−幕間− 下弦妖魔会議
「お集まりの皆様。ここに、下弦妖魔会議を開催いたします。ルカに見つからぬようこのような時間の開催になってしまいましたが、お集まりいただき感謝の念にたえません」
ぐるりと。円卓を囲むようにして下弦の妖魔が大集合している。鴉も例外なく、その輪に入れてもらっていた。
今宵は琥珀の部屋のバルコニーでお茶会。レオンや菫がいなくとも、琥珀の眷属たちがすっかりとお茶を入れる技術を習得したらしい。空を見上げると、外には大きな月が欠け始めており、夏の訪れを予感させていた。
「今日の議題はルカについてです。皆さま、忌憚ない意見をお出し下さるよう、お願い申し上げます」
全員を取り仕切るようにして話す琥珀は、随分とその役割が板に付いてきたようだ。以前はたどたどしい言葉だったが、今は外見に似つかわしくない難しい言語も使いこなし、イチ議長としての役割を果たしている。
この下弦妖魔会議は、ルカの部屋に集まり始めたのをきっかけにしてしばしば開かれることがあった。最初は琥珀が菫と情報交換をしたがったのが原因ではある。しかし、皆、ルカの部屋で共に過ごすことが増えてから、夜におのおのの部屋で過ごすのがなんとなく味気なく感じるようになったらしい。
しかし、夜中にルカの部屋に突入するわけにもいかない。よって、なんとなしに祈りを捧げた後、妖魔だけで集まることが多くなっていた。
そうなると必然的に、琥珀と花梨が話しているのを鴉と赤薔薇が聞くという形が出来てしまっている。
「あの子、少しは進展したのかしらね? あの後、ちょぉーっと様子がおかしくてよ?」
最初に話題を提示したのは花梨だった。まともに話をするようになったのはここ最近だが、彼女は随分と他人の色恋に聡いらしい。
もともと色恋などまったく興味の無かった鴉だが、ルカのこととなっては話は別だ。反射的に花梨の方に顔を向けてしまい、彼女に笑われてしまった。
「あら。鴉、興味があって?」
「……」
心を見透かされたようでくすぐったい。鴉は本能的に目を逸らさざるを得なかった。狩るのは慣れているが、狩られそうになるとどうして良いのか分からない。
「鴉はホントにルカのことが好きだよねー」
楽しそうに言うのは琥珀だ。あどけない顔をしておきながら、瞳をらんらんと輝かせている。なんと答えて良いものか迷い、鴉は視線を彷徨わせる。しかし目に映るのは、好奇心とでかでかと顔に書いた琥珀・花梨コンビと、我関せずと言わんばかりの赤薔薇だ。赤薔薇は幸せそうに、黙々と紅茶を飲んでいる。
「で、いつからですの?」
「……?」
「いつから彼女のことを好きですの? ほら、隠さず言いなさい」
「えっ」
ぐいぐいと押し迫られ、鴉はたじろいた。
脳裏に浮かぶのは、月白の髪の少女。好奇心に溢れる黄金の瞳。あどけない微笑みが優しくて……。
「……!」
思い描くだけで、心の中が沸き立つような、ざわざわとした感情に占拠される。ただでさえ言葉を発することが苦手だというのに、彼女の名前を呼ぼうとすると、震えてままならなくなる。甘美な感情がくすぐったくて、彼女が居ないにもかかわらず、真っ赤になった。
「本当にルカのことが好きですのね。ここまで純粋ですと、ちょっと感心しますわ」
「鴉、ほんとうにルカから離れないもんねー。部屋にもめっきり物が減ったでしょ? 最近は宝物あつめ、しないの?」
「……宝物は、今は、別にあるから……」
そう告げ、鴉は皆月のペンダントをぎゅっと握りしめた。心がぽかぽかとあたたまり、彼女がくれた物と言うだけで、大切でどうしようもなくなる。
「重傷ですわね……」
花梨の呟きを横に、鴉は彼女との巡り会いの瞬間を思い出していた。
王都ローレンアウス。彼女に会ったのは2回目の訪問の時だった。1度目の訪問は彼らの長に、風の主からの書簡を届けるのみだった。だが2回目は、噂の婚約者とやらを迎えに行ったのである。
妖魔にも、一種の婚姻と呼ばれる行為はなくはない。話を聞く限り人間のそれよりも随分と淡泊なものらしいが。
峰の筆頭妖魔が嫁取りをするという、鴉が生まれて200余年にして初めての事件に正気を疑った。夜咲き峰の妖魔は、他人に対する興味が希薄だ。しかもわざわざ人間の娘を娶るなど、理解に苦しんだ。
しかし、絶対的な強者である風の主のことを、鴉は嫌いではない。彼に頼まれて断る理由も特になかった。
しかも、風の主がどのようにして知ったかは分からないが、その婚約者とやらは月白の色をしているらしい。それだけで、少し興味が湧いた。王都に迎えに行ったのだ。噂の婚約者とやらを。
