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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
33/121

目覚め(3)

「風。ここまで。もういい」


 全員揃っての移動のさなか、そう呟いたのは赤薔薇だった。

 全員と対面してしばらく、ルカを自身の部屋へ戻そうという話になった。ルカ自身は体を動かすことに特に問題はないと考えたのだが、レオンと鴉の二人が、ルカを抱いて運ぶと言って引き下がらなかった。


 聞いたところによると、あの日からもう四週間以上経過しているらしい。それまで一度も目を覚まさなかったルカがいきなり歩くと言うのだから、確かに心配もするだろう。

 しかし、風の主はレオン達が運ぶことを良しとしなかった。ルカの返事を聞く前に、抱いたままの体勢で、彼は立ち上がった。そしてすたすたと部屋を出て行ったわけである。


 当然、一番驚きを隠せなかったのはルカだった。

 風の主はいつも通りの涼しげな様子で、堂々と彼女を抱き、螺旋階段を降りていく。下弦の一同が後ろからぽかんと口を開けたままついてくるのが印象的だ。




 しかし、それも満月の峰を出る前までだった。声をかけたのだ、赤薔薇が。


「……そうだな。わかった、其方らに任せよう」

「風。無理は禁物だから」


 二人の中では何かをわかり合っているらしい。赤薔薇は白くて細い腕を掲げ、風の主も頷く。そしてルカは彼らに手渡される形で、気がつけば赤薔薇の腕の中に居た。


 ――ん!? 赤薔薇!? いいのかな、女の子にこんな。


 ルカは戸惑った。しかし、流石下弦の筆頭だけあると言えばいいのか、軽々とルカを持ち上げ脚を進める。目を白黒させる男性陣をよそに、赤薔薇はさっさと下弦の方向へ足を進めていく。


 赤薔薇の背中越しに、風の主の顔が見える。下弦へと続く長い回廊を進んでいる間、いつまでも、いつまでも、彼はルカを見つめていた。




 ***




「……皆には心配をかけたわね。ごめんなさい」


 問答無用で寝台に放り込まれたルカは、全員に見下ろされる形になり、たじろいた。先ほどまでは喜びに涙を浮かべていた者もいた気がするが、今はそんな穏やかな様子でもない。どう考えても怒りに満ちたような表情に見えてしまうから、ルカは説教を覚悟した。

 ずるずると布団から這い出て、正座する。父の祖国ゲッショウではこの形がもっとも反省の意を示すことを知っていたからだ。両手をついて、頭を下げようとしたがレオンに全力で阻止された。



「待て、お嬢様。おい、頭を上げろ!」

「……だって、みんな怒ってるもん」

「怒ってって……ちがうだろ、これは。そんなんじゃ」


 吐き捨てるように言って、レオンは目を背ける。イライラとした表情は、どう見ても怒っているようにしか見えないわけだが。



「肝が冷えた」


 代わりに、鴉が呟いた。彼は他の皆とはまた違った様子で、随分と目に生気が無い。顔色も悪くて、目の周りには隈のようなものが色濃く浮かび上がっている。この四週間、随分と気を揉ませてしまったのだろう。


「本当に、もう、このようなことは御免ですわ。皆、何も出来なかったのですわよ」


 次は花梨だ。彼女はすっとルカの横に腰をかけ、頬を優しく撫でた。そして、少しからかうような笑みを浮かべる。


「随分と顔色もよくなりましたのね。風の主のおかげかしら?」

「ふぇっ!?」


 あまりの彼女らしい物言いに、先ほどまでの重たい空気はどこへやら、ルカの意識が沸騰をはじめた。先ほどの風の主の腕を思い出す。陶器のように美しい手が、ルカの髪を撫でていたのだ。ルカの頭の中に先ほどの光景が蘇り、頬が熱くなる。


「……なんですの、その反応は?」

「えっ、いや。なんでも」

「随分と大切にされていたようですけど?」

「それは、単に風様が心配してくれただけで」


 何でもない、と言えるのだろうか。こうやって問われるだけでも、妙に意識してしまう。うっかりボロが出てしまいそうで、答えに言いよどんだ。


「花梨様、ほどほどにして差し上げて下さい。今は休んで頂くのが先でしょう?」

「……レオンがそう言うならしょうがないですわね」


 良いところで助け船が出た。レオン、グッジョブと心の中で全力で褒めておく。




「ほら、お嬢様。病み上がりなんだ、あまり心配させるな。ゆっくり休むといい」


 そう言い、レオンはルカの両脇に手を回し、再度布団の中へと身体を潜り込ませた。ルカ的にはぐっすり休んで快調のつもりなのだが、皆許してくれないだろう。ここは大人しく言うことを聞いておくことにする。


