の琥珀は放置しておくに限る。そのうち寂しくなって、結局ルカの手伝いを申し出るかどうか悩むことになるだろう。

 悩めばいい。そうして、彼には少しずつ他人に目を向けることを覚えていけば良いと、ルカは考えていた。



 一方で花梨だ。

 彼女も最初は乗り気ではなかったはずだ。しかし、戦場を歩き、人々の看護をする――小鳥の名で讃えられる、献身的な女性の逸話を盛り気味で吹き込んだところ、これがもののみごとに、釣れた。


『小鳥などではなく、私は、私になるのです!』


 と、謎の宣言をし。次の日にはあの衣装だ。

 あの衣装で、人々を癒やす天使のような――行きすぎて女神みたいになってしまったけれど――存在になりたいと、宣った。解釈を変えると、単にモテたいというか。レオンに良いところを見せたいというか。そういう実にわかりやすい理由のようであったが。




 るんるんとした足取りの彼女の背中を見てみると、ふと、気持ちが緩むのがわかる。

 この場に来ているのは、まだごく一部の宵闇の村の者だけだ。自分の足取りで歩ける者、症状が酷く誰かに運ばれた者。

 何となくだが、年若い妖魔が多いのではとルカは思う。そうでなければ、凝り固まった思考の狼の支配から抜け出してこようとは思わないだろう。


 しかし、病という大きな問題に直面した結果、彼らはルカを受け入れようとしている。いや、受け入れざるを得ない状況から、ルカのことを知ってもらうことが出来る。

 不謹慎かもしれないが、完全に停滞していた宵闇との関わりに、大きな一歩を踏み出せて正直ほっとしていた。




「ルカ」


 ふと、声をかけられて振り向くと、どこからともなく鴉が姿を現した。

 空気の中からとろりと浮かび上がっていくその様子は、いつぞやの鷹のようで少し心臓に悪い。

 その動揺を隠し、笑顔を見せて訊ねてみた。


「どうしたの?」

「少し離れたところに妖魔の気配が五つ。今ここにいる連中よりは少し強めの妖気。殺気はない」

「……そう。害するつもりがないのなら受け入れるわ。ここに連れてきて」


 わかった。その声が聞こえるのが先か消えるのが先か。気がついた時には鴉は側を離れてしまっていた。ここ最近の彼は、ルカの意思を最優先にしようとしている節があり、やや気にかかってしまう。琥珀とはまた違った意味で、ルカに依存しているような印象を感じていた。


 しかし正直なところ、助かっているため何も言えない。下弦の連中だけだと、とてもではないが手が足りない。本来ならば波斯や雛の元にも誰か残してきたかった。しかし、皆が宵闇に出払ってしまっている今、働ける者を置いておくわけにはいかなかった。


 結果として、あの二人は風の主の部屋に押し込めるというとんでもないことをしでかしてきたが、まあ良いだろう。

 風の主も少しは、外の者と交流をはかればよいのだ。まだ体調の万全ではない雛はともかく、波斯は気が気じゃないだろうが、大丈夫。風の主も、無碍に幼い妖魔に危害を加えるようなことはしないだろう。

 元はといえば風の主の依頼だ。少しは手伝ってくれても良いはずだ。

 ――などと、脳内のトンデモ理論によって、波斯は筆頭妖魔の部屋で一日を過ごすという拷問を施行した。だが、すべて彼らのためと断言できる。文句を聞くつもりはない。




 それよりも、今は目の前の宵闇の者の方が大事だ。

 とっかかりは山猫が作った。ルカの予想通り、もともと森の一族の筆頭だった彼は、狼に反目する者たちと上手く接触することが出来た。

 雛が助かったことにより証明された“食事療法”を、少しずつ、少しずつ広げていくことにした。疑心暗鬼になりながらも、彼らが食事の匂いに抗うことは難しかったらしい。

 それもそうだろう。妖魔にとって食事がどれほど衝撃的な行為か、ルカは何度もこの目で見てきた。上級妖魔ですら抗えない食事の魅力に、彼らが釣られないはずがなかったのだ。


 一度口にしてしまえば、もうこちらのもの。病の薬と称して、彼らの本能を直接刺激する。

 食事なしには生きられない体にしてしまう。実際、病――人化の進行とともに、食事はとらないといけない体になるわけだ。薬だの何だの、ちょっとくらい間違った誘導をしても問題ないだろうとルカは思う。

 それよりも、彼らにきちんと栄養を摂ってもらう。食べる事によって、直接妖気を吸収してもらう方がずっと重要だ。



 ちらりと視線を投げると、花梨や菫が軽い足取りで妖魔たちにスープを配りまわっている。その際、体調はどうだ、スープは飲めるか、などと簡単な質問を投げかけるものだから、皆が目を白黒させていた。

 基本的に自分が一番大事で、他の妖魔に関与せぬよう生きる彼らが、まさか自分の体調を心配される日が来るとは思ってもみなかったのだろう。

 花梨に至っては、格好ばかりでなく、その姿勢も名実ともに女神と称される日がやってくるのではないだろうか。


 彼女たちが宵闇の者の中に溶け込んでいくのが嬉しくて、ルカは頬をゆるめた。

 隣では相変わらず琥珀が不機嫌そうな顔をしているが、気にするものか。彼もそのうち、一歩を踏み出してくれれば良い。きっと一人では寂しくなる日が来るだろうから。


 こうやって下弦の上級妖魔と、宵闇の者たちが親しくなっていくのは、今後の夜咲き峰にとって必要になるだろう。

 きっと、彼らは妖魔ではいられなくなるのだから。


 ――やがて人になる。そして人は、ひとりでは生きていけないのだ。



 本格的に人化が広がり、このように宵闇に関与していく事が出来るなら、やらなくてはいけないことは山積みだ。

 当然、一部の妖魔だけでなく、反目する者にも手を差し伸べていかなければいけないだろうし。

 食事をすると言うことは、必然的に“アレ”の準備も必要になる。これこそが急務だ。むしろ、これをし損じれば、宵闇の妖魔は、彼らの誇りを強く傷つけられ、もう食事などするものかと朽ちることを選ぶ者が出かねない。


 一刻も早く、環境を整えなければならぬと、ルカは思う。




「お嬢様」


 そう考えていたところに、レオンがやってくる。

 見目麗しい妖魔たちに交じっても、一切後れをとらない王子顔。周囲に気を配り、スープが行き届いているのを確認しながら、ルカのごく側にやってきた。


「思った以上に、妖魔の数が多い。食材が足りなくなるから、買い出しに行きたいのだが」

「わかった。だったら、琥珀と菫に――」

「いや、俺に行かせてくれないか?」


 最近ではすっかりと菫の役割になった買い出しを、レオンが買って出る。なるほど、宵闇に残すのなら菫の方が良いという判断なのだろうか。

 きょとんとしてみたところ、どうやらルカの予想は外れたらしい。


「伝達の魔術具に連絡があった。アヴェンスにハチガ様が来ているらしい」


 久々に耳にする兄の名前に、ルカは大きく目を見開いた。

ついにアヴェンスにミナカミ家三男が到着しました!


次回、アヴェンスの買い出しついでに、レオンが“アレ”の準備を整えます。

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