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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
106/121

火ノ鹿の再訪、そして――

 来た、と誰よりも早く気がついたのは、ゲンテツたちとともに峰に戻って来ていた赤薔薇だった。

 突然ルカの部屋に現れたかと思うと、それだけ言い残し、再び外へ飛び出す。

 ルカがゲンテツたちを迎えて翌日。かなり早い再訪に、ルカの部屋に緊張が走る。


「赤薔薇、鷹を!」


 外へ向かう彼女に声をかけたのは、ロディ・ルゥだった。ロディ・ルゥもすぐさま外へと向かい、にっこりとルカに向かって微笑む。


「では、お迎えして参ります」


 恭しく一礼し、彼は夜の闇へ消えた。

 それを見届け、ルカもすぐさま部屋の皆に声をかけ始める。



「菫、お茶の準備を。ゲン爺にも伝えて? お客様の来訪を」

「はい」

「波斯、ソニアを呼んできてくれるかしら」

「かしこまりました」

「あと、面倒起こしたくないから、リョウガ兄様には雛を見ておいてってお願いしておいて」

「それは――」


 難しいのでは、と波斯は頬を引きつらせるが、頑張ってもらうほかない。

 ぼんやりとしていられないので、ルカは更に視線を移動する。


「アルヴィンは、同席して護衛を。後は琥珀、か」


 琥珀は今、この部屋にはいない。最近再び宵闇へと通うようになった彼に、皆月を通して念を送る。一方的に気持ちを伝えることしか出来ないが、彼のことだから飛んでくるだろう。


 一斉に皆が動き出し、ルカの自室が賑やかになる。ルカもまた、緊張で手に汗を握りながら、丸テーブルの方へ移動する。そして奥の席を陣取った。

 更にソニアもやってきて、少し強張った表情で、ルカの隣に立つ。

 今の彼女は、騎士らしく銀の鎧に身を包んでいる。キリッとした顔は頼もしく、流石、リョウガ隊に所属して振り回されているだけあると感心してしまった。



「ルカ」


 アルヴィンが静かに声をかけてくる。


「顔色が悪い」

「わかってる」

「そんな状態で――奴を受け入れると言うのか」

「……」


 ルカはぐっと腹に力を入れるが、身体の中心ががらんどうになっているのを自覚していた。

 妖気の枯渇が体調に直結している。以前はどういうわけか空っぽで動いていた筈のルカの身体も、一度力が解放されてしまうと、毎日それなりの妖気なり魔力なりを消費している。

 その消費に、下弦の峰での回復ではどうにも追いつかない。

 火ノ鹿を迎えるのは万全の体制にしておきたかったが、そうもいかないらしい。


「途中で寝ちゃったら、たたき起こしてね」


 冗談めかして笑ってみせるが、アルヴィンはけして表情を緩めなかった。


「俺に黙って見ていろと言うのか」

「――危害を加えない限りはね」

「危害、な……」


 咎められるようにアルヴィンに睨まれたところで、慌てて琥珀が駆け込んでくる。

 アルヴィンと同じようにひとしきりルカを心配してみせて、彼はそっとルカの手を握った。

 そしてソニアがルカの後ろに。両脇をアルヴィンと琥珀が囲む形で、彼を迎え入れる体制を整える。




 すると、タイミングを見計らったようにして、目的の男――火ノ鹿がルカの部屋の前へと降り立った。

 光の扉を挟んで、峰の内と外。当然、ルカの部屋には結界があるため、彼も無許可で入ることなど出来ない。

 それは火ノ鹿も分かっていたようだった。軽く結界に触れてから、その効力を試すように己の拳に力を入れる。そしてそのまま扉へと力をたたきつけた瞬間、ルカの身体が総毛立った。


