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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第一章 風の主の婚約者
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風の主への相談

 風の主の腕は、いつも通りルカの腰に巻き付いている。何度訪れても、彼はいつも同じ体勢でルカを前に座らせている。この距離感にルカもすっかりと慣れていたはずなのに、今日はいつもと違う感覚がした。


 ――鷹。いなくなった?


 部屋に入るまでは感じていた鷹の気配。最近すっかり感じ取れるようになっていたわけだが。風の主が触れると、それがはたと無くなる。

 腰のあたりはいつも、鷹の気配が巻き付いている場所だ。彼はここが定位置なのだろう。彼の気配がすっかりと馴染んだ腰回りは、風の主が触れるなり、ふと、感覚が薄らぐ。


 ――なんだろう、清められてるみたい。


 鷹が追い払われている感覚が面白く、ルカはふと笑みを漏らした。



 この部屋にいるときは、いつも二人きりだ。鷹以上に引っ付き虫の鴉でさえ、扉まで送った時点で去ってしまう。

 一応婚約者との関係を配慮してなのだろうか、それとも妖魔同士のテリトリーの問題なのかは定かではない。しかし、風の主と二人で会話することは、考えをまとめる上でとても重要な時間になっていた。


 単純に彼の涼しげな声を聞くと、心が落ちつく。それだけでなく、彼はとても落ちついており、ルカの話をよく聞いてくれていた。迷うルカの考え方を汲み取り、導く。複雑な脳内の糸を紐解き、一つに束ねるように、ルカの気持ちをまとめてくれる。

 なんとなく、迷ったり、考えが定まらないとき、ルカはこの部屋に訪れるようになっていた。





「……というわけで、私の考察が間違っていないのか、風様に確認して頂きたくて」

「そのような過去の話を持ち出して、其方はどうするというのだ」

「大事なことなんですよ! 私の仮定が間違ってなければ、花梨とお話しできるかもしれない」


 少々口調を強めて訴えかける。ほとほと理解できないと言うような風の主の表情にも、もう慣れた。


「……事実だ。が、あの者はすぐに消えてしまったがな」

「やっぱり!」

「花梨が部屋に籠もるようになったのも、その頃だ。この城の中でも、滅多に姿を見かけなくなったようだな。琥珀くらいではないか? あの者と会っているのは」



 風の主の言葉で、いろんな話が繋がった。『ジグルス・ロニーの手記』とそこに書かれた妖魔の話。何故、夜咲き峰という名称を人間と妖魔、お互いに使用しているのか。そして、どうして花梨が、部屋に籠もってしまったのか。


 わかってしまって、頭が痛くなる。

 ジグルス・ロニーといえば、二百年以上も前の人物だ。彼との接触により花梨が引きこもってしまったのなら、その引きこもりは筋金入りだ。そして、彼女と会う機会を設けるためには、ある意味、彼女の抱える傷に触れることとなる。


