レオンの憂鬱
最近、目に見えるように、レオンの機嫌が悪い気がする。
ルカとレオンの関係は長い。物心ついたときから――今と関係は違うにせよ――彼は側に居た。だからこそ、こう言った微妙な変化には敏感である。
夜の時間になると、妖魔たちは自然と彼女の部屋から去って行く。一人部屋に籠もり、月に祈りを捧げるのことを日課にしているからだ。ルカは夕食後のお茶を楽しみながら、横に控えているレオンに視線を向けた。
笑顔がぴったりと顔に張り付いている。これは良くない兆候である。
「レオン」
ため息をつくようにして、ルカは彼の名前を呼んだ。
「なんでございましょう、お嬢様」
案の状の態度に、益々ため息がもれる。
「よそ行きになってる。どうしたの? 私しかいないよ?」
こういう時のレオンとは、散々やり合わないといけないことをルカは知っていた。彼の中で問題が大きくなればなるほど、表面を笑顔に固めて、気持ちを確かめるのが難しくなる。
今回がどれほどのものかはわからないが、早いうちに手を打っておいた方が良いだろう。
「いえ、特に。本日の作業の報告をしてもよろしいでしょうか」
「……そうね。じゃあ、お願いするわ」
「畏まりました」
作業の報告については、主に菫の行動についての報告のようになっている。
ルカが鴉や琥珀と情報交換をするのと同じように、レオンは菫と話をしている。宵闇の村での生活のことは勿論、感覚の違いで習熟度に差が出るところは詳しく報告するようにお願いしている。
「料理については相変わらずです。調味料についての感覚が皆無なので。調味料を入れることによって味が付く、という本質を理解できていないようです。同じく、出汁についても」
「それは、彼女たちでいう“糧”の感覚が根本にあるからでしょうね。何かから妖気を吸収するとき、媒体は一つしか用意しないから。組み合わせるということ自体が理解できないのかも」
「そうですね。紅茶はうまく入れられるようになってきているのも、素材が一つだからかもしれません」
報告する際は、彼は機嫌を横に置くことが出来る。
お互いの意見を交換し合い、明日以降の見通しを立てる。これは、どんなに変化が見えなくとも、王都に居るときからしてきた習慣だ。
「……最近、レオンとまともに話してない気がする」
そして、ルカはぽつりと漏らした。
「毎日、こうやってご報告をしておりますが?」
「……そういう意味じゃないの。分かってるでしょう?」
ちらりとレオンをのぞき込むと、なんともばつの悪そうな顔をしている。
「なんだって言うんだ、一体」
――ほら。地が出てきた。
レオンは苛立つように言い放つ。しかし、何か話しにくいのだろう。ルカから明らかに目を背けている。
「変わらないだろう」
「それで誤魔化してるつもり? 逃げられないわよ、私からは」
「誤魔化すも何もないだろう。お嬢様こそ、一体何が気にいらないんだ」
「そうやって、逃げようとするところ」
ずばりと、言葉で退路を断っておく。
「何かあった? 最近、仕事に逃げてるでしょう? ……まあ、私もちょっと浮かれてて。ちゃんと話を聞いてあげられなかったのも、悪いと思ってるんだけど」
「浮かれてる? やっぱりか」
「ん、だって。しょうが無いでしょ。毎日が夢のようなんだよ? こんな幸運に巡り会って、浮かれない方が無理じゃないの」
毎日、憧れの妖魔たちにかこまれている。彼らの話は面白く、彼らの妖気を目の当たりにしては興奮する。
琥珀が器用に彫刻を彫っていく様は、ずっと見ていても飽きないし。鴉はいろんな珍しい鉱物やら、花を毎日のように探してきてくれる。逆に、ルカは人の一日の流れを紹介したり、経済について、政治についてなど、人間社会の説明をする。興味の差こそあれ、彼らは楽しそうに聞き入り、質問する。
