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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
28/121

−幕間− 気になるあの子

『ジグルス・ロニーの記憶(1)』前まで時間はさかのぼります。

アヴェンスのお花屋さんの一幕です。

 相変わらずアヴェンスの西門市場は今日も騒がしい。客引きと値引きの声が入り交じる。けして上品なわけではない住人達が、其処此処で商人とやりとりをしている。

 その市場の一角で、リックは大きなため息をついた。

 今朝仕入れたばかりの色とりどりの花を、種類別に分別しつつ、暖かな陽気に似合わぬ鬱々とした表情で花々を見つめている。


 花屋というのは、アヴェンスの市場の中でもある種花形とも言える仕事だ。

 食料品、燃料、日常雑貨に並んで重要視される店舗。それが花屋になる。

 スパイフィラス領アヴェンスでは、寒さが厳しく、花も十分な収穫量が見込めない。仕入れするにしても、花の命は短いため、遠くからの輸送には向いていない。デリケートな商品であるため扱いは難しいが、魔術具の貴重な材料になり得るため、その価値は高い。質の良い花を揃えられる店には、自ずと人が集まってくる。


 そんな花材ギルドの大店に所属できたのは、リックにとっては幸運だった。ただ、思惑と外れてしまったのは、自分が配置されたのは貴族街や富裕層の住まう商家街の方ではなく、比較的庶民が多い西門の中型の市場だったということだが。

 必要最低限の魔術具の素材花を取り扱うぐらいの、交渉の余地もないただの売り子。自分が希望していた高額取引や商品の開発からはほど遠い末端の仕事に、リックは辟易していた。



 ――折角花材ギルドに所属できたのに、こんな、誰でもできる仕事とか、まっぴらだ。


 リックには二人の兄がいる。二人とも花の生産を進行管理という、商家の中でも生産寄りの仕事に就いている。幾つかの農家と専属の取引をし、仲介料を取る形で花材ギルドに卸す。天災に左右はされるが、商業として成立させるなら比較的リスクの少ない仕事だ。

 兄たちと同じ業務に就くというのも、一つの選択肢としては存在した。しかし、リックにはもっと大きな仕事がしたいと思っていた。勿論、具体的に何かと言われると口を閉ざさざるを得ない。漠然とした大きな夢。兄たちは苦笑したが、自分の将来に夢を見るくらいはいいだろうと、リックは直接花材ギルドの大店に就職を希望したのだ。



 その結果が、これだ。


 夢ばかりが膨らみ、何の実にもならない。もっと大きな仕事をしたいなら、それに足る実力や業績を見せよと軽くあしらわれた。

 実家の実績おかげで、この身をく受け入れてはもらえたものの、ひよっこもひよっこ。たいした業務には今後も就かせてもらえそうにない。


「はあ……」


 ため息も禁じ得ない。この売り子という仕事、毎日が同じで、変化というものがない。

 このままずっと、無意味に年をとっていくのかと、将来に対しての漠然とした不安だってある。こんなことなら、まだ家に残っていた方が良かったのかもしれない。曲がりなりにも商人らしいことは出来ただろうし。



 ――まあ、あれだけタンカ切って家を出ておいて、今更帰れないかあ。


 家に帰るだの、リックの中途半端なプライドがそうさせない。だから明日こそは、来季こそは、来年こそはと将来に向かった漠然としたやる気を垣間見せるも、やってくるのはきっと同じ日々なのだろう。

 ふがいない自分。理想と違う自分に辟易しながら、ため息をつく。賑やかな市場に似つかわしくない浮かない表情で、椅子に座り込んだその時だった。




「こんにちは」


 鈴のような声が聞こえた。

 反射的に顔を上げる。眩しい太陽に照らされて、花のような笑顔がそこにはあった。

 ふわふわとした髪は落ちついた菫色。ぱっちりとした大きな瞳は、オレンジ色にきらきらと輝き、一瞬で視線を攫われる。

 仕立がよい衣装は、艶やかな素材で、下働きらしい制服のような印象があったがかなりの高級品だ。かっちりとした衣装に身を包んでいるが、形の良い胸についつい目が行ってしまいそうで、リックは息を呑んだ。



「お花。いいですか?」


 そして声も良い。様々な声が飛び交うこの雑踏の中で、彼女の声だけがストレートに耳に届く。ぽかんと口を開けたまま、リックが彼女に見とれていると、優しげな瞳がますます輝いて、にっこりと、笑った。


「……っ。ど、どうぞっ」


 声が裏返る。

 なんだ。誰だ、この女の子は。この界隈で見る商人の下働きでも、彼女ほど身なりの整った下働きなど見たことがない。所作の一つ一つがとても美しく、手だって荒れていない。下働きながら、相当に恵まれた環境に居ないと、彼女のような雰囲気は作り出せないだろう。

