鴉のたからもの(2)
その後は、あまりに悲惨だった。
しばらく涙も吐き気も収まらなくて、げえげえと、胃の中のものを全部吐き出した。こんなにも辛い思いをしているのに、鴉には酷く嫌われてしまった。いや、違う。自分が鴉を傷つけてしまったのだ。
彼の表情から、どれだけ、あれだけの宝物を大切にしているのかはよく分かった。ルカにとってはゴミのようなものでも、一つ一つ、丁寧に扱っていた。光り物に関しては、きっちりと磨き上げられていたことも分かった。あれだけの数を管理するのは、彼が多大な努力を怠らずにいたからに他ならない。
「鴉に謝らなきゃ……」
ぐったりとした体は重い。午後はまるまるベッドに伏せることになってしまった。
まさかこんな形で寝込むことになるとは思わなかったのだろう。ルカが戻ってきたとき、レオンも菫も驚きを隠せていなかった。
「うっ」
すでに胃は空っぽだというのに、まだ何かを吐き出そうとしている。ぐるぐると渦巻くお腹の具合に辟易しながら目を閉じる。
「大丈夫、ルカ?」
そしてこんな時でも、鷹はヘラヘラと現れた。
「……知っていたでしょ」
「まあね。僕もあそこはあまり踏み入れないようにしてるんだ。あ、でも、今日はルカが居るからついて行ったんだよ? 褒めてくれていいよ?」
「姿消していたでしょうに」
「でも、すぐ側には居たんだよ。触れたくないし臭いたくないからああいう形をとっていただけで」
「教えてくれても良かったじゃない」
恨み節しか出てこない。責められることは鷹も分かっていたのだろう。困ったような諭すような口調で、ルカを宥めた。
「だって、君は、ちゃんと知らなきゃ。彼のこと、本当に分からないでしょ?」
図星を指され、押し黙る。その通りだ。
「彼らに人間のことを伝えるのなら、君も彼らのことを知らないとフェアじゃない。君にとって良いものと、彼にとって良いものは、重なっている部分こそあれ、根本的には違う。あの臭気をものともせず、大切にしようとする気持ちは、君に理解できないだろう?」
「……うん」
「君が人間について少々押しつけがましく教えるのは、別にかまわないんだ。状況が状況だからね。だけど、それが彼らにとって不快になりかねないこと、君は知る必要があった。どんなに頑張って受け入れようと思っても、無理だったろう?」
「……うん」
頷くことしか出来ない。本当に、そうだと思う。
「私、謝らなきゃ」
両手で目を押さえる。毎日追いかけ回して、彼もなんだかんだでつきあってくれて、悪くないのではと思っていた。人間の文化にも最初は抵抗するものの、案外評価が良く、受け入れてくれる。すべてよかれと思ってやっていた。相手の気持ちも考えずに。でも。
「伝えなきゃいけない。これは変わらない。……でも、謝りたい」
***
「……というわけで、鴉を怒らせてしまいました」
次の日、ルカが真っ直ぐ向かったのは風の主の部屋だった。成り行き上しばしば顔をあわせてはいたが、面と向かって話し合うのは久しぶりである。
「何かと思えば……」
風の主は呆れるように額に手を置いた。もう片方はルカの腰に回してある。彼と話すときは、いつもこうだ。風の主は長椅子に寝そべり、ルカはその手前に腰掛ける。
「落ち込む必要もなかろう。相手がどう思おうが、気にする必要など無い」
「あります。私は、あるんです」
「面倒な」
「彼を傷つけてしまい、後悔しているんです。せっかく打ち解けられるかと思ったのに」
ルカは両手をあわせるようにして、口の前で握り込む。ぎゅっと力が入り、汗がにじむ。
「謝りたいです」
自身でも、答えは出ている。横から、酔狂な、という言葉が聞こえてきたが、ルカの意思は堅い。風の主が言おうとしていることは分かる。基本的に、他者は他者でしかない妖魔にとって、謝るという行為が理解できないのだろう。
ただ、ルカは謝りたかった。その方法がわからないだけで。
