はぐれ山猫(2)
簡素で小さな寝台に横たわっていたのは、比較的小柄な青年だった。
飴色と錆色が混じり合った髪が印象的で、瞳は芥子色。狼と同じような三角耳がなんとも可愛らしくて、ルカは一瞬できゅんとした。
――狼といい、この子といい。所謂獣人も多いのね。
妖魔と獣人は別物だと考えられる説もあったが、やはりそうではなかったらしい。獣人とは妖魔の一種で、獣の生まれ石を持ったもの、という認識が正しそうだ。となると、鴉や鷹も獣人といえるのだろうか。もしくは鳥人、なのだろうか。
妖魔の生態情報がルカの知的好奇心に全力で働きかけてくるが、今はときめいていて良い場合でもない。
レオン、琥珀、鴉、菫に囲まれる形で、彼はルカを見つめていた。そこにはこちらに対する敵意や悪意のようなものは、今のところ感じられない。
「気分はどう、山猫?」
警戒心を持たれないよう、柔らかく話しかけてみた。芥子色の瞳が驚いたように見開かれて、逆にルカ自身も驚く。
「……いきなり会えるとは流石に思わなかった」
しかし山猫はぷいと視線を逸らしてしまった。その陰った様な瞳には疲労の色が濃く出ている。
顔色も何やら土気色で、随分とすり減っているようだ。話も早めに切り上げて、休ませてあげたほうが良いかもしれない。
「私に何か伝えたいのよね? ちゃんと聞くから。用件を伝えたら、しっかり休みなさいね」
「……嬢ちゃん、聞いてくれるのかい?」
「でなければ、ここには来ないわよ」
僅かに、瞳を震わせ、山猫はなんとか体を起こした。途端に周囲の警戒心が強まる。それを制するように、ルカは一歩前へ出た。
「いいのよ、山猫。寝たままで。無理しちゃダメ」
「だが……」
「無理するなら話を聞かない」
「……」
山猫はじっと瞳を見つめてきたが、やがて、観念したかの様に俯く。しょぼんとした表情はもちろんなのだが、耳をぴょこんと垂らしてしまい、そのまま布団に再度潜りこむ。
ちなみに、その光景を見たルカは、まさかの耳感情だだ漏れ説が浮かび上がってきて、胸の内に嵐が沸き起こっていた。
ーーなにこの生き物……!
彼の様に獣の一部を身体に持つ者を、獣人と呼ぶわけだが。そして先日の狼、今回の山猫との出会いで、獣人は妖魔の一部であったと正しい認識ができたわけだが。このようにあらためて、どこからどう見ても獣人な妖魔と落ちついて会話するのは初めてだ。
鴉が羽根を生やしていたのは知っているが、彼の場合、必要な時以外はどこかに収納してしまっている。
そして狼をはじめとした宵闇の連中なのだが、状況が状況だけに、彼らを愛でる余裕など無かった。
しかし目の前の彼は何だ。今も怯える様にピクピク耳を動かし……布団の中でもぞもぞ動いているものがある。
ーーもしかして尻尾? 尻尾なのかしら!? 獣人万歳!!
両手を胸に当て、高鳴る気持ちを胸の内だけで抑えるように努力する。しかし、なかなか熱が冷めることはない。最終的にレオンにかなりの強さで脇腹を小突かれるまで、完全に意識が吹っ飛んでいた。
「……ええと、早速話を聞きましょうか。でないと、休まないでしょう、貴方」
「そいつはありがてえ」
脇腹を押さえつつ、ルカは宣った。
山猫はというと、ルカの必死な感情の押さえ込みなど当然気がついていないのだろう。ぴこぴこと忙しなく動く猫耳をぴんとルカの方に向けた。それだけで撫で回したい衝動に陥るが、今は必死で我慢だ。
「俺は山猫。もともと宵闇の村の妖魔だったが、今はただのはぐれだ」
「はぐれ?」
「そうだ。もともと森の一族を束ねていたんだが……」
「森の一族? 長だったってこと? でも、はぐれって?」
ルカの質問に、山猫は言葉に言い淀む。見かねたのか、菫が横から補足をはじめた。
「山猫さんはもともと森の一族の長だったんですけれど、十年ほど前、狼さんの騒動があって、村を追い出されてしまったのです」
狼との繋がりに目を丸くする。ルカと目を合わせ、菫は事の経緯を説明し始めた。
狼がもともと夜咲き峰の上級妖魔だったことはルカも聞き及んでいる。菫が言うには、山猫がはぐれになった原因は、狼が村に降りてきた事らしい。
狼は、かなりの短期間で、その実力でもって森の一族を掌握。ついでに宵闇の筆頭として君臨することになったとか。
