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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
119/121

小さな軍隊(1)

「エリューティオ様、体調がよろしくないでしょう? せめて日中は、休んでくださいませ」


 久しぶりに二人での朝食を終えたのち、ルカは無理矢理彼を寝台に引っ張った。姿を消していた頃は、一体どこで、どう休んでいたと言うのだろうか。考えるだけでも、呆れやら申し訳なさやらが押し寄せてくる。

 生粋の妖魔である彼の顔色を見てもイマイチ体調はわからないが、今は色彩が見える。名を縛った効果か、赤薔薇よりもエリューティオやロディ・ルゥの方がはるかに鮮明に見えるようで、だからこそ、彼の具合がよろしくないことも理解できた。

 ゆらゆらと安定しない色彩。

 見ていて不安になる淀みを、放っておける筈がない。



「本来ならば、妖魔も夜におやすみになるべきなのでしょう? それでも働くと言うなら、止めは出来ないですけど。ちゃんと、休めるときに休むべきです」


 きっと無理をしていたのだろうから、と、ルカは念を押した。


 これまでのルカ自身の体感でも、昼より夜。そしてこの満月の峰で休むのが、最も妖気の回復が良いのは感じていた。皆の話をまとめると、月の光の効果らしい。

 エリューティオだって、元の莫大な力はルカとは変わらないはず。ならば本来、この場所で夜に過ごすことが最も妖気の回復によいはずなのだ。今はルカが奪ってしまった形になるわけだが。


「私は出かけますけれど、ついてきてはいけませんからね。あと、お出かけも控えてください。じっとしてるんですよ」

「……私相手に、何をそんなに過保護になっている」

「エリューティオ様相手だからですよ!」


 戸惑うように目を細めたエリューティオに向かって、ビシッと言い放つ。

 きっと彼は、今までこのような扱いをされたことがなかったのだろう。途方に暮れたような顔を見せた後、ぷいと横を向いてしまった。

 まるで愛情を向けられることになれていない子供のようで、ルカはくすくす笑う。

 そうして顔を上げたところで、ルカは不思議な感覚を覚えて、瞬いた。



 ふわりと部屋に満ちる別の妖気を感じる。

 ああ、誰かが来たのだろうと咄嗟に理解して、これが光の扉の効果なのかと実感した。


《ロディ・ルゥです。リョウガ様をお連れしましたが》


 直接脳に響くロディ・ルゥの声。

 ロディ・ルゥには、朝からあちこち動き回ってもらっていた。特にリョウガには、個人的に相談したいことがあったため、わざわざここまで呼び出していたのだった。


「どうぞ!」


 ルカの呼びかけに応じるように、ロディ・ルゥが姿をあらわす。その後ろに続くように、筋肉質な男がひとり。ルカの顔を見るなり、ぱああああと目を輝かせたのは、ミナカミ家次男のリョウガだ。

 ここのところ自分のことに精いっぱいで、なかなかまともに兄と話をしていなかったが、相変わらず元気なようだ。ロディ・ルゥと並んでもなんら違和感なく、すっかり峰に溶け込んでいる。