 まさに浮き世離れした、花のような女の子。なぜこんな末端の市場にいるのかと大きな疑問が浮かび上がるが、まずはリックはそれを横に置いた。


「何か、お探しなのかな? 魔術具用? それとも贈答用かな?」

「ええとですね――ああ、これを」


 女の子が指を指したのは、ミリエラの花だった。薄紅色が可憐な花。基本的には魔術具用として重宝されるが、その花の美しさから贈答用として用いられることも少なくはない。


「ミリエラね。どうやって包もうか?」

「ええと、あるお方に差し上げるものですから」

「プレゼント? ほかの花も混ぜるかい?」

「いえっ。すべて、その花でお願いします」

「ミリエラで?」



 思いがけない言葉に、リックはきょとんとした。贈答用なのに、ミリエラのみというのは聞いたことがない。送り手、もらい手のどちらかによほど思い入れが無い限り、単色の花束なんて――しかも、魔量特化の花束なんて贈ることはない。

 ちら、と女の子の方を見ていると、何の疑問も無くリックの手元をのぞき込んでいる。これは、少し教えてあげた方が良いのかもしれない。


「本当にミリエラ単色? 単色にするなら、他にもお勧めの花があるよ?」

「大丈夫です。主の、指示なので」

「ああ、なるほど」


 そこまで聞いて、リックは納得した。

 やはり誰かのお使いで来ているらしい。となると、その主の指示と言うことだが、よほど変わった人物なのだろう。そもそも、彼女の身なりだと、主は相当のお金持ちであることが予想される。しかし、それならば彼女がこんな西門市場に来ていることがあまりに不自然だ。

 アヴェンスは比較的落ちついた土地ではあるが、それでも治安の良くない場所はある。この西門も、最低ではないがそんなにも安全だとは言い切れない。彼女ほどいい身なりをしていると、ガラの悪い連中に付け狙われる可能性だってあるわけだ。ここに彼女のような可愛らしい女の子を使いに出す主に対し、リックは疑問を感じざるを得なかった。


「一人なのかい?」

「……え?」

「ほら、ここの市場。君の住んでる場所と違って賑やかだろう? ガラの悪い連中もいるんだ。道中大丈夫だった?」

「うふふ、大丈夫ですよ」


 人好きのする笑顔でにっこりと笑い、チラリと後ろに視線を流す。向こうには黒ずくめの男が見守っているようで、用心棒を連れていることがわかった。用心棒の方も彼女と同じく、なんとも目を引く雰囲気を持っているようだが、こちらは取っつきやすさゼロだ。目が合うと鋭い三白眼にぎらりと睨まれ、リックはピクリと肩を震わせた。



 早速花束を仕上げてしまうことにする。量を聞くと、ありったけ、と言うものだから、店頭に置いていたミリエラをすべてかき集めて、一つの花束とした。

 両手一杯に花束を抱え込み、ニッコリと笑う彼女。それはもう、天使か女神と言えるくらい、素敵な表情だった。そういえば、ミリエラはその昔、女神が人間に授けた奇跡の種とも言われてたのだったか。ミリエラの女神がいるのなら、彼女みたいな女の子なのではとリックは想像する。


「良かったです。綺麗な花が手に入って。明日も欲しいのですけれど、ありますか?」

「……っ! 一等綺麗なのを、仕入れておくよ!」


 思いがけない提案に、リックの心が跳ねた。

 正直、初めて見たときから彼女に首ったけになっている自分を自覚しつつあった。しかし、自分は店主で相手は客。彼女から来て貰わないかぎり、会うことは出来ないのだ。

 リックの返事に、女の子は花のような笑顔をますます輝かせて、笑った。それだけで、リックの心は舞い上がらんばかりだ。

 今朝までの憂鬱が何だというのだ。市場には生きがいが無いと思っていたが、嘘だ。西門なんて価値が無いと思っていたが、そんなことはない。すべては、彼女に会うためだった。そう思えば、とたんに納得がいくものだ。



 にっこりと会釈しながら去って行く後ろ姿をじっとみつめてしばし。


 ――名前、聞き損ねた……っ。


 舞い上がったあげく碌な話も出来なかったと反省したが、なんてことはない。彼女は明日も来てくれると言ったのだ。明日までに、対策を練り上げなければなるまい。リックはそう、心に誓ったのだった。




***




 そこからはまるで夢のような日々だった。


 彼女――名前は菫と言うらしい。異国のような変わった名前ではあるが、なるほど主人が異国の人間だと考えれば珍しいこともない。名前の響きからして、ゲッショウの方から来たのだろうか。出自はよく分からないが、今のリックにはそんなことどうでもいい。

