はじめてのお食事(2)
鷹と一緒の食卓は、それはもう賑やかだった。
初めて食べる食物は、鷹にとっては衝撃的だったらしい。食の素晴らしさに芽生えたらしく、その香り、食感、味、全てを楽しんでいた。一口食べるごとに発せられる感想は、どれもこれも絶賛だったからだろう。支度したレオンがずいぶん態度を軟化させていたのが印象的だった。
――やっぱりあの二人、案外上手いことやっていけるのかもしれない。
鷹の良い押しつけ先が決定したため、ルカも満足だ。
賑やかな時間ではあったのだが、ルカは少々急いで食べてしまう。レオンにすぐにでも食事をして欲しい。今日一日、彼の方が断然動いている。きっと空腹だろうと思ってのことだった。
しかし、こっそり鷹が「アヴェンスでちゃっかり買い食いしていたよー」と教えてくれる。
心配して損した。という気持ちと同時に、やっぱり鷹はレオンに押しつけていこう、と、堅く心に誓った。
食事が終わると、一度全員をテーブルに集合させる。
明日からの行動方針を決めるため、ある程度情報を共有しておきたかったからだ。
「さて。今日も一日大変だったけれど、明日からの予定だけ打ち合わせておきましょう」
「だな。風の主は何か言っていたのか?」
うん、それなんだけど。と、ルカは説明を始めた。
今後、ルカが妖魔たちの教育を取り仕切ること。足りない従者は宵闇の村に探しに行くこと。王都の情報もある程度入っていると言うこと。ついでに鷹から伝え聞いた伝達の魔術具のこと。ひとしきり話し合って、最後にこの話題を提供する。
――妖魔の“人化”について。
絶句していた。
鷹だけが全てを分かっているかのように変わらぬ笑顔であったが、レオンは何かを考えるように遠くを見つめていたし、菫に至っては大きな瞳をますます大きく広げ、言葉を失っていた。
「菫、悪いけれど、これはまだ他言無用よ」
「はい……はい。わかってます。……言えません、とても。こんなこと」
オレンジの瞳がかすかに潤んでいる。口元を押さえて、必死に何かを堪えていた。
「でも、わかります。確かに、最近おかしいんです。私もこの峰にやってくるまでは宵闇の村にいましたが、なんだか、年々“糧”が少なくなっているようで」
「糧?」
「はい。先ほどの、ルカ様のお食事と同義と受け取って頂いて差し支え在りません。同じ糧を頂いても、妖気がきちんと回復しないのです」
なるほど。宵闇の村での現象は、かなり顕著に表れているらしい。菫によると、変化が見られはじめたのはここ十年程度のことらしい。緩やかに、緩やかに劣化していったが、特にこの一、二年での“糧”の劣化し様は、言い表せないほど酷いものだったようだ。
「妖気が回復しないと、どういった問題が起きるの?」
「我々下級妖魔はもともと妖気が多いわけではありませんから。火をおこしたり、水を汲んだり……そういった一つ一つのことに、支障が出てくるくらいですわ。でも……そうですね。人化。とてもしっくり来る言葉かもしれません」
苦々しい表情を隠すことも無く、菫はうつむく。オレンジの瞳は光を失い、虚ろだ。
「ルカ様。さきほど、ルカ様が私におっしゃった言葉ですけれど。本当にだめです。これは絶対、誰にも知られてはいけません。何があっても漏らさないように、ご注意なさいませ」
「そんなになの?」
「ええ。もしこのような話が広がったら――宵闇の村の妖魔たちは、皆、自ら消滅する道を選ぶかもしれません」
菫の言葉に驚く。と同時に、納得もしていた。風の主との会話にも、似たような話が含まれていたからだ。妖魔たる矜持。尊厳。それが彼らにとっていかに大事かと言うことを、ルカはまったくわかっていなかった。
「肝に銘じるわ」
真剣な面持ちで、ルカは頷いた。それにあわせて、各自も決意を新たに頷きあう。
「でも、人化が知られてはいけない状況で、どうやって人の文化を教えるに至るのか。動機付けが難しいのよね」
「そうでしょうね。人のことを知りたいと思う妖魔なんて、まず見当たりませんわ」
