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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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ジグルス・ロニーの記憶(2)

 五月蠅い。

 鼓膜がつぶれそうなほど大きな泣き声に、ルカは辟易していた。

 ルカを除く全員が呆然としながら、琥珀を見つめている。

 別に痛かったわけではないのだろう。しかし、怒られたショックからなのだろうか。琥珀は泣き止むどころか声を更に大きくしてわめき散らす。完全に小さなモンスターだ。

 瞳をぐじゅぐじゅにしてルカに抱きつこうとすり寄ってくるが、もちろん、それを許すルカではない。


「謝りなさいと言っているでしょう」


 ぐい、と、両手で持って琥珀の頬をつかみ、強制的に花梨の方向へと向けた。


「……だって。僕、ルカのためにって」

「嬉しくない。貴方のやったことは最低の行為よ。花梨に謝るまで私は許さないから」


 お茶も無ければおやつもなし、と、更に駄目押ししておく。

 うう〜、と、嗚咽を漏らしながら、琥珀は目をこする。そして、ごめんなさい、と、小さく呟いた。


「聞こえない。誰に言うの? 何を謝るの? ちゃんと出来るまで、私は許さない」

「……いじわるして。ごめ……うう……」

「ちゃんと言いなさい」

「いじわるしてごめんなさい、花梨!」


 琥珀は、大きな声で言葉にした。すると堰を切ったように、ルカにすがりついてくる。わんわんとルカに抱きついて泣き出してしまい、大きな子どものようだ。

 一方ルカはほっとする。琥珀にとっては悔しい出来事だろう。妖魔にとって謝るという行為が如何に難しいことか、もうルカは知っている。

 よくがんばったね。えらいね。と、まるでお姉さんにでもなったかのような気持ちで、琥珀の頭をなでた。

 抱きついている琥珀は、一瞬はっとしたが、再びもっと強い力で抱きついてくる。



「琥珀が、謝った……?」


 居合わせた全員が、目を見開き驚いている。花梨に至っては奇妙なものを見るような目で、呆然としていた。


「花梨、ごめんなさいね。琥珀が貴女のとても大切な物を盗ったのでしょう? 悪いことだと分かってなかったとは言え、本当に申し訳ないことをしたわ」


 ルカは、琥珀が握りしめていた指輪を受け取る。シンプルで不器用な作りのリングだ。中央の赤い石はキラキラと輝いているが、カットも良くないし、豪奢な雰囲気の彼女には似合わない。

 そして、ずいぶんとデザインが古い気がする。かなり昔から、花梨が大切にしてきたのだろう。とても丁寧に手入れをされていることから、彼女にとってどれほど大事な物かわかる。


