従者レオン
ふわふわの寝具は心地よい。
風の主がとても良いものを準備してくれたことに、ルカは感謝する。が、ごろごろとしていたところで眠れないことはまた別だった。
昨夜は一晩中夜空を舞い、一睡も出来なかった。だからこそ、今日はこんなにも疲労が溜まっているというのに。
思い起こすと、ずいぶんと長い一日だったと思う。夜咲き峰に来るまでの準備も大変だったが。あの気苦労の絶えない夜会から身一つで連れてこられて、謁見し、赤薔薇に襲われて、鷹に絡まれて――風の主とも、いっぱい話すことができて。
王都で、夢を膨らませ、いつか一目見たいと願い続けた妖魔の城に自分はいる。想像していた彼らと、実際の彼らは大きく異なっていて。でも、ルカを蔑ろにはしなかった。親切にすら感じて、笑みをもらす。
ちらりと外を見やると、大きな月が輝いている。昇月の日の後――風の月と呼ばれる春の時期は、比較的月が大きい。煌々と夜空を照らす月は美しく、一片の欠けもない。
そして、ぼんやりと峰自体も輝いているのがよくわかる。月の光を受けているのか、はたまた、月に光を送り込んでいるのか。神秘的な光はまるで大きな花弁のように折り重なっている。
何度も何度も読み返した『ジグルス・ロニーの手記』の記述そのものだ。じっと見つめていると、何とも言えない充実感のようなものがこみ上げてきて、ルカは微笑まずにはいられない。
皆寝静まっているのだろう。妖魔がどのような形で睡眠をとっているのかは知らないが、この部屋にはレオンをはじめ、誰の姿も見えない。
光の扉には鍵もかけられるらしく、鷹がずいぶん厳重に妖力をつぎ込んでいた。その鷹も居なくなっていて、不思議な気持ちと、少しの安堵が押し寄せる。わずか1日で、こんなにも近くに居ることが当たり前のようになっていることが可笑しい。
がさりと、寝台の外へ出る。天蓋の外になると、月夜は益々はっきりと輝き、ルカを照らす。扉の施錠のためだろうか、バルコニーの外に出ることはかなわなかったが、その扉のごく近くに寄り、ルカは外を眺めた。
光のヴェールは本物の花弁のように、ひらひらと揺れる。光の流れの中には、強い光と弱い光が交互に瞬き、とても美しい。うっとりとしながら外を見つめていると、ふと、声をかけられた。
「眠れないのか」
「……レオン。どうして」
ルカが起きたことをどのように知ったのかは分かりかねたが、奥への扉の前にレオンが立っている。
「一応。寝ずの番だ」
「やめてよ……だって、昨日も」
「別に。なんてことはない。気にするな」
珍しく、柔らかく微笑んでいる。華やかな金髪が月光に晒され、キラキラと輝く。彼こそ疲れているはずなのにそれを全く感じさせない笑顔。こうやって微笑んでさえいれば、彼は本当に王子様だった。
「大変な一日だったんだ。気が立っているんだろう? 何か飲むか?」
「……うん、じゃあ、お願いしようかな」
言葉に甘えると、レオンが安心したように笑う。そしてすぐに奥に消えていった。
そうしてぼんやりと月夜を眺めるだけで、時間はあっという間に過ぎていったらしい。レオンが戻ってきた時、手にしていたのは温かなホットミルクだった。こくりと飲むと、ほんのりとした甘みに頬が緩む。
「蜂蜜、入れてくれてる」
「好きだろう?」
「うん」
この甘みは、レオンの優しさだ。幼いときから、眠れない夜の定番。シンプルな甘い味が、ほっこりと心を満たしてくれる。
「今日はレオンも大変だったね」
「まったくだ。鷹の奴、好き勝手姿を現しやがって。店の者には完全に不審者扱いだぞ。あれを続けられたら、そのうちアヴェンスに出入りできなくなる、俺は」
レオンのため息に、ルカはふふふと笑みをこぼす。
「はやく、お使いに行けそうな妖魔見つけて……いろいろ仕込まなきゃね。といっても、それもレオンにお願いすることになりそうで、心苦しいけど」
「お嬢様の身の回りに置くものは、俺が直接目を通したいがな」
「うん。でも、一人で抱え込んじゃだめよ? いくら有能でも、レオンに倒れられたら困るもの」
「ん。まあ、任せておけ」
「もし、下手な体調管理でもしようものなら、全力で口出しするわよ?」
「うっ」
レオンは視線を彷徨わせた。
