仲間
次の日、改めて全員が顔を揃えることになった。
ルカは元々元気だったわけだが、当然この日も調子が良い。朝食から風の主の元へ行き、昨日までのお礼を告げ、そして今に至る。
眠っていた自覚がないため、昨日までと同じ毎日が続いている感覚すらある。なのに他の者からすると、
ルカが倒れる前の生活が戻ってきた感じがして懐かしいらしい。全員の顔色が良くなっていた。
「みんな、本当に心配かけたわね。ごめんなさい、ちゃんと護られなくて」
「……もう、体は良いのか」
「ええ、鴉。ありがとう。鴉はどう?」
「俺はなんとも」
隣の席に着いた鴉がぷいと視線を逸らす。昨日は少しは休めたのだろう。目の周りの隈も薄くなっている。
「菫は? 目は痛くない? 随分と腫れているようだけど?」
「えっ、これは、その…!」
声をかけると、菫は恥ずかしそうに頬に手を当てた。
「ルカ様がご無事で、本当に良かったと思うと気が緩んでしまって。お恥ずかしいです」
きっと随分と泣いたのだろう。オレンジの瞳がやや霞んでおり、目元もぷっくりと腫れている。
なるほど、妖魔でもこんな状態になるのだと内心感心しつつ、笑顔でしっかりそれを隠した。
「お花。綺麗ね。昨日はなかったもの。わざわざ用意してくれたの?」
「はい。ルカ様がご無事で、嬉しくなって。昨日、買い出しもかねてアヴェンスに」
「そう、ありがとう。菫は気配り上手ないい子ね」
「そんなっ」
飾られた花を褒めると、嬉しそうに頬を染める。そうやって素直に喜んだり悲しんだりする性格が可愛いというのだ。
そうしてひとしきり笑顔で歓談した後、ルカはキリと表情をひきしめる。
「――それで、あの後、何があったのか教えてくれる?」
「俺が答えよう」
最初に声をあげたのはレオンだった。
「お嬢様が倒れた後、お嬢様を抱える形で無理矢理転移の広場へと急行した。倒れたお嬢様をそのまま夜咲き峰へ転送。俺、菫、花梨、琥珀が夜咲き峰へ。赤薔薇と鴉が宵闇に残る形になった」
「残った?」
「うっかり転移陣に向こうの下級妖魔を巻き込むわけにもいかないからな。牽制も兼ねて、だ。俺たちが満月に移動したところ、風の主が転移の間に駆け込んできてな」
「風様が?」
「ああ、お嬢様の身に何かあったのかわかってたみたいだ。あの方に抱えられたまま、私室まで運ばれたんだ。解毒すると言ってな」
「解毒までしてくれてたんだ」
風の主は、そんな素振り見せなかった。ただ心配して見守ってくれてただけではないらしい。
更に聞くところによると、鷹の事情を知っているらしい赤薔薇が、花の一族の集落近くに倒れていた鷹を見つけて連れて帰って来たそうだ。彼女は言葉少なくてイマイチ状況が分かりにくいが、どうやらそこで上弦の妖魔と鉢合わせたようだ。
上弦の妖魔は、倒れた鷹を回収しにきてたらしい。つまり、鷹の事情というものを、上弦の妖魔も知っていると言うことか。
「赤薔薇がいて本当に良かった。ありがとう、赤薔薇。鷹を助けてくれて」
「奴等に渡れば厄介だから。それだけ」
「ふふ、昼食はレオンに肉大盛りにしてもらいましょう」
「!」
そう告げると、赤薔薇の変わらぬ無表情が僅かに強張った。深紅の瞳はキラキラと輝き、頬が染まっている。そんなに肉が好きか。
「鷹は? まだ動けないの?」
「まだダメだな。後で顔を見せてやってくれ。癪だが、奴には一番の薬だろう」
「うん、わかった。当然、会いに行くわ」
聞かなくてはいけない事もある。話してくれるかはわからないけれど。
鷹はいつも飄々としているけど、自分を大切にしてくれていることくらいわかっている。そして、赤薔薇に見せていたあの目隠しの奥に何かがあるという事も。
このようなことになった以上、今後、彼の身のためにも、事情は聞きたい。いや、聞かなければいけない。あいにく体調を崩して寝込んでいるなら、そうそう逃げられることもないだろう。縄で縛ってでも聞き出してみせると、ルカは心に決めた。
「鷹のことは、私が直接話を聞くわ。あとは、襲撃者について。……上弦の者で、間違いないのね?」
「ああ」
「……皆、私に隠していたでしょう」
ルカはこめかみに手を当て、睨むようにして全員を見回す。皆が皆、神妙な顔をしながら、顔を伏せたり、視線を逸らしたりしていた。こう言った形で誰かに責められたことなどないのだと思う。だからこそ、ハッキリさせなければいけない。
「みんな優しいから、私に知られないように内々でカタをつけようとしていたのよね。……でも、隠さないで欲しかった」