 琥珀の体をそっと離し、最後にもう一度頭をなでる。それからルカは、花梨の元へ向かった。丁寧に指輪を手に取り、彼女の両手に握らせる。


「ごめんなさい」


 そして目を閉じ、ゆっくりと、ルカは頭を下げた。



「……盗られた私が甘かったのですわ」


 戸惑うような、許すような声をかけられ、ルカはほっと胸を下ろす。そして下げた頭を元に戻し、花梨の目を見据えてニッコリと微笑むようにした。


「ありがとう。琥珀がね、貴女と趣味が合うって褒めてた。どうか許して、仲良くしてあげてね」

「……」

「綺麗な指輪ね。丁寧に手入れされてるのが分かる。大事な物なのでしょう?」

「……もう、いらないものですわ」


 花梨は目を背ける。彼女は否定しているが、決してそんなことはないだろう。先ほどから指輪を抱える両手は、壊れ物を触るかのように優しい手つきだ。

 彼女の優しい性格が垣間見えて、ルカは嬉しくなる。とても気持ちの美しい人。それが分かっただけで、ルカは彼女が大好きになった。


「お茶にしましょう。いつ貴女が来てもいいようにって、私の従者が毎日準備してたのよ。貴女をお招きできて、私も嬉しいわ」


 にっこり微笑み、背中を押すようにして、花梨をテーブルに誘う。

 丁度向かい合わせになるように着席すると、琥珀は何も言わず、ルカにすり寄ってきた。しばらく、ルカの側から離れたくないらしい。


 拒否されたのがよっぽど怖かったのだろうか。ルカにとっては情操教育の一環のような感覚であったわけだが、ダメージがかなり大きいようだ。

 仕方ないか、と、好きにさせる事にする。頭を何度か撫でると、まだ嗚咽が聞こえてくる。これは、ドレスが汚れるだろう。レオンが後で怒りそうだ。

 ふと、視線を動かすと、鴉も席についてはいなかった。花梨をまだまだ警戒しているのだろうか。憮然とした面持ちで、後ろで控えている。



「それにしても、驚きましたわ。琥珀がこんなに素直に……私に謝るなんて」

「悪いことをしたら謝る。それは当然のことよ。相手が誰であろうと関係ないわ」

「……昔、言われたことがありますわ」

「そう」


 ポツポツと言葉を交わしていると、レオンがワゴンを持って現れた。

 いつ花梨が現れてもいいようにと、毎日毎日非常に手の込んだ茶菓子を準備していた。その涙ぐましい努力が、ここに実を結ぶわけである。


 ベリーのタルトをよそい、生クリームとベリーのソースをかける。慣れた手つきで盛りつけるレオンの手に、花梨も釘付けなようだ。

 白と赤に彩られたタルト。最後にフルーツと生花を添え、花梨の前に差し出す。一枚の絵画のように美しいスイーツを、花梨はうっとりと眺めていた。

 横では菫が紅茶の準備をしている。この数週間、これだけはと、びっちりレオンに仕込まれているせいだろう。やわらかな香りが広がっている。更に目の前には極上の美人。なんとも幸せである。



 早速頂こうとティーカップを手にすると、しがみ付いている琥珀がチラチラ顔を上げる。涙で顔がぐしゃぐしゃになっているけど、食欲には勝てないらしい。


「食べたいの?」


 尋ねると、琥珀はこくんと頷いた。


「じゃあ、席について。顔を拭きましょう。ほら、泣いてたらせっかくのお菓子も美味しくないわよ?」


 こくん。と、ここでようやく琥珀が離れる。ハンカチでガシガシと目元を拭い、隣の席に行くかと思えば、椅子をルカとくっつくくらい側まで移動させる。

 どれだけ子どもなんだと苦笑したが、同時に、子どもの様なものかもしれないと納得する。こんなにまで自分を頼りにしてくれるのだ。まるで人間のような気持ちのあり方を大切にしたい。


 菫が側に寄ってきて、濡らした布で琥珀の頬を拭う。琥珀はされるがままに、じっと、菫の手を見ていた。

 レオンも琥珀の分のタルトを盛り付ける。キチンと自分の分が用意された事にホッとしたのだろう。頬を緩めて、小さく、ありがとうと言葉にした。



「全く……信じられませんわ。貴女、どんな妖術を使ったの?」


 花梨は頬に手を当てて、呆れるように呟いた。


「妖術魔術の類はさっぱりなんだけどね。特に何も。毎日琥珀と向き合って、話しているだけ」

「本当に理解出来ませんわ。……あの花も。毎日飽きもせず、よくやりますわ」



 部屋の前に毎日届け続けた花。名をミリエラと言う。

 このスパイフィラスで盛んに商われている花で、寒い地方でよく育つ。薄紅色の可憐な花だ。

 約二百年ほど前からこのスパイフィラスで生産されている。小ぶりな割に魔量が多めで、庶民でも手に入る魔術具の元として重宝されている。


 ミリエラという花は、ジグルス・ロニーが旅より持ち帰った種が広がったと考えられている。『ジグルス・ロニーの手記』の中でも、夜咲き峰付近からとある花の種を手に入れたという記述があるからだ。


