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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
108/121

-幕間- 夜咲き峰からの使者(1)


 からからと。車輪の立てる音が徐々に大きくなる。少しだけ尻への衝撃も強くなり、レオンはそろそろか、と顔を上げた。

 薄暗い室内。入口に一つだけ付いた小さな小窓から見える遠い空。覗き込むようなはしたない事はしないけれども、レオンの向かい合わせに座る美女は、外の様子が気になって仕方ないらしい。



「平民街へ入りましたね」


 レオンの言葉に、花梨は納得するように視線を外に向けた。少し、建物の色味も変化が出てくる頃。白を基調とした貴族街とは違って、平民街になると茶や赤茶が増えてくる。少し街の空気も変わってきて、ああ、と花梨はうなづいた。


「アヴェンスの街並みとも、また違いますのね」

「かの地は、王国の西の端ですからね。こことは、文化もかなり異なっていますよ」

「彼の地とは違って、みな、かなり小綺麗にしていらっしゃるみたいですわね」

「このあたりは富裕層が多いからですね」


 レオンもまた、小窓に視線を走らせる。

 レイジス王国、王都ローレンアウス。その中央にそびえ立つ城を中心として貴族街が。そしてさらに、それを取り囲むようにして平民街が広がっている。

 今、レオンたちが向かっているのは、貴族街からまっすぐ南へ出たところだ。この辺りは大きな商業ギルドがある経済の中心地。とはいっても、小売店はほとんど見当たらないため、アヴェンスのような騒がしさはない。

 整備された石畳の道。とは言っても、貴族街ほど精密に舗装されているわけではないため、馬車にかかる衝撃は僅かにだが大きくなる。いくら富裕層の住む地とは言え、国の予算で整備されている道だからこそ、貴族との差を明確に示されていた。



「馬車なんて面倒ですわね。あまり乗り心地も良いとは言えませんわ」

「花梨様がいつものように飛行されたら、街は大騒ぎになりますよ」

「別に、歩く分には構いませんのよ?」

「その格好でですか? 花梨様、お忍びするなら、もう少し砕けた格好をなさるのがいいかもしれません」

「まあ!」


 くつくつ笑うレオンをみて、花梨が口元に手を当てる。すぐさま挑戦的な瞳になっては、甘くみないで下さる? と告げる。

 小窓に向かう視線が鋭くなったことから、彼女は街に溶け込むための衣装を用意する気なのだろうとすぐにわかる。それ程までに、彼女の衣装へのこだわりは強い。



「今はまだ、上への面会依頼を申し出ているばかりですが、すぐに忙しくなるでしょう。街を回るなら、早い方がいい」

「あら、レオン。私に付き合って下さるの?」

「花梨様をおひとりにするわけにはいきませんよ」


 レオンは苦笑しながら、今朝のことを思い出す。夜咲き峰からの使者として扱われているレオンと花梨は、王城の客間に招かれることになったわけだ。

 しかし、当然侍女を連れていない彼女は、王宮つきの侍女たちを困惑させることとなった。

 貴族の娘が侍女を連れていないなどあり得ない。嘲笑されてもおかしくない場面で、花梨は人間の戸惑いを一蹴してみせた。

 レオンが想像していた以上にはるかに誇り高く、強い彼女だからこそ堂々とあしらうに至ったが、細かな感覚の違いが何を引き起こすのかわからない。


 背筋を伸ばし、華やかな笑みを浮かべる妖魔の女性。見栄えのする長身の彼女とともにいると、なんだか不思議な心地がする。王都でこの道を歩くとき、レオンの肩に満たない小柄な少女が一緒だったから。

 それでも、共に過ごすのが花梨で良かったともレオンは思う。彼女の自立した誇り高さは、嫌いではない。きっとレオンが居なくても、彼女は一人で立てる。彼女の持つあまりに強い自我には、純粋に好感が持てた。



「話には聞いていましたけれど、ルカは貴族ではございませんの?」

「――魔力を持たなかったあの方には、王立の学習院へ通う資格がございませんでしたので」

「ではレオン、貴方は? 貴方は人間の中では、それなりの魔力を持ち合わせているのでしょう?」

「俺は――いや、俺も例外ですから。貴族の養子とは言え、少し特殊な立場にあります」


 それだけ告げて、レオンは視線を彼女から逸らした。目の前の薄紅色が、厳しい色に変わったことに気がついたからだ。

 花梨は侮蔑するだろうか。ある意味、貴族社会から逃げ回っているレオンのことを。

 先日も、王都へ向かうことに抵抗を示した。もちろん、ひとりになる花梨のことを考えなかったわけではない。しかし、結果として、彼女を見捨てるような発言をしてしまったことには変わりがなかった。