 毎日のように彼女は店を訪れ、ありったけのミリエラの花を買って行ってくれた。他の住人が魔術具用に買えなくなったと文句を言ってくることもあったから、仕入れ量も増やした。しかし、彼女のためにもっとも品質の良いものを用意し、万全を期した。

 生まれながらにして花に接して育ったリックにとって、良い花を見繕うのは難しい話ではない。こればかりは、自分が生まれ育った環境に感謝することとなった。


 相手もリックさん、と自分のことを名前で呼ぶようになってきて、親密度がぐぐっと蓄積されていくのを実感している。そろそろ、個人的に食事に誘うなど、ステップアップも考えていいのかもしれない。いや、彼女もそれを待ち望んでいるのではないだろうかとさえ思う。


 リックの妄想はとどまることを知らない。仮に彼女が異国の商人の下働きだとしよう。そしたら、ここで足を止めなければ、彼女は他の街に移り住んでしまうのかもしれない。ええい、だめだだめだ。むしろ自分は何のんびりしていたのか、事は一刻を争うのではと、突如不安が押し寄せる。

 よく考えると、菫については名前がわかったくらいで、どこに住んで、誰に仕えているのか、詳しいことは何もわからないし、彼女も言おうとしなかった。


 しかし、リックにとって大事なことは、このラブロマンスの結末が見えていることだ。基本的に物事を楽観視してしまうリックには、彼女と出会った瞬間から、彼女と添い遂げるイメージしか出来ない。しかしその為には、今、花屋に通ってきている期間を無為に過ごすのは許されないこともわかっている。




「……で、どうすんの?」


 酒瓶をだん、と置いて話しかけてきたのは、同じ西門市場で石屋の売り子をしているディランだった。今日はとことん、ということで、店じまいをしてから延々と酒盛りをしているわけだが、リックはただただどうしようと悩みを吐露するだけで、話が一向に発展しない。カラになったグラスがテーブルの上に所狭しと並べられ、どれほどの時間うじうじしていたのか、それだけで分かるというものだ。

 当然、堪えきれなくなったディランは、据わった目でじいとリックを見つめて、結論を急かした。


「えっ」

「いつ、言うわけ? その菫ちゃん、だっけ? もう決めてるんだろ? 告白するって」

「するさっ」

「そうだよな。親密にもなってるんだろ? 相手もまんざらでも無いわけだろうが。でないと、わざわざおまえの店に通う理由もないものな」


 ディランの推測はおそらく正しい、と、リックは考えている。彼女のような仕える者の身分が高い場合は、だいたい中央の店舗街へ足を運ぶのが普通だ。仕入れ先の保証もあるし、治安も落ちついているので安心して買い物が出来る。そもそも、金持ちの家であるならば、専属の商人が居てもおかしくないはずだ。毎日同じ商品を買い出しに出ること自体、不自然なのだ。

 なのに、彼女は毎日、この庶民溢れる西の市場へやってくる。西でなければいけない理由があるはずだった。



「彼女、俺のこと好いてくれてるのかなあ……」

「まて。また同じ話になっちまうだろう? もっと建設的なことを考えるべきだ」

「建設的?」

「想いを伝える作戦だよ。まずはデートにこぎ着けなきゃだろ」

「デートか……」


 ディランの言い分はもっともだ。彼女がどう思っているか、うだうだ考えたところで発展性はない。それよりも、明日どのような行動をするか、そちらを考える方が遙かに建設的である。



「そんなに不安ならさ、(まじな)いでもかけてもらえばいいんじゃないか」

(まじな)い、かあ……」


 ディランの提案に、リックは少しばかり戸惑った。

 女、子どもだけでなく、一部の成年男子にとっても、恋愛成就のための呪いを執り行うのは珍しいことではない。魔術に直接関係する花材ギルド連中などは、特に呪いに対しての抵抗感がない。恋愛成就以外にも、商売繁盛、家内安全など事あるごとに専属の呪いしの元へ赴くのもごく当たり前のことだ。

 当然リックにとっても、呪いに対しての忌避感は皆無だ。ただ、今までその手段に頼ったことがないだけで。


「呪いっていっても、俺にはなじみの呪い師なんていないしなあ」

「……ガーネットって知ってるか?」

「ガーネット? お前のところの商品で無くてか?」


 ガーネットと言えば、強い魔力を含んだ、宝石としても美しい石の名前だったはずだ。深くて暗い赤が印象的で、ちょっと金持ちの家なんかは冬場の燃料として一粒仕入れることも珍しくない。


「ちがうよ。そういう名前の(まじな)い師。鉱物ギルドでは有名なんだ。たまに屑石なんかを買っていくことも、持ってくることもあるからな。実際、こぼれ落ちるくらいの大きさのガーネットのペンダントをしててさ、すっげえ美人なんだ!」


