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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
111/121

-幕間- 紅前に散るは

 乾いた風にほのかに香るは、赤く染まった葉の香り。一気に訪れる寒波に急かされ、木々は一斉に紅く染まる。特にこの界隈では、その紅は色鮮やかで、“コウゼン”という名に相応しい、紅の錦が世界を彩る。

 紅の御前、を称してコウゼンと呼ぶ。その名の由来は、このコウゼンの奥にかの方がいらっしゃるからに他ならない。


 かの宮へ向かう回廊は、朱塗りの柱が並んでいる。それをさらに紅き木々が取り囲み、この冬へと向かわんとするこの季節、僅かな間だけ紅の空間が仕上がる。だから、この季節のかの方は、いつも機嫌が良い。――例年ならば。




「トヌカイ。――アレはまだ見つからないのか」


 しかし、開口一番、かの方がから紡がれた言葉は、トヌカイの背筋を強張らせるのに充分だった。


 長い艶やかな髪は燃えるような朱色。静かに此方を見つめる瞳は紅蓮。今、コウゼンを彩るものと同じ色彩を持つ男は、長い睫毛を伏せた後、再びトヌカイを睨みつける。

 火ノ鹿教主国風の、白い衣装からのぞくは褐色の肌。

 コウゼンを抜けた先。宮の門前で振り返る彼の表情は、実に不愉快そうだった。



 そしてトヌカイは思わず一歩後ろに退く。それは彼の足元に転がってるモノを発見したからこそだった。

 静かに呻き声をあげるそのモノ――おそらくどこかの曲者なのだろう――を、かの方は御自ら縛り上げてしまっていた。


「ん? これか? 最近かの山の者がよく忍び込んで来てな――アレの差し金か? なあ?」


 相手の背中をぐりぐり踏みにじると、倒れ込んだ者は呻き声とともに、何かを吐き出す。

 それは青の液体。

 かの方に支え続けているトヌカイだからわかる。あれは、きっと、人ならざる者なのだろう。


「あーあ。……なあ、この場所、なんて言うか知ってるか? 紅前。コウゼン! そこをまあ、似つかわしくない色でそめてくれちゃって――」

「うっ……」

「よっぽど、大罪を犯したいみたいだなあ――あ? なんだお前。何の妖魔だ?」


 転がっているのは紫とも煤色ともとれるまだらの髪の色をした妖魔。しかしほとんど人の姿と変わらぬ男が、普段何の妖魔と呼ばれているのか、名乗らない限りはわからない。



「――まあ、殺してみたらわかるか。はは、恨むなら僕を恨まずにアレを恨むんだな」


 それだけ告げ、かの方は容赦なく焼き付けるかのように力を放った。

 瞬間、相手の妖魔から悲鳴にならない悲鳴があがる。

 背中に穴をあけられ、そこを中心に体の芯から焼かれていく。

 内から外へ広がる業火の後に残るは、赤き塵。コウゼンの紅に溶け、風の中へと消えていった。



「その姿なら、コウゼンに似合う」


 遠い目をして、かの方は風が吹く先――空を見上げた。

 ふっと微笑むかの方の横顔は、彼の父(・・・)と全く同じ。髪の長さに違いはあれど、本来、ここに居るべき者――この国者が求め続ける本当の神の化身と。



ヒノカ(・・・)様」


 ヒノカの存在を実際に目にした事がある者は、この国の中でも中央神殿のごく限られた人物だけである。

 更に付け加えるならば、その“ひのか”と呼ばれる男が、二人存在する(・・・・・・)事実を知るものなど、トヌカイをはじめとして片手で数えられるほどしかいない。

 そして、今トヌカイの目の前にいるヒノカは、本当のこの地の主“火ノ鹿”が生み出した傀儡(くぐつ)――に過ぎなかった。今までは。



 しかし本来居るべき者は、姿を消してしまった。まるで、目の前にいる彼の子――ヒノカにその居場所を奪われるようにして。


 父の名から音だけを賜った目の前の男ヒノカは、その由来の通り、空虚。

 くつくつと、消した妖魔に笑みを落としては、何事もなかったかのようにトヌカイに向き直る。



「――何が消えたかはわかんないけど、これもまた厄災。人間よ。恨むなら仕掛けたアレを恨みなよ」

「……」


 トヌカイは返事など出来ない。背筋に冷たい汗が流れ、手の中に握ったものに力を込める。

 今、トヌカイには、消えた妖魔の――ひいてはそれが人間たちに与える影響について考える余裕などなかった。

 この後、彼に報告せねばならないこと、それを思うだけで汗が止まらない。


 お耳に入れたいことが、と、びくびくしながらトヌカイは告げた。




「神官たちが騒いでおりまして――」


 そう告げながら手元の紙を差し出すと、ヒノカは興味を示してそれを受け取る。が、折りたたまれたそれを開いた瞬間、彼の表情は硬直した。



「これは――」


 驚くのも無理はない。彼が手に持っているのは一枚の似顔絵。

 誰の顔、と言われなくても、ヒノカにだけは、確実に伝わる。


 艶やかで長いヒノカの髪とは対照的に、逆立った炎のような髪。ヒノカの知る彼よりは、やや女性的で憂いに満ちた表情をしているものの――あの顔を、見間違えるはずはないだろう。