「どうしても貴女に届けたかったの。もしかしたら、貴女は誤解しているのではと思って」

「何を誤解すると言うの? 彼は、私を置き去りにして去ってしまいましたわ」


 彼。名前は出てこないが、ルカにはもうわかっている。



「調べたの。この花、この辺りには何百年も前から当たり前に咲いてたんですってね。結界の中にしか咲かない花。なのにどうして人間社会に広がったのかしら?」


 ルカが菫を使って調査していたのはまさにこの事だった。ミリエラの花が、いつ頃から夜咲き峰に咲くようになったのか。

 宵闇の村の長寿者は、おそらくジグルス・ロニーの時代を生きている。200年以上前からこの花が夜咲き峰に咲いているのであれば、ジグルス・ロニーが持ち帰ったという花の種は、この峰の物である可能性が高い。

 しかし、ジグルス・ロニーは人間だ。当時、今のように結界の中に入ることは叶わなかったのだろう。つまり、結界の中から外へと種を運んだ人物がいるということだ。


「……貴女が持ち出したのでしょう、花梨?」


 花梨は僅かに狼狽する。形のよい唇をきゅっと結んで、何かに耐えていた。そして、どうして、と、かすれた声が聞こえる。



「ジグルス・ロニーのこと、好きだったのね」


 ルカが言葉にすると、花梨は花と同じ薄紅色の瞳を潤ませる。結んだ手に力がこもり、ふるふると肩を震わせる。


「でも、彼は。その花の種を渡してから一度も、私に会いに来ませんでしたわ! 待ってろって、言ってたのに。毎日、毎日。約束の場所に行ったのに。彼は一度も……」

「花梨。貴女は知らなければならない。その後、彼に何が起こったのかを。皆もよく聞いて。この国の歴史よ。夜咲き峰の外で何があったのか。貴方達は知らなければならない」


 周囲を見回すようにして、ルカは話し始める。

 ジグルス・ロニーの手記。それはレイジス王国の記述を最後に、途絶えている。彼の最期までの、歴史を。



「彼ね。投獄され、処刑されたのよ」


 花梨は、はっと顔をあげた。


「すべてのはじまりは、貴女が渡した種。貴女が彼に出会った頃、世間では未曾有(みぞう)の大飢饉が起きていた。ディゼルの(くさび)と言ってね。自然界が保有する魔量が大幅に停滞し、減ってしまった」



 ディゼルの楔。太陽の神の御使の名を持つ大飢饉。

 大陸の北に位置するこの国にとって、不作は人の生死に直結した。魔力の枯渇は水を枯らし、草木をも枯らす。乾燥した大地には作物も育たない。木々は折れ、燃料となる魔石も力を持たない。冬は寒さに凍え、人は水の月を越えられぬ。


 “糧”を得ることが出来ないことと同義と、ルカは淡々と続ける。この国が直面した試練だ。どれだけ苦しく、辛いものだったか、彼女たちに知ってほしい。



「レイジスは冬を越せなかった。多くの人が亡くなったわ。人口がそれまでの半分以下になった。冬を終え、昇月を迎えて、春から作物を育てても、食べられるようになるのはいつのことか。暖かくなったとしても、犠牲者は絶えないでしょう。人々は絶望したわ」

「……あの人も倒れてましたわ。気紛れで拾いましたの。最初は。あの人のこと」

「そう。貴女が彼を助けてくれたから、私たちは今、存在出来てるのね。……彼ね。貴女に貰った種を、スパイフィラスの地に植えたのよ」


 かの花は、夜咲き峰の妖力を豊富に含んでいたのだろう。あっという間に育ったという。育ちやすく、魔力も豊富なその花は、あっという間にスパイフィラスの地を潤した。

 そして、スパイフィラスを中心に、土地の魔量が戻っていったのである。次の冬を迎える前に、人々はなんとか実りを手にした。

 しかし、と、ルカは言葉を切る。



「二つの問題が起きたわ。一つはね、あの花、なぜかこの付近でしか育たないの」


 水や気候がいくら似ていようとも、スパイフィラス以外の地では育たない。当然、この地を巡って争いが起こった。それと同時に、二つ目の問題が浮き彫りになったのだ。


「あの種の権益を独占しようとする貴族が表れたのよ。自分の物だと言い張ってね。でも、世間は否定できなかったわ。だって、スパイフィラスでしか育たないんだもの。そしてその貴族の男が目障りだったのが……」