「風様、力を貸して下さい。鴉はどうすれば許してくれるでしょう?」
「私にそれを聞くのか」
風の主は呆れるようにして呟く。しかし、ルカは風の主に聞きたいのだ。この一件に関し、鷹はあれ以上言葉をくれなかった。そして下級妖魔の菫には、少々荷が重い話だろう。となると、残るは風の主のみだ。
「鴉か。其方は彼奴の部屋を見て、実際、何を考えた」
「……汚い、と。匂いもひどくて」
酷い言葉だと思う。しかし、率直な気持ちを口にせねば、理解はしあえないだろう。
「ふむ。他には?」
「どうしてこんなにものを集めるのだろうって思いました。綺麗だと思ったものも、あったんです。けれど、好ましくないものに紛れてしまって、なんだか勿体ないって。せめて整理すればいいのにって」
「なるほどな」
納得したように風の主は頷く。
「つまり、其方は鴉の宝とやらで、許せるものとそうでないもの二つがあったと言うことか」
「そう、なりますね。たしかに」
思い返してみると、綺麗なものも確かにあったのだ。ものに紛れ、埋もれてしまっていたけれど。しかし、鴉には全てを否定したと伝わってしまっている。
人と言葉を交わすのに、臆病な様子だった。余計な世話だったか、と彼は言った。
世話をする、その行為に、彼はどれだけの勇気を出したのだろうか。否定されて落ち込まないはずがない。
「ふむ、鴉が宝を見せるというのは、私が記憶する中でもついぞ無かった。これは、彼奴にとって、其方の存在が大きかったのだろう。でなければ、誰かと関わろうとしまい奴のことだ。わざわざ部屋に呼ぶなどあり得ぬ。後はそうだな……彼奴なりに人の真似をしたのではないか」
「真似、ですか?」
「ああ。恩義を感じた見返り、と言うことなのだろう。そのようなもの、妖魔が行う道理がない」
何か施しを受けることすら嫌う。与えてもらった恩に対しても、感謝などしない。そうやって自分本位に生きる妖魔であるにもかかわらず、自身への利益なしに他人のために動くことなどあり得ないと風の主は言う。
「彼は、私を受け入れてくれていたのですね」
その好意は感じてはいた。不器用ながらも、精一杯、ルカにつきあうための理由を作り、接する機会を作ってくれた。それなのに、自分は鴉を傷つけてしまった。
「――鴉とは、昨日から顔を合わせてないのです。……そっか。まずは言葉を尽くすべきでした」
彼は全てを否定されたと思っただろう。そうではない。何が好みで、何が好みでないのか。ひとつひとつ、伝えなければならなかった。
彼の憤り混じりの悲しそうな瞳。それがどうしても忘れられない。自分は許されずとも、まずは、彼に笑顔になって欲しい。
「少し、気持ちが整理できました」
妖魔だから、根本的に大きな価値観の違いがある。それはごく当たり前のことだ。しかし、人と人だって同じではないか。許してもらおうと思うなら、それなりの誠意が必要だ。
もしかしたら自分の存在など切り捨てられているかもしれない。しかし、それが何だというのだ。最初に戻っただけではないか。
前向きになれると頬も緩む。口をきゅっと結んで、ルカは立ち上がった。
「私、鴉に謝ります」
「好きにしろ」
「はい」
風の主はもう興味がそがれているのか、視線を外に向けている。彼もこうやって、人との距離を計りかねているのかもしれない。
そう思うと、風の主とももっと言葉を尽くさねばと言う思いにかられる。はにかむように笑って、ルカは振り返った。
「風様。ありがとう存じます。ご助力頂けて。風様は、お優しいのですね」
にっこり笑顔満点で言ってみたところ、風の主は、驚いたようにルカを見る。すると、明らかに顔をゆがめてから不機嫌そうに視線を逸らした。
彼との交流も、まだまだ時間がかかりそうである。
風様と話して、気持ちは前向きです。
次は、鴉に謝るために『あるもの』を探しに行きます。




