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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
26/121

−幕間− レオンの報告書

「おい、弟よ。何故だ。何故俺にはあいつの手紙を読む権利が無いんだおい」

「あの子の手紙じゃありません。レオンの報告書です」

「あいつだろう。あいつのことが書いてあるんだろう。お願いだ弟よ。俺にあいつのことを教えてくれなあ弟よ!」


 隣でキャンキャンと小うるさい次男にため息を漏らしつつ、ハチガ・ミナカミはレオンの報告書に目を通していた。

 王都ローレンアウス。風の月もあと少し。一週間程したら、月も欠け始めるだろう。

 最初はどうなることやと思ったが、彼女が連れ去られて一週間ほどしたところで、レオンからの手紙がミナカミ家へ届くようになった。



「あとで内容は教えてあげますから、ちょっと大人しくしておいて下さい。兄上」

「今知りたい。今俺はあいつの無事を知りたい。なあ弟よ」

「無事です。さあ、訓練でもしてきたらどうです? 兄上」

「そう都合良く追っ払おうとするなよ弟」

「どのみち、父上やカエイ兄上が返ってくるまでは貴方に教えるわけにもいけないんですよ。情報をまとめてからです」


 ぱんぱん、と、ハチガは手を叩く。これがきっかけとなって、部屋の隅に控えていた従者たちが、次兄のリョウガを引きずり出していく。


「弟よ!」

「貴方にここで出来ることはないですよ。また後でね。兄上。……まったく、邪魔ばかり」





 大騒ぎの種がようやく出て行った。ハチガは一度大きく息を吐いて、手紙を机上に広げる。


「……ルカの手紙もあったんですけどね。ま、いいか」


 レオンの報告書の後ろに挟まっていた一枚も並べ、ニヤリとする。きっちりとしたクセのない几帳面な字が非常に読みやすい。レオンが幼い頃から教え込んだだけあって、兄弟の誰よりも報告書向きの字をしている。

 可愛い妹の元気な様子が、その文章から垣間見られて、ハチガは僅かに頬を緩めた。



 あの日、王や父の目の前でルカが連れ去られ、王都では蜂の巣を突いたかのような大騒ぎになった。

 それも当然だ。貴族たちの思惑を完全に無視する形で、ルカは身一つで攫われてしまったのだから。従者のレオンが掴まるようにしてついて行ったことが、幸いだったが。


 問題になったのは、彼女がともに持って行くはずだった荷物だった。生活する上で必要不可欠の家財とともに、魔術具の類いも大量に用意されていた。

 その中の一つ“伝達の魔術具”を持たずして彼らが連れ去られてしまったことーーこれが貴族たちにとっては最大の誤算だった。



 もともとルカの婚約を、王都の貴族たちは夜咲き峰との外交を開くきっかけにするつもりだったようだ。伝達の魔術具を使用し、ルカを操り人形にして妖魔たちを従えるつもりでいたのだろう。本当に何様のつもりだ、と、ハチガは思う。

 可愛い妹は、魔力が無いというただそれだけで馬鹿にされ、貴族としても認められなかった。仕方なく彼女は平民として生きようと、必死に学問を修得した。しかし、貴族たちは今度はその知識をも利用して、妖魔を取り入れようとしたわけだ。



 ーー身分が低いのも丁度いいだと? ふざけるな!


 煮えたぎる気持ちを抑え、ハチガは平静を保つ。

 実際、彼らの思惑は大きく外れたわけだ。それだけでこの怒りにも溜飲が下る気持ちがする。

 伝達の魔術具を持って行けなかった。妖魔の峰でも手に入るかどうかなどわからない。実際ミナカミ家からは、何の頼りもないと、王宮に報告を上げていた。

 よって貴族達は、餌となる娘をまんまと奪われただけで、彼らに干渉する手段を失ったわけだ。昇月の夜の出来事に驚きはしたが、あの黒い妖魔にはよくやってくれたとしか言いようがない。



 もちろん、実際にはレオンの報告書がミナカミ家に届いている。夜咲き峰では随分と自由にやらせて貰っているらしい。それだけで、ハチガの妖魔に対する印象は非常に良いものだった。

 これも完全に伏せている情報だが、スパイフィラス領アヴェンスにも、レオンを通じて買い出しに行けているようだ。レオンがそこで素材を集め、伝達の魔術具を制作したことにより、現在の秘密の連絡手段が出来上がっている。