「初対面の人間に傷をえぐられるとか、つらいですよね」

「? 何を気にしている。其方は時々――いや、だいたい言うことがおかしいな」


 なんだか全否定の言葉を頂いてしまったが、風の主はどこ吹く風。いつも通りの平然とした様子で、言葉を続けている。


「其方は其方のやりたいようにすれば良かろう。会ったことのない妖魔のことなど、心配するだけ無駄だ。其方にとって都合の良いように事を進めるのがよかろう」

「うーん、それは暴君ですよ。人間だと」


 しかし、風の主が言うことも一理ある。

 この封鎖された状況を打破するためには、ある程度威力のある暴風を吹かせる必要がある。


「ちょっと周りに苦労かけそうですが……やってみます」

「手足は上手く使うといい。妖魔は本来人を受け入れぬ。認められている其方は、皆にとって自分の事のように大切なのだろう」



 そこまで言って、風の主は急に表情を厳しくする。

 涼しげな瞳はどこにも無くて、眉間に皺がよりはじめた。何に機嫌を悪くしたのか、全くわからなくて、ルカはきょとんとする。


「風様、眉間に皺が……」

「……其方は。皆にはあれほどまで心を砕くというのに」


 あからさまな不機嫌さを隠そうともせず、風の主はそうのたまった。まさかね。と思いつつ、一つの予感が頭をよぎる。


「失礼で無ければ、風様もいらっしゃいます? お茶会という名目で、お勉強できるような形にしているのです。きっと知っておいた方がいいことも」

「行かぬ」

「えーと、じゃあ、ここで。人間と妖魔についてお話でも。あ、それはいつもしてますよね。ええと――ごめんなさいわかりません」


 不機嫌の理由がわからない。てっきり、勉強会の仲間に入れて欲しいのかと思ったのが、的外れだったようだ。

 風の主はというと心底落胆した目をしており、自分が悪いにも関わらず慰めたい気分になる。




 すると、風の主はふとルカの首に手を伸ばした。普段はリボンで隠れているペンダント。それにふと触れ、ため息を吐く。

 このペンダントは幼い頃より身につけていたものだったのだが、それだけで、彼が何を伝えたいのかが読み取れた。皆に渡したペンダント。その事を言いたいのだろう。


「ご存じだったのですね」

「当たり前だ」

「誤解ですよ。本当は、風様にも渡そうと思ってたんです。ただ――」


 言い出しにくくて、顔を背ける。


「風様は、夜咲き峰の筆頭妖魔でいらっしゃいますし、私の婚約者でもあります。皆と同じものではいけないと思って……また別に手配しようと思っていたのです。その、お待たせしてしまうのですが」


 告げると、風の主の表情がますます険しくなった。言い訳にしか聞こえないのだろう。

 しかし、ルカが言ったのは本当のことだった。琥珀の生み出す物は素晴らしいけれど、皆と同じは憚られる。デザインを含めてある程度自分で考え、改めて琥珀に依頼するつもりだったのだ。


「貸しなさい」


 一瞬、何を言っているのか分からなくて、ルカは首をかしげる。


「持っているのだろう? 貸しなさいと言っている」



 そこまで言われて、皆月のことだと理解する。なんとなく部屋には置いておきづらくて、いつもルカのポーチに入っていた。

 いくつか粒を取り出して、一番美しい物はどれかと見聞する。ぱらぱらと手のひらに欠片を転がし、一つ一つ確認していく。しかし、それが待てなかったのだろう。風の主は珍しく体を起こして、横からルカの手をのぞき込んだ。

 ふと顔が近くなり、ルカの心臓が悲鳴をあげる。風の主の圧倒的に整った顔は、なかなかに手強い。見てしまうと、しばらく目が離せなくなるのだ。


 ルカの焦りをよそに、風の主は慣れた手つきで皆月を検分する。その中からひときわ美しい粒を選び、手に取った。手を掲げ、光を透かして輝きを確認しては、ようやく満足そうに表情を緩めた。


「お気に召したのでしたら、それを風様に。加工の手配が必要ですね」

「いや、必要ないだろう」


 ルカの言葉をあっさりと遮り、風の主は続けた。



「貸しなさい」


 また同じ言葉に、ルカは目を白黒する。もう一つ欲しいと言うことだろうか。いや、それだったらルカの手の中にある欠片を、もう一つ選べば良いだけのこと。


「君の石だ」

「もしや、レイルピリア、ですか? でも、あの石は――」

「かまわない」


 何が言いたいのか通じたのだろう。

 琥珀も触れようとしなかったレイルピリア。何らかの大きな妖気を持っていて、上級妖魔にすら触れることを躊躇させる。それほど、あの石を触るという行為には、強いリスクがあるのだろう。なのに、それを差し出せという意図が見えない。


「妖魔の皆さんは、これに触れたがらないから」


 そう告げ、ルカは再びポーチを探る。レイルピリアは他の皆月の欠片よりも一回り大きく、石単体で光を放っている。握ったルカの手のひらも淡い光に照らされた。




 風の主は、その手のひらをじっと見つめていた。別に、触れるわけでもない。ただ、何かを考え込むようにじっと押し黙っている。一頻りの沈黙が流れた後、ようやく、風の主は手を差し出した。


