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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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宵闇に蔓延る病(2)

「――雛!」


 部屋に戻るなり、待ちきれなかったと言わんばかりの表情で、菫が慌てて駆けつけてきた。菫の姿を確認し、赤薔薇に抱えられた少女は、虚ろな瞳を僅かに動かす。


「菫お姉ちゃん……?」


 かさかさに乾いた唇から漏らす彼女の声はか細い。

 肌はすでに青白く、随分と細い。起き上がる力すら無いらしい。こてんと力なく赤薔薇の腕に体をあずけて、山吹色の瞳を閉じた。

 緩やかなウェーブかかった白い髪は、彼女の身長と同じくらいで。赤薔薇の腕からこぼれ落ち、ぱらりと床に影を落とす。



波斯(はるしゃ)、雛は」

「ここのところ、ずっとこんな様子だ。寝かせてやってくれないか」


 菫は後ろに控えた波斯の言葉に頷き、すぐに赤薔薇を奥の小部屋へ案内する。

 心配そうに雛の顔をのぞき込む菫を、赤薔薇も無碍にしない。普段は冷たい無表情な彼女だが、ふとそれをゆるめ、菫の頭を撫でた。

 赤薔薇なりの心配の表れなのだろう。しかし下弦の筆頭妖魔に突然頭を撫でられ、菫はぎょっとしたように彼女の顔を見返す。しかしその時にはすでに赤薔薇はいつもの表情に戻り、奥の部屋へと早足で去って行ってしまった。


 鴉や花梨も、顔を見合わせながら赤薔薇たちの後ろを追う。

 そうやって雛が案内されるのを確認した後、ルカはレオンに目配せした。レオンの方もルカが何を言いたいのか分かっていたのだろう、僅かに頷いてすぐに移動をはじめる。



「思ったよりも衰弱しているな。食事の支度は始めているが」

「ありがとう。食べやすい粥のようなものがいいかもしれないわね。あと、体温が下がっているみたいだから……」

「寝具は一式いれてあるぞ。少し厚めのものにしておいた」

「うん、助かるわ。レオン」



 二人の間で、ある程度算段は立てておいた。

 宵闇の村の現状で、ルカが考え得る病気の原因は主に二つだった。


 一つは呪によるもの。

 これはルカ個人では到底判断できるものではない。下弦の妖魔たちに視察してもらい、更に風の主にも考察してもらった上で、可能性は低いと判断した。

 ここ最近宵闇の村が抱える妖気が大幅に減少しているのは確からしい。それを踏まえた上で、もう一つの可能性にたどり着いたのだ。



「ついに、来たわね」


 ――妖魔の“人化”が。


 ルカは険しい表情で、雛たちが消えていった奥への入り口を見やる。彼ら妖魔の中で、気がついている者がどれほどいるのだろうか。


 もともと下弦の峰の中で下級妖魔は菫だけ。しかし彼女には、宵闇の村の者たちと同じ病気の兆候はまったく見られなかった。

 彼女の生活習慣で他の下級妖魔異なっているのは、住む場所と糧、この二つだ。下弦の峰に住むことによって、妖気の吸収効率が格段に違うことは明らからしい。体調への影響もきっと大きいのだろう。


 それに付け加え、少なくとも一日に一食か二食、彼女は人間の食べ物を摂取していたはずだ。

 随分と前になるものの「食事をし始めてから体調が良くなった」と、確かに彼女は言っていた。おかしなこともあるものだと笑っていたが、どうやら理にかなっていたらしい。

 きっと菫の体でも、人化は進んでいるのかもしれない。しかし彼女の場合は、食べ物を摂取することによって健康が維持されていると考えると、合点がいく。


 頷くなり、レオンは早速奥の小部屋へ入っていく。すぐにでも準備をするのだろう。ルカも雛の部屋へとおもむき、彼女の環境を確認する。





 雛の部屋へ入ると、小さな寝台を取り囲むようにしてずらりと妖魔が集合していた。雛を寝かしつけた波斯がなんとも落ち着かない様子で、少しきょろきょろとしている。

 菫がそんな彼と、寝台に横たわった雛の二人の頭を撫で、柔らかな微笑みを見せていた。



「流石に、この環境じゃ雛も波斯も落ち着かないでしょう」


 部屋に入るなり、ルカが呆れたようにして呟く。

 元来上級妖魔と下級妖魔が出会う事なんてほとんど無いはずだ。村では落ちついた様子だった波斯が、ずいぶんと恐縮していることからもわかる。啖呵をきったときと違って、今になって恐怖がやって来たのだろう。


「上級妖魔は一人だけで良いわ。ええと」

「――俺が」

「じゃあ、鴉が。あとはみんな出て行ってもらえる? あ、山猫は残って」


 ルカの言葉に、当然だろうと山猫は頷く。そして雛の側へ移動して、彼女の顔をのぞき込んだ。


「随分と痩せこけちまったみたいだが……なんだこれは」


 見たこともない病状なのだろう。妖魔が弱るときというのはどのような症状になるのかルカには検討もつかない。しかし、雛の現状が珍しいものであることに変わりは無いようだ。


「今、レオンが薬を用意してくれている。菫、手伝ってあげてくれる?」

「かしこまりました」

「山猫。波斯。今から雛の治療を開始するけど、すぐに効果が出るものでもないの。そして、体力回復の段階を追って治療法は変わっていくわ。二人はそれをしっかり覚えて。皆を助けてあげて」


 ルカの言葉に、二人はたちまち真剣な表情になる。

 お互いに顔を見合わせてうなずき合ったところに、レオンがトレーを抱えてやってきた。小さな器に、ぐずぐずに煮込んだお野菜と米。あとは少しぬるめの白湯を用意しているらしい。

