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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
114/121

新月の峰へのお土産

「ほれ、お嬢様。こんなのはどうじゃろうかの」

「んー! ゲン爺さいっこう! もう、天才っ!」

「ほっほっほ! お嬢様の笑顔が見られるなら、安いもんじゃて」


 上機嫌に、誰よりも立派な上腕二頭筋の筋肉を見せてくるのは、誰よりも皺くちゃな男だった。

 ゲンテツ――かつてゲッショウでは、ミナカミ水軍頭領の右腕として、そして現在は、ミナカミ家の料理番としてその腕前をふるい続けている男。

 腕のふるい方は軍人から料理人へと華麗なる転身を果たしたが、今、料理人としての彼は輝いている。


 ジジイだからこそ蓄積されまくった経験を遺憾なく発揮し、彼は今、この峰で最も影響力がある男。いやまさに、下弦の峰の頂点に立とうとすらしている。

 なぜなら彼は、下弦の峰筆頭妖魔の寵愛を受けているからだ。



「ん。私の」

「赤薔薇、後で」

「む。だが」

「駄目。付き合ってくれたら、後でね」


 常に腹ぺこ。下弦の峰筆頭妖魔こと料理大臣(注:食べる担当)赤薔薇にとって、未知の食物が目の前にあって手をつけないのはあり得ないのだろう。

 ゲンテツが用意した箱の中身を見つめては、涎を垂らさん勢いで、目を放さない。


「赤薔薇嬢ちゃんはそう言うと思っておったでの。ちゃんと座って食べるのだぞ」


 しかし流石のゲンテツ。数日間赤薔薇と旅をしていただけで、彼女の事は大方把握したらしい。

 別の器に彼女専用の“それ”を乗せては、彼女の前に差し出す。



「……!」


 瞬間、彼女の目が爛々と輝いた。

 きっとつまむと形が崩れてしまうだろう――見るからに柔らかそうなそれの形は、もみじの手のような形を模している。

 渋い赤から淡いピンクへのグラデーションは、この季節の彩りそのもの。


 細工菓子。ねりきり、とゲンテツは言っていた。

 まるで硝子細工のように精巧だが、これがあの太い指で形作られたものだとは信じがたい。


 しかしルカは知っている。仕入れの関係で指で数えるほどしか食べたことはなかったが、この手の茶菓子は、ゲンテツの最も得意とするものだということを。


 先日、丁度ゲッショウへ赴いたからだろう。しっかりと材料を買い込んでこの峰へやって来たらしい。

 もっちりとした食感と、舌に滑らかに残る餡の滑らかさ――思い出すだけでルカだって涎が止まらないと言うのに。



「ゲンテツ。いい。実に、いい」

「そうじゃろうそうじゃろう」


 ルカよりも誰よりも先に、赤薔薇がその味と食感を堪能している。

 匙でもみじの葉を切り取り、少しずつ口の中へ。そして彼女は、片手を頬にあて、ほぅ……と息をつくのだ。


 ――赤薔薇を押さえておくのは大事だけどさっ。ゲン爺ってば。ずるい。赤薔薇、ずるい……!