菫が言うならそうなのだろう、とルカは思う。今日一日で出会った妖魔は、風の主といい、鷹といい、菫といい、比較的例外ばかりなのだろう。というか、例外ばかりが先に集まったと言うべきか。ということは、残る妖魔たちは皆、本来在るべき妖魔像と言っても過言ではないはずだ。
「上級妖魔から落としていくのが早いんじゃねえか?」
「うん、ホントは宵闇の村から行きたいところだけど。今回の場合、ある程度力を持つ者が動く以外には、説得力に欠けるのよね」
「ああ。あと、上級妖魔から従者も探したい」
「レオン?」
「上級妖魔を何人かお前が従えられないと話にならない。俺はそう思う」
そう言うレオンは、真剣だった。
「悔しいことだが、この夜咲き峰の連中は皆腕が立つのだろう。昼間みたいな事態になった際、お前を護ってやれる妖魔は必要だ」
赤薔薇と鷹の諍いの事を言っているのだろう。確かに、ここは夜咲き峰。人間社会と違って突然襲われるという事態は頻繁に起こり得そうだ。
「俺はいつも一緒にいてやれるわけでもねえし。今日みたいな連中だったら、正直、俺じゃ役不足だ。敵が一人とは限らないし、鷹だって今日みたいに動いてもらうこともあるだろう。もう何人か、お前を護る手を確保しておきたい」
レオンの話はもっともだった。一方、隣で鷹が昼間見せつけた自分の強さについて全力でアピールしているけれど、すべて無視だ。
「でも、レオン。下働きの手、欲しくない?」
「俺の仕事よりもお前の安全だ。んなの後でいい」
「……ありがとう」
素直に頷くことにした。これ以上レオンに心配かけたくない。
「あ、あの! 私、頑張りますら!」
菫が手を上げて、宣言する。彼女なりに思うところもあるのだろう。先ほどまでの弱々しい態度は横に置き、一生懸命に伝えてくる。レオンも嬉しそうに、頬を綻ばせた。
「では、上級妖魔から。教育を始めるのと同時に、協力してくれる妖魔も探しましょう」
「だな」
「菫。この城の上級妖魔について教えてくれる?」
早速の出番に、菫は大きく頷いた。
「はい。この峰の妖魔は、私と鷹様を除くと、私が知っている範囲では十人……を越えるくらいだと思います」
「ずいぶんと少ないのね」
「いえ、私には分からない部分が大きいのです。この峰のことは把握しているのですが、他はあまりなじみがなくて」
菫は恥ずかしそうに笑う。そういえば菫は、ルカのために夜咲き峰に来たのだった。まだ日も浅かったはずだ。
「この下弦の峰の方は、赤薔薇様を除くと、さほど好戦的でもありません。だから風の主はこの峰にルカ様の部屋をご用意なさったのでしょう」
ああ、と、昼間の出来事を思い出す。確かに、突然大鎌を振り回してくる彼女は例外にしておいて欲しい。あんなのがうようよいたら怖くてたまらないと、ルカは思う。
「んー、確かに。下弦は、やりやすいと僕も思うよ? 上弦の奴らはなんだかプライドの塊でやりにくいし、新月に至っては何を考えてるかさっぱり分からない連中だからね!」
「私は貴方のこともさっぱりわからないけどね」
「君が望むならいくらでも教えてあげるよ」
「結構です!」
横から癇に障るが的確なアドバイスが聞こえてくる。結論的には、この峰は赤薔薇さえ気をつければ何とかなると言うことなのだろう。
「自分の身の回りから環境作りするのが、一番いいものね」
「そうだな。行動範囲を広げるのは、後からで良いだろ」
「うん、わかった」
レオンが後押ししてくれる分、ルカの気持ちが軽くなる。明日からでも早速、行動にうつさねばと心に決めた。
「菫、じゃあ、この峰の妖魔について詳しく教えて? 早速接触してみるから」
「はい、では、最上階から説明致しますね!」
オレンジの瞳が輝きを取り戻す。目の前の課題に、真っ直ぐに取り組むことを決めたのだろう。菫は、最上階から順に下弦の峰の説明をはじめた。
「この峰に住まう妖魔は、最上階から順番に、赤薔薇様、鴉様、花梨様、琥珀様。皆様上級妖魔でいらっしゃいます。この中でも、ルカ様が面識あるのは赤薔薇様と鴉様ですね」
