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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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ジグルス・ロニーの記憶(1)

「ルカ様ー! アヴェンスから戻って参りました!」


 バルコニーの方から明るい鈴のような声が聞こえる。振り返ると、両手にいっぱい花を抱えた菫が、ニコニコと嬉しそうに立っている。

 横には本日の付き添いをお願いした鴉が立っていた。


「ありがとう、菫! 毎日、手間をかけるわね」

「いえ、レオンさんより食材買い付けの練習も兼ねさせられてますから」


 どう答えて菫は苦笑する。横では鴉も同意するように、何度も首を縦に振っていた。

 レオンはあれから、すっかり気持ちを隠してしまっていた。とはいえ、表面上はいつものように荒い言葉が出てきたり、扱いが雑になったりと以前のように砕けたものになってはきている。しかし、彼の本音はまだ聞けていない。

 時間をかけて様子を見ていくしかない、とルカは考えていた。


 一方で、下弦の峰の妖魔たちに対する教育は、第二段階にさしかかっていた。いわゆる「自分たちだけのお使い」である。人間に溶け込み、「自分が欲しい物」を手に入れる課題を出したら、彼らは積極的に参加し始めた。

 お金の扱いについては、菫がずいぶんと慣れてきた。そのため菫の同行と彼女に従うこと、この二つを絶対条件としたが、琥珀も鴉も問題なく実行している。

 鷹だけは、自分一人でこっそりと街に出かけているらしく、何故か食べ物を手にしていることが多くなった。金品の類いは渡していないので、どうやって入手したのかはあえて聞かないようにしている。



「今日も綺麗なものが手に入ったのね」

「ええ、ここのところ毎日ですから。市場のお兄さんが良いものをとっておいてくれてるみたいです」


 にっこりと微笑む菫の様子に、ルカはハッとする。

 人好きのする笑顔に、ぱっちりとした大きな瞳。そして誰もが目を奪われるであろう大きな胸の膨らみ……


「今日なんか、おまけで他の花も頂いちゃったんです。後でお部屋に飾っておきますね」


 嬉しそうに菫は、別に束ねられた色とりどりの花を掲げてみせる。

 購入した花よりも、明らかに気合いの入ったリボンと包装。――ああ、菫。それ多分おまけじゃないよ、と脳内で突っ込んでおく。彼女の教育に“危機管理能力”という項目も付け足すべきかもしれない。

 心の中で菫に入れ込む青年に合掌しておき、本来の目的の花束を受け取る。


「ありがとう。じゃ、早速行ってくるよ。鴉、護衛をお願いできる?」

「当たり前だ」


 無表情ながらも、まなじりを僅かに下げる。これは嬉しい時の表情であることが、ルカにもわかるようになってきた。

 両手にいっぱいの花束を抱え、部屋を出ようとしたが、横から鴉にすべて取り上げられてしまった。その心遣いがうれしい。ありがとうと声をかけたところ、鴉が僅かに早足になる。


「じゃあ、行ってくるね。菫、お部屋のことよろしくね」

「はい。行ってらっしゃいませ、ルカ様」


 そう言い残し、部屋を出る。

 目的の部屋は、ルカの部屋よりも2つ上。普段だと螺旋階段を延々と上がるところなのだが、鴉が一緒になってからというもの、彼に抱えられてひとっ飛びだ。実に有能な妖魔である。




 通い慣れた部屋は、相変わらず声をかけても返事がない。

 音を通さない扉から中に呼びかけたいときは、妖気を通すと良いらしい。同行の妖魔にお願いし、毎日呼びかけ続けている。もちろん反応は無いわけだが。


 しかし、日々の変化は感じられた。今日のように両手一杯の花。それを部屋の前に置き始めてから、実に二週間は経過している。冬が終わりすっかりと気候が穏やかになったものだから、花も今が見頃だ。

 最初二、三日は何の変化も見られなかったが、その後、置いておいた花が消えるようになった。すなわち、誰かがちゃんと持って行っていると言うことだ。

 琥珀でも鴉でもないのだから、赤薔薇か花梨。当然、この部屋の主である花梨の手元に渡っているというのが正しい見解だろう。

 鴉に視線を向けると、心得たように扉に妖気を流し始める。


「ルカです。今日のお花は、市場のお兄さんがとっておいてくれた一段と美しいものなのですよ。花梨、貴女の心が慰められれば、私、嬉しいです。今日も、私のお部屋でお茶会をしておりますわ。気が向いたら是非いらして。歓迎致します」


 それだけ告げて、再び鴉を見上げる。鴉も頷き、扉から手を離した。こうした毎日の言葉の蓄積。これが彼女の心に積もってくれれば、それでいい。


「ルカ、手を」


 用を済ませると鴉が手を差し出してくる。飛ぶから捕まれと言うことなのだろう。頷いて体を預けてひとっ飛び。そしてその後は部屋でお茶会という運びである。




 部屋に戻ると、すでに琥珀がすやすやとソファーでお昼寝をしている。とはいっても、体と精神が切り離されているだろうか。呼吸一つ無く、ぴくりとも動かない様子はちょっと怖い。