 渦巻く嫉妬の炎が抑えきれない。

 赤薔薇とゲンテツはすっかり仲良し。一応下弦の峰の筆頭である赤薔薇の胃袋をしっかりキャッチしたゲンテツは、もはやこの峰で怖い物はない。



「ゲンテツ。はやく。私の僕従に――」


 が、赤薔薇の言葉にどうも聞き捨てならない単語が聞こえて、ルカは正気に返った。


「んんっ。赤薔薇」

「? どうした」

「僕従って?」

「レオンはルカと、契りを。なら。ゲンテツは、私が」

「!? 赤薔薇、貴女なに言って……!?」


 あまりに突拍子のない発想に、ルカは目を白黒させた。

 ルカとレオンの誓いとて、妖魔の僕従の契りとは似ても似つかぬもの。ないとは思うが、万が一、同じ感覚でが了承するとなったら、とんでもないことになる。


「ゲンテツに、手を出しちゃ駄目よ!?」

「ルカ、私の主じゃない。聞けない」

「こんな時ばかり、名前を縛って欲しいって言わないの、ずるいわよっ」


 もー! とルカは怒るけれども、赤薔薇は上機嫌で細工菓子に口をつける。

 そのたびに、舌の上で餡を転がしては、極上の微笑みを浮かべていた。


 ここのところ彼女の上機嫌は表情に出やすくなっていて、それは歓迎するべき事だが、なんとも複雑な心境だ。



「んまい」

「ほれ、その菓子には、抹茶が合うぞ」

「レオンの料理も。美味しかった。……けど。んん。ゲンテツ。天才」

「ふぉっふぉっふぉ!」


 綺麗なおなごに褒められて、ゲンテツも悪い気はしないのだろう。

 彼女の料理マナーは褒められたものではないけれども、ゲンテツはすっかり至れり尽くせり。彼は、彼の料理を褒めてもらうことに弱いのだ。




「なによ、赤薔薇ばっかり」


 ついつい拗ねたい気持ちがでてきてしまい、ルカはそっぽ向く。


「いいもん。あとで、石墨と食べるもん」


 付き合っていられないとばかりに、ルカは用意されたお重を風呂敷で包みなおした。

 そうしてそれを抱えようとするが、アルヴィンにひょいとつままれてしまう。


「!」

「さあ、ルカ。行こう」

「……過保護よ、アルヴィン」


 ルカの言葉にアルヴィンはどこ吹く風。さっさと扉を開けては、ルカを誘うように振り返る。



「アルヴィンの過保護は今に始まったことじゃないでしょう?」


 呆れるようにロディ・ルゥが現れると、ルカに寄り添うように手を差し出した。


「さて、参りましょうか、ルカ様」

「さすが吟遊詩人。サマになってるわね」

「うっ……その話題は、出来れば、控えて頂ければと。……皆が殺気立ちます」


 少し気恥ずかしげにロディ・ルゥは目を逸らす。

 妖魔らしからぬ平凡な顔をした彼が、妙に人間らしい表情を見せると、ますます人なのではと錯覚してしまいそうだ。


「捏造とは言え、貴女と火ノ鹿の恋物語など、何故語らねばならぬのですか――ほら、鴉が睨んでいるでしょう?」

「文句は脚本家と演出家にお願いします」

「あんまりです、ルカ様……」

「あのね……私だって、恥ずかしいんだから。貴方と、私は、同志。いい? この峰で唯一の運命共同体なのよ……」



 ロディ・ルゥにはここ最近まで、頻繁に火ノ鹿教主国の方に足を運んでは、吟遊詩人活動に勤しんでもらっていた。

 じわじわと火ノ鹿に関する余計な噂を広めてもらっていたわけだが、彼は実にやりにくそうであった。


 なんせ、その内容は、火ノ鹿とルカの恋物語。

 ほとほと困ったように顔を赤らめるが、そこは甘んじて受け入れて欲しい。ルカだって、できるものなら勘弁して欲しいのだ。

 何が悲しくて、自分と好きでもない男の恋物語を歌っておいでと命じなければいけないのか。


 ロディ・ルゥの、人間らしくもあり、印象に残らぬ顔は今回の役割にうってつけだった。

 もちろんロディ・ルゥが、あまりに多くのことを黙っていた罰でもあるが、ルカはただただ羞恥することしかできない。



「……花梨に脚本をお願いしたのがまずかったのよ」


 恋の物語大好きな彼女のこと。今も、王都で恋愛物語を読み漁ってるとかなんとか。

 教授の手伝い、そして王族との交渉。たくさんのお仕事をお願いしているにも関わらず、彼女はノリノリで仕上げてきた。それはもう、お涙頂戴の恋物語を。


 さらに、ロディ・ルゥがそれを歌い上げるという話で演技指導がついたわけで。頼んでもいないのに勝手にソニアが参加してきた。