 しかし、ご機嫌そのものだったリョウガは、ルカの隣に視線を向けるなり、その両目を見開いた。

 信じられない、と言った顔つきで見つめるのは、ルカと、その隣の人物。

 エリューティオの肩に手をかけたルカ。ごく近いその距離感を見て――わなわなと震える肩がピタリと止まった瞬間、暑苦しい殺気が部屋を満たした。


 何。と思ったときは、もう、遅かった。


「貴様ぁ――――――っ!!」


 今、この瞬間。リョウガにとっての完全悪となったらしい相手――エリューティオに向かって、飛びかかる――。




 ***




「……で?」

「くっ。負けた……っ! くううっ……」

「申し開きを聞……って、どうして兄様泣いてるの!? えっ!? ちょっと、やめてよね!」

「きっ、貴様を、認めなければならないのか……っ!」

「滂沱の涙を流しながら何を言ってるのっ」


 あいも変わらず暑苦しい次兄は、両膝を折ったまま、泣いた。男泣きに泣いた。

 その心情を一から十まで理解できないエリューティオは、彼を見下ろしたまま固まっている。人間とか、妖魔とか関係ない。それは正しい反応だった。

 突拍子もなさすぎる謎の行動といきすぎた言動に付き合うのは、あまりに難易度が高すぎる。


 おちおち眠っていられない状況となったエリューティオは、今や長椅子に横たわって、ため息をつく。長い指で己の顔を押さえては、心底理解できないと、首を横に振った。



「もう! リョウガ兄様ったら! いきなり襲いかかるだなんて、一体何を考えてるのよっ。よりにもよって、エリューティオ様に」

「しかしだな、ルカ! この男は――お前を泣かせておきながら、それで、あまつさえっ……うっ、あまつさえ、おまえとっ……」


 膝を折って頭を抱えた男は、でかい図体の割に随分と小さく見えた。丸まった背中に哀愁が漂っている。

 以前もエリューティオに抱きかかえられていたところは見られていたはずだが、今更何を言うというのだろう。大きな図体と声でわんわん泣かれてしまうと、鬱陶しいことこの上ない。

 なによ、と一応話を聞いてあげると、ばばばっと彼は顔を上げた。


「お前とっ、夜をともに……っ」

「え? 今更、そこ?」

「は?」

「え?」


「「……」」


 しばらく、二人向き合ったまま硬直した。


 ――ええと? 何だっての、一体。


 エリューティオの部屋で眠るようになってから、随分と時間が経ったように感じる。

 もちろん、つい昨日まで彼はルカの前から姿を消していたわけだが、それでも、彼の側で眠るのは慣れてしまったし、周知の事実ではないのだろうか。

 もともとはルカの体調を維持するための行動だったわけだし――当然、人間の、しかもそれなりの家庭の娘としてはあり得ないことだとは理解していたし、レオンもいい顔はしていなかったわけだが――本当に、今更何を言われるとも思っていなかった。


 しかし、目の前の次兄はその顔をみるみると赤くしていくのを目にしては、ルカは己の言葉が非常にまずかったことを悟った。


「あっ!? 夜って。あ、ああ。そーいうね……って、違うから! 何も、ないから!」


 ぶんぶんと手を振って否定する。

 きっと目の前の次兄は、やや行き過ぎた勘違いをしているに違いない。

 意識すると、ルカ自身もとたんに変な熱がこみ上げてくる。いくら何でも、彼の感じた意味での“夜を共にする”のはルカにとってもまだ早い。アワアワしながら否定するが、その思いは届かなかったらしい。


 リョウガはやがてガタリと立ち上がったかと思うと、再びエリューティオに向かって歩き出す。

 のしり、のしりとした歩みと、熊をも射殺さんばかりの殺気に満ちた表情に、ルカは慌てて両手を広げた。


「ま!? 待って、兄様、待ってっ」

「貴様ぁーっ!」

「ちょっ……! ああ! もう、何もないってば! 何もないの!!!」

「俺のルカを――――っ!!!!」

「やめてってばーっ! もーっ!!」


 前方から兄の胸に食らいついて止めようとするが、ルカにかなうはずがない。

 そうしてリョウガは、エリューティオに対して、本日二度目の挑戦状を叩きつけた。




 ***




「……あのね。リョウガ兄様」

「……」

「兄様は人間なんだから。いくら人間相手に負けなしって言ってもね。上級妖魔のみんなみたいに、所構わず襲いかかって無事ではすまないの。みんな手加減してくれてるんだからね、わかってる?」

「……」

「ねえ、聞いてるー? 兄様っ」

「うっうっうっ」


 何も聞こえないとばかりに地面に突っ伏したリョウガは既に満身創痍だった。

 アルヴィンとは日頃から剣の訓練していることは知っているが、妖気に満ちた上級妖魔と戦うことなど無かったのだろう。というか、このような狭い室内で暴れ回るのは、本気で勘弁して欲しいものである。


 妖気の回復の関係で、ルカがここで夜を過ごさねばならないことは伝えてあったはず。しかし、まさか本気で同じ室内で夜を明かしているとは思っていなかったそうな。


 たしかになし崩しに一緒に過ごすことになって――それは非常に、人間的に外聞が良くないこともルカは理解している。

 人の文化を伝えようと日々過ごしてはいるが、それでもこの峰は、人間社会とは隔離されている。ルカの常識も、ちょっとおかしげな方向に歪んでいる自覚もある。だから許されると、甘えている部分があるのは否定できない。

