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◇◆ 三 ◆◇

「………え?」

気がつくと、目の前には見覚えのある光景が広がっていた。何台ものパソコンが並んでおり、多くの人間がモニターにかじりついている。彼らの服装は様々だが、ほとんどが私服だった。音楽プレーヤーを片手に作業する者、お菓子を食べながら作業をする者など、彼らには割と自由が与えられていた。

なんと懐かしいことか。私はここがどこかを知っている。

だが、眼前に広がっているこの光景は、絶対にあり得ないものだ。

私が今いるのは、前に勤めていた会社なのだ。しかも、社員が普通に仕事をしており、会社自体が機能していることがよくわかる。しかし、間違いなくこの会社は既に倒産している。

目の前にあるものは、全て引き払われたはずだ。私はその最後の瞬間に立ち会ったのだから、よく覚えている。通い慣れた空間から、ありとあらゆるものが撤去されていく。あの絶望感を私が忘れるわけがない。

だから、目の前にデスクやパソコンなどの機材があるのは、何かの間違いだと言わざるを得ない。もしかしたら、構造上似ているだけの他社にいるだけなのではないか。ふとそのようにも考えた。だが、働いている面子が当時と全く同じだということが、それを否定した。

「どういうことだ…?」

そもそも、何故私は今こんなところにいるのだろうか。自分のことだというのに、それすらも分からない。

私を取り囲んでいる非現実的な現実に、私の頭は混乱をしていた。

私が前に勤めていたこの会社は、社内から社外への機密データの持ち出しを制限するセキュリティソフトを主力商品として、開発・販売していた。ユーザーがパソコンを使ってどのような操作をしたのかが全てログとして書き込まれ、管理者が閲覧できるのだ。このソフトを導入することによって、機密情報の持ち出しを抑制することが出来る。

コンピューターテクノロジーの発展に伴って、これまで技術的に不可能だったユーザーの希望を、少しずつ叶えることができるようになってきた。それは即ち、技術の使い方によってはニッチな商業戦略を展開できるということでもある。そのためには精度の高いマーケティングが欠かせず、得られた情報には非常に高い価値がある。何があっても、自社の持つ情報が外へ流れ出てしまうということはあってはならないのである。そういう意味で、このセキュリティソフトは非常に高い商品価値を持っていた。

この会社では、上流で社員が企画立案をし、そこで決定した仕様に従って、下流で学生アルバイトがコーディングをしていた。学生アルバイトには月に五十時間以上の勤務を義務づけ、一定以上の能力を継続的に発揮できる環境を作っていた。そうやって、生産活動をしつつも人件費を抑える工夫をしていた。

プログラミングに興味がある学生からすると、このアルバイトは願ったり叶ったりの場となった。給料をもらいながら、好きなことを学ぶことができるからだ。

始めの一か月は研修ということで、時給が普段よりも安く設定されていた。しかし、その研修を通じてC言語を始めとしたオブジェクト指向型の言語を学ぶことができるのだ。そして研修が終わったら、早速実際にリクエストされた仕様に従ってコーディングを始める。もしバグなどで最後までコンパイルが出来なければ、社員に聞いて教えてもらうことができる。もはや、この会社はプログラマーの卵を育成している専門学校のような側面すらあるといえる。

ここ数年、一見すると、順風満帆に生産活動を続けていたようにも思えた。しかし、結果から言って、この会社は潰れてしまった。それは、誰もが予期せぬ事態であった。

原因は、新規事業の立ち上げであった。

まだそこまで財務体力が備わっていないというのに、インテリア関係の分野に新規参入しようとしたのだ。しかし、所詮は畑違いの分野だ。ノウハウがあるわけもなく、参入できる気配すらなかった。結果、何も出来ずにただ多くの負債を抱えて撤退するという惨めなものとなった。しかも、撤退の判断をする時期が既に手遅れの状態で、その大きな傷口が塞がることはなかった。それどころか、主力商品であるセキュリティソフトの収入をも食い散らかし、最終的に破産の手続きをとるまでに至ってしまったのだ。

私は、周囲に促されるままに会議室へと移動した。会議室では、特に席は決まっていなかったが、社員それぞれで定位置があった。暗黙の了解というやつだ。私は懐かしさと不思議さを感じながら、いつもの席へと座った。

