それぞれの変化 −人と妖魔−
部屋に戻ると、物々しい雰囲気が周囲に漂っている。
琥珀をのぞいて、懇意にしている者たちが一堂に会している。ハチガとソニア。レオンを含めた従者たち、そして先ほど事情を話してくれた花梨まで。
ふとベランダの方に目をやると、諸肌脱いだリョウガと、アルヴィンが打ち合っている。二人とも殺気立っている様子だが、そんなものはアルヴィンの部屋でやればいいだろうとも思う。それでも、この部屋にわざわざやって来てまで訓練しているということは、きっとルカの帰りを待っていたのだろう。
「ルカ」
部屋に入ってきたルカを、ハチガが出迎える。が、彼の視線はすぐに、テーブルの中央に置かれた伝達の魔術具に向けられる。トントン、と指でテーブルを叩いていることから、少し、気を揉んでいるような様子が見受けられた。
おそらく王都と連絡をとっているのだろうが、何か問題でもあるのだろうか。
「たったひとりで風の主のもとへ行ってきたんだってね」
「ひとりじゃないわ。ロディ・ルゥにもついてきてもらったもの」
ねえ、とロディ・ルゥに視線を投げかけながら、ルカは皆の並びに腰掛ける。
昨夜皆とは別行動をとっていたロディ・ルゥに、ハチガは訝しげな目を向けるが、それも僅かなこと。ルカがすました表情を見せると、諦めたように肩をすくめた。
そうして丸テーブルの一角、いつも座る窓側の席に落ちつくと、ベランダの方から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ルカーっ! お前! ひとりで! どこに!」
よほど気を揉んでいたのだろう。
先ほどまで鍛錬していたにも関わらず、すぐさま切り替えて、リョウガは部屋の中へ駆け込んできた。それを追うようにしてアルヴィンも。
エリューティオの元にいたことくらいみな気付いているはず。くしゃり、とルカが苦笑いしたことで、それぞれ悟ってくれたらしい。
リョウガのあまりの勢いに、難しく考えることすら馬鹿らしくなってくる。
くすくすと声をあげて笑うルカに、リョウガはあっけにとられているようだった。昨日は涙をいっぱいに溜めて相当落ち込んでいたから、一晩でここまで持ち直すとは思っていなかったのだろう。
「みんな、心配させてごめんね」
開口一番に謝ると、兄二人は顔を見合わせる。が、すぐにハチガは目を細め、エリューティオに何を言われたのか、と問うた。
しかしルカは首を横に振る。ハチガは知っていたはずだ。エリューティオが、ルカを娶るつもりがないことなど。
「エリューティオ様は何も話してくれなかった。だから、私、好きにすることにする」
ふふふ、と声をあげると、とたんにハチガの頬が引きつる。奥に控えるレオンも、眉間に皺を寄せて、嫌な予感に身構えているのがよくわかった。
「火ノ鹿を退けたいの。――みんなの、知恵を借りたい」
「知恵……」
「知恵か」
途方に暮れるリョウガと、納得するように頷くハチガは対照的だ。
「いやいや、俺は! ルカに手を出そうとする不届き者は! こう、がつーんと……」
「リョウガ兄様!」
「うっ……だ、だって……知恵などでは、俺が役に立てんではないかっ」
知恵という言葉を聞き、リョウガはわかりやすく首を垂れた。
抗議するかのように恨みがましい声を漏らしながら、テーブルに突っ伏す。正直は美徳だが、ここまで開き直られると困ってしまう。
「そんなことないわよ。リョウガ兄様には、私少し期待してるんだから」
「期待、だと!?」
しかし、ルカのフォローにすぐさま、へにょんと垂れていた首が、一瞬にしてむくりと起き上がる。なんとも起伏の激しいリョウガであるが、集団で立ち向かう場合の知識は妖魔より豊富なはず。……ただの希望的観測なのかもしれないが。
「そうか、わかった!」
しかし、ルカの期待にわかりやすく大喜びしたリョウガは、大きく頷いた。何を悟ったのかはわからないが、明らかに、ルカの意図とは違う方向に言葉を受け取ったらしい。
短絡的な彼は、そのままアルヴィンをひっぱって再びベランダの外へ出ようとする。すぐさま特訓でも始めるつもりなのだろう。瞬間、やはり駄目かもしれない、と胸に不安がよぎった。
「リョウガ兄様! 今は訓練は良いから。相談に乗って欲しいんだけど?」
「相! 談!」
「いちいち感動しなくて良いから。はい、座って座って」
ぞんざいに手をしっしっと振っていることすら、じんわりと喜びを感じているらしい。
おお〜、ルカ〜、と鬱陶しい反応を見せながら、彼はすぐさま席へと戻った。とても喜んでいるのが手に取るようにして伝わってくるが、みんなの手前、恥ずかしいったらありゃしない。
くすくすと菫が笑ったことに気がついたらしく、リョウガは目を丸くする。そしてそのまま、頬を真っ赤に染めた後、彼はお行儀よく、背筋を伸ばし、拳を膝にあてた。
そういえば、生まれてこの方、次兄にだけはあまり相談事などしたことがなかった気がする。都合の良いおねだりは山ほどしたが。
「あのね。ちょっと真面目な話なの。お願い。兄様」
大きくため息をつきながらも、一切の嘘はつかない。話も逸らさないし、馬鹿にもしない。
真摯にリョウガの目を見て、真っ直ぐに話す。背筋を伸ばしたルカの様子から、リョウガもまた大きく唾を飲み込んだ。
「――わかった。聞こう」
そこまでしてようやく、彼は表情を引き締めた。