 体勢を崩し、壁にもたれかかるようにして息を吐く。振動が背中へと直に伝わってくるが、この感覚も久しぶりだった。

 最近では、アヴェンスへ向かうときも誰かに抱え込まれて飛行する形になっている。最初は抵抗があったが、彼らが妖気で護ってくれるようになったため、なかなか快適な空の旅ばかりしていたように思う。

 こういった物理的な手段の移動をとるのも久しぶりで、ああ、帰ってきたとレオンは思う。



「貴方も、自分のことをあまり話しませんのね」

「――お嬢様はすべてご存じですよ。その上であの方が語らないのだとすれば、話さない方が良いのでしょう」

「殿方って本当に勝手ですわ」

「ははは、人間も妖魔も、そこは変わらないのですね」


 くつくつと笑みを浮かべたところで、馬車が大きく揺れた。

 ようやく目的地の門をくぐったのだろう。場所に似合わぬ馬車が現れ、外がざわめくのがよくわかる。



 昇月の夜を迎えるまで、毎日のように通った場所。立場が立場だけに、少し複雑な表情で笑みを浮かべ、レオンは外へ目を向ける。

 扉が開かれると、レオンは真っ先に馬車から降りた。

 石材を組み敷かれた背の低い建物がいくつか見える。王都のわりに広い敷地を有しているこの場所は、富裕層の住む場所だから実現している建築様式とも言える。

 尖塔アーチが続く回廊も懐かしいが、同時に、重苦しい気持ちにもなった。


 レオンの登場に、周囲の者たちからざわめきが起こっているのがわかった。

 この時間、外に出ているのはレオンと同じくらいの年齢の研究生だろう。もっと年若い学生は、今頃一斉授業のはず。


 私立ローレンアウス学術院は初等教育と高等教育、そして研究院が一緒になったローレンアウスでもかなり大きな規模の学院だ。その性質上、富裕層区と商業区の境目あたりに位置するが、学生の幅はかなり広い。奨学金制度・そして寮制度もそれなりに整えられている関係で、貧困層でも飛び抜けて優秀であれば面倒を見てくれる懐の深さがある。

 だからこそ、ルカのような特別な事情があっても、受け入れてもらえたわけだが。


 ただ、いち研究者ではなく、ただの従者として主に付き従うレオンは特殊な立場だった。

 王立で貴族が通う学習院もそうだが、どんな立場であろうと、校内では従者を連れてはならぬと言う風習がある。

 結果的に、上級貴族の子息などは、同じ歳の下級貴族の子息をとりまきとして入学させるのがステータスになるが、結果として連れているのは同じ年頃の者だけだ。

 ルカとは明らかに年の離れたレオンが彼女に付き従っているのは、まさにその風習からしても異様な光景だった。マナー違反だと非難する声もあったのは認めよう。

 だが、仕方が無いのだ。彼女ひとりでは、学術院に入ることすらかなわないのだから。



「さあ、花梨様。着きましたよ」


 馬車の入り口に向かって、レオンは手をかざした。迷いなくそれに掴まった花梨は、レオンのエスコートを受けてゆっくりと馬車から降りてゆく。

 華やかな彼女が現れた瞬間、周囲が更にどよめいた。

 ちなみに、花梨もしっかり気がついたらしいが、どうやら満更でもない様子。元来注目を浴びるのが嫌いでない麗しき女妖魔は、なんと言うこともない様子でレオンを見つめている。が、彼女の機嫌が良さそうにしていることは、流石のレオンもわかった。

 


「ふぅん。ここが、ルカが通っていた学校ですの」


 物珍しそうに周囲の様子を伺う。くるりと薄紅色の瞳を走らせると、惚けた顔をした男子研究生と目があったようだ。

 にこり、と花梨が笑顔を見せると、その研究生も照れ臭そうに頬を緩めた。完全に花梨がからかっているだけなのだろうが、放っておけば、ますます注目を集めかねない。

 御者に迎えの時間を伝えると、レオンは早速花梨の手を引いた。


「遊んでないで、行きますよ、花梨様」

「そうね。案内してくださる?」


 どこの貴族の子女かと言わんばかりの絶世の美女である花梨は、歩くだけで注目を浴びていた。

 街に合わせて装飾は減らしてもらったものの、彼女の羽織る落ち着いた色合いのコートは、艶やかで仕立てが良い。歩くたびにちらりとのぞくドレスも、パッと見ただけで、見たことのない形をしていることくらいわかるだろう。

 この時間に外に出ている者は研究バカが多いが、それでも、彼女のセンスの良さに気がつかないはずがない。



 花梨は物珍しそうに、周囲の建物を見ていた。石材を組んで建てられた建築物は、その長い歴史を思わせる。ところどころに剥がれ落ちた塗料も散らばっていて、夜咲き峰と比べたら、手の入れようが劣っている。