「あっ」


 よどみない手つきで、レイルピリアをつかみ取る。一見石には変化は見られないが、風の主に視線を移したとき、何が起こっているのか一瞬で読み取れた。

 その表情が、苦痛に歪んでいる。ぐっ、と、うめき声のような声を漏らし、風の主はソファーに倒れ込んだ。


「風様!」


 とっさに支えようと、ルカは手を伸ばす。が、それを遮るように背中を向け、風の主はレイルピリアを抱え込んだ。

 ぼそぼそ、と、彼が何かを呟いているのがわかった。瞬間、パン、と、ルカの脳裏に風が吹く。爽やかな感覚が真っ直ぐと突き抜け、先ほどまでの心配やら、焦りのような物がたちまち消えてゆく。

 何かが起こったのは理解できたが、それだけだ。しん、と精神が穏やかになって。しかし、ソファーで丸まったままの風の主を見ると再び不安が胸の奥からわき起こってくる。


「風様、大丈夫ですか……?」


 心配の余り、風の主の背中にそっと触れる。すると何故だろうか、再び心が凪いできた。


「大事ない」


 短くそう告げると、風の主は体を起こした。脂汗が浮かんだ表情は青ざめていたが、今なお彼を苦しめている様子は無かった。


「これで、大丈夫だ」


 満足げに、風の主は笑みを浮かべる。その手には、事も無げにレイルピリアが握られていた。



「あの、その石――レイルピリアは何なんでしょう。以前ご報告しましたけれど、やはり、眷属となるような石とはちょっと違うみたいで……」

「ふむ。石の声を聞いたとすれば眷属に近いものと考えて間違いはないだろうが。それにしても力が強い。生まれ石に近いのかもしれぬな」

「生まれ石?」

「妖魔は皆、生まれ石抱いて生まれ出でる。自然界におけるそれらの力を凝縮させたような石だ。例えば、琥珀は、貴石“琥珀”の恩恵を受け、鴉は鳥である“鴉”の恩恵を受けた石と共に生まれてきていると言える。このように妖魔は皆、これを身につけ、生きている」


 眷属になる石よりはるかに強く、誰もが自分専用を持っているのだとしたら、ある意味命の源的な物なのだろうか。


「となると、風様は――風?」

「そうだ。そして、私の生まれ石はそこにある」



 風の主の指した方を見やる。琥珀が強い妖気を含んだ石と告げていたものだ。こんなにも堂々と置いてあるというのは、ある意味自信の表れのようなものを感じる。

 しかし、その水晶の輝きはまばらだ。緩やかに光の強さを変え、点滅するかのように照らす。その弱々しい光が“人化”について、この峰の結界についてなど、それらの話を聞いたときのことを思い起こさせる。

 碧色に輝くその石は、風の主の瞳と同じ色をしていた。



「つかぬことをお聞きしますが、風様」

「なんだ」


 胸に不安が押し寄せてきた。喉まで出てきている言葉が、なかなか絞り出せなくて、ルカはうつむいた。



「……いえ。なんでも」


 妖魔が妖魔で無くなるとき。

 結界が無くなるとき。

 ――そのとき、この光は消えてはしまいませんか?


 どうしてもその言葉だけは言えなくて、ルカは口を噤んだ。




「生まれ石の事は理解しましたが、風様。私は人間です。レイルピリアが生まれ石などあるはずがありません」

「まあ、そうであろうな」


 不安をかき消すように、ルカは話の筋を元に戻す。


「だから私が言えるのも、生まれ石に近い何か、というだけだな。その石の持つ妖気は、其方の気配と非常に近い」

「妖気なんて持ち合わせてないですが」

「ふむ、この夜咲き峰にいることで其方の体に何か影響が出ているか――まあ、別段気にすることも無かろう」

「いやいや、気にしますけど? 体に影響って何ですか!」

「別に死ぬわけでもない。大きな力が手に入ったとでも思っておけ。まあ、その空っぽの魔力では使用できぬだろうが」


 ここでようやく、風の主の表情に笑みがこぼれた。からかうようにルカの頬に触れ、にまりと笑う。

 ルカとしては大問題だ。ただでさえ自分の身に何が起こっているかわからないというのだ。なのに気にするなと放置され、パニックのところ、頬を触られるという追い打ちだ。

 頬が真っ赤に染まるのがわかる。

 動揺したのがばれたのだろう。その様子を見た風の主は満足そうに立ち上がり、奥の小部屋へ入っていく。呆然として待っていると、風の主は何やら道具のような物を抱え、すぐに戻ってきた。