 必要な情報だけを、同派閥の幹部には引き渡し、更に機密事項についてはミナカミ家の中でのみ留めておく。その重要な情報管理を一手に引き受けているのがハチガだった。

 兄二人が優秀な軍人であるため、三男であるハチガは、兄たちに出来ぬ事をしようと、文官になる道を選んだ。

 もちろん、ミナカミ家の一員であるから、武の訓練にも手は抜かない。いち騎士としても十分にやっていけるだけの腕前はあるが、ハチガにその道に進む気はない。ミナカミ家の知恵として、尊敬する父や兄の役に立つ。それがハチガにとっての幸せだ。

 19になった今では、アドルフ卿の片腕として政治に携わることが出来ている。流石長年父と肩を並べてきた御仁だけあって、アドルフ卿の手腕について、ハチガは全面的に信頼していた。



「よかった。元気そうで」


 几帳面な妹の字に頬が緩む。彼女がこの家から居なくなってしまって本当に寂しかった。そして同い年で幼なじみのレオンも居なくなってしまったのだ。彼とは、いつか父とアドルフ卿のような関係を築きたいと思っていたのに。

 同時に2人の大切な人を失って、ハチガは消沈した日々を送っていた。唯一の救いは、彼女たちがかの峰で元気でいることだろう。同封された手紙からも、充実した日々の様子が詳細に示してある。誰かに自身の興奮を伝えたくてたまらない、そんな喜びに溢れた文章だ。


 ーールカは本当に妖魔に夢中だな。はやくあの小生意気な小動物で遊びたいが……まずはレオンの報告書か。


 煩悩で若干脳内をかき乱されつつも、ハチガは冷静だ。一人になった部屋で再びレオンの報告書に目を通しはじめる。そこには、ルカによく似た字でこう書かれていた。



『ルカ様が、下弦の峰をほぼ掌握なさいました』


 目を丸めて、文字を追う。


「……何したんですか一体、あの子は」


 笑いが抑えられなくなり、一人の部屋で、ハチガはフフと溢した。




 ***




 ミナカミ家の夕食は、一族が一堂に会し、一つの食卓を囲む。大皿に山盛りの料理が並べられ、所狭しと食卓を彩っていた。



「……下弦の峰を掌握だと? どうやって?」


 ざっくりとレオンの報告書について内容を告げたところ、家族全員が面白そうに表情を輝かせた。



「いつも通りの作戦ですよ。レオンが言うには、ルカは基本的に、しつこさと食で妖魔を籠絡(ろうらく)していっていると」

「籠絡……いいのかそれで、妖魔的には」

「結構喜んでいるみたいですよ。基本的に彼らは他人には干渉しない生き方をしているらしいですが、ルカには随分と親しく接しているようです」

「流石、拙者の妹。ふむ、兄として誇らしいものよ」



 満足そうに頷くのは、ミナカミ家長男カエイ・ミナカミだ。グレーの髪を一つにまとめ、がっちりとした筋肉質な体格。幼い頃をゲッショウで過ごした彼は、未だ、かの国の訛りが抜けていない。緋猿軍の副将にあたるが、父に代わって軍の運営自体は実質彼が担っている。ミナカミ家の跡取りとして文句のつけようがない優秀な兄だ。



「旦那様。妹御が可愛らしいのは分かります。ですが、スパイフィラス方面へ行きたいからと、ダットルトアーニの援軍など願い出ないで下さいましね」

「む……なぜその事を」

「私の情報網を甘く見ないで下さいまし」


 ふふんと、カエイの隣で笑うのは彼の妻ユーファだ。柔らかな若草色の髪に翡翠色の瞳。貴族の女性らしい柔らかな微笑みでありつつも、どことなく威圧感がある。

 ダットルトアーニ領はレイジス王国最西の大領地だ。北はグレイゼス山脈、南はデルガ火山に囲まれており、西側は火ノ鹿(ひのか)教主国(きょうしゅこく)へ抜ける国境に面している。夜咲き峰のあるスパイフィラス領とは隣同士だが、領主同士は仲が良いとは言えず、特に親交がないと言われている。


「今はただでさえ、ダットルトアーニ領と火ノ鹿教主国とのにらみ合いが激化しているんです。よりにもよって緋猿軍が移動したら、向こうが警戒を強めるのは目に見えておりますわ」