「……んっ……!」


 まるで妖気そのものを削り取られる感覚に悲鳴を上げる。堪えきれずにその場で崩れ落ちたところで、ロディ・ルゥが火ノ鹿を制しているのが見えた。

 声は届かないが、彼らは一言二言会話をしている様だった。

 ルカもまた、膝をつきながらも手を上げてロディ・ルゥに合図を送る。やはり、結界で火ノ鹿を食い止めるのは今の力では難しいらしい。



 ロディ・ルゥの先導で、火ノ鹿はルカの部屋へと一歩足を踏み入れた。そして彼は不可解そうに目を細めた後、煽るように声をかけてくる。


「この程度の結界で、どうにかなるとでも思ったか?」


 ルカの背中にほたほたと汗が流れる。

 アルヴィンの手に掴まってどうにか立ち上がる。何度か深呼吸して、ようやく顔を上げることが出来た。


「……ごめんなさい。貴方との実力差を、どうしても知りたかったのです」

「どうだか」

「もう何も致しません。どうぞおかけになって?」


 招き入れるように手を差し出す。すると火ノ鹿は訝しげな様子で部屋をぐるりと見回してから、更に一歩、前へと進んだ。

 褐色の肌に燃えるような赤の髪。そしてその瞳の色、紅蓮。見るものを焼き尽くすような視線に、ルカも息を飲む。

 彼も彼で、ルカが火ノ鹿をあっさり受け入れる態度に不審そうな顔つきをした。


「先日はあまりに一方的でしたから。貴方のことを知りたいと思っただけです」


 真剣な眼差しで彼を見据えると、火ノ鹿も、まるで見定めるようにルカの表情を確認する。が、すぐに肩をすくめて部屋の中央へと歩いてきた。


「ふん。面倒なことだな」

「人間ですから。貴方もよくご存知でしょう?」

「だから言っている」


 火ノ鹿がルカの目の前にやってきたところで、アルヴィンと琥珀の気配がピリと緊張した。火ノ鹿の後ろに続くロディ・ルゥもまた、目を細めては、火ノ鹿の一挙一動を注視している。



「なんだこのゴミ屑どもは。一匹は先日の蜂じゃないか」


 蜂、そう呼ばれたところで、琥珀が明らかに殺気立つ。しかしルカは彼らを手で制し、ごく冷静に火ノ鹿に向き直る。


「侮辱するのはやめて下さいませ、火ノ鹿様。何も、貴方に危害を加えるために同席してもらったのではありません」

「では、俺とのキスを見せつけるためか?」

「……」


 ならばさっそく、と火ノ鹿がルカの腰に手を回したところで、ルカは彼をやんわり突き放した。


「この話し合いを、見届けてもらうためです」

「話し合い? 何のだ?」

「私と、貴方の今後について」


 ルカに逃げるつもりがないことは、相手にも伝わっているのだろう。抱きしめる手が緩まったところで、ルカはすっと彼から距離を取る。

 触れられるだけで、ぞわりと鳥肌が立っていた。明らかに身体が拒否反応を示している。


 精神的な負担か、そもそもの体調不良がたたったのか、少しふらりとしながら席に着く。そして背筋をのばして、向かいの席を指しては、どうぞ、と微笑んだ。

 ぽたり、ぽたりと背中に汗が流れる。それを勘付かれないように精一杯微笑んで見せると、火ノ鹿もようやく動き出した。


 彼は少し口の端を上げて見せて、言われた席にどかっと腰を下ろす。そしてそのまま、脚をテーブルの上に乗っけてみせた。

 火ノ鹿教主国風の衣装は、男性でもかなり露出が多い。スリットの入ったローブから見えるのは、編み上げられたブーツにその身を包んだ美しい脚。

 男性とは思えない程、つるつるとした肌は、さぞ多くの人間を惑わしてきたのだろう。


 後ろに立つソニアが、冷静な顔を見せながらも、ソワソワ、うずうずしている気がする。それでいい。ルカはできるだけ時間を稼いで、彼女に火ノ鹿の風貌を記憶してもらう――それができれば上出来だ。




「ふん、今後と言うのは、何だ?」

「貴方も知っているのでは? 私、これでもエリューティオ様の婚約者なのです」

「名を縛った妖魔と婚約か。とんだ茶番だな」

「本当に。その上貴方が子を産めと言うわ、エリューティオ様も容認するわで、私、わけがわかりません」

「ははははは!」


 ふう、とため息をつくと、目の前の火ノ鹿は声を出して笑った。

 ルカがうんざりしている様子を見るのが楽しいのだろうが、原因の半分以上が自分にあることは自覚してもらいたいところだ。


 そうして頃合いを見計らった頃に、奥から菫が茶菓子のセットを持ち出してくる。空のカップをテーブルに置いては、手にしたポットからお茶を淹れていく。

 ミルク色をしたお茶が注がれた瞬間、いつもと違って鼻にツンとくる香辛料の香りが漂った。ミルクで煮出しているのだろうが、かなりのクセを感じる。こんなこと菫がするはずがないので、ゲンテツが一枚噛んでいることくらい容易に想像ができた。