基本的に仕事に対しては実直で真面目。あれもこれもと自分の手で片付けてしまうレオンは、自分の事に関しては完全に後回しにする男だった。しかし、ここは特殊な環境だ。今までと同じように、自分を酷使してもらっては困る。
「護衛に関しては、ある程度は鷹にお願いするしかないよね。レオンには他にもいろいろ、お仕事あるし」
「いや、だが、あいつは」
「実際どうだったの? 鷹は?」
聞きたいのは、奇妙な衣装や言動に隠れてしまっているその本質だ。ちらりと見えた本質、ルカにとっては、ずいぶんと第一印象と違うものだったが。
「――まあ、有能だ」
「やっぱり」
予想通りの答えに、ルカは頷いた。
「うん、レオンたちが食事の準備をしてくれてるとき、ちょっと話したの。彼、人間の文化についてずいぶん詳しい。それだけじゃなくて、このスパイフィラスの魔力の偏りについてもあっさりと見抜いてた」
「ああ、俺も似たようなことを聞いてる。ずいぶんと国内の情勢にも詳しそうだった」
「そうなの?」
「嘘かホントかは判断しきれないが。……まあ、悪い奴じゃない」
鷹への褒め言葉を出すことが不本意なんだろう。悔しがるのを隠そうともせず、表情を歪ませている。
「レオンがそう言うのだもの。分かった。有能な鷹には、極力レオンを助けてもらうわね」
「や、まて! 勘弁してくれ!」
「だって、レオンがそんなに褒めるんだもの。助かるんでしょ? うふふ」
ああだこうだと言い訳をはじめているレオンを横目に、ルカはくつくつと笑いを漏らす。
そうしてひとしきり声を上げて笑うと、ふと、現実に帰ってきたような気持ちになった。今、レオンと二人きり。少々弱音を吐いても許されるかもしれない。
「――思っていた以上に、大変そうだなって。妖魔に嫁ぐって浮かれてたけど、その重みがぜんぜんわかってなかった、私」
「そうだろうな。準備していたときは脳内バラ色状態で、どうしようかと思ったぞ」
「それは許してよ。長年の念願がかなったんだから。……それに、正直、私の婚姻が家族の役に立てるとも思ってなかったし」
ルカの言葉に、レオンは口を噤む。彼女を幼いときから見守ってきたのだ。ルカを取り巻いてきた過酷な環境について、よく知っている。
「お前は、本当にそれで良いのか?」
「風様、思った以上にいい人だった」
「俺には、何故お前がそんなに受け入れられるのか、さっぱりわからん。異国に嫁ぐのとはわけが違うぞ?」
「うん、そうなんだけどね」
レオンの言葉に、ルカはゆっくりと頷く。
「正直、イメージできないというか、実感わかないというか。そもそも、私、まともな結婚は出来ないだろうとは思ってたのよ? だって、魔力がないんだもの。嫁げるとしても……貴族の家の出であれば誰でもいいって言う欲深い商家の家とかさ。貴族でも、妻では無く妾に、とかさ……そういった申し出しかなさそうだもの。お父様が首を縦に振るはずがないわ」
「お前の危惧も分からんでもないが」
苦虫をすりつぶしたような顔で、レオンはルカの頭をなでた。
「十分努力してきたんだ。もう少し、まともな人生夢見てもかまわねえじゃねえか」
レオンの気持ちももちろん分かる。自分のことを心配してくれているのだろう。
彼がルカに仕え始めて7年。知り合ったのはもっと前のことだった。ルカが物心がつくときにはすでに、父と懇意だった。本当に幼い頃から、ルカのことを気にかけてくれていたのだ。
単に仕えるだけでなく、厳しく躾け、教育までしてくれた。彼の仕事ぶりにどれだけ救われてきただろうか。
「この生活も、案外、楽しいかもよ?」
「せめて俺を安心させてくれ」
「レオンが慣れれば良いのよ」
無茶なことを言うものだと、自分でも思う。自分ややりたいことのため、好きなもののために、どれほどレオンに苦労をかけてきただろうか。
そしてこれから先も、きっと、彼の好意に甘えることになるのだろう。
「――ねえ、レオン」
「なんだ」
「これからも、私に、ついてきてくれる?」
「……当たり前だろう。何のために永劫誓ったと思ってる」
「そうね」
わかりきっていた答えを、それでも言葉にしてくれたことが嬉しい。
表情をくしゃくしゃにして、ルカは、笑った。
今までもこれからも、レオンとは一緒です。
次回からは、鴉をストーキングしてみましょう。