「美しかったのだ。彼女は」
胸のうずきが、溢れ出すように言葉に漏れる。突然の褒め言葉に、花梨も琥珀もギョッとして、鴉の方を見た。
月白の髪がキラキラしてて。月がよく似合う。美しい少女だった。
月は、鴉にとって、いや、妖魔にとって特別な物だ。全ての生命の母であり、神である。月が出る時間は心が震え、神と出会えた喜びに感謝し、祈りを捧げる。
キラキラと輝く物を好む鴉にとっては、殊更、月は特別なものだった。昇月の日だからなお。冬のあいだ顔を見せない月をどれだけ待ち望んでいたか。それが現れる特別な日に、特別な彼女に出会う。それは鴉にとって衝撃的な日となった。
――本当に月と同じ色の髪を持つ少女がいる。
すぐに、宝物にしたいと思った。念のため、人間の長に婚約者本人かどうかは聞いたと思う。しかし、鴉にとってはその返答などどうでも良いと思った。夜咲き峰に連れて行きたいのは彼女なのだ。
抱え込むと、驚くほど軽く、そして小さかった。少しでも力を入れると壊れそうな儚さも、鴉の心をくすぐった。
さらさらとした月白の髪が絹のように揺れ、すぐ間近に金色の瞳が揺れる。不安そうながらも、好奇心に満ちた瞳で自分を見てくることにも興味が湧いた。誰かにこんなにも必死に話しかけられることなど、未だかつてあったのだろうか。
結果として彼女は風の主の婚約者となったが、鴉も妖魔だ。別段気にすることでもない。鴉にとって重要なのはルカ自身だ。月のように儚くて、美しい少女。彼女を自分の物にしたくて、でも、どう声をかけて良いのかわからなかった。
月のように美しい彼女を、宝物にする為にはどうすれば良いか悩んだ。まさかその後、自分が追いかけられる側になるなど微塵にも思わなかったが。
「あー……これは」
「本当に重傷ですわね……」
いつの間にか、渦巻く気持ちが言葉になっていたらしい。どこまでが自分の脳内で、どこからが言葉になって溢れているのかすでに分からなくなっている。
しかし、引きつるような花梨と琥珀の表情を見て、鴉は悟った。どうやら、ダダ漏れだったらしい。
「いえ、いいですのよ、鴉。殿方はこれくらい情熱的でないと」
「でも、ちょっとこれは……拗らせているというか」
「……そうですわね。拗らせているというか、空回りしているところが問題ですわね」
琥珀と花梨、二人して大きなため息を吐く。隣で「紅茶おかわり」と琥珀の眷属にお茶と茶菓子を要求する赤薔薇はともかく、目の前の二人は鴉を放してはくれそうになかった。
「それで、どうしますの? 鴉」
「……どう、とは?」
「貴方の気持ちですわよ! 伝えませんの? ルカに」
「い、いや……」
まさかの質問に、鴉はさらにたじろいた。あのときのエピソードが頭の中に蘇ってくる。燻るようなほろ苦い思い出が、胸を締め付ける。
「……もう、伝えたのだが」
「えっ!?」
微塵も予想できない答えだったのだろう。今度は二人して目をまん丸にして鴉を見ている。どこまでシンクロしているんだと鴉は思った。
「伝えた? 鴉の気持ちを? 冗談……なわけありませんわね」
「えっ、でも、ルカってそんな素振り見せた? っていうか、いつ? どう伝えたの? ルカはなんて?」
「いや……」
ペンダントを握りしめ、鴉は言いよどむ。
「ルカがこれを俺に渡してくれた時。俺が、好きだって……」
「そしたら!?」
ぐいぐいと迫ってくる二人が怖い。このまま頭をぶつけるのではというほど身を乗り出し、鴉に問い詰めてくる。
「私も好きだって……その」
「!?」
「んっ? んっ? えっ? とぉ???」
最終的には二人して混乱し始めた。ちなみに、赤薔薇の紅茶は三杯目に突入している。
相思相愛……いや、そしたら風の主は、などとぶつぶつ花梨がのたまう。琥珀もうーん、と、頭を抱えて、状況を整理しているようだ。
「鴉、ごめんね。僕、なんだか状況がわからないよ。ルカは君を好きだって、本当に言ったの?」
「風の主はどうなりましたの!? ぽややんとしていて、いきなり二股ですの、ルカ!?」
二人の質問はとどまることを知らない。仕方ないので、鴉はあの日の出来事を最初から説明するに至った。
宝物を崖下に捨て、佇んでいたところに彼女が現れた。怯えているかと思っていたのに、にっこりと、彼女は微笑んだのだ。
もう二度と話しかけて来ることも無いだろうと思っていた。決定的に避けられ、彼女は風の主のものになるだろうと。しかし、彼女は自分に頭を下げ、新しい宝物をくれた。