そうやって毎日があっという間に過ぎていく。夢のよう。他にどんな言葉があるのだろうか。やるべきこと、と、やりたいことが一致している時ほど、幸せなことはない。
「結果的にレオンの仕事をてんこ盛りにして、負担になっていることは謝る。菫の教育が落ちついたら、宵闇の村に行って、下働きを探しましょう」
「だから、何も問題ないと言っているだろう。俺の仕事に不満があるか? これくらいの仕事量、問題ないぞ、俺は」
「だったら何をそんなに苛立っているの?」
ルカの質問に、レオンは口を閉ざした。
眉を寄せ、目を閉じる。しばらく考えるようにした後、彼は、にっこりと笑った。
「――湯浴みの準備を致しましょう。菫を呼んできます。もうお祈りも終わったでしょうから」
「レオン!」
「御前を失礼致します」
そう告げ、レオンは片付けるワゴンとともに奥の部屋へと退出していく。その背中はハッキリとルカを拒絶していて、なんとも面倒な雰囲気をはなっていた。
「あー、これは、厄介なパターンだ……」
このタイプの喧嘩が拗れることを、過去の経験により確信しつつ、ルカはため息をついた。
***
「……ってなわけでね、ちょっと、レオンの調子が良くないの。菫、心当たりない?」
「うーん、私には、レオンさんが何も変わったように見えません……」
奥の小部屋の一つは、湯浴み用の部屋にしている。湯浴みをレオンにお願いするわけにもいかず、ルカが自ら教えるような形で実演している。石鹸の使い方やら髪の洗い方など、至ってシンプルだったため、菫はすぐに習得してしまっていた。
妖魔にはそもそも体が汚れるという感覚が無いらしい。血や泥で表面が汚れた際は水浴びをするくらいだそうな。
「例えばさ、妙に言葉遣いが丁寧になったり、笑顔が増えたり。そういうの、ないかな?」
「心当たりないですね」
申し訳なさそうに、菫が視線を落とす。やっぱりそっかぁ、と言いつつ、ルカはぶくぶくと湯船に沈み込む。
月白の髪が湯面に広がり、ふよふよと浮く。ルカの悩む様子を微笑ましそうに見つめ、菫はルカの髪を束ねた。
「ルカ様は、本当にレオンさんのことが心配なんですね」
「当たり前でしょ。幼い頃からずっと一緒に居てくれたんだもん。レオンには聞いてない?」
「はい。レオンさんは、ルカ様が居ないときに王都の話はほとんどなさらないので」
「ああ、そういうところも、しっかりしてるからさ。頼っちゃうんだよね」
レオンは幼い頃の教育により、情報管理には慎重になる節がある。ルカの前以外で王都の話をしないのも、ルカの許可無く情報が漏れ広がる事を危惧してのことだと推測できる。
一方、ルカ自体はおおらかな性格もあいまって、比較的情報を発信することに躊躇がない。事あるごとに細かく注意されてきたけれど、夜咲き峰では語ることが大事だと言うことをルカは身をもって知っている。とにかく話さなければ、彼らとは繋がれないのだ。
「レオンね。養子なんだよ」
「養子、ですか?」
菫はポカンと目を開けている。ああそうか、と、ルカは思う。そもそも、家族の概念についても彼女とは共有できていなかった。
「人間はね、家族って言う集団を一番大切にしているの。今、私とレオン、菫と、琥珀、そして鷹。みんなこの部屋で仲良くしてるでしょう?」
「はい。宵闇の村でも、私、一緒に暮らしている一族がいました」
「そう。じゃあ、そのようなもの。生まれたときからずっと一緒に居る人たちのこと。レオンね、その家族と上手くいかなくなっちゃって……今のアドルフ家に引き取られることになったのよ」
「アドルフ家。ルカ様のお家ですか?」
「ううん、私はミナカミ。でも、私のお家ととっても仲良しのお家」
それからルカは、レオンの記憶を話し出す。