皆の目がルカからそれる。彼らがよかれと思って隠していたことくらい、わかっている。
だけれども……だからこそ、はっきりさせないといけない。
「貴方たちの言葉に言い換えましょうか。宵闇の村に行ったのは私の勝手なのよ。やりたいからやっただけ。私は私の目的があって行っているのよ。そこに貴方たちがついてきてくれて、護ってくれるのはとってもありがたい。――いえ、私は貴方たちの助けがなければ、夜咲き峰で行動することすら難しいから」
私は、役立たずだから、と言葉を添える。
「だから、私と共にいることで、貴方たちになんらかの利益があることは嬉しく思っている。役に立てることがあるなら、こんなに嬉しいことはない。いつも一緒にお話しして、笑って――だからね、私は、貴方たちにこれ以上迷惑をかけたくないの」
ルカ自身が知らないことによって、上弦の妖魔に対する対策が練られなかった。結果、皆に心配させることになってしまった。彼らが情報を隠した結果がそれでは、誰も幸せにならないではないか。
「ちゃんと言って。考えるから。私は、私が弱いのを知っているわ。だから、私が身を守るための術を考えなければいけない。もちろん、力を貸してくれるなら、喜んで借りるわ。だから、ちゃんと。私のために動いてくれているのなら、それを教えて」
「ルカ……」
鴉が視線を逸らす。花梨が表情を険しくする。赤薔薇は無表情で紅茶を口にし、菫はギュッと手を握りしめる。
「だったら、ルカも教えてよ」
そんな中、声をあげたのは琥珀だった。
「僕たちは……僕たちこそ、勝手に君を護ってるんだ。君が僕たちの行動にどうこう言う権利なんかないでしょう? だから、僕たちが教えるかわりに君からも教えて。君は何をしようとしているの?」
「琥珀?」
「君について行くと、毎日が面白いんだ。新しいものを、たくさん見たり、知ることができて。君は明るくて可愛いし、下弦のみんなとも話すようになった。毎日がとっても楽しい。だから僕は、この毎日を手放したくない」
琥珀の瞳が揺れる。
いつもにこにこと機嫌の良い彼からは想像できない、真面目な表情。
「お気に入りの毎日を守るために勝手に動いてただけだよ? だから、上弦のこと。君に伝えなきゃいけないとか……思ってもみなかった。だって、僕が護りたかっただけだもの。僕たちだけで処理すべきことじゃないか。……だから、君が何を知りたいのか、教えて。僕たちが一緒に、護れるように。今度はちゃんとお話するから」
胸に刺さった。
ここでもルカは人間基準で考えていたことを深く後悔する。
そうか、彼らとはそもそも、気の良い友人でしかなかった。お互いの目的を共有した上での“報告の義務”など最初から存在し得なかった。
「私からもいいかしら、ルカ」
琥珀に引き続き、今度は花梨が主張し始める。
「人間の言葉で言うなら、情報を対価として成立させましょう。私たちも貴女が何かを隠しているのは、存じておりますのよ? 隠し事をする人間に、こちらが隠し事をするのは当然でしょう? なんでも話して欲しいというのなら、貴女も同じ姿勢をお見せなさいな」
「花梨」
本当に、その通りだと思う。ルカ自身は“人化”対策という大義名分の元、真っ直ぐに動いてきたつもりだった。しかし、その根本的な問題を共有出来ていないのだ。あえて話してこなかったとは言え、ルカの行動原理すらわからない者に、必要な情報を報告してくれと言ったところで無駄だろう。
情けなくなって、頭を抱え込みたくなる。
……さて、どうするかな。
話すのか。ここで。
眉間に皺を寄せたままのレオンを見る。すると彼はただ、真っ直ぐルカを見つめかえしてきた。ルカの判断に全てを委ねてくれているのだろう。
次に菫を見る。彼女はオレンジの瞳に強い光を宿し、大きく頷いた。
「――話すわ」
決意した。
菫は、けして、他の妖魔に言ってはならぬと言った。妖魔の、妖魔たる矜持を深く傷つけるからと。
しかし、下弦の皆はどうだろうか。これからどうすべきか、一緒に考え、力を貸してくれるのではないか。
ルカは先日、皆に信用されていないと風の主に告げた。しかし、本当に信用していないのは自分自身だったのではないか。
「――私がここに連れて来られた理由からいきましょう。鴉は、風様から聞いている?」
「……いや」
「そう。では、やはり誰も知らないのね。……覚悟して聞いてね」