 消化に良さそうな料理を抱えて、菫と向き合う。



「レオンさん、ありがとうございます。後は私がやりますね」


 菫はそう口にして、レオンの持つトレーから皿とスプーンを受け取った。


「山猫、波斯。これを食べさせますから、雛の体を支えてあげてくれますか?」


 食べさせる。その単語にすぐに反応したのは山猫だった。

 彼自身も下弦の峰で経験したことある行為だからか、何をするのかすぐ悟ったのだろう。ぐったりとした雛の背中を支えるようにして、起こす。

 波斯はというと、イマイチ状況について行けないみたいだが、山猫にならって反対側に回り込み、同じように雛を支えた。



 ふうふう、と。スプーンで掬った野菜粥を冷まして、菫は雛の口元へ差し出した。


「雛、口を開けますか?」

「う……」


 声を僅かに漏らしながら、虚ろな瞳で、雛は口を僅かに開けた。そこにねじ込むようにして、菫は粥を彼女の口に入れる。

 スプーンの上のものを舐めると、雛の瞳が僅かに開いた。初めて口の中に広がる“味”というものに驚いているのだろう。

 ルカはこうして驚く妖魔を何人も見てきたから違和感がないけれど、波斯は心配そうに瞳を揺らしている。


「波斯、大丈夫。これは粥といってね、人間も食べる病人食なの」

「人間が? それを雛が口にして、大丈夫なのか?」

「大丈夫。山猫も、こうやって元気になったのよ」


 少しでも安心させようと情報を積み上げる。横で雛を支えている山猫も、波斯に向かって大きく頷いた。


「大丈夫だ。むしろ、なかなか美味だぞ。病人食は」

「美味……?」


 何のことか分からないのだろう。怪訝な顔をして、波斯はますます心配そうに雛を見つめた。

 菫にゆっくりと粥を食べさせてもらい、その瞳に僅かに活力があらわれる。相変わらずぐったりはしているが、強ばった頬が少し赤みをさして、彼女は微笑んだ。



「美味……うん」


 初めての味に衝撃を受けているのだろう。動作や表情に表れにくいものの、雛は明らかに肯定するかのような口ぶりで、菫を見た。菫もほっとしたように、優しい瞳で彼女を見す。


「美味しいですか? しっかり食べてよく寝たら、きちんと良くなりますよ」

「うん、美味しいよ、菫お姉ちゃん」


 弱々しい表情ながら、雛は幸せそうに、味わうように目を閉じた。白い絹のようなウェーブの髪が僅かに揺れ、こくりと粥を飲み込むように喉をならした。

 うっとりとするようなその表情は、儚げな美少女効果もあって、周囲の空気も綻ばせる。


 その様子を目にして、菫はにっこりと笑った。その後、僅かに不安そうにルカに視線を向けてきた。だからこそ、ルカも大きく頷いて、気持ちの後押しをする。

 菫自身も安堵できたのだろう。慈愛に満ちた目で、スプーンに新しい粥を掬い、ふうふうと息を吹きかけている。



「菫、雛は毎日こうしてご飯を食べることで、随分良くなると思うの。世話を、お願いできる?」

「はい、もちろんです!」

「できれば、波斯と山猫にも、教えてあげて欲しいんだけど」

「はい。山猫さんのときと、同じようにすれば良いのですね? 私に出来ることならば、喜んで」


 菫は決意するように、しっかりと彼らを見据えていた。

 以前、宵闇の者たちに一度は拒否され、菫は深く傷ついていた。

 しかし彼女はそれでも、かつての一族を心配し、どうにか力になりたいとルカに訴え続けてきたのだ。目の前の幼い一族の娘、雛のことだって、助けられるのが嬉しくて仕方が無いのだろう。

 オレンジ色の大きな瞳が微かに潤んでいるようだった。


 こういった彼女の様子を見ていると、ルカは、心から思う。


 ――ああ、本当に、人間らしい。


 慈愛に満ちた表情も、手も。一族を心配する心も。仲間を信じ、ルカに協力してくれているその心意気も。傷つきやすく、そして優しさに溢れるその性格も。



 下弦の峰に初めてやって来たときから、彼女は側にいてくれた。

 人間と妖魔の感覚の違いに戸惑いながらも、ルカについてきてくれた。

 レオンに教えを請い、厳しい指導に挫けることもあったのだろう。しかし、それでも明るい性格で乗り切り、今、宵闇の皆を手助けできるまでになった。

 妖魔のままの彼女では、出来なかったことだ。


 雛に心を砕く菫を見て、レオンが僅かに頬を綻ばせている。安心したように息を吐いて、ルカに一礼して退室していった。

 この場は彼女に任せて問題ない。そう判断したのだろう。



 今は粥がいいけれど、体調が良くなるにつれ、食事内容を変えていくこととしよう。

 ルカ達は、いつも、とても彩りのよい食事をとっている。いろんな種類を摂取することが、彼らの健康に繋がっているらしい。……などと、菫は雛に食べさせながらも、山猫たちに食に関する解説を始めている。

 右も左も分からなかったかつての彼女の姿はそこにはない。

 凜として、堂々と解説する姿に安堵し、ルカ自身も彼女に任せて問題ないと判断した。


「菫、じゃあ、雛と、二人の世話も任せて良いかしら?」

「はい、もちろんです!」


 彼女は破顔した。

 すぐにルカから目を離し、再び雛達の方へ向き直る。熱心な様子に安堵しつつ、ルカは雛達の部屋を後にした。

菫がしっかりとしてきました。

だって、お姉さんですから!


次は風の主の元へ、病についての報告に行きます。

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