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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
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ひとりじゃない

 霞む天井に朱色の光が反射している。

 ぼんやりと、眠りから覚めて気がつく。ああ、これは、とても良くない目覚め。

 ずるりと身体を持ち上げると、自分の身体の中に、ぽっかりと穴が空いているような空虚さを感じた。


「レオン……あ」


 目覚めと同時にぼんやり呼んで、すぐさま気がつく。そうだ、彼はもう、この峰からいなくなっていたはず。

 記憶が曖昧なのは、ここ数日、体調がいまいち安定していないからだろう。原因もわかってはいるのだが、どうしたものかとため息をつく。



「菫。菫、いるかしら?」


 石を通して呼びかける。一方的なものだが、すぐに彼女が奥から飛び出して来てくれたから、ほっとした。


「今日は、遅いお目覚めでしたね。起き上がれますか? ルカ様」

「うん、大丈夫」


 もぞもぞと、布団から這い出て腰掛ける。起きたら起きたでげんきんなもので、からっぽな気がするのは単に空腹なだけなのかもと思えてくる。

 お腹すいちゃった、とぽろりとこぼすと、菫が安心したかのように苦笑した。


「どれくらい眠ってた?」

「昨日の夜からですよ、大丈夫です」


 大丈夫とは言っても、以前のことと比べたらという前提があるからだろう。ちらりと外を見ると、すっかり日が落ちようとしていて、すでに夕暮れ時の寂しい空だけが目に入る。


「火ノ鹿は?」

「――まだ」

「そう」


 眠っているときに訪れたら、彼に問答無用に起こされるのだろうか。彼が次、いつ姿を現わすのかわからなくて、常に不安は付き纏う。

 周囲の環境を整えるためにも、一度は、彼とまともに話さなければと思うわけだが、今日はもう現れないだろうか。……現れなければいい、と、ルカは思う。




 ルカの目覚めを悟ったのか、部屋への扉に妖気があてられる。すぐに扉から誰かが現れて、ルカはそちらに顔を向けた。

 常日頃からこの部屋に自由に出入りできる者は、限られてはいる。現れた姿を確認して、ルカは表情を和らげた。


「ルカ様、お目覚めですか」

「ロディ・ルゥ」


 まっすぐルカの元へと歩いてくる彼は、ルカの手前で膝を折る。そうして少し心配そうに顔を覗き込んでくるため、少し戸惑った。


「やはり、満月に移られては? 顔色が、良くない」


 ロディ・ルゥの提案に、ルカは静かに首を横に振る。

 満月の峰のエリューティオの部屋と、下弦の峰のルカの部屋。両方過ごしてみると嫌でもわかる。次の日の回復具合が段違いだった。

 エリューティオの姿は相変わらず見えない。だからあの部屋で過ごそうとも問題はないかもしれないのだが、何故だろう――彼の居場所を奪ってしまうような気がして、躊躇した。


 微笑を浮かべてルカは立ち上がる。こんな時間であるが、動き回るなら着替えなければならない。

 ロディ・ルゥに一旦下がってもらおうかと思ったとき、彼は意味ありげに笑みを浮かべる。


「動かれるのでしたらご報告を。赤薔薇たちが“彼ら”を連れて帰って来ましたよ」




 ***




「お嬢~!」

「トモエー!」


 きゃあああ、と黄色い声をあげて抱きしめ合う。歳も近くて同じ家で育ったトモエとは、立場はあるものの、友人であり姉妹に近い感覚がある。

 懐かしい顔に、ルカがぎゅう、と彼女を抱きしめると、眩しそうに笑顔を見せた。


「お嬢~、いい匂いがする」


 くんくんと、彼女は鼻をひくつかせ、ルカの髪の匂いを嗅ぐ。僅かにくぐらせたコロンの香りに、トモエは幸せそうに表情を緩めては、ますます強く抱きしめてくる。


「ちょっと、ちょっとちょっと! トモエの変態!」

「んふ、今さらだよ。でも、お嬢、ちょっと大きくなったね」

「やっぱり?」

「やっぱりやっぱり!」


 きゃっきゃっと声を掛け合い、久しぶりの再会に胸躍らせる。ひとしきり騒ぎあったところで、ルカは後ろの二人にも目を向けた。


「ゲン爺、いらっしゃい! テッドも、相変わらずね! どうだった、空の旅は?」


 くすくす笑いながら声をかけると、うんざりした状態の青年が首を垂れる。色素の薄い浅黄の髪に、薄鼠色の瞳。全体的にぼんやりした印象の彼は、トモエを除けばゲンテツの末弟子にあたる。

 気の弱いところがあるから心配だったのだが、やはり、かなり精神的に負担が大きかったのだろう。その表情も正気を失っている。


「ったく、この通りじゃ。だらしないったらないわい」

「ゲン爺」

「おうおうお嬢様、何て顔色をしとるんじゃ。元気にしとると聞いて安心しておったのに……」


 年の割にガッチリした体つきをしたゲンテツは、トモエに抱きついたままのルカに歩み寄ってくる。いかつい顔つきで、ルカの顔色をじっくり覗き込んでは、肩をすくめる。

 そしてルカの額、そして首の数カ所に手をあてては、怪訝な顔つきを見せた。


「こりゃいかん。この峰に医師は?」

「医師? ああ、そのような存在は、峰におりません」

「……なんという環境じゃ」


 ロディ・ルゥの返答に、ゲンテツは呆れて言葉を失う。ぐるりとルカの部屋を見回し、環境を確認する。ロディ・ルゥに厨房の場所を確認し、荷物を担ぎ直した。


「まったく! おぬしもお嬢様に仕えとるとか言って何をしとるんじゃ! リョウガ様もどこにおるんじゃ! どいつもこいつも……!」


 ぷりぷりと怒りを隠そうとしないゲンテツは、ロディ・ルゥを顎で使う。ロディ・ルゥも流石に苦笑いを浮かべているが、ルカは彼に、ゲンテツを手伝うようお願いした。


 ゲンテツの怒りを適当に受け流しながら、ロディ・ルゥは奥へとゲンテツを連れて行く。慌ててテッドが。そして、しばしの別れを名残惜しそうにしたトモエが後に続いた。


「お嬢! また後でね!」


 大きく手を振りながら、トモエが奥へ消えてゆく。人が減り、寂しくなった峰にはまた、明るい人々が出入りするようになる。それが嬉しく、ほっとしながらルカはソファーにもたれかかった。




