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夜咲き峰の人々  作者: 三茶 久
第二章 火の主の愛し子
103/121

それぞれの変化 -レオン-

 アルヴィンを連れて戻ると、琥珀が安心したような目をして笑った。

 しかし甘えん坊は変わらないらしい彼のこと、アルヴィンとルカの間に入るようにして、三人並んで歩く。琥珀に対してアルヴィンは何か言いたげだが、目が合うと少し困ったようにして笑みをこぼしていた。



 今度はルカの部屋に戻ると、皆が一斉にルカたちの方を見た。ハチガや蜘蛛が、先に知らせていたからだろう。誰もがほっとしたような表情を見せる。


「遅い」


 呆れたようにレオンが言うけれども、その顔は全然怒ってはいない。

 むしろ彼は眦を下げて、すれ違いざまにアルヴィンの肩を叩いていた。


 皆でぐるりと食卓を囲む。

 基本、一日に一度の下弦での食卓。ルカとハチガたち人間は、神に祈りを捧げてから手を伸ばす。そして、各々の進捗を確認しあうのがすっかりと習慣になっている。



「ルカ。一度、例のものを見たいと父上が」

「お父様が? ――ユーファ義姉様の間違いではなくて?」


 ルカの返答に、ハチガは苦笑する。それもあるだろうね、と言葉を付け足しながら、ハチガは真剣な眼差しでナイフを置いた。


「一度僕は王都に戻ろうと思う。話を煮詰めるのもあるけれど、直接確認したいこともあるしね」

「確認したいこと?」

「ああ、ルカをこの峰に寄越した真意。――父上はまだ、僕たちになにか隠している」


 難しい表情をしながら、ハチガはそう語る。今までならば水面下で動いていただろうミナカミ家の三男は、正直な気持ちを吐露した。


「ルカ。僕は、君の母上のことについて、父上に伺ってくるつもりだ」

「――え?」

「一度、きちんと話をつけてくるよ。もちろん、本当の目的は、アレの方だけど」


 苦笑しながら、ハチガは手を振る。アレ、と言うのは間違いなく、先ほど琥珀たちと作っていた試作品に関する話だろうが――。


「――そう、お母様の」


 不安で、ルカは口を閉じる。

 母の存在。この峰に来てからも夢に見る温もり。この不思議な自分の身体を自覚してなお、その存在がのしかかる。


「その話。帰って来たら、聞かせてもらっても?」


 恐る恐る問いかけてみると、ハチガは少し困ったようにしながらも、頷いた。そして、少し言いづらそうに言葉を続ける。


「……で。申し訳ないんだけど、誰かの手を借りれないかな。移動に時間をかけたくないのもあるけれど――わかるだろう?」


 ハチガの言葉に、ルカももちろんと声をかける。

 ハチガの行動は全てルカを含めた夜咲き峰の為のもの。例の試作品を持っていく時点で、それはハチガの仕事ではない。


 しかし、同時にルカは迷う。ハチガとともに王都へ向かうとして、誰に頼むのが妥当だろうか。

 人と感覚の差があるのは致し方ないが、話を抉れさせず、こちらの要望を通す説得力のある妖魔。

 最初にロディ・ルゥの方に顔を向けると、彼は変わらぬ平凡な顔で、にっこりと微笑んだ。



「ルカ様、今の状況で、私が峰から離れることなどできるはずもありません」

「……そうよねえ」


 ため息をついて、ルカは頭を押さえた。

 ルカが名前を縛った妖魔は四人。オミとエリューティオを外せば、飛行ができる妖魔はロディ・ルゥのみだ。しかし火ノ鹿とのやりとりを考えても、彼を側から離すわけにはいかない。


 少し所在なさげな顔を見せるアルヴィンに微笑みかけたのち、ルカは顎に手を当てる。うーん、と唸ったところで、ルカ、と、名を呼ばれた。



「ルカ。私が行ってもよろしくてよ?」

「花梨」


 思わぬ人物が名乗り出て、ルカは目を丸くする。ふふ、と自信ありげな微笑を浮かべては、彼女もまた、優雅にナイフを置いた。


「貴女ばかりに負担を背負わせるつもりはなくてよ。私も仲間に入れなさいな」


 物腰柔らかな花梨は、その洗練された動きも貴族の令嬢よりはるかに美しい。薄紅色の瞳でじっとレオンの方を見つめた後に、ルカへと視線を戻した。


「それに、ルカやレオンの育った環境には、正直興味がありますもの」


 ふふ、と微笑む表情は上機嫌だ。

 誇り高い花梨のこと。どの貴族を目の前にしても、彼女は臆することなく自分の主張をすることができるだろう。存在が存在だけに、相手が男であろうが、指一本触れることが出来ないだろうし。


