終焉の足音
「そもそもの話、ですか……」
二度にわたる火ノ鹿の訪問の後――ルカは赤薔薇とロディ・ルゥ、そしてアルヴィンを部屋に集めた。
赤薔薇がオミに何を聞いたのか。そして、彼女がロディ・ルゥを責めた理由が知りたくて。
ロディ・ルゥがまだ何かを隠していることくらい気がついていたし、きっと、それを知らない限りルカは――いや、この峰の皆は、同じ間違いを繰り返し続けるだろう。
誰もが、圧倒的に足りていないのだ。
お互いのために、話をすると言うことが。
「ええと――そもそも、終焉って……その、穏やかではない言葉だけれど」
一体何よ、と訊ねたところで、アルヴィンが一度頷いた。
「あれは厄災だ。終わりを告げる者。永久の眠りへ誘う者。妖魔を大罪へ追い込む者」
「大罪……?」
いつか聞いた言葉にルカは瞬いた。
――大罪。
記憶の底を掘り起こす。
だれか、死ぬに勝る大罪はないと教えてくれた者がいなかったか。
「――妖魔は、死ねないって、花梨が」
「そうか」
「それでも、妖魔にも終わりはあるのだとも聞いたわ……だったら、大罪って何?」
「死ねない。か。その通り。妖魔は。死んではいけない」
「死んではいけない……?」
赤薔薇の言葉を復唱する。
トーン、と胸の中に何か落ちてくる心地がする。
彼女が語っているのは、理。分かりたくても知り得なかった、妖魔の根本の部分に、今、ルカは触れている。
「死ぬことが、できないわけじゃなくて?」
「ルカ様――我々が今まで、いったい何人の妖魔を塵にしたか教えて差し上げましょうか?」
「――その手の自慢話はいらないわ」
ロディ・ルゥの返事にうんざりしてルカは首を横に振る。
では、大罪とは、死ぬことが赦されない、という意味なのだろうか。
だったら、妖魔にとって終わりとは? とルカは言葉にする。
しかし赤薔薇は首を横に振るだけ。花梨が言葉を口に出来なかったように、その理を言語化することが叶わないのだろう。
終わりの話は伏せたまま、赤薔薇はルカに伝えるべき事実を口にする。
「妖魔にも人にも。正しく終焉を招く。それが、終焉」
「えっと……その終焉が、今回の火ノ鹿やオミの行動とどう関わりがあるの?」
ルカが訊ねると、赤薔薇は少し言葉に困ってるようだった。
もともと語ることを得意としない赤薔薇。ここから先、どう説明したものかと考えあぐねているのだろう。
代わりに赤薔薇は、ぎろりとロディ・ルゥを見やると、組んだ足を入れ替える。その明らかに苛立った様子に、ロディ・ルゥも困ったように苦笑した。
「ええっと、どこから話せば――ああ、わかっているよ。赤薔薇。そう殺気をぶつけないでくれないか」
「全て。話せ」
「……はいはい。まずは、新月の夜から、ですね」
「新月の?」
「ええ、私が貴女を取り込もうとした、あの夜です」
困ったように苦笑して見せて、ロディ・ルゥは当時の話をし始める。
新月の夜と言えば、彼の名前を縛る前。ルカ達がまだ、上弦の妖魔たちを警戒していた頃の話だ。
「あの事件を起こしたのは我々上弦の妖魔が中心だったのはご存じかと思いますが、実は外部の妖魔が一人関与していたのですよ」
「え?」
「……ガーネット。巷では、そう呼ばれているようですが」
はじめて聞く名前に、ルカは何度か瞬いた。
「あの後、レオンにも協力してもらって、アヴェンスで調査もしてもらっていたのですよ。呪い師として生計を立てている女性、というのが一般的な評価な様ですけれど」
「え? え? 人間の中に、妖魔が混じっていたってこと?」
「噂では。彼女の呪いはよくあたると評判らしいですよ」
にっこりと微笑むロディ・ルゥに、どう反応して良いのかわからない。困惑しながら、ルカは肩をすくめた。
「私が何故貴女を取り込もうとしたのかは、当時話したとおりです。私は、この峰が力を失うのと同時に、私自身も朽ちていくのが許せなかった。そんな私に、話を持ちかけたのが彼女だったのです」
「……」
「貴女の力を取り込んでしまえば良いと。そうして彼女は、アレを――虹の力を持ち出した」
「虹?」