 起こさずにそっとしておいて、先に今日のお茶会の準備をした方が良さそうだ。最近市場に行くことも多くなったし、農業の話なんかをメインにしても良いかもしれない。


 ふと外を見ると、よく晴れた朗らかな陽気だ。窓際に花が飾ってある。今日貰った花を、菫が飾り付けたのであろう。ぽかぽか太陽に、瑞々しい花びらが美しい。



「レオン、いいかしら」

「お呼びですか、お嬢様」


 相変わらず表情は硬い。まだまだ気持ちを燻らせていそうだ。彼とは、じっくり話せる機会まで待つ。そう思いながら、相談を持ちかける。


「今日はずいぶん良い天気だから、バルコニーでお茶にしようと思ってるんだけど」

「かしこまりました。準備致します」


 レオンは一礼し、きびすを返すと菫を呼び出した。そしてテキパキと準備を整えていく。

 ルカと鴉はそれをソファーで見守り、一時休憩だ。


「ひなたぼっこか」


 鴉が目を細めている。どうやら嫌いではないらしい。そう言えば、追いかけっこしている期間も、彼はよく外にいた。


「妖魔って王都の方では夜行性だってもっぱらの噂だったんだけどなあ。そうでもないよね?」

「? 夜は月に祈りを捧げる時間だ」

「うんうん、そういうことなんだよね。夜行性じゃなくて、月の時間を大切にしているってことよね」


 知識と現実を今日も擦り合せる。こうやって話をすることで、ずいぶんと妖魔らしい考え方がわかるようになってきた。


「はやく花梨とも話したいな」

「事を急いてはし損じる」

「うわー、鴉、私の兄様のようなことを言うのね。それ、王都でよく言われたよ」

「?」

「? 兄弟がいるの。生まれたときからずっと一緒に育ってきた男の子。3人いてね。みんなずいぶん年が離れてるんだけど、その分可愛がってもらったなあ」


 久しぶりに家族の話を出し、ルカは笑みを深める。

 王都でみな、息災だろうか。ルカを溺愛していた兄たちは、妹が妖魔の婚約者になることに酷く驚き、心配していた。けれど不思議なことに、誰一人反対してなかったなあとも思う。

 よく考えてみれば、ルカの望む通り、婚約者になることを受け入れてくれたあの家族は、少々特殊なのかもしれない。父には別の思惑があった事は勿論知っているが。


「なら、レオンは兄弟では?」

「似たようなこと、菫にも言われたなあ。うーん、そのあたりは人間の家族や一族の概念がわからないと難しいのかも。近々、お茶会の話題にしましょう」


 とはいえ、家族の概念を妖魔に伝えるのは難しい気がする。

 何せ婚約者と宣う風の主本人も、婚約という立場を共有できてないように感じる。妖魔の家族・一族構成や婚姻に関する考え方は、人間のそれとは驚くほどかけ離れているに違いない。


 ただ、恋慕に関しては。と、ルカは考えを巡らせる。

 ――恋慕に関しては、一概に、人間と異なるとは言いがたいの、か、も?

 ルカはちらりと天井を見る。この峰の上に、花梨がいる。いつか話を聞いてみたい。知りたい、彼女の気持ちを。


「ルカ様、準備ととのいましたよ」


 菫の鈴のような声が聞こえる。


「ありがとう」

「ルカ様。侍女にお礼はいらないのですよ?」


 くつくつと笑いながら菫が言い返してきた。従者の心得でもレオンに植え付けられたのだろうか。覚えた知識を披露したい様子が可愛らしくて、苦笑する。


「ふふ、ここは夜咲き峰。それに私は貴族でも何でもないわ。だからこれでいいの」


 そう返答し、眠っている琥珀を揺さぶる。しかし、当然ながら起きる気配がない。すると見かねたのか、鴉が隣にやって来て、琥珀の肌に触れる。

 一瞬彼の手のひらが光った気がして、なるほど、妖気を送り込んだのだと気がつく。


「わっ、あ、びっくりした……ひどいよお、鴉。せっかく気持ちよく寝てたのに」

「ルカに迷惑かけるな」

「ぶー、なんだよそれ。鴉はルカに甘すぎるよねー。こっちは夜通し花梨と殺りあってたって言うのにさ」


 頭をがしがしと掻きながら、琥珀は起き上がる。ちなみに、久しぶりに物騒な言葉が出た気がする。聞き間違いでは無いはずだ。


「ええと?」

「ルカがあまりにも健気だからさ。でも、花梨ったら全然聞く気が無いんだもん。ちょっと怒ってきちゃった」


 ちなみに、その怒るがいかほどの規模かはわからない。昨夜も例外なく快眠をとれている。そんないざこざが起きようものなら、音なり震動なりで目が覚めそうだが、なるほど、光の扉は優秀だということで良いだろうか。