同時に、長が入れ変わったことで森の一族は、上弦の峰と同じ妖魔らしからぬ階級制度のようなものが生まれたらしい。
もちろん、森の一族と言えば宵闇の村でも最大勢力。彼の特殊な階級制度は、少なからず宵闇全体に影響を及ぼした。
一方で長の座から転落した山猫は、狼の統制のもとを離れたくて、そのままはぐれになったとか。
「アイツのやってる事は気に食わねえ。俺は妖魔だ。いくら一族とはいえ、ああも長に従わなきゃなんねえ状況に耐えられるかい?」
なるほど、山猫は狼に従うくらいなら一人でいる道を選んだという事らしい。
山猫の瞳には悔しさがにじみ出ており、絞り出すようにして話を続けている。
「……絶対。強くなって、絶対アイツを倒してやる」
「なるほど」
しかし、結局はとんだ戦闘オタクらしい。最終的な結論は実にシンプルだった。
確かに山猫は小柄ながらも、体つきがかなり筋肉質だ。
もともと森の一族の長と言うことだから、狼を除けば相当の実力者なのだろう。妖魔としての誇りも強く持っていたのかもしれない。そう考えると、彼がはぐれになることは、ごくごく自然のことのように考えられた。
「で、はぐれの貴方が、わざわざここに来た理由を教えてもらっていいかな?」
「そうだな。俺ははぐれだが、これでも村の連中のことは心配してんだ。狼が来てから、随分様変わりした様だしな」
「……なるほど」
ルカは頷いた。これは心強いかもしれない。
彼の話を聞くことで、分からなかった宵闇の状況が見えてくるだろう。それに彼が持つ宵闇の現状への不安は、ルカの考え方に近い気がする。
「ここ数週間で、村の中で急激に広がっている現象があるんだ」
「奇病ってさっき聞いたけれど」
「ああ、そうだな。俺たち妖魔は、妖気が枯渇しない限りは身体に支障が出ることがないんだが……」
天井をぼんやりと眺めつつ、山猫は説明を始める。ぼんやりと、疲労が色濃く出ている顔で、ぽつり、ぽつりと話した。
ここ数週間ほどかけて、妖魔たちの間で自身の身体が思うように動かないという声が上がりはじめた。
動くのが億劫になったり、倦怠感のようなものを感じる。
ただ、今までそのような不調になったことがない彼らは、まず、己の妖気に問題があると考える。妖気の不調を他人に知られるわけにもいかず、各々、胸の内に秘めたまま生活をしていたらしい。
実際、妖気のコントロールが難しくなった者もいたようだ。各々、抱えた不調を知られぬよう、猜疑心に苛まれていた時だった。とうとう、一人の妖魔が倒れてしまったのである。
それをきっかけに、皆の症状が一気に明るみになった。
隠し続けた妖気の不調。自分だけではないと気がついたときにはもう遅い。その現象はいつの間にか村全体に広がっており、程度の差こそあれ、もう対処しきれないレベルに達していたらしい。
「菫。倒れたの、雛だかんな」
「……!」
山猫の言葉に、菫は瞳を大きく見開いた。
「知っているの、菫?」
「……雛菊と言って。花の一族の、年若い妖魔ですわ。矢車さんの直子ですね」
「直子?」
聞き慣れない言葉にきょとんとする。
かいつまんで説明してもらったところ、直子は妖魔の子どもの一種で、人間と同じく男女の妖魔の間から生まれた実子のことを指すという。
他にも子どもを授かる方法があるというのだが、そのあたりは後日改めて詳しく話を聞くことにした。
「でしたら、矢車さんのあの態度は……」
色々合点がいったように、菫は頬に手をあて、神妙な様子で俯く。先日の矢車の態度がまだ引っかかっているのだろう。
菫は一族は家族のようなもの、と言っていた。相互関係が希薄な妖魔社会において、それでも一番近しい者たちに拒否されたのだ。落ち込むのも無理はない。
「もしかして倒れた原因が、私たちにあると思われてるのかしら?」
菫の思考を手助けするようにルカは訊ねた。しかし、山猫は神妙な顔つきになって、はいも、いいえも言わない。
「……どうだろうな。お前達が村に降りてきたとき、雛はまだ倒れてはいなかった。不調を抱え込んでいた奴らはちらほらいたようだが……もちろん、お前達が変な病気ばらまいたって噂が広がっているのも確かなんだ」
「……やっかいね」
「皆が皆、そう思っているわけでもねえんだぞ。表立って口に出せないだけだな」
「違う妖魔もいるってこと?」