「実際どのように貴女に近づき、呪いの芽を植え付けたのか――その経路は私も知るところではありません。ですが、確かに貴女は彼女の呪いにかかっていた。その――魅了の、呪文に」
「あっ」
思い当たるところがあって、ルカは目を丸める。アルヴィンも当時のことを思い出したのか、不甲斐ないと目を伏せる。
彼に襲われた夜、確かに、彼の虜になるかのような感覚を覚えた。
恋慕に似た何かを強制的に引き起こされて、戸惑った。
ロディ・ルゥという妖魔の途方もない力を感じたが、まさか、あれが外部の力によるものだとは思いもしなかった。
「……申し訳ありません」
「ううん、もう、終わったことだから」
ぞわりとした感覚を思い出して、目を伏せる。
魅了の力――ルカには完全に効きはしなかったが、アレが手軽に使えると考えただけでも恐ろしい。
必死で抗っても、どうしようもなかった。オミの力を目覚めさせることが叶わなければ、ルカはロディ・ルゥに取り込まれていたはず。呪いをかけた本人がその気になれば、人を操るなど、造作でもないことだろう。
「でも、そのガーネットという妖魔が、終焉とどう関わりがあるの?」
「彼女が操る虹の力。それが問題なのですよ、ルカ様」
「?」
「妖気に色彩が宿るというのはもうご存じでしたよね? 万物には、己の持った役割、己の振るうべき力の方向がある。その色彩をことごとく無視してしまうのが、虹色」
「うん」
「理を無視した存在。本来は出てきてはいけないものなのです。ですが彼女は、それを引き出し、人の世に関わり始めた」
ロディ・ルゥはそう言って、両腕を組む。赤薔薇も難しそうな顔をして、彼の言葉に付け足した。
「目的は。わからない。けれどアレは。力を望む者」
「赤薔薇の言うとおり。ガーネットは……おそらく、貴女を狙っているのでしょう」
「……」
新月、ロディ・ルゥをそそのかしたのがガーネットだとしたら、きっと彼の言葉は間違いではないのだろう。ルカだって、自身に眠る力を、すでに自覚している。
「だから鷹は。向こうに。でもガーネットのことも、まだ、何も見えていないと」
「そっか、オミが――。完全に敵対したわけじゃなかったのね」
ほう、とルカは息を吐いた。
本当は直接彼と話したかった。けれども彼は、いつも煙のように消えてしまう。
終焉に対する危惧――それは巡りめぐって、ルカを思ってのことなのだろう。その気持ちが分かっただけで、ほっとする。
オミとは、やはり、繋がっている。
「……ん? ちょっと待って? だったら赤薔薇、貴女なんであんなにボロボロだったのよ」
「戦闘になった」
「いやいや、わかるけど! じゃなくて。なんで戦闘になるのよ!」
「気にくわない」
「――は?」
「鷹。嫌い」
「……」
しかし、赤薔薇の正直すぎる返答に、ルカの感動は粉々になった。
ロディ・ルゥもさすがに苦笑いを浮かべながら、補足する。
「終焉に対抗するために、ルカ様の力をつけたい。それが鷹の思いですよ。だから、火ノ鹿を呼び込んだ」
「えっ?」
「器以上の妖気を吹き込まれることで、妖魔は妖気を溜め込む器を大きくできる。限度こそあれ。だから、鷹は、今のルカ様以上に妖気を持つ火ノ鹿を召喚した。――子は、その副産物です」
「副産物……」
「鷹の思いこそあれ、ルカ様は、そういうものはお嫌いでしょう?」
「……もちろん」
流石に覚えましたよ、とロディ・ルゥは、笑う。
赤薔薇も、アルヴィンも、真剣な表情でうなずき合った。
「スパイフィラスに潜入していたガーネットの力は、まだ脅威と言えるものでもなかった。しかし、彼女が火ノ鹿教主国に移った。遠く離れているのに、彼女の虹の侵食が、この峰を侵し始めている」
「虹の侵食?」
「理の外の物体ですよ。月の下で行動を盛んにするみたいです。ここのところ、ルカ様の体調が芳しくないのは、それも原因の一つなのでしょう。貴女の結界で防ぎきれないからこそ」
「待って! だったらその侵食は? 峰にどんな影響が?」
「貴女は身をもって体験しているでしょう」
「……」
虹の力。
ああ、確かに身をもって体験している。