「んー、疲れたな。お茶にしよう、お茶、お茶!」


 ルカの頭は疑問だらけだが、気にすること無く琥珀はルカの手を取った。こっちこっち、と、弾んだ足取りでバルコニーに出て行く。その時だった。





「琥珀、お待ちなさい」


 ――上空から、凜と通った声が聞こえてきたのは。


 声とともに地上に降りてきたのは、あまりにも美しい妖魔だった。

 豪奢な黄金の髪は美しく編み上げ、色とりどりの花で飾っている。薄紅の瞳は長い睫に隠れ、神秘的な輝きを秘めている。

 女性にしては長身で、しゃんと背筋を伸ばした様子が美しい。引き籠もっているというから、どんな深淵の令嬢かと思っていたが、覇気があり、華やかな様相の美人だった。

 そして、服飾が好きなのだろう。琥珀と同じようにある意味執念のようなものを感じるドレスを身に纏っていた。豊かな金の髪を益々引き立てるかのようなエメラルドグリーンのドレスは、あちこちに宝石がちりばめられ、上品に輝いている。

 彼女は自分の長身の演出の仕方を知っているのだろう。胸から膝まで、スッキリとした体のラインを見せ、スタイリッシュな印象を演出している。対して、スカートの下の方はたっぷりとしたレースを使用し、豪華な印象になるようにバランスをとっていた。

 レースの一つ一つもとても丁寧に編み上げられており、どのパーツを見ても、完璧としか言いようのない作りだった。

 ペンダント、イヤリング、指輪などの装飾品もどれもこれもが美しく。しかしくどくない上品な装いで、ルカはすっかりと目を奪われた。


「……綺麗……」


 思わず声に出してしまっていたらしい。

 ほう、と感嘆のため息を漏らすと、目の前の女性――花梨は、驚いたように口元に手を当てる。


「綺麗、ですって?」


 言葉が出てこなくて、花梨の問いかけに首を何度も縦にふる。じっと見ていても飽きないくらいの極上の美人だ。


「良かったね。花梨。綺麗だってさ?」


 してやったりとでも言うのだろうか。にやりと笑った琥珀の表情は完全に小悪魔だ。

 突然の花梨の登場に驚いたのは、ルカだけでは無かった。鴉やレオンは目を僅かに上げ、驚いた様子だが、すぐさまルカの前に体を出し、身を固めた。


「嘘でしょう、そんなの。それよりも琥珀、貴方、何をしたのかわかっていらっしゃるの?」

「当然これでしょ? こんなの大事に持ってるからダメなんだよ、花梨は」


 そう言って琥珀が前に出したのは、一つの指輪だった。大きな赤い宝石が、中央に一つ輝いている。


「私の気持ちなんて、貴方には分からないでしょう!?」

「うん、わからない。僕は僕のやりたいようにやっただけだもん。花梨にここに来て貰いたかった。だからこうした。それだけだよ?」


 くつくつと琥珀は笑う。

 二人の言葉に、少し状況が読み込めてきた。

 琥珀の持つ指輪が、花梨にとって非常に大切な物だなのだろう。そしてそれを琥珀が勝手に持ってきてしまったのではないだろうか。言い換えると、盗った、ということだ。

 花梨は怒りで薄紅の瞳がゆらゆらとしている。しかし大きく表情を歪めないのは、流石美女とも言える。


 ちらりと、前方にいる琥珀に目を配る。彼は花梨を煽るかのように、手のひらの指輪を転がしたり透かしたりして遊んでいる。あまつさえ、こんな玩具みたいな指輪のどこが良いのか、などとのたまうものだから、ルカはカッと目を見開いた。




「琥珀」


 すたすたと、琥珀の方へ足を進める。突然前に出たからだろうか、レオンと鴉はオロオロとしつつも、警戒を厳しくしている。

 なあに、と、見上げてくる琥珀の瞳は無邪気だ。自分の功績だとでも言うのだろうか。褒めて欲しそうな様子に、ルカはニッコリと微笑んでみせた。


 ――がん!


 そして次の瞬間。容赦なく、脳天に拳を振り落とす。

 完全に虚を突かれたのだろう。琥珀はよけることも出来ず、両手で頭を押さえた。何が起こったのか理解できないのか、レオンも、鴉も、花梨までもがその場で呆然としている。


「謝りなさい、花梨に!」


 ポカンとした琥珀に、ルカは怒鳴った。

 何故怒られたのか、全く理解できなかったのだろう。琥珀は溢れそうな瞳をますます大きく見開いて――大泣きした。

悪い子にはお仕置きです。


次は、指輪に関する物語です。花梨は書くのが楽しい。

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