それから間もなくして、会議が始まった。

会議室では、コの字型にデコラが並べられ、大きなスクリーンを囲んだ形で社員が座っていた。そして、そのスクリーンにはパワーポイントのスライドが映し出され、発表者はレーザーポインターを使いながら説明を始めた。議題はインテリア業界に参入するか否かというもので、私は過去にこの会議に出たことを覚えていた。

この時点で改めて考えたのだが、私は今、明らかに過去の出来事を繰り返している。やはり、目の前の不可解な現実はあり得ないものであり、私は明晰夢の真っ只中にいるのだということが分かった。

この結論に至るまでに多少時間がかかってしまったが、ようやく胸の中で閊えていたものが取れた様な気がした。この不思議な空間の正体が一度分かってしまえば、何も怖くはない。何が起こっても、目が覚めてしまえば同じ現実に引き戻されるのだ。そう考えると、私の中で少しワクワクした気持ちが出てきた。

議題とは別のことに思考が奪われている間にも、発表者の説明は進んでいった。

「…したがいまして、我々としてはこのインテリア事業参入に今後の発展の見込みがあると判断し、提案をさせて頂きます」

発表者はそう言うと、マイクを下した。するとすぐに司会者は「それでは、質疑応答の時間とさせて頂きます。何かございましたら、宜しくお願い致します」と言い、周囲に促した。

私の記憶によると、確かこの会議では一カ所ツッコミどころがあったにも関わらず、誰も気付かなかったはずだ。その結果、この企画が通ってしまった。気付いたのは会議が終わって何日もしてからで、既に社長決定が下された後だった。そのため、決定事項に対し一般社員は何もすることができず、ただ上からの指示に従うのみであった。

今思えば、この会議で誰かがこの企画を阻止していれば、この会社は倒産しなかったかもしれない。私はふと当時に思いを巡らせ、試しにやってみることにした。

どうせこれは夢だ。妙にリアリティがあるのは気になるが、たまにはそういうこともあるのだろう。

「あのー…いいですか?」

「はい、今田さん」

司会者が私へあてる。

「パワーポイントの資料で提示された試算額は、いつのデータを用いたものでしょうか?」

「えー、これは昨年四月のデータです」

「ということは、今から約一年三ヶ月前のデータだということですよね。ご存じの通り、このデータが得られてから約二ヶ月後に政権交代が起こりましたよね。あれから情勢はかなり変わっていて、このデータが得られた時期は、今と同じ状況ではないです。政府の政策によって、明らかに円安が加速していますよね。事実、輸入品の価格は軒並み上昇傾向にありますし、それは家具の材料である原木についても同様です。これは周知の事実であると私は認識をしておりますが、それを前提にして質問をさせて頂きます。現在の輸入原木の価格はいくらかご存じですか?」

「……いえ…」

発表者は気まずそうに目を伏せた。周囲を見渡しても、答えられそうな雰囲気はなかった。

「確か、この原木に関しては、当時の二倍くらいに膨れ上がっていたと記憶しています」

実際、この会議が終わった後、しばらくしてからその知らせが入り、「えっ、二倍!?」と声を上げてしまったのを覚えている。

「そのため、このまま計画を遂行すると大きな赤字を生むことになります。私としてはこのインテリア事業への参入は時期尚早だと感じております。参入するにしても、改めてそのタイミングを議論する必要があると思います。以上です」

私の発言を皮切りに、それからしばらくは質問攻めが続いた。発表者としては痛いところを突かれた様子で、その返答にあくせくしていた。そして、最終的には何とも言えない表情で、「この件に関しては、詳細を詰めた上で後日報告します。以上です」と絞り出すようにして言った。その後、この事項以外については大した質問は出ず、質疑応答の時間は終了した。発表者は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、自分の席へと戻っていった。

結局、この会議では新規参入の件は見送られ、再度検討をすることになった。

本来なら、こういった流れで会議が進められるべきだった。仕方のない話だとは思うが、もし当時の私にそういう見識があれば、倒産を防げたかもしれない。そう思うと、淡い後悔が私の心を締め付けた。

会議が終わった後、周りの社員からは「あの質問は素晴らしい」だとか、「よく情報を仕入れていたね」といった称賛の言葉を頂いた。当然、これは本当にあった事実とは異なっている。私の中で「こうであれば良かったのに」という思いが、一つの形となって生み出した夢の断片なのだと思った。


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