 ルカの目の前に、その道具を広げる。それと同時に、幾つかの鉱物素材を並べ始めた。

 金や銀の他に、何やら色の付いた金属のような物もある。知らない素材がたっぷりで、ルカは目を輝かせた。


「どれが良いのだ?」


 問われて、ルカはぱちくりと瞬いた。好みを聞かれているのはわかる。何のために、と、考えると当然一つしか無い。


「良いのですか?」

「……婚約者の我が侭くらい聞く」


 無表情極まりないが、行為自体のあまりの紳士っぷりに、ルカの心臓は再び跳ねる。頬までが熱くなっていることに気がつき、両手で押さえこんで隠した。

 レイルピリアは真白く輝く石だ。シンプルで、光を邪魔しない上品な色が良いだろう。



 そうしてルカが選んだのは、自分の髪の毛と同じ、月白色の鉱石だった。風の主も満足したようにそれを手にする。そして琥珀と同じように、所々妖気を流しながら、細かく装飾を形作っていった。

 以前琥珀は、あらかじめ手持ちのチェーンに、石を取り付けるだけの作業をしていたはずだ。しかし、風の主はそのチェーンになる部分自体から加工をはじめている。どのように作られるのかワクワクして見ていると、ふと、疑問が湧いてきた。



「あれ? 風様? チェーンにはしないのですか?」


 どう考えても、ペンダントになるような形ではない。

 彼の手で変形された鉱石は、リング状へ形を変えている。


「其方、ペンダントはもうあるだろう」


 わざわざ変えてくれたのだろう。シンプルな指輪を形作り、石を埋め込む土台だけ細かく作り込んでいく。まるで熟練の職人のように慣れた手つきを、ルカはただただ見つめていた。


 ほけーっと見とれている時間はあっという間だった。

 レイルピリアを埋め込み、確認を入れる。いつも涼しげな風の主の瞳は、ずいぶんと真剣で、検分するかのようにあらゆる角度から指輪を見ていた。


「手を出しなさい」


 突然話しかけられて、ルカはびくっと肩を揺らす。頭が反応しきれず、言葉への反射だけで、何故か両手を出していた。


 すると、風の主はじっと両手を見つめた。悩むように顎に手を当てしばらく。ルカの左手をとって、薬指に指輪を通す。少し大きめの指輪はするりと通り、最後に風の主が妖気を通すと、ぴったりと彼女の指におさまった。

 月白のリングに、レイルピリアが淡く輝く。作っている最中は気付かなかったが、レイルピリアを囲むようにして、碧色の石が二つついている。小ぶりだから主張しすぎず、とても可愛らしい。



「えっと、風様、これは……」


 状況に頭が付いていかなくて、ルカの頭は爆発寸前だ。


「風の欠片もつけておいた。私だけが其方の石をもらうのは、差し支えがある」

「あー、それはとても嬉しいのですが。そうではなくてですね、その」


 もごもごするルカに対し、風の主は早く言えと急かす。ルカと違い、いつも通りの涼しげな表情だ。


「どうして、この指に?」


 左手の薬指。それが意味するもの。それはルカにとっては一つだ。

 婚約者という枠組みは勿論あるし、ある程度話でも出来るようになってきたのだが、将来について具体的な動きがない今、このようなものを貰う道理がない。


「? 一番バランスがよいだろう。右手だと邪魔だろうし」


 しかし、風の主の返答は、ルカが想像していたよりもずいぶんと現実的なものだった。


「それが何か」

「いえ、安心しました……」

「他の場所が良かったか? 直すことは可能だぞ?」

「いえっ! 是非ここに!」


 ルカの焦りなど、まるで理解していないのだろう。何を騒いでいるのだと言わんばかりの冷ややかな瞳に晒され、馬鹿馬鹿しく感じてくる。



「それから、ルカ」

「?」

「皆月の欠片は、簡単に人に渡すな。少なからず、君のレイルピリアと繋がっている。君にも影響を与えられる力があるものだ」

「え? あ、はい――」

「自覚しなさい。レイルピリアは、この峰を支える私と同等くらいに、大きな力を秘めているんだ」


 風の主の真剣な瞳に、ルカは大きく頷いた。

妖魔の皆さんは皆美的感覚に優れています。

黒い人と肌色の人以外は。


次は、レオンのお話です。

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