「赤薔薇はわかるけれど、鴉?」
「覚えていらっしゃいませんか? ルカ様を王都からお連れした、黒い妖魔で」
ああ。と、ルカと同時にレオンもうめき声を出す。ほんの昨夜のことだが、忘れはしまい。
「あれは地獄だった……」
レオンまでもがそう漏らしてしまうほど、過酷な夜だった。
レイジス王国スパイフィラス領にある夜咲きの峰までは、馬車でおおよそ1ヵ月超かかるほどの距離だ。それを黒い妖魔は、一晩飛び続けただけでたどり着いてしまったわけだ。もちろん、ルカたちは小脇に抱えられたまま。ジンジンと痛みに襲われるが、暴れるわけにもいかず。現状を主張するものの、完全に無視され、物言わぬ荷と同じような扱いで運ばれたのであった。
しかも昇月の夜。凍えるような水の月が終わりを告げ、ようやく春になるのかといった気候だ。夜はまだまだ寒い。そんな中を飛び続けたわけだから、あまりの寒さに体が更に痛んだ。
思い出すだけで、あの痛みが蘇ってくるようだ。絶対仕返ししてやる。と、レオンから物騒な声が聞こえてくる。うん、止めはしまい、と、ルカも頷いた。
「いつかビシバシ鍛えてあげましょう。で、菫、他の2人について聞いても?」
「はい。琥珀様は少しあどけない雰囲気の男性で」
「ああ、クリーム色の髪の毛の?」
「そうです」
ルカは思い出す。謁見の間で初めて妖魔たちとまみえたとき、風の主以外に何名かが並んでいた。皆が無表情で居る中で、一人だけ瞳をキラキラとさせた小柄な少年が居たのだ。きっと彼のことだろう。
「琥珀様は素直な気性でいらっしゃいますから、耳を傾けて下さるかもしれませんね。私がこの峰に来たときも、ずいぶんと気遣って……いえ、楽しそうにしていらっしゃいました」
そういう菫の微笑みは、少々苦々しいものになっている。わざわざ表現を言い換えたところも若干気にかかるが、とりあえず頷いておいた。
「後は花梨様ですね。……私はお目にかかったことがないのですが。華やかな方だと伺っております」
「うーん、彼女は部屋に籠もりきりだからね。ちょっと難しいかもなあ」
横で鷹が頷いている。表情からして、彼もあまり接触したことないと言うことなのだろうか。
ううん、と、ルカは唸る。赤薔薇も寄りつきにくい。鴉も寄りつきにくい。花梨も寄りつきにくいとなれば琥珀あたりから接近してみるのも悪くないかもしれないが。
「――鴉からいきましょう」
ルカの宣言に、菫が目を丸くする。レオンも怪訝な表情で、ピクリと眉を動かした。
「へえ、どうして? 君がなぜその考えに至ったのか、教えてもらってもいいかな?」
鷹はというと、面白いものを見るような顔つきで、声を弾ませた。
「答えはシンプルよ。一番、自分の身が安全そうだから。それを前提にしないと、レオンも心配でしょう?」
「あいつが安全な保障はねえだろ」
「いいえ、安全よ。粗雑な感じはあったし、レオンもいい思いをしていないのはわかるけど。彼は王都の使者にたったのよ? つまり、どういった形であれ、風様の命を受けていたということ。この城での派閥は分からないけど、風様は鴉を少なからず信頼しているのでしょう」
「風の主が何か言っていたのか?」
「いえ。彼については何も。でも、風様の人を見る目は、しっかりしている気がしたから」
自分を下弦の峰に入れたことも、風の主の判断。そんな彼が選んだ鴉だ。何か理由があるに違いない。
「もう決めた。まずは鴉のところに行きましょう。もちろん、この峰の妖魔には、皆それなりに接触をはかっていくつもりよ」
「お嬢様が納得しているならそれでいいが。一人でつっぱしるなよ」
「わかってる」
ルカは前を見る。下弦の峰の妖魔たちに、覚悟しておけと心で唱える。
明日からビシバシと鍛えてやると心に誓い、会議を終えた。
今後の方針が決まりました。最初の犠牲者は鴉です。
鴉のお話に行く前に、次回はレオンのキャラクターを掘り下げます。