 なぜこんなものが、と、トヌカイも思う。

 神の代理人と称される彼の姿を描き示したものなど、この世に存在しないはずなのに。


 火ノ鹿教主国では、この姿を描くことなど、一切許しては来なかった。想像したものを表現することすら禁じている。それこそが、神の代理人としての神秘性を保つに有効だったからこそ。


 だからこそ、この絵――彼の方の姿を正確に描きとったものは、彼の方本人に会わなければ描けるものではない。


 ――火ノ鹿教主国、教主火ノ鹿。

 ヒノカの父であり、本当の、神の代理人の肖像など。

 



「トヌカイ、何だこれは」

「それが……ネムの街あたりで出回っているようでして」

「ネム、だと?」


 木炭で描かれたものを、魔術具で複写しているようだった。つまり、この絵が複数存在することは間違いがない。


 トヌカイはとめどなく流れる汗を、袖で必死になって拭った。

 ネムの街と言えば火ノ鹿教主国の東にあたる大都市だ。デルガ火山にほど近い彼の地は、教主への信仰がひときわ厚い。火ノ鹿国であった頃から、教主を神の代理人だと崇めた信心深い人々。

 そのような者たちの間で、このような絵が広まるのはあってはならないことである。


 ……いや、正直、絵が広まるだけならまだ可愛いものだったのだ。その絵を処分して、なかったことにすれば済む話。

 いくら民が不審に思おうと、神殿が否定したことは“そういうもの”として彼らは認識する。時間が経てば忘れ去られるだろう。本来ならば。



「かすかに、色がある。これは……妖気、だな」


 トヌカイは、ヒノカの反応にはっとした。やはり、彼自身が妖魔の血を引いているからだろうか。一向に掴めない出所をたちまち突き止められて、トヌカイは目を見開いた。


「妖気、と言いますと、陽炎(かげろう)の?」

「いや――」


 ヒノカは目を細めてその紙を睨み付けているが、個人までは特定できないようだった。

 しかし、妖魔が関わっていたとなると、トヌカイの中でもひとつの疑問が解決する。


「……実は、ヒノカ様。その紙とともに、不思議な男の目撃証言が」

「不思議な?」

「ええ――ええ。妖魔だと言うのなら、私だって納得はできます。ですが、その」

「何だ。言え」

「吟遊詩人、だとか」

「……」


 ヒノカの表情が強ばった。しかし、報告は報告。どれほど恐ろしかろうと、最後まで話さなければいけない。

 だからトヌカイは伝えた。

 ネムの街に出没する謎の男のことを。



 銀の髪の若い男。

 それ以上に彼の風貌に関する報告はない。……いや、あるはあるのだが、一切参考にならないのだ。

 確かに皆、その男の(うた)を聴いたはずなのに、男の顔だけは、どうしても印象に残らないのだから。まるで靄にかかったように、記憶から薄れていく。誰かに似ているようで、誰ともちがう。


 ただ、男の顔は残らずとも、男の詩は、記憶に残った。

 その男が謳うのは、人に恋した神の詩。

 神が見つけたひとりの少女。生まれつき魔力を持たぬ未熟な娘を欲するがため、自らの力を失った神の悲劇。


 このような詩、ネムの市民が聴けば激怒するに違いない。だからこそ、詩人はその場で縛り上げられてもおかしくなかったはず。

 しかし、男は霧のように消えた。神の姿を描いた、肖像画を手渡したまま。




「印象に残らぬ男、だと……」


 くっくっくっく。

 はははは。

 はっはっはっは!


 男に関する手がかりがなく、途方に暮れていたトヌカイを差し置き、ヒノカは高らかに笑い声をあげた。


「そういうことか! のらりくらりと逃げていたヤツは、そんなところにいたのか……!」


 ふふふふふ、ははははは。

 思い当たる節でもあったのか、ヒノカの笑いは止まらない。


「魔力を持たぬ娘――そうか、例の娘(・・・)、か」


 そうして己の額に手を当てたヒノカは、吟遊詩人の詩の意味を考えているらしい。

 ふふふ、はははは。いつまでも、いつまでも止まらぬ笑い。

 しかし、トヌカイは、己の体が震えているのを自覚した。

 いくら声を上げようと、ヒノカは一切、心の底から笑ってなどいない。


「ふふふ、つまり。……いや、実に馬鹿げているが。アレが例の娘を欲したとでも言うのか?」

「っ……! いや、私は……!」


 存じ上げない。そう言いたいのに、言葉がつっかえて出てこない。それは彼が威圧を発するがごとく、周囲の気温が高くなっていくのを感じたからだ。

 肌が焼け付くようにうねる熱。チリチリと焦げてゆく感覚に襲われ、ヒノカの怒りが如何ほどかを思い知る。じり、と後ろにひきたくても足が動かず、トヌカイはただただ恐怖するだけだった。