 目の前に、強い香りの茶を差し出されて、火ノ鹿は目を丸くする。ほう、と嬉しそうに口の端を上げて、次に菫に視線を送った。


「妖魔……が用意したわけじゃねェのか。ふん、よく知ってるな」

「ここの料理人は優秀ですから」


 何が喜ばれているのかルカには完全に理解できないが、ゲンテツの判断が確かだったのだろう。事前に知らせてこないあたり、少し彼のいたずら心を感じたが、おかげで少し気が緩む。

 ルカはにっこりと微笑みかけ、茶を先に口にする。濃厚なミルクの風味に、ぷんと香辛料独特の風味が漂い、後からたっぷりとしたハチミツの味が押し寄せる。

 初めての味に目を丸くしながらも、ほかほかと体が温まっていく感覚は嫌いではない。

 あまりものを口にしたくない気分だったが、思いの外飲みやすくて、もう一口、口をつける。



「毒なんか入っていませんよ? まあ、毒が貴方にきくとも思わないですけど」

「確かに余計なものは混じっていない様だがな」


 カップを揺すって茶を回す様にして観察し、彼も一度うなづいた。そして戸惑う様子もみせずに、彼もまた、茶に口をつける。


「南の味だな。――よくこんなところで」

「料理人の腕が良いのです」

「ふん」


 ゲンテツの用意した茶は、彼の口に合ったらしい。

 慣れた様子で楽しんでいることから、彼が火ノ鹿教主国でも普段から食べ物を口にしているらしいことはすぐにわかる。かなり密接に、人と関わりがあるのだろうと確信できた。



 少し空気が和らいで、ルカはほっと息をする。

 しかし、温かい飲み物を口にしても、また指先が凍りつくように冷たかった。ぎゅう、と両手を握りしめた後、ルカはにっこりと笑みを浮かべる。


「貴方は私に子を産ませたいと仰いますけど、それはどの様な意味なのです? 私と、縁を結びたいとでも?」

「あん? んな訳ねェだろ。そんなややこしいことできるか」

「縁を結ばず子だけ作る方がよっぽどややこしいと思うのですが……」


 彼の感覚が全くわからなくて、途方にくれる。

 子を何が道具の様にでも考えているのだろうか。あまりの言い草に、腹立たしさを通り越して、呆れが勝る。


「知っての通りの立場だ。女だの何だの、邪魔なだけなんだよ」

「ならば子も。貴方の言い草では邪魔なのではないのですか?」

「仕方ねぇだろ。替わりが必要なんだよ、そろそろ」

「?」


 彼は茶を一気に飲み干し、今度はテーブルに肘をつく。さも面倒そうに呟いては、紅蓮の瞳をルカに向けた。


「ウチの都合さ。お前にとっても悪い話じゃないだろう?」

「? むしろ、良いことなんて何ひとつないと思うのですが」

「はあ?」


 ルカの正直すぎる返答に、火ノ鹿は信じられないと言ったような顔を見せる。そのまま何故だ、と問われ、ますます戸惑った。

 こちとら、望まぬ子を孕めと言われて、何か受け入れられる要素などあるだろうか。

 もちろんルカとて女の子。子が欲しくないかと聞かれて答えは否だ。しかし、納得できない相手で、しかも産んだとしてもその子は相手の道具になる。到底許せる事ではない。

 ルカの気持ち的にも、人間としての倫理的にも、認めて良いはずがない。もちろん、妖魔の感覚だと違うのかもしれないが。

 肝心のその妖魔の感覚が分からなくて、ただただ困惑していると、横から、ロディ・ルゥが口を挟む。


「ルカ様の妖気はまだ目覚められたばかり。妖気に関する知識が十分ではないのですよ」

「早いとこ教えておけ、面倒だ」

「貴方が性急すぎるのですよ。まるで、目覚めを待っていたというばかりに」

「事実だ。――しかし、性急などと言われる覚えはない。俺を呼んだのは、あの鷹の妖魔だ」


 ふん、と鼻息を荒くするが、ルカはついていけない。ロディ・ルゥと火ノ鹿の顔を交互に見ながら、肩をすくめるばかりだ。


 茶を飲み干した空のカップを名残惜しそうに見ていた火ノ鹿の前に、再度菫が訪れる。そして新しいカップを用意し、目の前で同じ飲み物を注いで見せた。