見たことも無い石だった。普通の鉱石ではあり得ないほど純粋な妖気を秘め、優しく輝くあの石に、一瞬にして目が惹かれた。
明らかに、彼女にとって大切なものだろう。それを自分の手に握り込ませ、与えてくれた。あの時の心の震えをどう表現してよいものか、鴉は迷った。
もう、どうしようもなくて、口から零れたのだ。好きだ、と。
ルカの言葉は今でも一言一句覚えている。峰に咲き誇る花に負けぬ、素晴らしい笑顔も。
ポツリ、ポツリと当時の状況を伝えていくと、みるみるうちに琥珀と花梨の表情が微妙なものになっていく。
ああそうか、と鴉は思う。状況を説明しようとして、気がつけばいかに彼女が美しかったかしか語っていなかった。これではあの鷹と同じだ。それだけは鴉の矜持にかけて避けておきたい。
「……と言うわけで、彼女とは友達と相成った」
「待て待て待て待てっ」
「なんですの!? そのすれ違いは!?」
……何故だろうか。二人にとって最も聞きたいであろうことを語ったと言うのに、どちらも絶望的な表情をしている。
「ぽややんが二人揃うと、こうも勘違いが膨れ上がるのですわね。お勉強になりますわ…」
「ルカ……好きって。あ〜違うよルカぁ〜」
「?」
鴉には二人が何を絶望しているのかはよくわからなかった。例え友達としても。鴉の想う形とは少々違ったとしても、彼女が自分を好きだと言ってくれた。それだけで充分ではないか。
この胸の燻りだけは、どうしようもないけれど。
「俺はこれからも友達としてルカを護るし、彼女の願いは全て叶えてやりたい」
風の主のことを考えると、胸が締め付けられる心地がする。今まではあまり気にしたことがなかったが、あの日。パーティの夜。風の主の部屋から出てきた彼女の様子がいつもと違っていたことくらい、鴉は気づいていた。
部屋を出て、目を閉じ、頬をほんのりと染めて、左手の指輪にそっと触れた。名残惜しむよう一度風の主の部屋を振り返る様。少し寂しそうなその瞳。どれも、鴉が見たことのない表情だった。
いつか、彼女があの瞳を自分に向けてくれるだろうか。その事を考えるだけで、胸が疼き、鈍い痛みを伴う。
確かなのは、自分が彼女と共にありたいこと。彼女の隣に立って、彼女を護りたいという事だ。こうやって言葉にする事で、鴉の決意はますます強くなる。スッと表情を引き締めて、前を見た。
「俺は、ルカの隣にいたいんだ」
揺るぎない決意。それが二人にも伝わったのだろう。諦めるような、でもなんだか悪くない微笑みを浮かべている。
「仕方ないですわね」
「別に鴉がいなくても、僕も護るし。それに――」
あどけない琥珀の表情が、酷く歪む。ルカに見せるより、遙かに醜い笑顔。隠す気もなく表情を歪ませ、彼は呟いた。
「白雪が、随分勝手な事してるみたいだしね」
忌々しい気持ちをそのまま吐き捨てるが如く、言葉にする。
白雪、という名前に、鴉も視線を強張らせた。最近、ルカの行動を見張っているのはまず間違いがない。それだけで切り捨てたくなるほど不愉快なのに、他にも裏で動いているようだ。その真意はわからないが、彼の思想からして、鴉が好むようなことではないだろう。
「白雪。気にくわない」
そう言い、おもむろに立ち上がったのは赤薔薇だった。
空気中から突然大鎌を取り出し、月に向かって妖気を放つ。大鎌の軌跡がそのまま力となり、空間を切り裂いた。
パリンパリンと音を立て、硝子が壊れるように空気の層が破れていく。
周囲が殻を破るようにして世界が塗り替えられる。下弦の者ではない妖気が色濃く残った空間を、赤薔薇は忌々しげに見つめた。
残る三人も憮然とした面持ちで上空を睨みつける。ドス黒い妖気が渦巻き、周囲を飲み込んだ。
「玻璃か」
「僕のテリトリーで好き勝手してくれて……殺してほしいみたいだね」
「様子見ってところかしら。白雪も趣味が悪いですわね」
三者ともに吐き捨てるように呟く。空には変わらぬ少し欠けた月。そこにはもう、何者の気配もない。
「随分と、ルカが気になっているみたいですわね」
「あの子の部屋、今は?」
「鷹がいるが……」
ぼやぼやと任せられる様子ではなくなってきた。近々、上弦の連中はまたなんらかの行動を仕掛けてくるのだろう。
「本格的に、護る環境が必要そうだ」
彼女は、今は夢の中だろうか。安心して、眠りにつけているだろうか。どうか、彼女の心が穏やかにあって欲しい。
やまぬ願いを胸に、鴉は決意する。
何があっても、ルカを護るという事を。
鴉は完全に恋愛脳の持ち主になりました。
次回は、アヴェンスの花屋さんの一幕です。




