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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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-幕間- 夜咲き峰からの使者(3)

「――というわけで、アドルフ卿の協力は取り付けてきたよ」

「ハチガ様、ありがとうございます」

「堅苦しいなあ。ハチガでいいだろう、レオン?」


 合間時間に学院に通うようになってから四日。

 ブライアンの教授の部屋には、居候のごとき人間が更に一人増えていた。


 がぶり。と自分ひとり分だけちゃっかり手にした青いリンゴにかぶりつき、疲れた疲れたと連呼する。峰でも自宅でもほとんど見せないハチガの姿に、レオンは笑いを禁じ得なかった。

 手がベタベタになるのも気にせず、彼はしゃくしゃくと音をたてながらリンゴを平らげる。周囲の視線から解放された瞬間のハチガは、ちょっとだけ悪ぶるのが彼なりのストレス発散法らしい。



「ハチガ。父は何か言っていたか?」

「ああ、頃合いを見計らって帰ってきなさい、だそうだ。流石に心配していらっしゃった」

「分かりやすいお方だからなあ……」


 想像するだけで、少し可笑しい。

 自分を幼い頃に引き取ってくれた養父。普段は切れ者なのに、今思い出しても、あの時の彼は判断を誤ったとしか思えない。



 もう何年前になるだろう。貴族界隈で、完全に腫れ物扱いされていたレオンを引き取るばかりか、魔力を持たぬ娘の従者とすることを認めた。

 ルカとの間に永劫の誓いという強制力を働かせてまで、レオンを貴族社会から切り離してくれた。

 端から見たら、冷徹な男にしか見えないだろう。

 レオンを引き取ることで王の覚えを良くした。その上でレオンはすでに用済みと言わんばかりに、彼から完全に身分を奪いとり、いち従者へ貶めた男なのだから。



「あの方、僕には厳しいから。例のアレ。興味は持ってもらえたけれど、貴族街における計画において詰めが甘いと指摘された」

「……そうか。具体的にはどこが?」

「予算よりも、設置順の方がまずいらしい。今はまだ根回しが足りないから、奏上したところで、貴族の協力が得られない」

「ああ――」


 以前に描いたこの街の図面を広げて、必要な情報を書き記していく。

 ここのテーブルは余計な荷物が多すぎる。先日からかなり根気を入れて片付けたものの、現在進行形で進めている案件が多すぎるため、しまうにしまえないものが多い。


 じょりじょりと綺麗に芯が見えるまでリンゴを平らげたらしいハチガは、それをぽいとゴミ箱へ投げ入れる。そのままぺろぺろと自分の指を舐めては、改めてレオンに向き直る。



「ここを煮詰めたら、アドルフ卿の方はなんとかする。根回しという点では、優秀な方だから。あと、問題はもう一方――」

「あの方か」

「父上は生憎、遠征に出られたばかりだって。下手すると……というか、確実に昇月の夜にすら帰って来ない」

「遠征? どこに?」

「……ダットルトアーニ領」

「入れ違いじゃないか!」


 だああ、とレオンは脱力する。

 カショウの動きについて、ミナカミ家からの手紙には何も書き記されていなかった。ということは、急遽決まった遠征なのだろうが。


「逃げられた、ととるべきか。それとも、ダットルトアーニ……国境付近で何かが起きると考えられているのか」

「そうなんだよ。アドルフ卿の話では後者。というより、正確には、スパイフィラスを警戒している様だけれど」

「国境を護りに行くとみせかけて、スパイフィラスに近づくのか。いよいよ、入れ違いじゃないか」

「ダットルトアーニ領主は、父上と仲が良いからね。血の気が多い者同士、話も早かったみたいだけど」

「お嬢様に連絡をいれるか――ハチガとの話を待つより、直接連絡させた方が早そうだ」

「あーあ、ルカのお兄様としても役に立ちたかったんだけどなあ……」


 リョウガにいいところをとられたくないと、ハチガもまた肩をすくめて息を吐く。


「仕方ないから、こっちの案件に注力してあげるよ」

「助かる」

「だからウチにも、試作品一個譲ってくれないか」

「……」


 ちゃっかりと協力と同時に報酬を強請ってくるあたり、やはりハチガはハチガだった。

 夜咲き峰でも裏で素材研究していたり、妖魔たちにさりげなく頼み込んで各地の魔力量計るのに利用したりしていたのは知っている。

 ルカを可愛がった上で、ルカの兄と言うことを最大限利用して、妖魔に仕事を肩代わりさせる――そうして彼は、なんだかんだ峰での生活を満喫していた。




「あのなあ」


 ハチガの態度に呆れたところで、彼につっこんだのはレオン本人ではなかった。

 奥からしゃがれた声が聞こえてきて、レオンもハチガも目を丸める。


「お前ら、俺の部屋で何寛いでやがる」

「あ、ブライアン教授。お邪魔してます」


 ひょっこりと顔を出した無精髭の男――ブライアンは、他人の部屋で堂々と寛ぐ男二人に眉をひそめていた。慣れ親しんだレオンはまだしも、ハチガはそもそも彼とは面識がない。