「だが、あそこはまだ動けないだろう。国内情勢が良くない」

「レオンの報告書を見て、なおそう仰います?」


 ミナカミ家の中では、長兄カエイは比較的落ちついた人物として分類されているが、本質的に彼もミナカミの血筋を色濃く受けている。作戦には気を配るだけの冷静さを持ち合わせてはいるが、そこに至る前の行動理由は感情的でストレート。

 ただ妹が心配で仕方ないから。少しでも近くに行きたいと、それだけの理由で、ダットルトアーニへの援軍に立候補した。もちろん、速攻却下されたわけだが。

 そして、そんなカエイの突拍子も無い暴走を上手にコントロールするのが妻のユーファだ。基本的にこの国の政治は男性が取り仕切っているが、ミナカミ家の細かな方針を定めているのはこのユーファと三男のハチガになる。

 そもそも、一連のレオンの報告書から、このレイジス王国で何が起きているのか、正確に読み取れるのはユーファとハチガの二人だった。




「私は、まず、スパイフィラスが動くのではと思いますわ」

「スパイフィラスが? ダットルトアーニとはそんなに親交がなかったかと思うが」

「そうですね。ダットルトアーニとは」


 考え込むようにして頬に手を当てるユーファを、ハチガは面白そうに見た。


「火ノ鹿のことを言っているんですよね、義姉上?」

「どういうことだ?」



 一から十まで何を言っているのか分からないのであろう。次兄リョウガはこの家族ではトップクラスの戦闘馬鹿だ。脳内もだいたい筋肉で、腹芸何それ美味しいのといった様子で首をかしげる。

 しかし、全てを分かっているであろうハチガは、余裕の笑みでユーファを見つめている。


「火ノ鹿の侵攻に関して、スパイフィラスが裏で手を引く可能性があると言うことでしょう? 義姉上はずいぶんと過激だ」

「あら。そう言って、スパイフィラスの地域別魔力量についてレオンに調査依頼を出したのはどなたでしょう?」

「当然僕ですよ。裏でこそこそ動き回るのは、僕と義姉上のお仕事でしょう? でもまだ、色々確信を得るには情報が足りないのですよ」


 くつくつと、ハチガは笑う。しかし次の瞬間には、きりと表情を引き締め、彼の正面の人物を見つめる。



「父上、僕にアヴェンス派遣の命を頂けませんか。アドルフ卿にも裏で手配して頂くつもりですが、事は急を要するやもしれません」


 瞬間、全員の視線がこの一家の主カショウ・ミナカミへと移動する。愛用の着物を着込んだ彼は、これまたゲッショウの酒をグイと一口流し込んでは、顎に手を当てた。


「ふむ。目的は?」

「単なる調査と言いたいですが、レオンと接触を図り、ルカより妖魔への協力を仰ぎたいと思っております。出来れば調査のため、幾つか魔術具も渡しに行きたいと」

「あら、私の出番かしら?」


 魔術具、という言葉に、ユーファは瞳を輝かせる。一家で最も細やかな魔力制御が可能な彼女は、その知的好奇心も相まって、この王都でも有数の魔術具精製の技術者だ。


「僕なら文官ですから、調査のための派遣も不思議ではありません。場所が場所ですから、怪しまれるとは思いますけれどね。それも利用するだけですよ」

「なるほど、カイゼル卿は興味を持つだろうな」



 カイゼル郷――スパイフィラス領主の名前に、周囲の空気がピリとはりつめる。


「父上。これはルカの受け売りですが、レイジス王国は建国から300年余り。その中で歴史的大事件と呼ばれるのは4回。その4回全てが、スパイフィラスを発端に起きているんですよ」

「今回も同じ規模の事件が起こると?」

「僕は、憶測は口にしないタイプですし。だからこそ未然に防ぐための派遣です」

「なるほど」


 ふむ、と、カショウは口を閉じる。隣ではリョウガが「ルカに危険が!?」とかなんとか騒ぎはじめたが、それは無視だ。というか、そんなだから結婚出来ないんだ、あの兄は。



「わかった。許可しよう。お前なら大丈夫だと思うが、十分に用心しなさい」

「ありがとう存じます、父上!」


 頷くカショウの表情に笑みが溢れている。自分に対する信頼なのか、ルカを思う心なのか。危ない橋を渡ることに後押しをしてくれ、送り出してくれる父に感謝の念が溢れる。



「ハチガ・ミナカミ。ミナカミ家の男児として恥じぬ働きをして参ります!」

ゲッショウ男児の登場です。

お父様は基本どどんと構えてます。あんまり出してあげられなかったですが。


次回は、鴉視点の一幕です。

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