「花梨が行ってくれると、正直とっても助かるけど――」


 不安がないかと言うと嘘になる。妖魔一人に任せるのは、貴族社会は少し荷が重すぎるのだ。

 いくらハチガがいようとも、彼が本当に峰の為の判断ができるかと言うと、答えは否だ。




 目を閉じて、ルカは考える。

 少し不安だが、今後のことを考えると、もう一人、彼女につけるべきだろう。慣れぬ花梨をフォローして、貴族社会でうまく立ち回る方法を知る者。そんな人間、ひとりしかいないではないか。



「……レオン」


 そうしてルカは、最も信頼する者の名を呼んだ。

 ルカの後ろに控えていたレオンが、まさかと大きく目を見開いている。


「花梨と一緒に、王都へ行ってくれる?」

「お嬢様!」

「……私は、それが一番いいと思う」


 ルカの下した決定に、誰もが息を呑んだ。王都へ交渉へ向かう。それは先日、ハチガたちを迎えにアヴェンスへ赴いた時とはわけが違う。

 それなりの期間向こうに滞在することになる事実に、居残り妖魔たちが戦慄しているが、正直食事のことは二の次だ。

 諸事情により、戻りが遅れている赤薔薇たちも、そろそろ到着するという連絡も受けている。そうすれば峰の食事事情はかなり整うこととなる。いよいよ、レオンが自由に動き回れる時が来る。



「レオン、お願い」

「それは、従者の俺に言っているのか? それとも、アドルフ家の養子として?」

「……」


 王都でのレオンの立場を知らないルカではない。彼もまた、ルカと同じはみ出し者。花梨と一緒に交渉の場へ赴くと言うことは、日陰の世界から抜けよと命じること。

 かつて、彼が命からがら抜け出した、貴族の世界にまた戻れと言っているのだ。


「花梨と一緒に、交渉の場へ、出てくれるかしら。従者ではなく、アドルフ家の者でもなく、夜咲き峰の使者として」

「第三の選択肢か」

「貴族でも、平民でもない。妖魔の立場に立ってくれないかしら――」

「……」



 皆の注目を一身に集めながらも、レオンはしばらく、何も答えなかった。ただただ歯がゆそうに、両のこぶしを握りしめる。

 ハチガが何かを言いたそうにしつつも、じっとレオンを見守っている。その視線に気づいたのか、レオンは無理やり笑顔を貼り付けて、答えた。


「何を言っているんだ。こんな時に、俺がお嬢様の側を離れるわけにはいかないだろう?」


 火ノ鹿のことがあるから、なおさら。血迷ったかと、毒を吐く。そしてもう話は終わりだと言わんばかりに、彼は奥へと立ち去ろうと身を翻した。


「レオン!」


 ルカの呼びかけに答えない。

 しかし奥へと去ろうとするレオンを真っ先に止めたのは、アルヴィンだった。

 アルヴィンは躊躇なく立ち上がり、レオンの肩を掴む。先ほど、レオンがアルヴィンにしたのと同じように。


「鴉」

「逃げるな」


 俺も、お前も、と聞こえた気がした。

 葛藤の最中のアルヴィンは、切実そうな目で、レオンを見つめている。

 くしゃりと表情を歪めつつも、アルヴィンはしっかりと口にする。


「お前には、お前にしか出来ないことがあるんだろう?」

「……」



 アルヴィンと向かい合って、しばし。こびりつけていた笑顔を放り投げ、レオンは静かに首を横に振った。


「少し、考えさせてくれ」


 そう言い残し、レオンはアルヴィンの手を振り払う。そうして周囲の呼びかけも聞かず、奥の部屋へと抜けていった。





 レオンが居なくなった昼食会場に重たい沈黙が訪れる。ハチガが、まあ、仕方ないな、と口にしているのはもっともなこと。すぐに了承してもらえるような頼みでないことは、ルカも重々承知している。