「……」


 身体の気怠さ。それは日増しに重なっていく。

 近いうちにくる火ノ鹿の再来に備えて、緊張感を感じているはずなのに、身体と精神の疲労は完全に切り離された状態にある。


 ルカは己の腹を押さえた。

 火ノ鹿は子を孕め、と言った。たった一度の口づけで、どれほどルカが染められたかはわからない。

 完全に彼に染められる前に、間に合うだろうかとルカは思う。彼に抗うためとは言え、少なくとも何度かは彼と会わなければならないだろう。そして、その度にあの口づけを受け入れるのだ。


 今回、火ノ鹿に対抗するために、方々に動いてもらうようお願いしている。とはいえ、即効性の見込めるものでもない。だからこそ、皆、ルカの覚悟については理解しているようだった。

 少なくとも火ノ鹿は、ルカを今はこの峰から動かすつもりはない。直接攻撃されるようなこともないのだろうから、それが救い。そして突破口だ。

 最終的に彼を退けられるなら、多少の我慢くらいしてみせる。



 ぼんやりと、一人になった部屋で、ルカは己の左手に右手を重ねた。冷たい石の感触を感じ、目を細める。

 ルカのレイルピリアとエリューティオの石の欠片。隣り合う石が愛しくて、ルカはおし黙る。

 エリューティオが何を考えているのかはわからない。

 それでも彼がルカを突き放したのは、ルカのためであるからこその行動なのだろう。

 けしてありがたくはないけれども、そう信じるしかない。どうしても信じたいのだ。



 この峰は今や、ルカを中心に回っている。

 お互い干渉することなく過ごしていた妖魔たちは、下弦の峰からどんどんまとまりを持ちつつある。お互いを尊重し、誰かのために動く。その感覚が、少しずつ浸透しようとしている。

 妖魔にとって間違いなく、大きな変化。彼らの趣向からはかけ離れた行為なのに、確実に受けいれてくれている。

 ルカはもう、ひとりじゃない。

 皆に支えられているから、こんなに怖いのに、ちゃんと前に向かって歩いて行けている。


 膝を抱えた。

 とろとろとした微睡みに揺蕩いながら、ぼんやりと外の景色を見ていた。

 赤く染まっていた空は、だんだんと深い紺へと彩りを濃くしてゆく。同時に、峰からは淡い光が放たれて、ぼんやりと宵闇へ染まる空に浮かび上がっていった。



「……綺麗だね」


 凛とした少女の声が聞こえて、ルカは顔をあげる。


「これが、お嬢の魔力なんだね……」


 しみじみと呟く彼女の声には、感嘆と安堵の感情が混じっていた。


「トモエ」

「聞いたよ。魔力、使えるようになったんだって?」


 人手が足りて解放されたのだろうか。ひとりこちらの部屋に戻ってきたトモエは、窓の方に目を向け、にっこりと笑った。

 素直に賛辞を送られて、ルカは少し気恥ずかしくなる。しばし返答を考えて、目を伏せたのち首を横に振る。


「ううん、宿ったみたいだけど、使えるようにはまだ。それに峰の光は、魔力によるものじゃないみたいだから……」


 人ならざる者が使う力。妖気と呼ばれるものまで身に宿したことを知られるのは、少し戸惑う。

 ずっと一緒にいたレオンとは違って、トモエは本当に、何も知らない人間の女の子だ。信頼している友人ではあるけれど、少し、怖い。


「一緒だよ。お嬢の力! 良かったね」

「トモエ」


 トモエはぱたぱたとルカに歩み寄り、ルカの隣に座る。そばかすの似合う明るい笑顔は相変わらずで、まるで実家にいるときのように気持ちが軽くなった。

 かと思えば今度は彼女、両手でペタペタとルカの頬やら額やらを触る。難しい顔をし始めたものだから、何ぞと声をかける。



「体温が下がってるってお爺ちゃんが。今、玉子がゆを作ってるよ」

「病人じゃないのに」


 否定しても、トモエは相変わらず真剣な顔つきだ。あったかい手のひらで、外側からルカを温めようとしている。

 その気持ちが嬉しくて、ルカはいよいよ吹き出した。明るい声が部屋に響いて、トモエはようやく頬を緩める。


「うん、色々聞いたけど。元気なさそうだから。食べやすいものだって」

「ゲッショウ風?」

「そう、ゲッショウ風!」

「やった!」


 懐かしいシンプルな味を思い出して、ルカはにまりとする。


「そう! ゲッショウと言ったらね! すごいの! 行ってきたの、ゲッショウ!」

「手紙に書いてあったね! いいな、いいなあ! どんなのだった?」

「あのねえ、四ノ島に行ってきたんだけどねえ……」


 そうして、きゃっきゃと語り出す。

 生まれはゲッショウなのに、ルカの記憶には残っていない、懐かしい風景を。

 いつか、この目で見られるだろうか。そう想いを馳せ、ルカはトモエの話に耳を傾けた。

ゲン爺たちと合流しましたが、ルカは体調不良なようです。


次回、火ノ鹿の再訪です。

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