 それでも、ルカはエリューティオと離れるつもりはなかった。

 ……目を放すと、エリューティオがどこかに行ってしまう気がするから。


 ――不安、なんだろうな。


 ちらりとエリューティオの方を見やると、二度も兄を退けた妖魔は、涼しげな表情でぼんやりしているだけだった。というより、リョウガに対して弁解することにも興味が持てないのだろう。彼は本当に、自分のことには無頓着な妖魔である。

 エリューティオが怒っていないことに安堵しながら、ルカはリョウガの側へとしゃがみ込む。それでいて、彼の肩にそっと手をかけると、彼は涙でぐしょぐしょになった情けない顔を上げた。



「はぁ。今日は、兄様にお願いしたいことがあるから呼んだのに。時間が勿体ないわよ、これじゃあ」

「へ……え、ああ」

「リョウガ兄様に改めて相談したかったんだけどな。満身創痍だし、今日は無理そうね?」

「え!? いや、ちょっと待て、ルカ!」

「その気がないなら私、先に行くわ。ロディ・ルゥ、宵闇へ行くわよ?」


 後ろに控えたロディ・ルゥに声をかけて、ルカは踵を返した。

 エリューティオに謝罪と挨拶をして、そのまま退出してしまう。


 とことこと螺旋階段を下っていると、後ろから慌てて駆け下りてくる足音がひとつ。あれは二段か三段飛ばしで来ているなと思えば、やはり、制止しきれない勢いだけの塊が、ルカの横を追い抜いた。




「まっ! 待て! ルカ!」

「待たないわよ。時間が勿体ない」

「いやしかし」

「兄様、私の話を聞いてくれないんだもの」

「ちがうっ! ……ちがわないけど。ちがうっ!!」

「ちがわないんだ」


 ぶるんぶるんと首を横に振ったもはや大型犬は、必死でルカに弁解しようと頭を働かせているが、固い頭はどうにもならないらしい。


「あのねえ! ここは人間社会じゃないし、私の状況も変わってるの、分かってるんでしょう? わざわざ騎士団から抜けてきてここまで心配してきてくれたのなら、少しはちゃんと手伝ってよ!」


 こっちだって、ただで寝泊まりさせるつもりはないんだからね、と冷たく言い放つ。

 副官のソニアには世話になりっぱなしだが、リョウガはというと、この峰でただただ強さを求めて訓練を積み重ねる日々だった。あとは、雛係、と言えるかもしれないが。それだけでこの峰に置いておくほど、ルカもお人好しじゃない。