 美人、と言われると俄然興味が湧いてくる。

 呪い師と言えば、魔力の高い平民のじいさんなんかが趣味で行っているのがほとんどで、女性の呪い師などまず見ない。女性で魔力が強い者は、教会に勤めるのが主流だから、庶民の商売などに降りては来ないのだ。だから、女性の呪い師と言うだけでも心躍るというのに、美人ときたものだ。これはもう、会うだけでも価値がありそうだ。


「実力は?」

「折り紙付き。ついでに、女性だからだと思うが、恋の呪いは本気で効くらしいぞ」

「紹介しろ」


 そこまで告げ、リックは手元の酒を飲み干した。



「すまんな、ディラン。一足先に、月太神(げったいしん)への誓いをのべさせて貰うぜ」

「……どうやったらそこまで話が飛躍するのかわからんが」


 月の女神と太陽の神に誓約する。これすなわち、婚姻の証だ。

 まずはガーネットの力を借り、彼女へ告白する。その後は結婚へ向けてまっしぐら。妄想では完璧な道筋を辿ることが出来るし、きっと現実でも上手くいくだろう。


 菫。可愛らしくて可憐な少女。はやく彼女の隣で歩きたくて、心が浮き立つ。きっと彼女も同じなのではと思う。ここは男らしく、自分から気持ちを告げて、はやく彼女を安心させてあげようと、リックは心に誓った。




***




「で、貰ったのが、それか?」


 後日。一つのビンを片手にうーんと唸るリックに対し、ディランが不思議そうな目を向けてきた。




 あの後、ディランにガーネットを無事に紹介して貰うに至った。というより、ガーネットの訪れた日を教えて貰い、走ったのだ、鉱物ギルドまで。しかし、ガーネットはリックの訪れなどお見通しだったようで、彼女の方からリックの前に現れる形となった。


 絶世の美女だった。

 なるほど呪い師らしく、全身を黒いローブで覆ってはいたのだが、所々にのぞく肌はまるで真珠のように滑らかで白かった。深紅の髪に、落ちついた石榴色の瞳。溢れんばかりの色香と、甘い香り。この世の者とは思えないほど、非現実的な存在に目を――いや、まるで五感の全てを奪われるのは、仕方の無いことだったように思う。


「菫色の少女に気持ちを伝えるなら、これをお使いなさいな」


 そうい言い残し、彼女がディランに渡したのは、一つの小瓶だった。


「一度会うごとに一滴。花弁に垂らしなさい。貴方の想いが花から彼女へと間違いなく伝わるでしょう」


 それだけ言い残し、まるで煙のように彼女は存在を消してしまった。いや、煙のようにと言うと語弊があるのかも知れないが。普通に彼女は立ち去っただけ。しかし、目の前から離れるだけで、すっと意識が彼女から離れてしまった。あれほどまでに美貌に、香りに、五感の全てを彼女に奪われたかのような感覚に陥っていたのに、だ。





 強烈な彼女の存在で唯一手元に残ったのが、リックの手元にある小瓶。桃色の液体が入っており、光に晒すとキラキラと虹色に輝く、不思議な液体だ。


「魔力の気配はしないんだよな。偽物?」

「……なわけあるか。ガーネットの腕は、本物らしいぞ」

「だよな」


 疑心暗鬼になったものの、リックは頷いた。

 そもそも、呪いになど頼る気もなかったのだから、後押ししてくれるだけで十分効果があるとも言える。占いの効果が嘘か本当かはどうでもいい。ためしに一滴、花束に垂らしてみようじゃないか、この液体を。



「おいでなすったぜ」


 ディランに声をかけられてはっとする。遠くに、菫色のふわふわの髪が揺れるのが見えた。


「検討を祈る」


 ぽん、と肩を軽く叩いて、ディランは自身の店の方へと戻って行ってしまった。賑やかな市場の中、彼女の存在だけが浮き立つようにして見える。

 ぼう、と見ていると、彼女がにっこりと微笑んでくれたのがわかった。


 彼女が来るのはわかっていた。ミリエラの他に、リックの気持ちをありったけ詰めた、色とりどりの花束。それに桃色の滴を一滴垂らし、腕に掲げる。



 ――まずは、俺の気持ちを知ってもらうことからはじめよう。毎日、毎日。彼女が俺の気持ちに気付いてくれるまで、花を贈るんだ。そして、彼女をデートに誘う。


 よし、と心に決めて、リックは菫の前に花を掲げた。




「菫ちゃん、俺――!」

彼の気持ちがどう伝わったかは『ジグルス・ロニーの記憶(1)』冒頭にてご確認ください。


次回から本編に戻ります。

第1章後半“宵闇の村編”をお楽しみ下さいませ。

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