「説得は、ルカに任せるよ」

「わかってる、兄様」


 レオンのことは、ルカとハチガが一番よくわかっている。当たり前の反応に、二人で肩をすくめていると、花梨も眉をひそめながらため息をついていた。今のレオンの行動が、彼女は少し残念だったらしい。綺麗な顔が強張ると、少し寒気を感じる気がして、ルカは苦笑いを浮かべる。


「そう怒らないで、花梨。レオンもね、王都では色々あるのよ」

「そうですの」


 まったく納得いっていないようで、花梨のご機嫌は良くない。しかし、我儘を言っている自覚もあるのだろう。少し伏し目がちになって、彼女は、気まずそうに黙り込んだ。



「ええと……ハチガ兄様。王都に戻るのは、兄様だけ? リョウガ兄様と、ソニアは?」


 話を戻そうと、ハチガたちの方へと目を向ける。難しい話には首を突っ込めないリョウガは、むしゃむしゃとものを食べる手を止めて、顔を上げる。

 隣のソニアに至っては、心ここに在らずといった様子だった。頬に両手を添えたまま、立ち止まったままのアルヴィンの方へと目を向けては、ため息をつく。


 ソニアが何を考えていたのか手に取るように分かったが、言及はしないでおく。

 それよりも、リョウガはともかくソニアにはお願いしたいことが別にある。できれば峰に残って欲しいのが本音だ。



 リョウガとソニアがぼんやりしている代わりに、ハチガが肩をすくめて答えた。


「僕だけだよ。元々はリョウガ兄上と僕は別口なんだ。妙な縁で一緒になったけど、兄上のことは謹んで置いていくよ」


 にっこりと嫌味を織り交ぜて否定すると、隣でリョウガが大きく頷く。


「そうだ! ルカに危険が迫っているのに放っておけるか! 俺に任せろ、妹よ!」


 自信満々に言ってのけるリョウガは、ハチガの嫌味に気がついていない。脳内平和な次兄ににっこりと微笑みを返したのち、ルカはソニアに目を向けた。


「ソニア、少し取引しない?」

「取引、ですか?」


 何度か瞬きをしたのち、ソニアは仕事モードの真剣な眼差しになる。

 興味があることが分かり、ルカも笑みを浮かべて質問を続けた。


「そう。アルヴィンとレオンの絵、何枚手をつけてる?」


 小首を傾げると、ソニアは正直に、三と答えた。成る程、と頷き返して、ルカは付け加える。


「そう。では、残りのうち一枚。とびっきりの妖魔の絵、描く気はない?」


 んふふ、と笑みをこぼすと、ルカの考えが読めたのか、ソニアもまた意味深な笑みを浮かべた。




 ***




 そうして、夜。

 峰に妖気の供給にやってきたが、エリューティオの姿はない。ひとり彼の生まれ石と対峙したのち、ルカは下弦の部屋へと戻る。

 火ノ鹿とのいざこざがあってから、ルカは再び下弦の部屋で眠るようになった。

 供給を終えて、体が少し重い。しかし、今日はまだ、眠るわけにはいかなかった。



 ルカは待つ。今日一日、話し合ったことを日課のように文書にまとめつつ。

 すると、足音が聞こえて頭をあげた。

 人の気配がする。ロディ・ルゥが近くで護ってくれているのはわかるが、それともまた異なっている。


「お嬢様」


 立ち尽くす彼の頬に、外の峰の輝きがぼんやりとあたる。その表情は強張ったままで、彼の決意を窺わせた。



「ミルクティー。蜂蜜が入ってると、なお良し」


 ルカの言葉に苦笑しながら、彼は一度奥へと下がる。そして、再び戻ってきた時には、トレイに二人分のカップを用意してきた。

 それを見て、ルカは胸を撫で下ろす。

 ルカの前で、彼がものを口にするとき、彼は立場を越えた意見を口にする覚悟があるときだ。少し緊張しながらも、ルカは席を移動する。



 大きなテーブルに、二人並んで腰掛ける。ルカの自室と言うよりも、すっかり皆の共有スペースと化したルカの部屋は、二人で過ごすには少し広く感じるようになった。

 ぼんやりと、外の景色を眺めながら、ルカはミルクティーを口にする。ルカの好みに合わせて、濃いめのミルクの味がじんわりと体を温める。


「やっぱり、レオンのお茶が一番美味しい」

「当たり前だろう」


 久しぶりに二人で並ぶと、なんだか心地よい気分になる。レオンはルカと違って、ストレートティーに口をつけて、大きく息を吐く。だが、その後の言葉が出てこない。


 ちびちびとミルクティーを口にしながら、ルカは待った。レオンの言葉が紡がれるのを。

 ちら、と彼の方に視線を向けると、彼もまた、ぼんやりとした顔で外を見ていた。いつもはびっちりと綺麗に着込んだシャツも、ボタンを外して、首元を緩めている。かっちりと整えている髪も、今は自然に流していて、仕事では見せない表情を見せていた。