 そもそも彼は、人間社会でもそれなりの役目を持っているはず。

 ミナカミ家の次男は、頭脳労働は得意ではないが、騎士団ではそれなりに役に立っているらしいとは聞いていた。

 だからこそ、今こうして遊ばせておくのは、人材としても勿体ないと考えていたのだった。



「……ルカぁ」


 情けない声を出しながら、リョウガはルカの裾をひっぱった。いい年をして情けないことこの上ないが、この兄が心配性なのはよく知っている。

 しかし、今の彼にかける言葉など知らない。

 その気がないのなら、せめて邪魔はして欲しくないのだ。


 彼の存在を無視して、どんどんと螺旋階段を下っていく。

 転移の間は目と鼻の先。下層まで降りると、そこにずらりと揃っている妖魔たちが目に入った。



「ルカ様、お待ちしておりました」

「!!」


 ころころとした鈴のような声が聞こえてきた瞬間、横で丸まっていた大型犬の背筋がシュッと伸びた。

 先ほどまでの涙は何だったのか。そろり、と視線を彼に向けると、大型犬は口をはくはくさせて、顔を真っ赤にしている。


 彼が瞬時にこんなことになる理由など、ひとつしかない。

 夜咲き峰に美人は数多く存在するが、野に咲く素朴な花の笑顔は、目の前に立つ彼女だけのものだった。


 菫。その名前の通り、瑞々しい菫色の色彩をした妖魔は、背筋をしっかりと伸ばして、凜と、しかし可憐に立っていた。

 その周囲には、赤薔薇やアルヴィンや琥珀、そして王都からやって来ていたトモエとテッドまでもが大集合している。

 ちなみに、菫の後ろからはひょっこり雛も顔を出しているが、リョウガの目には今、彼女は映っていない。



「菫、待たせたわね。みんなを集めてくれてありがとう」

「いえ。こうして共に宵闇へ向かえることを、嬉しく思います」


 今日の菫の笑顔は極上のお日様のようで、両手を顔の前に合わせる仕草が可愛らしい。

 これからの季節にそなえて、今日から宵闇でも冬支度。すっかり環境が変わってしまった下界のことも、彼女はとても心配していたらしい。

 妖魔らしからぬ慈愛に満ちた微笑みに、リョウガだけでなくルカもくらりときてしまいそうだった。


 ――はぁ、この穏やかさ、ありがたい……。


 峰はすっかりドタバタしていて、最近あまり落ち着いた気持ちになることがなかったから、彼女の微笑みが嬉しい。僅かな間なのに、時間がゆっくりと流れる気がして、ルカも喜びで頬を染めた。



 そして次に、ルカは後ろにひっそりと立つ赤薔薇に目を向けた。


「赤薔薇も。準備をしてくれていたのでしょう? ありがとう」

「別に。たいしたことじゃ、ない」


 以前から宵闇の冬支度に備えて、赤薔薇にいくつかお願いしていたことがある。

 ちら、と赤薔薇が視線を投げるのは、彼女が連れてきた王都の二人――特に、テッドの方だった。二人が一緒に話していることを見ることなど全くないが、テッドにはこの峰に来てから、彼女に協力するようお願いしていたのだった。

 赤薔薇の視線に、テッドは曖昧な笑みを浮かべて、頬を掻く。その頬がゆるゆるなのは、正常な人間の男子なら致し方ないことだと思う。



「よし。じゃあ、早速宵闇に向かいましょうか――で? 兄様は? どうするの?」

「へ?」

「行くの? 行かないの?」


 本当は、折り入って色々相談したかったのだ。しかし、エリューティオの私室ではまともに会話が成立しなかった。このまま連れて行っても、邪魔をするだけなのだとしたら、御免被りたい。

 冷ややかな視線を投げかけると、リョウガはぶんぶんとその首を縦に振った。


「そ、そんなの! 俺に任せろっ! なあ、ルカよ!」


 さっきまでいじけていたことが一気に吹っ飛んだらしく、前のめりになって訴えかけてくる。



 ――誤解は結局とけなかったけれども。


 エリューティオとの関係性。彼の中で一歩二歩先まで進んでいるのは決定事項な気がするが、もう、どうでもいい。というより、エリューティオとのことなら、勘違いされることにさほど抵抗がないのだろうか。


 ――妖気の事情とか、説明しても絶対理解してもらえないだろうしなあ。


 色彩で染める話は、すでにリョウガの耳にも入れている。しかし、彼の凝り固まった脳みそに理解を求めるほど、ルカも馬鹿ではなかった。

 妖魔たちにちょっと色彩を見てもらえば、ルカがエリューティオとの間に何もないことなど簡単に分かるだろうが、まあ、そこまで頭も回らないだろう。



「はぁ。期待してるわね、リョウガ兄様」

「おうともよ!」

「元気が良いのは良いけど、右手と右足、一緒に出てるからね」

「何!?」


 菫の前だからって、緊張しすぎでしょう。

 そのルカの言葉に、他の妖魔たちも苦笑する。雛だけは、少し苛立ちを露わにしたのち、目を伏せている。が、きっとリョウガは、気がついていないのだろう。



 ――あー、この三人は。ちょっと、配置、考えた方が良かったわね。


 一斉に呼び出したのは少しまずかったかもしれない。

 自分の行動の不手際に頭を搔きながら、ルカは転移の間へと向かった。

リョウガがいろいろ勘違いしておりますが、これ以上訂正するつもりはなくなりました。


というわけで、次回、兄へのお願いです。

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