「ありがとう、レオン。みんな。……鷹は?」

「……奥で休ませてる。まだ目を覚ましたくらいで、起き上がれる状態でもない」

「そう。でも、そっか。よかった」


 鷹が休んでいるとかまったく想像できない。いつも飄々とした様子で現れては、周囲を引っかき回して消えてゆく。そんなイメージしかないからだ。

 ルカが倒れたことと何か関係がありそうだと風の主は言っていた。鷹が無事に起き上がれるようになったら、ちゃんと、話を聞こうと思う。


「休むわ」

「ああ、そうしてくれ」



 安心したように少し笑って、レオンはすぐにきびすを返した。

 他の妖魔たちの元に行き、これからの行動について話し合っている。この部屋にはレオン、菫、花梨、琥珀が残る。赤薔薇は外出。今回の事件を受けて、いろいろ独自に動いているようだ。そして最後に、鴉は休む。


 レオンの指示に鴉は不服そうだったが、全員に言いくるめられていた。ルカが目を覚まさない間、相当無理をしたらしい。何度か上弦の連中とも交戦したらしく、このあたりは後々詳しく聞いた方が良いかもしれない。

 ともあれ、上弦との諍いはほぼ公に出てきてしまっているようだ。同じ夜咲き峰の妖魔同士、真っ正面から争いをするだなんて、人間のルカには到底理解できない。

 しかし鴉の表情を見ていると、複雑な気持ちになる。彼はただ、ルカのために、戦ってくれた。それを咎める気にはなかなかなれない。



「ルカ、僕、ここにいるからね」


 レオンの指示をえて、琥珀が寝台の側まで戻ってきた。


「ありがとう、琥珀。優しいのね」

「んふふ、ルカには特別だよ。ほら、手、出して」


 にこにことあどけない微笑みで、手を催促する。結局自分が寂しいだけなのでは、と思いつつも、ルカは片手を布団の上に差し出した。琥珀は両手でその手をぎゅうと握りしめ、琥珀色の目を細めた。


「今日はルカが僕に甘えて良いんだよ」

「ほんと? ありがとう、琥珀」

「んーん。風の主だけいいとこ取りで、ずるいもんね」


 ちらと、黒い笑顔が紛れる。

 聞くところによると、四週間ずっと、風の主の部屋で眠りっぱなしだったらしい。

 詳しいことは分からないが、満月の峰が最も月の影響を受けやすいらしく、月の力がルカの治癒に良いかもしれないといういかにもな理由をつけられたそうだが。


 琥珀は鴉を巻き込んで何度かルカを奪い返す計画を立てたそうだが、上手くいかなかった上、レオンにこっぴどく叱られたとかなんとか。なるほど、レオン、グッジョブである。



「おい、琥珀てめえ。あまり話しかけるな。お嬢様が眠れないだろうが」

「うー、レオンが怖いよー」

「また説教されたいか」

「……もう拳骨はいらないもん」


 琥珀は両手で頭を抱え、非難の瞳でレオンを見ている。

 なんだかんだで、レオンも皆に相当気に入られているようだ。考えてみると当たり前だが。ここの連中は皆、レオンに餌付けされているのも同然なのだから。


「おい、琥珀。お前の眷属借り出せないか? お嬢様も目が覚めたし、手が足りん」

「はいはーい。呼び出しかけるよ」


 そう言って、琥珀も奥の部屋へと駆けていってしまう。部屋の中ががやがやと活気づいているのがわかって、ルカは微笑んだ。


 休めと言われた鴉が、呆然とした面持ちでこっちを見つめているのがわかる。まだ、彼の瞳は不安に揺れていた。だからこそ、ルカはニッコリと笑顔を濃くして、頷いた。大丈夫だよ、という気持ちを伝える。

 彼もルカの意図が分かったのだろう。

 少しばかり表情を緩め、ルカの部屋から去って行った。

ルカも起きたことですし、これからバタバタしそうです。


次は、眠っていた間のことについて、報告を受けます。

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