 その様子を、彼は瞳を輝かせて見つめている。まるで空腹の狼だ。ぎらぎらとした様子で淹れたての茶を受け取っては、満足そうにそれを飲み干す。

 実に嬉しそう。不思議なことだが、それがルカから見た火ノ鹿の反応だった。

 彼が教主であり、人とともに生きてきたのなら、茶の一杯や二杯珍しいものでもなんでもないはず。それなのに彼は、満足そうにしているのが奇妙だ。


「次に来た時は茶菓子も用意しておけ」


 上機嫌な彼と目が合い、ルカはこくりとうなづいた。すると彼は、目を細めて訝しむようにルカをじっと見る。


「? ……何ですか?」


 そのまま無言になられてしまい、ルカは戸惑いを露わにした。しかし彼はそのまま、難しい顔をして、ルカの手元に視線を移動させる。

 お茶が減っていないのを確認して、火ノ鹿は再び視線をルカの顔へと移動させた。

 目を細めて、ルカの顔をじっと見る。

 火ノ鹿はルカという人間そのものにさしたる興味を持たなかったはず。このときようやく、ルカ自身に興味を示された気がするが、どうにも様子がおかしい。


「ど、どうしました?」

「……お前」


 眉を寄せて表情をしかめる火ノ鹿に、射抜かれるような心地がする。何がそんなに気に障ったのか。彼の感情がまったく読めず、汗が吹き出てくる。

 火ノ鹿はただただルカを凝視したままだった。やがて、彼は何かを見切ったかのように突然立ち上がる。


「なにを――」


 突然話を打ち切られて、どうして良いかわからない。

 これ以上時間も稼げないのか。いよいよ彼に近づかれるのか――そう身を強張らせていると、案の定、強く手を掴まれた。

 瞬間、ぶるりと全身が震える。琥珀とアルヴィンに緊張が走るが、ルカはそれをなんとか制した。今、ここで彼と対峙するのは得策でない。

 覚悟を決めて、彼を見た。彼もまた、じい、と顔を寄せる。

 しかし彼は苛立ちを抑えるつもりもない様子で、眉を吊り上げてはルカの頭を押さえた。


「……った!」

「馬鹿やろう! 揃いもそろって……お前らは無能か!」


 忌々しげに声を荒げては、火ノ鹿は問答無用でルカの腕を引っ張る。そのままずるずると引きずられていった先は、ルカのベッドだった。


「わっぷ!」


 勢いよくベッドに向かって放り投げられ、思いっきり腰を打つ。痛みで腰をさすりながら顔を上げると、怒りに充ち満ちた紅蓮の瞳がそこにあった。


「チッ――無駄足を踏ませやがって」

「えっ……と」

「いいか! 次に来たときにその状態だったら、俺は問答無用で、お前をこの峰から連れ出すからな!」

「え!? ちょ、ちょっと待って!」

「通りで結界がへなちょこなわけだ――」


 忌々しげに呟くと、火ノ鹿は颯爽とルカに背中を向けた。何が起こったかは分からないが、彼は今日は諦めてルカの元を去るらしい。

 呆然としたルカを振り返ることもなく、彼は真っ直ぐ部屋を出て行く。そしてそのまま、宵闇の空へと飛び立っていった。



 口づけも何もない。ただただ会話するだけに終わったことに安堵する気持ちもあるわけだが、それよりも混乱の方が大きかった。

 ベッドの上でへたり込んでいると、慌てて琥珀達が駆け寄ってくる。


「ルカ……!」


 そうして琥珀が真っ先に、ルカの頬に手を当てては、ほうっと息を吐く。


「――よかった。何もされなくて」


 かなり緊張していたのだろう。琥珀もまた顔面が白くなっていて、少しだけその手が震えていた。

 同じように、アルヴィンもまた、琥珀の後ろで頬を緩めている。しかしそれも僅かなこと。すぐさま真剣な表情になり、複雑そうに眉を寄せた。


「今のルカに、奴の妖気が受け止めきれんと思ったのだろう」


 素直に良かったと言い切れない様子で、彼もまたルカの表情をのぞき込む。そこまで告げられて、ルカも、理解した。ルカの妖気を染めることなく、彼が退散した意味を。

 染められる際にかかる大きな負荷に関しては、前回、嫌と言うほど身体で理解した。