彼は単純に仲良くないという理由だけで元の家族から離れたわけではない。あのまま元の家にいては、彼の身にいつ何かあってもおかしくない。それほど危険な日々だったからだ。
それを危惧したルカの父が動き、その親友アドルフ卿が呼応する形で、無理矢理彼を家族から引き離したのだ。かなり強引な手段だったのだろう。
家族と引き離されたにも関わらず、父とアドルフ卿にレオンは大いに感謝した。そしてその感謝に報いる形で、ミナカミ家の末子、魔力が皆無で不安定なルカを護っていくと永劫の誓いをたてたのだ。
永劫の誓いは人間社会にとっては特殊な制度。
神に祈り、誓約する。人の魔力を結ぶとも言われており、特殊な儀式を行う。ルカが7歳、レオンが12歳の時だ。あの時のことは、今でもまだ覚えている。
「レオンはね、本来はとっても立派な家の出なの。私なんかに仕えるのがおかしいくらい。例えるならね、風の主が菫に仕えるって感じかな」
「なるほど……怖いですね」
「うん。怖い。というか、申し訳なくてさ。こんな魔力も身分も足りない私なんかに、どうしてだろうって。他の世界に行けば、彼はもっと実力を発揮できてた。けれど、彼はそれを望まないんだ」
なんだか、もどかしいよ。と、言葉が漏れる。
「ここについてくるって言った時もさ、私、反対したんだ。どんな世界かも分からない。もしかしたら命すら危ないかもしれない。もう王都にも帰れないかもしれない。辛くて、不安な日々になるかもしれないって」
「でも、レオンさんは付いて来たんですね」
「うん。優しすぎるよね。まあ、結果的に安心したんだけど」
「安心、ですか?」
菫の言葉にルカは頷く。
思っていた以上に、妖魔社会は生きやすかった。今まで、ルカもレオンも、しがらみにがちがちに固められていた。しかし、妖魔社会では人間社会の掟や身分など、何の影響も持たなかった。
彼らは自由だ。自分のために生き、自分のために過ごす。シンプルな生き方をしていた。
それは、ルカ達にとってもある意味救いだった。家や、貴族でない故の後ろめたさになどとらわれない。そんな生き方が出来る日々が来るとは思わなかった。
つらつらと言葉にして、ルカは笑った。
「ここだったら、レオンも、何にも捕らわれないで生きられると思ったの。結局私が良いように使っちゃってるんだけどさ」
なんだか恥ずかしくなって、ざばざばとお湯を被る。照れてしまって言葉には出来ないけれど、本心だ。
夜咲き峰でこそ、彼は生き方を選べるし、彼の能力を発揮できる。彼は一介の従者になどおさまってはいけないのだ。
「私、レオンさんがうらやましいです」
「え?」
「だって、こんなにもルカ様に愛されてるんですもの」
「あ、いっ……って、そ、ちがっ」
にこにこと微笑む菫に悪気はない。誰だ、こんな言葉を菫に教えたのは!? と、考えを巡らせた瞬間、犯人が顔を出した。
「そーだよ。ずるいよ。僕のこともレオンくらい愛してよ? ほら、こんな時でもきちんと君を見守ってるんだよ? お仕事熱心なんだからさ」
そのまま湯浴みでも出来るのではないかという、肌色スタイル。相変わらずの五分の三裸の彼は、蒸気の中、突然湧き出てきた。
目が合って、数秒。
真っ白になった頭が動き出す。そして……
「きゃああああああ―――――!!」
全力で叫ぶことになった。
その後、その場にレオンが駆けつけ。どうして知ったのか不明だが、琥珀や鴉まで浴室に大集合。
全員まとめてこっぴどく説教してやった。
更にその後。何故知っているのかは不明だが、風の主には頭を小突かれる仕打ちを受けた。
――なんだというのだ、一体。
折角の入浴シーンなのでラッキースケベしておきました。
次回は新しい犠牲者、花梨のお話です。




