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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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筆頭妖魔として(2)

 風の主は永い時間をこの満月の峰で過ごしてきたのだろう。

 たったひとりで過ごす永遠とも言える時間。想いを馳せるだけで気が遠くなり、ルカは目を伏せた。

 人間の自分と妖魔の彼とは時間の感じ方も異なるのだろうが。それでも、ルカは今までの彼の生き方に自らを重ね、言葉にならない想いをかみしめた。

 ぐっと、ルカの腕に力が入ったことに、風の主も気がついたのだろう。眉をピクリと動かして、大きなため息を落とす。


「其方が気にすることでもないだろう」

「……風様にとっては当たり前だから、そうやって平気でいられるのでしょうけど」


 先ほど風の主に投げかけられた言葉をそのままお返しする。

 当たり前だと感じることに、こんなにも果てしない距離があろうか。


「これからは、共にいさせて下さいませ。……その。私も人間なので、共にいられる時間は短いかもしれませんが」


 懇願するようにして、言葉にした。

 その真剣なルカの様子に、風の主は意外そうな顔をし、少しだけ目を見開く。そうしてしばし。再びため息を吐き出したかと思えば、彼の表情には僅かな笑みが浮かんでいた。


「そうだな。それもまた、悪くない」


 そして紅茶に口をつけて、ふふ、と笑う。

 悪くない。たったそれだけの言葉が嬉しくて。そして彼の緩やかな様子がくすぐったくて、ルカもはにかんだ。






「しかし風様。どうしてなのです? 差し支えなければ、理由をお聞きしても良いのでしょうか」

「何がだ?」

「何故この峰から出られないのです?」

「ふむ」


 風の主は考え込むようにして顎に手を当てた。

 ルカには妖魔の常識などわからない。彼が満月の峰から出られないことは、赤薔薇も知っていたようだし、周知の事実なのだろう。しかし、ルカにはわかり得ないことなのだ。


「難しい話ではない。私の妖気は夜咲き峰の維持に割いているからだ」

「維持、ですか?」

「主に結界の維持と、妖気の管理だな。夜咲き峰のように、峰自体が莫大な力を持ち、さらに月の影響を受けるともなると……放置するわけにもいかぬ」

「もし放置すればどうなるのですか?」

「魔力のバランスを失った土地を見たことはないのか」


 風の主の言葉に、ルカははっとする。

 妖気のバランス……そして魔力のバランス。それらが偏った事による影響が同じだと考えた場合、風の主が管理せぬ夜咲き峰に起こりうる問題が浮き彫りになる。


 ルカには魔力についての知識が少しあるくらいだが、魔力はもともと、他の魔力を引きつける力を持つと言われている。核となるもののもとへ、拡散した力が緩やかながら自然に動いていくらしい。

 自然界ではその力の引き合いがバランス良く回転している。食物連鎖なども所謂魔力の偏りによるものだと言われているし、生き物の成長にだって影響がないとも言えない。

 なぜか魔力が皆無な圧倒的例外のルカはさておき、誰もが自らに適した魔量を保有しなければ、心身にも影響を及ぼす。もちろん、それは自然界だってそうだ。


 魔力が枯渇した大地は枯れることは、ディゼルの楔など過去の大飢饉から見ても確かな事実だ。

 逆に、一カ所に集まる魔力が多すぎても危険。それを管理できれば良いのだが、管理できない魔力においては問答無用に自然界に影響を与える。いわゆる地震や雷、火事などの天変地異の類いは、本来あるべき魔量が飽和した状態に起こると言われている。



「……よくわかります」


 そこまで思い返して、ルカは頷いた。

 想像していた以上に、風の主が受け持つ負担は大きかったらしい。


 聞くところによると、この満月の峰、しかも風の主の生まれ石を媒体にして一帯の妖気を管理しているらしい。

 そこまで聞いて、なるほど、とルカは思う。

 あの石の弱々しい光。今にも消え入りそうな不規則な点滅。それ自体が、夜咲き峰の異常を指し示していたのかもしれない。


 あそこまで憔悴していた山猫や雛さえ、たちまち治してしまうこの峰だ。上級妖魔たちの糧として妖気を維持する程の莫大な力を秘めているのだろうし――それを管理するとなると、きっと大変なことなのだろうと漠然と思う。