 彼女には他にもお願いしたいこといろいろあったはずなのに、気がつけばロディ・ルゥに付きっきり。


 曰く、私の絵を使用するからには、それなりの語りをして頂かないと困ります――だそうで。

 まあ結局はそれも建前で、凡人顔した彼は彼でソニアのツボを違う方向に突いていたらしい。

 印象に残らぬからこそ、そこが魅力だと豪語し、彼の色気をどう引き出すか――熱の籠もった彼女の指導に、もはやルカの手を出すところなどなかった。



 そんなこんなで、それなりの見栄えの吟遊詩人になったはいいが、その語りのおかげで彼は、アルヴィンやら琥珀の怒りを買いまくっていたわけである。

 アルヴィンはルカの手前、冷静な様子を見せているが、琥珀などはあからさまに不機嫌だった。

 赤薔薇も気にくわないらしく、最近のロディ・ルゥは針のむしろ。それもこれも全部、今まで隠し事をしてきた罰だと甘んじているものの。




 少し恥じらうようなロディ・ルゥの表情は珍しい。くしゃりと笑みを浮かべて、ルカの手をとる。


「さあ、行きますよ」


 話題を変えるように、彼は部屋の外に出た。

 しばらくすると後ろから赤薔薇もやって来て、すっかりいつものメンバーに落ちつく。

 名前を縛っている妖魔の中に、赤薔薇だけが浮いているが、彼女はすでに、気持ちはルカに縛られているようなものなのかもしれない。もちろん、まだ、彼女の名前を呼ぶつもりなどないけれども。




「新月の峰の妖魔って――石墨、だけじゃないわよね? どんな感じなの? その――」


 満月はさておき、下弦も上弦も、それぞれかなりの色を持っているとルカは認識している。下弦の峰の皆は個人主義だし、上弦の峰は、妖魔らしからぬ組織を作り上げていた。

 そして新月はと言うと――ルカがこの峰にやって来たときも、皆がなんとなく話題を避けていたことを覚えている。


「……まあ」

「なんと言えば良いのやら……」


 やはり返答は曖昧なものばかりで、彼らもどう表現して良いのか考えあぐねているらしい。

 そもそも、何かとけんかっ早い連中のいる下弦・上弦の連中とは違って、新月の皆は引き籠もってばかりいるようだった。


 初めて会う妖魔がいることにドキドキする気持ちと、また突然襲われたりするのかという不安が入り交じり、早く行きたいような怖いような気持ちが交錯している。

 心臓の音が大きくなるのを自覚したころ、すでに、新月の峰へと向かう回廊の手前まで来ていたらしい。



「ここが――」


 新月の峰。

 他の峰へ向かうときと、見た感じは何一つ変わらない。月の雫はキラキラと瞬き、薄暗い廊下をほんのりと照らす。


「ルカ様、手を離さないでください」


 しかし、同じ夜咲き峰の中だというのに、ロディ・ルゥの気配が少し尖った気がしたのは、間違いではないだろう。


「――決して、離さぬよう。迷子に、なります」

「?」


 ロディ・ルゥの言葉の意味が分からなくて首を傾げると、彼はすでにアルヴィンに目を向けている。


「鴉」

「……ああ」


 アルヴィンは唇をきゅっと噛みしめて、その手に持った菓子の包みを差し出す。

 ルカ以外の皆はその意味が分かっているらしい。皆で目配せし合って、結局、赤薔薇が受け取った。

 ロディ・ルゥは片手を空けておきたいのだろうが、いつになく緊張感が漂って、ルカは息を呑む。



「あの――大丈夫なの? なんだか、ただ事ではなさそうなんだけれど」

「はい。だから、鴉は同行できません」

「え?」

「……そういうことだ」


 名残惜しそうに、アルヴィンが目を細める。

 そして彼は、ゆっくりと一礼した。それはまるで、レオンが改まったときに見せる態度のように。


「ルカ、どうか、無事で」

「……?」


 わけが分からず瞬きしていると、ぐいとロディ・ルゥに身体を引かれる。赤薔薇もロディ・ルゥの肩を掴むのが見えたのが最後。

 彼が一歩、新月の峰の回廊へ足を踏み入れた瞬間、ルカの視界は真っ黒に染まった。

ゲンテツは確実に下弦の峰を支配しつつあります。


次回、新月の峰。夜咲き峰、最後のエリアの開拓です。

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