***
「――というわけで、エリューティオ様は何も教えてはくれなかったの。聞きたくば、命を刻め、だって」
でも、そんなのは嫌。と言い放ち、ルカは腕を組む。
ルカの気持ちはさておき、火ノ鹿はなんとかしないといけない。放っておくと、奴は近いうちにまた顔を出すのだろう。そうしてまた、彼の都合のためだけにルカ自身を染め上げられる。そんなもの、何が何でもごめんだ。
「ちょっといいかい、ルカ。昨日から気になってたんだけれど、ヒノカって、あの火ノ鹿?」
神妙な顔つきで呟くのはハチガだった。文官として、当たり前の反応だと思う。
ロディ・ルゥたちと同じただの上級妖魔と思ったら大違いだ。火ノ鹿の立場は、人の視点から見た方がよほど現実味がない。
「火ノ鹿教主国、教主火ノ鹿。そう名乗ったわ」
「妖魔? そんなまさか……」
信じられないと首を横に振りながらも、ハチガは真剣に考えこみはじめる。
もともとは火ノ鹿国というデルガ火山の麓に位置する小国家だった。しかし、長い時をかけて周辺諸国をのみ込んで拡大していった。文化が異なる多数の部族が入り混じり、無法地帯となってもおかしくない状況下で、沈黙を守り続けている不思議な国だ。
国を統べる王はやがて神の代理人とされ、教主となった。そこから火ノ鹿教主国を名乗るようになり、人々は教主を深く信仰しているという。
しかし、レイジス王国には、国が興ったとされる元火ノ鹿国領地――中央、特に火ノ鹿に関する情報はまったくと言って良いほど流れてきていない。
神の代理人であり、唯一無二の教主はどのように選ばれ、引き継がれているのか。様々な歴史書にも詳しい記述は見つからない。あるのは、かの国の者がどれほど火ノ鹿を崇め奉っているか、のみだ。
「教主が昨日の妖魔と聞いた時、私は納得した。絶世の美貌を持ち、不老不死とも言える妖魔――そりゃ、神と思うわよね」
「しかしだな」
「私だって、実際、皆に会わなければ、妖魔という存在が実在するだなんて信じたくても信じられなかった。妖魔と名乗らず火ノ鹿共和国に居座る火ノ鹿をどう解釈するかなんて――考えるだけで、ぞっとするわ」
かつては火ノ鹿国、と呼ばれていた彼の地。しかし、火ノ鹿教とも呼ばれる宗教が起こり、彼の地は姿を変えた。王はやがて、神の代理人となる。
「怖いわね」
妖魔の神秘性を利用して、人々を先導する。その先頭に立つ者が、あの火ノ鹿。人を人とも思わず、利用することしか考えていなかった男。
「――でも、考えようによっては今回は助かったわ。教主の権力を駆使して迫られたら、私には拒否出来なかったでしょうから」
「水面下で動くのは何か理由があるわけか」
「一国の教主だもの、縛りも多いのでしょう。……まあ、今は僕を置いてるとも言ってたけどね」
頬杖をつきながら、ルカは呟いた。火ノ鹿のことについては知り得る情報が少なすぎる。全て憶測にしか過ぎないが、良くも悪くも、火ノ鹿の単独行動に見えた。
「スパイフィラスの事もあるから、これ以上厄介ごとは……」
「ああ、変な関わりがなければ良いが」
ハチガが難しそうに視線を落とす。
悩んでいるのはきっと、彼がこちらへ来た本来の目的故だろう。スパイフィラス周辺の魔力の偏りに関する調査。そして、スパイフィラスと火ノ鹿教主国との繋がりがあるかもしれない事実をも、彼は示唆した。
「今、ルカはスパイフィラスに難癖つけて会談を引き延ばしているだろう? それとも何か関わりがあるのか? いや、しかし――」
情報が足りない、と頭をかきむしりながら、ハチガは唸る。
一方で、長い話に完全に飽きていたリョウガは、隣で大口開けて欠伸をしている。
「火ノ鹿教主国だのスパイフィラスだのよくわからんが、今はあの赤いの一人なんだろ? 難しく考えずにぶっ飛ばせばいいじゃあねえか」
「リョウガ兄様……あのねえ」
相手は琥珀の攻撃もものともせず、エリューティオをこけ下ろすような実力の持ち主だ。正面からぶつかってなんとかなるようなら、こんな事にはなっていない。
「だがなあ。自信満々に一人で乗り込んで来て、女を奪えないなんざ赤っ恥も良いところじゃないか?」
「兄様、奪えないというか――手順があるらしいのよ、手順が」
「うちの可愛い妹に手を出しといて黙っていられるか! この間のも、完全に不意打ちだったじゃないか。だいたい正面から口説く勇気もない癖に、裏で力でものを言わせるだなんて男の風上にもおけない」
びしりと言ってのける彼は、己が完全に人間の――特にゲッショウ男児の考え方に根付いている事に気がついていない。妖魔とは根本的に異なる存在であるわけだが、リョウガにそのような突っ込みを入れても無意味だ。
恥ねえ……、と呟きながら、ルカはため息を漏らす。
そもそも、人の感じる“恥”と、妖魔の感じる“恥”には大きな隔たりがある。
結婚もしていない相手の許諾なく子を産ませようとするなど、人としては恥じらう以前のことだし、一国の重鎮――いや、教主もあろうものが、たかがルカごとき何の身分もない娘に拒否されることもあってはならない話だ。しかし、それは人間に限っての話だろう――と、そこまで考えて、ルカは目を丸くする。
脳内で何かが繋がり、ルカはパン、と両手をたたいた。
「それだわ。いけるかもしれない、リョウガ兄様!」
「は?」
「かかせてやりましょうよ、恥を」
心配する兄たちと、今後の話をしました。
次回は、鴉の変化です。