 だからこそ今日の妖気の不安定さでは、彼の妖気に耐えられないと判断したのだろうが――。



「そっか。こんな手が――次はこの手、使えない、よね?」

「「ルカ!!」」

「っ! ごめんなさいごめんなさい!」


 同時に二人に怒鳴られて、ルカは頭を抱えて謝る。正直運が良かったとしか言いようがないが、彼の口づけを受け入れなくても良かったことに、胸をほっとなで下ろす。

 げんきんなもので、気が抜けると今度は震えがやって来た。

 己の肩を抱いてへたり込んでいると、カツカツと、こちらに近づくブーツの音が聞こえてくる。



「――ソニア、行ける?」

「はい、勿論です」


 キリ、とした顔の彼女は、そう告げると、ルカの側で膝を折る。


「ご安心なさいませ。私、この仕事、確かに拝命致しましたわ」

「……うん」


 彼女にぎゅっと手を握られると、安心して目の奥が熱くなってくる。自覚していた以上に、緊張していたらしい。

 ルカは涙が溢れるより先に目を拭っては、皆に微笑みかけた。


「お願いするね」

「はい。では、早速失礼いたしますわ」


 それだけ言い残し、ソニアは真っ直ぐ奥の部屋へと下がっていく。

 すると今度は彼女と入れ替わるようにして、この峰に戻ってきた妖魔がひとり。真っ先にロディ・ルゥが察知して、外に目を向ける。



「――戻って来ましたね」


 その声が合図になったかと思うと、赤い影が部屋に入り込んできた。

 深紅のドレスを纏った女。温度のない瞳で皆の顔をさっと見回すと、つかつかとルカの方へと歩いてくる。


「赤薔薇、ありがと……って、大丈夫!?」


 赤薔薇の腕には、彼女に似合わぬ青い血がこぼれ落ちている。致命傷とは言わないが、彼女がまともに負傷しているのを初めて見た。

 思った通り、鷹も火ノ鹿に同行していたらしい。しっかり鷹と殺りあったらしく、腕だけでなく彼女のドレスにも大きな穴が空いている。

 その悲惨な光景に、ルカは口もとを押さえて悲鳴を上げたが、赤薔薇の関心はルカにはない。突然宙から大鎌を取り出したかと思うと、彼女は躊躇なく、ロディ・ルゥの首にそれをかけたのだった。



「アレが絡んでるって。何?」


 貫くような真紅の瞳に、ルカもまた、釘付けになった。

 赤薔薇の大鎌はロディ・ルゥの首にぴったりと添えてあった。少しでも動けば、彼の首が飛ぶ。しかしロディ・ルゥは、焦る様子を見せず、口の端を上げるだけ。


「鷹は、何と?」

「火ノ鹿教主国。スパイフィラス。どちらにも、気配が」

「移動したのか――」


 苦々しい笑みを浮かべて、ロディ・ルゥは両手をあげる。逃げるつもりのないらしい彼の姿を見て、赤薔薇もやがて大鎌を消した。

 そして彼女はロディ・ルゥから意識を逸らしたかと思うと、今度はルカの方へと歩み寄る。

 彼女の履いたヒールの音が、ベッドの前でピタリと止まった。


「私がいない間、火ノ鹿の出現。どういうことかと思えば。――ルカ。私の名、呼びなさい。(ことわり)を制するなら、アレより貴女が好ましい」

「赤薔薇……?」


 彼女の突然の宣言に、周囲の者が信じられないと言った顔をする。


「何を惚けている? 名を。呼んで。貴女には、聞こえているでしょう?」

「……っ」


 突然のことに、頭がついていかない。それでも、嫌だと首を横に振る。

 自ら名前を差し出す誇り高い彼女。目的も見えないままに、呼ぶことなど出来ない。


 だが、確かに彼女は名乗り出た。

 声になっていないのに、ルカはもう、彼女の名前を知っている。


 血薔薇の死神。そう呼ばれる彼女の本当の名は――


 ――ローケイディア。

何事もなく火ノ鹿は去って行きました。

出張組だった赤薔薇も、何が起こっていたのか理解したようです。


次回、風の主のお話です。

※変則的ですが、1/21(土)の更新とさせて頂きます。

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