 それはそれで、彼女は楽しんでいるようだった。


 初等棟と高等棟の間を抜けると、研究棟の門が見える。

 ルカはこの研究棟に通っていた。年齢的にも、高等部の学生でありながらも、だ。一斉授業の合間には、いつもここの研究棟に引きこもっていた。



 研究棟の門の前に立ったところで、花梨は不思議そうにその扉を見た。

 門というより、背の高い壁に扉があるだけのように見える。

 確かにこれでは、花梨にとっては何の障害にもならないのだろう。門としての意味を為さない。


「この先にお嬢様の所属しておられた研究室があります。参りましょう――」


 と、レオンが案内したところで、後ろから声がかかった。


「レオンさん!」

「きゃー! 戻ってらしたのですか!」


 耳に刺さるような高い声に、レオンはピクリと反応した。こういうのが面倒だったから、一斉授業の時間に移動したと言うのに、絶賛サボり中の学生もいたらしい。いや、もしかしたら年若い研究生かもしれないが。


 パタパタと駆けてくる足音が喧しい。隣に立った花梨も、少し物珍しそうな視線を寄せてきた。どうやら、レオンがどうあしらうのか興味があるらしい。

 ふふふ、と楽しそうな薄紅色の瞳が厄介だ。うんざりしながらレオンは表示に笑顔をこびり付かせた。


「今日は、ルカは連れておりませんの?」

「やだ、あの子嫁いだんじゃないかしら?」

「だったらレオンさんは? ああ――」


 こちらの話を聞くつもりもなく、勝手な想像をしては笑い合う。

 いくら貴族の子女とは言え、余所の国から来た一族で、しかも魔力を持たないルカの扱いなどこんなものだ。

 直接貶めるような物言いはせずとも、彼女はいつだって、嘲笑の的だった。そしてその露を払うことに、ルカは興味を持たなかった。


 彼女たちの嘲笑を目にして、花梨の表情からすっと笑顔が消えた。目の前の娘に対する興味を失った彼女は、視線を移動させては研究棟の扉へと向かい合う。

 何の気なしにその扉に触れ、引こうとした。しかし、扉が微動だにしない様子に目を丸める。


 レオンの隣に立っていた美女の存在についても、女生徒たちは聞きたかったのだろう。

 扉が微動だにしない状況に笑いが堪えきれなかったらしい。


「――やだぁ」


 ぷ。くすくすくす。と一人が吹き出すと、もう一人もやめなって、と言いながらも、やはり堪えられないでいるようだった。

 にやにやとからかうような視線に、花梨も気がついたようだった。


 はっとして、レオンは慌てて花梨の手に己の手を添える。

 失礼しました、と短く切り、その扉にわずかに魔力を通した。

 レオンの魔力に呼応して、その扉はいとも簡単に開き始める。呆然とした花梨は、後ろからの笑い声を一蹴するどころか、誇らしげに微笑んで見せては、失礼、と声をかける。

 レオンもまた、花梨をかばうように女生徒たちからの視線を塞ぐ位置に立った。

 ピリ、と空気が尖るのを感じたのか、女生徒たちは目配せをしあってたじろいだ。それを一瞥し、花梨は先に研究棟の中へと足を進める。



 研究棟は、そもそも、一定以上の魔力がなければ入れない仕組みだ。

 いくら門戸が広いと言っても、遊びで入れるような場所ではない。そこから、分野棟ごとに、細かな立ち入り許可が必要になって来るのだが。


「花梨様、大変失礼致しました。魔力の件、失念しておりました」


 花梨は妖魔だ。当然ながら、魔力というものなど持ち合わせてはいない。

 レオン自身が、己の魔力で峰の施設を利用できていたからこそ失念していた。しかしこれは、少し考えたら当たり前のこと。人が使うための魔術具は、魔力を前提にしかしていない。

 同時にレオンは初めて疑問に思う。では、峰の施設に魔力が使えるのは何故か、と。



「ルカが時折見せる卑屈さの理由がわかりましたわ」

「――はい」


 考えの至らなさに少し落ち込む。本当に、花梨について王都に戻ってきて良かった。魔力のない者は、人間社会ではまともに生きられない。


「あら、レオン。そんな顔をしないで? あの程度で、私が不快に思うとでも?」


 しかし花梨は落ち込む様子も見せなかった。ふふふ、と華やかな笑みを浮かべては、実に楽しそうに声をあげる。


「顔はバッチリ覚えましてよ? 今度会ったら容赦しませんわ」


 そう誇らしげに宣う彼女をみて、やはり、ついてきて良かったと心から実感した。

王都にいた頃は、ルカも学生の立場だったのでした。


次回、ルカの師事していた教授に会いに行きます。

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