 目が合うだけでハチガは居住まいを正し、背筋を伸ばすが若干遅い。じいと咎めるように見下ろしてくるブライアンに対して、苦笑するばかりだった。


「ルカがお世話になっております。僕はルカの兄、ハチガ・ミナカミ――」

「ぼんくらか。覚えた」

「え、いや」


 その存在を一蹴し、ブライアンはやれやれとレオンの肩を叩く。ぎろりと睨み付けるその目が笑っていない。


「誰がよそ者の入室を許可した」

「俺です、ブライアン教授。優秀な翻訳者兼辞書の貸し出し料として」

「その前に俺はお前さんとこの娘の依頼を受けてるんだ」



 やれやれ、と悪態をつきながらも、ブライアンもちゃっかりとこの街の見取り図の前に陣取る。彼も彼で、ルカを中心とした妖魔の動きについて、気になってきたようである。


「嬢ちゃんから聞いた。なんか馬鹿げたもんを作ったらしいな」

「馬鹿げた」

「家にも一個だ。それでここ数日の泊まり込みもチャラになる」


 ぽりぽりと背中を搔きながら、ブライアンはレオンに交渉する。しかし、彼の生活態度を知っているレオンは、呆れることしか出来なかった。


「奥さまに叩き出されてたわけではなかったのですか」

「馬鹿なことぬかすな。こちとら家内の怒り覚悟で詰めかけてんだ」

「奥さまが、物でつれるとは到底思えませんけどね」


 ブライアンの妻の顔を思い出しては苦笑する。恰幅の良い女性で、ルカが通い詰めていた頃は、よく夜食を作ってきてくれた。悪態をつき、主人を叩き回りながら、女の子に無理をさせるなと言いつづけていた女性だ。

 ルカもルカとて、昼も夜もない様子だったため、彼女の存在に一番助けられたのはレオンだ。彼女に研究室を叩き出されては、ふらふらのルカをよく家まで連れて帰っていた。


 ブライアンが文句を言えない唯一の相手。もしかしたら、最近もこの研究室に通って、ブライアンを支えてくれているのかもしれない。なんだかんだでルカの為の研究だと言えば、彼女も納得するのだろう。




「まあ、教授。奥様がいらっしゃっるの?」


 その話題に食いついたのは、教授の後から奥の部屋より出てきた花梨だった。

 教授と二人の作業にもずいぶんと慣れたらしく、すっかりと助手のポジションに立っている彼女は、この研究室に入ってきてから一番の笑顔を見せている。


「毛むくじゃらな殿方とともに生きるだなんて――よほど教授に惹かれていらっしゃるのね! どのような方かしら」

「花梨様、それは言い過ぎでは――」

「ブライアン教授は磨けば光りますわよ? でも、それをなさらないって事は、きっと毛むくじゃらの方が良くてらっしゃるのでしょう?」


 花梨の言い分に、うーんとレオンはうなだれる。

 見た目が何よりも尊い花梨にとっては、ブライアンが身ぎれいにしていないことがまったく理解が出来ないらしい。というよりも、身ぎれいにしていることに何か裏の意味でもあるのかと深読みしすぎているきらいがある。


「ったく――ルカと違って頭の中がお花畑な嬢ちゃんだ」


 しかし花梨の話を一蹴して、ブライアンはレオンに向き直る。そして幾つかの書き付けを彼に渡した。


「論文は書かなくていいんだろう? 突貫だし裏付けもない。が、史料だけは集めた」

「ありがとうございます――教授」

「まぁ、お花畑の嬢ちゃんのおかげで捗った。が、レイジスに史料自体が足りていないのは事実。実地に行った方が確証は取れるが」

「今は、相手を揺さぶることが出来ればそれでいいので」

「しかしまぁ……賭けだな」


 あの国は厄介だ、とブライアンは告げる。


「神の像を作り上げることが忌避されているのは周知の事実だが、神の代理人の存在は、口伝で各地に伝わってはいるようだな」

「各地で、ですか」

「そうだ。ジグルス・ロニーの手記にもあるが、デルガ火山に生贄を捧げるのは古くからの慣習のようだ」


 ジグルス・ロニーの名前に、花梨がびくりと肩を震わせる。

 薄紅色の瞳が明らかに動揺しているが、ブライアンはそれに気付く様子はない。


「全ての記録がとれたわけではない。しかし、おおよその期間は二、三十年に一度。古い選定基準は分からないが、近代では各地の貴族・豪族の娘が選ばれるようになる」

教主が(・・・)人間だとしたら(・・・・・・・)――とても自然な間隔だと考えられますね。生贄ではない。妻を娶っている、と考えると」

「そう、あの国は、教主が神の代理人でありながら、人間であることを暗に印象づけているのだろうな」

「妖魔だと知られるのが、よほどまずいのでしょうか」

「そこが妙なんだな。人であらざる者であることが、国民の信仰心に繋がっているはず。妖魔の寿命を印象づけて、本物の神と名乗っちまった方が本当はいいはず」

「でも、それが出来ない理由があるのですね」



 難しい顔をしながら、ブライアンはそう結論づけたらしい。不可解そうに頷いては、ううん、と結論にたどり着けずに唸っている。

 だが、今ある手持ちの情報で動かなければいけないのだ。渡された資料に目を通し、花梨とハチガに目配せしては、レオンは大きく頷いた。


「火ノ鹿は立場上は人間社会に組み込まれた者です。人には、人の恥がある。だからこそお嬢様は、人として、動けなくしたいと」

「神の代理人の顔を知っている。これは確かに、大きな脅しになるだろう――例の妖魔が逆上せん限りはな」

「……お嬢様の考えを信じるしかありません」


 レオンはそう告げ、目を細めた。

 花梨も、ハチガも。

 もう、後にはひけない。時間もなく、進むしかない。強引なほどの計画を推し進めることに、躊躇するつもりはなかった。

史料をあつめて火ノ鹿対策。そして王都での根回し。

彼らがすべきことも山積しているようです。


次回、二章前半の区切り。火ノ鹿教主国の中枢での出来事です。

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