「お嬢様は本当に――この峰の主になったんだな」


 以前とは異なる色をした峰の花弁。ぼんやりとその彩りを目で追いながら、レオンは呟く。

 長い睫毛。切れ長の目。妖魔に混じってもなんら遜色ない綺麗な顔立ち。しかし少し疲れたような目をしているのは、ルカのせいなのだろうか。


「皆もお嬢様のことを気にかけてるからな。貫禄は足りないが、お嬢様が皆を引っ張っていることは事実だ」


 淡々と語るレオンの表情は変わらない。ただ、彼から見たルカは、拙いながらも、確かに前を走っているのだろう。

 褒められているのだろうか。客観的な言葉を受け止めながら、彼の本意を探る。

 じっと彼を見つめていると、レオンもルカの様子に気がついたらしい。苦笑しながら、彼はひょいと手を差し出した。

 目を丸くしていると、彼の手は躊躇なくルカの頬へと伸びた。そして、問答無用にその頬を摘まむ。


「んんっ。ちょっと、レオン!」


 容赦無く痛みを与えられ、ルカは全力で抗議する。が、レオンは目を細めて、その指に力を込める。いよいよ痛みがひどくなり、ルカも彼の腕を抑えて抵抗した。


「痛っ、痛いからレオンやめっ!」


 涙目になりながら抗議すると、ようやくその頬を摘む手が緩められた。代わりに両手のひらでルカの頬を挟んでは、潰すように力を込められる。


「っふ! はははは! 変な顔!」

「誰のせいよっ」


 ぶすっとした目で、ルカはレオンを睨みつけた。まだ頬がひりひりしてる。押しつぶして誤魔化そうとしても無駄だ。

 恨みがましい顔をしていると、レオンはますます屈託のない笑顔を見せる。

 ひとしきり笑って満足したのか、やがて彼は、ルカの頬から手を離した。


「これくらい、我慢しろ。これからのことを思うと、まだ足りないくらいだ」

「レオン……」


 ひりひりする頬を撫でながら、ルカは目を伏せる。

 レオンの言いたいことはわかる。

 ルカという力持たない娘の従者――称するならば、影の、さらに影の立場。そこに甘んじていたからこそ、彼は存在を赦された。

 しかし、今回は従者でもなく、アドルフ家とも関係なく、ただのレオンとして彼の地に向かう。それでもきっと、周囲はそう見てはくれないだろう。

 表舞台に彼を引っ張り出す。それは、かつて彼が投げ捨てた立場を、嫌でも思い出させることになるのかもしれない。




「……まあ、ハチガだけに任せてても、花梨ひとりを向かわせるわけにいかないことも、俺にはわかってる」


 レオンの言葉に、ルカは顔をあげる。

 彼が、ハチガに対しても、花梨に対しても敬称をつけない。それは、ルカの従者という立場から離れるからこそ出てくる言葉。


「お嬢様も――まあ、心配だが。でも、もう。お前を護るのは俺だけじゃなくなったからな」

「……」


 くしゃりと笑う彼の顔から目が離せない。目を細めて、無理やり笑う顔。それは、怒っているときに見せる、貼り付けたような微笑みとは全く違う。


「……寂しいの? レオン」

「っ! んなわけ、あるかっ」


 ルカがぽつりと呟くと、瞬発的に頬をつねられる。その痛みを覚えながらも、ルカは、寂しいのね、と繰り返した。

 実にばつの悪そうな表情を見せながら、レオンがそっぽ向く。カップに口をつけて顔を隠すようにしてるが、耳まで真っ赤だ。

 クスクス笑いながら、ルカもまた、ミルクティーに口をつける。


「この味とも、しばらくさよならかぁ」

「菫も波斯も、上手くなった」

「……そうね」


 ――でも、それは貴方の味じゃない。


 レオンの言葉に、ルカは心でそう答えた。

初めて、レオンがルカの側を離れることになりました。


次回は幕間の物語。峰の外に出ているおつかい組の一幕です。

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