 漠然と思うだけで、魔力が皆無なルカには理解し得ないこと自体も、心苦しかった。



「其方が気にすることでもあるまい。私の代わりに尽力してくれていることは知っている」

「えっ」

「そうだろう?」


 まさか正面切って褒められるとは思わず、ルカは目を丸めた。

 本人は何の気なしに発した言葉なのだろう。涼しい顔をしているものだから、ますます恥ずかしい。

 ルカ一人だけが頬を熱くしてしまい、手で覆い隠した。


「がんばります」


 尻すぼみになりながら呟く。

 単純なもので、風の主のその一言だけで、ルカはもっと頑張れる気になってしまった。



「しかし、風様も分からないとなると、原因を探すのは容易でないですね」

「気長に探すしかないのだろう。……ここまで偏っている妖気であるはずなのに、読みにくいのだ。故意かもしれぬ」

「……上弦、でしょうか……?」

「決めつけるのはまだ早いが。ふむ」


 風の主は顎に手を当て、目を閉じる。


「……いや、よそう。其方は変わらず、身辺に気をつけることだ」


 風の主はまだ何か思うところがあるらしい。彼の不安はルカには計りしれないが、彼がルカを心配してくれていることだけは事実なようだ。きっと、必要になった時に話してくれるだろう。

 彼がひとりで何か抱え込まないか一抹の不安もあるが、ルカは微笑を浮かべた。まだまだ彼との時間は必要になってきそうだ。


「あと、風様。これからのことなんですけれど、宵闇で実施したいことがあるのです」


 原因についてあれこれ考えるのも悪くない。しかし、これからの行動方針も明らかにせねばならぬ。

 おそらく急速に人化が進んでいるであろう宵闇のために、為ねばならぬ事がある。ルカはこれまでで考えてきた対処方法について、風の主に相談することにした。





 ***





 朝の打ち合わせもようやく終わって、ルカは自身の部屋へ戻ることにした。菫はまだ朝食の後片付けをするということで、部屋でレオンと二人になる。

 いつも通り自分の机に向き合って、ルカは今朝の話し合いについてまとめることにする。原因のこと、これからのこと。推測の情報と確定の情報を分けて詳細に記していく。


「なあ、お嬢様」


 資料と向き合ってむむう、と唸っていたところ、正面から声がかけられてハッとする。顔を上げると、なんとも神妙な面持ちのレオンが立っていた。

 表情を見るだけで分かる。何か思い悩むような、言いたげな表情。心の中に引っかかりを覚えている時、彼はこんな表情をする。

 ルカは小首を傾げた。しっかりと彼の目を見るだけで、伝わる。私には、貴方の話を聞く準備が出来ていると。

 レオンも分かっているのだろう。ごくりと喉を鳴らして、言いにくそうに視線を逸らした。



「お嬢様は、それでいいのか?」

「え? 何が?」

「今朝の話だ。何故そこまでする必要があるんだ」


 若干イライラした物言いに、ポカンとしてしまう。


「え、なんで?」

「何でも何も。勝手に婚約を決められて、連れて来られて。挙げ句の果てに風の主はあそこから出られないのだろう? お嬢様は一生、奴の小間使いで良いのかと聞いているんだ」


 もちろん、風の主が悪い奴でないことは知っているが、と、レオンは言葉を付け足す。

 が、ストレートに心の内を打ち明けられて戸惑った。なるほど、確かに。彼の目からはそう見えてしまうのかもしれない。


「正直、俺にはわからん。宵闇であそこまで邪険にされて、攻撃までされて。風の主も直接護ってくれるわけでもない。それほどまで苦労する理由が見当たらないだろう」

「でも、レオン。放っておける?」


 なぜ苦労するのか、と言われたところで、ルカにはぴんとこない。

 夜咲き峰に来てから走り回ってきたけれども、思い返せば、なぜここまで出来るのかと言われて返す言葉がなかった。

 強いて言うならば、妖魔が好きだから、なのだろうが。


「ハッキリ言っておくが、俺はお嬢様の方が大事だからな。お嬢様だけが危険な目に遭うのが納得できない」

「でも、今は下弦のみんなも」

「そうだな。でも、皆と打ち解けるまでに、風の主は何をしてくれた?」

「相談に乗って……」

「それだけじゃないか」


 レオンの表情が曇る。言いたくはないが、と言葉を付け足して、彼は更に続けた。


「いざというとき、風の主はお嬢様を護れないんだ」

「……」

「そんな男で良いのか?」


 レオンの視線が突き刺さる。その真剣な表情、言葉に、ルカは唾を飲み込んだ。

 彼はいつだってそうだ。

 ルカが一番大事で、誰よりも心配してくれている。


 どうやら、風の主はまだレオンに認められていないらしい。

 レオンの基準は極端だ。いつも最優先にルカのことを据える。そんな彼の基準に叶うのは相当極端でならねばなるまいし、難しいことだろう。

 しかし、それほどまでに心配してくれている事実も嬉しくて。

 同時に、自分にメリット無くして行動できている自分自身の姿も目の当たりにすることが出来た。



 ――どうして頑張れるのか。


 ――風の主で良いのか。


 そんなのとっくに答えは決まっている。

 ルカは口元に微笑を浮かべて、小さく頷いた。


「ええ、それが私の望みだから」

幼い頃から側にいてくれたレオンだからこそ、ルカに忠言できるのでしょう。


次から、宵闇のために奮闘します。

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