「ジグルス……」

「そう。ジグルス・ロニー。彼はすでに種の発見者として知られてたわ。でも、貴族にとっては彼が邪魔者でしか無かった。だからね、ジグルス・ロニーを捕らえたの。スパイフィラスに混乱をもたらし、政変を起こそうとした首謀者としてね」


 皆の目が、厳しくなる。人間の薄汚さを目の当たりにしているのだ。誇り高い彼らのこと、相容れない気持ちが芽生えているのだろう。



「覚えておいて。人間はね、こういう一面があるの。欲深くて、したたかだわ。だから私は、皆に知っておいて欲しい。彼らはね、個の力は無くとも、怖い生き物でもある。全員がそうではないの。ほんの一握り。そんな人間がここに入ってきたときのことは、常に考えなければいけないのよ」

「でも、結界があるよ?」


 ルカの言葉に、琥珀が呟く。鴉も同意するように頷いていた。


「忘れた? 私は、人間よ? どうしてここに居ると思うの?」


 ルカの返答に、皆、息をのんだ。

 すでに人間が結界の中へ入ってきてしまっているのだ。もちろん、人化のことはルカを含め、風の主、レオン、鷹、菫。この五名までしか伝えてはいない。しかし、その事実を横に置いたとしても、人間の流入については考えておくべき事項である。


「これから、私のように結界の中に人間が入ってくることが十分考えられる。その時に、私は貴方たちの生活を壊したくない。知らずに侵されるようなことだけはあってはならないのよ」

「でしたら、私が種を渡したのは、間違えだったと?」


 ルカの言葉に、花梨が、ぼそりと反応する。


「私のせいで、あの人は殺されてしまった。いえ。私がしたたかな人間に騙されていたのでしょう? あの人は、種が欲しくて、私に近づいたと言うの?」


 認めたくないのだろう。ただ、彼が離れただけでは無かった。彼に気持ちを利用された。それを認めてしまうかのように、花梨は、口を結ぶ。



「それは違うわ。花梨」

「どうしてそう言い切れますの? 会ったこともないのに、あの人の何がわかりますのよ!?」

「わかるわ。彼のことくらい」


 ルカは知っている。彼の想いを。

 だって、幼い頃からずっと読んできたのだ。絵本のかわりに。寝物語のかわりに。


「彼ね、貴女のことを書き残していたのよ。手記にしてね」

「……」

「彼の物語は私たちの時代までずっと読み継がれてきたのよ。発見されたのは彼が亡くなってから随分経ってからだけどね。彼、貴女のこと、いっぱい書いてた。とても美しい。花の女神に会ったって」

「美しい?」

「ええ。自身の命を助けた女神。彼女は我々人間を救うため、種を授けたって」



 花梨は瞳を閉じる。美しい、という言葉を反芻し、彼女の指輪を握り込んだ。

 二人の間に何があったのかは知らない。しかし、種は彼女から彼へ。そして、指輪が彼から彼女へ渡ったのだろう。



「それともう一つ。花梨、あの花の名前、知ってる?」


 問われて、花梨は顔を上げた。まさか、とでも言うような目で、ルカを見ている。

 そして小さく、知りませんわ、と口にした。


「あれね。ミリエ……」


 と同時に、三つの手が伸びてきた。琥珀と鴉と何故か鷹。名前を呼ばせないとばかりに口をふさがれてモゴモゴする。

 三人に押さえられて変な顔にでもなったのだろう。その光景を見た花梨は、堪えきれなくなったように吹き出した。

 溢れんばかりのその笑みは、やはりとても綺麗で、ルカはこの人にもずっと笑っていて欲しいと、そう思った。

遠い昔の恋物語。

教えてくれたのは歴史書でした。


次からは、みんなでパーリナイです!

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