これまでのロディ・ルゥの話をまとめると、それはルカの精神に直接作用しているわけだ。魅了の呪いとして。
「鴉の力を封じたのも、元はと言えばガーネットから頂いた素材です。その効果の程も、ルカ様は分かっているでしょう」
ちらりとアルヴィンを見つめると、彼もぎゅっとその拳を握りしめる。
相手を魅了したり、力を吸収したり――どちらにせよ、妖魔にとっては脅威にしかならない。
「――今はその虹の残滓を我々上弦の妖魔が押さえ込んでいるから大丈夫ですが。……いや、我々よりも、風が、と言うべきでしょうか」
「エリューティオ様が?」
「ええ。あの方はそうして、ずっと貴女を護っている」
「……」
ルカは両手で口を押さえた。
やっぱり、あの人は、と胸が苦しくなる。
何も言わないで、一人で行動を起こしていたのだ。他の誰でもない、ルカの為に。
「……危険は、あるのよね。もちろん」
「虹自体はそう脅威はないですよ。あれは終焉の残滓。塵のようなもの。それ自体に意思もなければ、強い力もない」
「だったら」
エリューティオや上弦の妖魔たちが、自分たちだけで処理する必要も無いのではないか。もっと、みんなで手分けは出来ないのかとルカは頭を抱える。
「問題なのは、それをガーネットが、遠隔から操作できているという事実です。彼女は確実に、力をつけてきている」
ロディ・ルゥも、赤薔薇も、そろって彼女を脅威というのなら、きっとそうなのだろう。
ルカはそうして、ルカに接触し始めた火ノ鹿のことを思い出す。ガーネットという妖魔が火ノ鹿をも脅かすような妖魔だというのなら、ただ事ではないのだろう。
「……ただでさえ火ノ鹿のことで手一杯なのに、そこにガーネットまで加わるのね」
頭を抱えるしかない。それでも、立ち向かうしかないのも、ルカにはもう分かっていた。
「――教えて、みんな。私には、何が出来る?」
だからルカは顔をあげる。
ルカには、何も分からない。何一つ、妖魔のことなんて。
彼らが人となるのなら、支える方法はいくつも思い浮かべることが出来る。
冬を越さねばならないのなら、いくらでも知恵を貸そう。
けれども、妖魔をどう対処して良いかなど、分かるはずがない。戦う力もない、ただ、妖魔に関する伝承だけを求めてきた娘。彼らに抗う方法など、知りはしない。
「ルカ」
「いつも、みんなには先回りして護ってもらっていた。でも、私も。私に力があるのなら、もっと有効的に使いたい。その――魔力的にも、妖気的な意味でも」
自信なさげに言葉を付け足す。
ルカは己の力について、漠然と大きなものだとは理解している。
だが、その力を有効に使う手段をまだ知らない。
峰の結界のために力を注ぐくらいで、いざという時に戦うことも、護ることも、逃げることすら出来ないのはもどかしい。
「私には、力があるのでしょう? 上手く使えないけれど、いつまでもこのままじゃ、駄目だと思うの。みんなに心配かけてばかりだし、その……しばらくは、上手に使えるまでは、まだ迷惑かけると思うけど」
ぎゅっと両手を握りしめた。そして、三人の顔をぐるりと見渡す。
「でも、このままじゃ嫌なの! みんな、本当の事を私に教えてくれなかった。それは、私が頼りないからでしょう? みんなみたいに戦ったりは出来ないけど、でも――ロディ・ルゥも欲しいって思うくらいの力、なんだよね?」
「え、ええ。それは、まあ」
「だったら、使わなきゃ勿体ないじゃない! ね! お願い! 私も、みんなの役に立ちたい!」
そう言ってルカは立ち上がると、皆が顔を見合わせて肩をすくめ合っていた。
仕方ありませんね、と困ったようにロディ・ルゥが付け足した。
「貴女が力を使うのは容易ではないんですよ。ただでさえ反発し合う妖気と魔力が混在しているのですから。それを制するには……風がいないなら彼女に頼まないといけませんかね」
「彼女?」
「――新月の峰の筆頭妖魔、石墨、ですよ」
ロディ・ルゥを白雪と呼んでいたときから、外部の妖魔の干渉があったのでした。
次回、新月の峰へ向かう準備、です。