全員の視線が集中するのが分かる。ルカは彼らを真っ直ぐ見つめ、言った。
「婚約者というのは、名目上のものよ。私は、ここに、人間の文化を教えるために来たの」
「人間の……文化?」
「そうよ。貴方たちは、それを知らなければいけない日が来る。何故ならね、この夜咲き峰では、妖魔の“人化”が進んでいるから――」
その言葉に、場に居た誰もが絶句した。
ルカは話した。婚約に隠れた本当の目的を。夜咲き峰について。結界について。人化について。何故下弦の妖魔に近づいたのかについて。
ひとしきり話して、頭を下げる。ごめんなさい、と。
しばらく誰も声をあげなかった。なんと声をかけて良いものか、わからないのだろう。もしくは、“人化”という事態のショックが相当に大きいのかもしれない。
ルカ自身も、これ以上どう声をかけて良いものか分からなくなっていた。
もどかしい気持ちで、ただ、皆を見わたす。すると、困惑したルカの気持ちをくみ取ったらしい鴉が、ふと微笑んだ。
「変わらない。人になろうがなんだろうが。俺は、ルカの側に居る」
ルカは目を丸くした。
鴉なら、きっと分かってくれるだろうとは思っていた。
しかし何も変わらないという言葉がこんなにも嬉しいものだとは思わなかった。無意識に表情が綻んでしまうのがわかる。
「鴉はわかりやすいよね。んー、僕はちょっとよくわかんないや。けど、ルカのやりたいことは分かったよ。楽しければそれでいいや。仕方ないから協力してあげるかなあ」
「琥珀」
ぽややんとした笑顔を浮かべて、琥珀が告げる。表情から毒気が抜けていて、ルカは安心した。
そして次は花梨に目を向ける。彼女は頬に手を当てて、考え込んでいた。
「私は……私が人になると言うことでしょうか? あの方と同じ? ……悪い気分ではございませんわね」
「花梨?」
「ですが、ルカの仰るとおり、色々問題が出てきそうなのも事実ですわ。妖気が使えなくなるなど、想像すら出来ませんもの。もし人になるとしても、私は、私の矜持を守るため、美しく生きられるよう全力で学ばなければいけませんわね」
「協力するよ!」
「心強いですわ」
豪奢な笑顔でニッコリと微笑む。彼女はルカが思っているよりもずっとずっと強かった。もっと早く告げていれば良かった。
「ルカも、そのすぐ謝るクセはどうにかした方がいいですわよ。折角可愛らしいのですから、殿方を転がして当たり前くらいの態度で居た方がよろしくてよ」
「え? えーと……うん、じゃあ、私はそれを花梨から学ぶ……」
「心得ましたわ」
花梨は、それはそれは楽しそうに笑った。彼女の誇らしげな態度が心強く、ルカも思わず吹き出す。あまりに心強くて、ちょっぴり涙が出そうだ。
そして次に赤薔薇に目を向ける。
「赤薔薇は?」
「……お腹。すいた」
「?」
場の状況に全く関係の無い言葉に、全員がぽかんとする。そもそも、妖魔にお腹がすくなんて現象があるはずがないのだが。そんな皆の疑問など我関せずと言う表情で、赤薔薇は続けた。
「肉。美味しく食べられるなら」
人間も良い、とでも続くのだろうか。中途半端なところで言葉を切られて、ルカは困惑する。
そしてルカは思い出す。お腹がすいているときにご飯を食べると最高に美味しい的なことを言ったことがあったようななかったような、と。うろ覚えだがそんなルカのセリフを彼女は覚えていたとでも言うのだろうか。
いろいろ考えたけれども、彼女からそれ以上の明確な言葉が返ってくることはなかった。ただ、一つ言えるのは、彼女の表情も態度も、以前の彼女となんら変わりがないと言うことだろう。もう、赤薔薇はこれで良いのかもしれない。
微妙な沈黙を察したのだろう。次に言葉を発したのは、菫だった。
「私も変わりません。ルカ様が宵闇の村の皆を助けて下さるというなら、全力でお手伝いしますわ」
「ありがとう、菫」
そして、最後にレオンに目を向ける。真剣な表情で、彼も大きく頷いた。
「俺も変わらん。俺は全力で、お嬢様に仕えるだけだ。変な仲間が増えたようだが、まあ、なんだ……その……頼りにしている」
「レオン、素直になりなよ―」
「うるせえ! いいか、お前ら。全力でお嬢様を護れよ! 今度トチったら許さないからな! ……俺も含めてだが」
全員にからかうように見られて、レオンの頬が真っ赤に染まる。やけくそで発した言葉に再び、全員で声をあげて笑うことになった。
“人化”が共通認識になりました。
次は寝込んだ鷹に会いに行きます。