「アレは! 母を使い捨て、僕を檻に閉じ込めてなお! 足りないというのか!!」


 ヒノカが声を荒げた瞬間、世界が赤に覆われた。彼の感情の高ぶりが熱となる。鮮やかに彩られた朱の葉が、たちまち熱に炙られるように縮れては、色彩を失う。

 妖の種をもって形作られ、人の子として育てられた彼の絶望は想像し難い。しかし、彼の渇望が、彼を突き動かすのだろう。

 火ノ鹿に対する、並々ならぬ、渇望が。




「――何をそんなに怒っているのかしら?」


 コウゼンの場にふさわしき彩りが煤けた色に変わる頃、彼の背後から一人の女性が現れる。

 どうして神殿に女が――トヌカイがそれを疑問視する前に、全てを炙り尽くさんとする彼を止めてくれたことに感謝した。現に、彼女の声がかかる事によって、ヒノカはその腕を下げている。


「ガーネット」

「綺麗な顔が台無しよ」


 深紅の髪に、落ちついた石榴色の瞳。溢れんばかりの色香と、甘い香り。

 この世の者とは思えないほど、非現実的な存在に目を――いや、まるで五感の全てを奪われるのは、仕方の無いことだったように思う。


 トヌカイは息を呑み、彼女に視線を注いだ。女人禁制のこの宮に女がいることよりも、彼女がこの世のものならざる存在であることを瞬時に悟ったのは、トヌカイが火ノ鹿やヒノカと言った存在に触れてきたからだ。



「――わたくしの可愛いヒノカ。何を戸惑っているのです。いくら勝手に動こうとしても、消してしまえば同じこと」

「わかってる」


 するすると、彼女は陶器のような白い肌をヒノカの頬へ滑らせた。褐色の肌と対照的な白がよく映える。むせ返るような甘い香りが周囲を充たし、彼女は彼の耳元で何かを囁く。


「貴方は特別なのよ、ヒノカ。神の御使として相応しい態度をとりなさいな。何をしても、神は許してくださる」

「そうだな、ガーネット」

「特別は世界に貴方一人で十分。例の娘は、私に任せなさいな」


 くつくつと笑う彼女の口元は、妖艶に弧を描いている。そして背後に向かって彼女は呼びかけた。


「セルステア」


 その声に応じるように、空気が割れる。砕けた玻璃の輝きから身を乗り出したのは、華奢で年若い青年だった。

 白藍の髪はきっちりと切りそろえられており、瞳は濃藍。どこか冷めたような表情をしているが、ガーネットに名を呼ばれ、その頬は僅かに染まっている。



「ねえ、セルステア。今の話、聞いていまして? 印象に残らない顔の男、ですって」

「ええ、確かに聞きました。ガーネット様」

「火に捨てられたヒノカ。白雪に捨てられたセルステア。貴方たちはとっても良く似ていてよ」

「ガーネット様」


 セルステア。そう呼ばれたその青年は、少し困ったように女を見た。しかし、女はうっとりするほどの微笑みを浮かべ、その青年に手をのばす。


「心配しなくて良いわ。殺してしまえば、なかったことになりますもの。ね、セルステア? 貴方が心を痛めるなら、消してしまえばいいのです」

「僕にやらせてくれるのですか、ガーネット様」

「ええ、頼りにしているわ、セルステア。うふふ、あの娘も、風も、火も、白雪も――すべて葬り去ってあげましょう」


 うふふふふ。

 笑う彼女を、年若い青年とヒノカが取り囲む。その異様な光景に息を呑みながらも、トヌカイもまた、心の奥に熱を帯び始めていることを感じていた。



「貴方も仲間に入れて差し上げるわよ、人の子よ。――いい子ね。こちらへ、いらっしゃい」


 近づいてはいけない。

 それはわかっているのに、トヌカイの足は、勝手に彼女に向かって歩いていた。

今、火ノ鹿教主国の中枢にいるのは、ルカを狙っている“火ノ鹿”とは別の者のようです。

もちろん、ルカたちはこのことを知りません。


次回、物語の中心はルカへと戻ります。

名を呼んでもらいたい赤薔薇。

そして、彼女が鷹から聞いた話とは。


※作者、リアルのお仕事が繁忙期に入るため、しばらく更新をお休み致します。

詳しい内容については、2月3日の活動報告にて。

再開は2017年3月1日(水)を予定しております。

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