「そうだな。言っちゃ何だが、人間のお前にそんなこと出来るはずがないって思っている奴も多いしな。狼が統率してる今じゃ、勝手な行動できねえから動けないだけだろ。だから俺が来たってわけだ。……波斯に頼まれちまったんだ。雛を助けてくれって」
横から、波斯とは雛と同じ矢車さんの直子です。と、菫が補足する。
しかし、皆を黙らせるだけの実力を持つことから、狼の影響力はかなり大きいことになる。森の一族だけでなく、花の一族など、他の一族にも影響を与えられるという事か。
「……その話が本当なら、あの馬鹿狼は随分勝手なことをしているみたいだね」
隣で、琥珀が呟いた。瞳の色が穏やかではない。
怒りに満ちているのは琥珀だけでなく、あの穏やかな鴉も、眉間に皺をよせ、黙り込んでいる。
「元とはいえ、夜咲き峰の妖魔が……随分恥ずかしいことをしてくれるよ」
「あいつは元々、上弦の妖魔だからな。白雪の影響が濃いのだろう」
二人の会話にはっとする。狼は、元上弦の妖魔。つまり白雪の手の者なわけだ。狼が今もまだ、白雪と繋がっていても何もおかしくない。
「狼の裏に白雪がいるのかもしれないわね。……奇病の原因に心当たりは?」
「あったら宵闇で解決している」
「……なるほど。私は呪か毒の類だと思ってたんだけど、話だけだと断定できないわね。――鴉、この峰でそういったものに詳しいのは?」
「上弦なら蜘蛛だな。ルカに毒を仕掛けたのもおそらく奴だろう。下弦では……いや、下弦の妖魔より、風の主が詳しい。ルカなら話を通せるだろう?」
「風様か……うん」
さすが筆頭妖魔。優秀である。
そういえば、先日、攻撃を受けた際も解毒を施してくれたと聞いている。上弦の妖魔と張り合えるだけの毒の知識があるのかもしれない。
「……どうにかして雛を夜咲き峰に連れてこれないかしら?」
「お嬢様!」
ルカのつぶやきに、レオンが声をあげた。予測していたのだろうか。叱責混じりな気がする。
「レオン、このままだと、悪い噂は広がるばかりよ? ただでさえ私たちは宵闇に関与できる手段がないの。放置するわけにもいかないでしょう?」
「だが、逆に誤解されかねないぞ」
「だとしても一時的なものでしょう? それに、花の一族には話を通すつもりでいるわよ。矢車も流石に自分の直子をそのままにしておくわけにはいかないでしょう? わざわざ筆頭妖魔に診てもらうのよ? 預けてもらえる可能性は十分にあるじゃない」
「だが……」
レオンはまだもの言いたげだ。このタイミングで、もう一つ放り投げておくとしよう。
「あと、私が行くからね」
ぺいっ、と放り投げた議題に、全員が身を乗り出すようにしてルカを見た。完全に予想どおりである。
「……馬鹿か!?」
「そうだよ、危ないよっ」
各々、心配の声をあげてくれるが、今のうちにどうしても布石を打っておきたい。
「いえ、今後のためにも、私が直接交渉に行くわ。ここで宵闇と交渉できる場を作らないと。いつまで経っても前には進めない」
「だからって」
「心配してくれるのはわかるわ。だから、きちんと準備しましょう。宵闇に降りられるのなら、後はみんなの言うことを聞く」
「……」
沈痛な面持ちで、皆が自分を見ているのがわかった。ルカの頑固さに辟易しているのだろう。
レオンなんかはこめかみがぴくぴく動いているが、それを気にするルカでもない。
「ひとつ言っておく。お嬢様が宵闇に降りるとして、万全の護衛体勢が出来ない限りは、絶対に俺は許可しないからな」
「そうね。じゃあ、許可できるようにレオンも頭を捻ってよ」
「お嬢様……」
レオンの纏う空気が氷点下に下がるが、こんな事で引っ込んでいてはいつまで経っても宵闇との関係性に変化は出ないだろう。
これまでの経験で、妖魔たちは非常に保守的で、排他的な性格をしていることはわかっている。だから、少々強引なやり口で、風穴を開ける必要があるのだ。
「下に降りるなら、俺も連れてけ。あの辺は庭だし、狼以外の奴なら相手も出来る」
「山猫」
「花のチビ達は、はぐれの俺にもよくしてくれてんだ。雛も波斯もまとめて護ってやる」
そう言って、山猫は微笑した。目が合い、ルカの表情も緩む。
「絶対、雛を――宵闇の皆を助けましょう」
宵闇は思った以上に排他的なところでした。
次は、雛を助けるため奔走します。




