序章
身も凍るような寒さの中、アーデルハイド城に招かれた僕はお歴々の方々の前で恐縮しきりだった。だって、目の前にはこの国で一番偉い女王陛下とその娘達がいるんだ。異国生まれの僕にはどう対応して良いかわからないよ。勘弁してください。
僕のような人がこんな場所に呼び出されたのはなにかの間違いだよ。いや、きっと、軽い手違があったのだ。だいたい、おかしいんだよ。日本人である僕がこんな異国の王宮に足を踏み入れること事態そのものがありえないよね? 誰かそうだと言ってください!! 僕が内心でパニック状態になっていると、
『本当に惜しい人を亡くしました。聡は大変にご立派な方でした』
わざわざ、女王陛下がこちらに話しかけてきた。日本語だ。既に混乱していた僕は理解できる言語で話しかけられたにもかかわらず、うまく対応することができなかった。
だって、僕に取っては急に話題を振られた状態だよ。タダでさえ、学校の成績が良くなくて回らない頭だ。そんな僕に突然に話しかけられても、ますます混乱して対応がメチャクチャになってしまうだけだよ…
な、なにか言わないと。もしかしたら、不軽罪で殺されるかも。僕は内心で焦りに焦っていた。だって、ここは立憲君主制の異国の地だ。なにか、何でも良いから言うんだ!!
「あ、あの…」
どうしよう、緊張して、声がでないよ。ごめんなさい、父さん。こんな短い人生で終わってしまう僕を許して欲しい。僕は亡き父にそう謝りの言葉を無意味に捧げる。
「聡? 日本の男性の名前ですわね。お母様、男がいくら死んでも構わないではありませんか? あんな奴らはゴミですわ」
僕が理解できない言語を横から割り込ませてきたのは女王陛下の長女マリア・バレリア。甘栗色の髪に軽いウェーブがかかったような髪型をしたこの国の第一王位継承権を持つ女性。目つきは多少鋭いが奇麗な顔立ちと相俟ってたまらなく美しい。
「お姉様もたまには良い事を言われますわね」
とさらに第二王女のアリシア・バレリアも会話に参加してきた。先の第一王女マリアにも劣らない美貌を彼女は持っている。だが、その鋭い目は勝ち気というよりも、どちらかと言うと獲物を欲する鷹のような目をしている。まるで悪女のような風貌だ。本当にこの国の王女なのだろうか…
「たまにはって、何よ!!」
「あら? お気付きになって?」
アリシアが口元を扇で隠しながら、マリアを小馬鹿にした様に小さく笑い声をあげる。
え? な、なにがあったんだろう。この王女達は罵り合っているのかな。言葉がわからないけど、喧嘩しているみたいだ。
「やめなさい。彼女は父親を失ったばかりで気分が参っているのよ」
女王陛下の一喝で姉妹は静かになる。きっと、あの二人は母親である女王陛下が怖いのだろう。でも、僕はもう怖くないぞ。例え、女王陛下であろうともね。
いや、その前に落ち着け、僕!!
……冷静に考えると。ありえないよな。ここは夢だろう。いや、夢なんだ!!
だって、おかしいよな。なんで、純日本人の僕がこんな所にいるんだよ。どんな超展開だよ。
『女王陛下、なぜ、僕はこのような場所に呼ばれたのでしょうか?』
夢だからといって、手を抜いた理由じゃないだろ? きっと、それなりに考えているはずだ。
『人目がないときはお母様と呼んでください。あなたは聡と私の子なのだから』
はい? 今、女王陛下はいったい何とおっしゃていらっしゃいましたか? え、お母様と呼んでください? それは、いったいどういう意味だ? ワタクシの子なのだからとはどういう意味があるのだろうか…
『あなたはこの聖バレリア王国の正式な跡継ぎ候補なのです』
僕の顔が余程にちんぷんかんぷんだと書いてあったようで、女王は言葉を改めて言い直してきた。いくら夢だとは言ってもこんな変な夢を見るなんて僕はどうかしている。
早く現実の世界に戻らないと。冬休みとは言っても狩りがしたいんだ。そう思い、頬をつねる僕。
あれ? おかしい。痛い。とても痛いんですけど。自分で自分の頬をつねるとすごく痛いんですけど。
「こんな見窄らしい恰好をした小娘が私の妹? ありえない!!」
『まぁ、まぁ、お姉様、何も知らぬ無垢な可愛らしい顔ではありませんか? ごめんなさいね。マリアお姉様は動揺しているのよ。許してね』
そうアリシアが日本語で上の姉を小馬鹿にしたように言った後、こちらに近づいてきて、耳元で、
『どうやら、うまくいったみたいね。これからもよろしくね。夏海王女』
と言ってきた。それを見たマリアが僕を指差しながら、怒鳴りつけてきた。それをフォローするかのように第二王女のアリシアがこちらに嫣然と微笑みかける。
僕はそんな光景を呆然とただ見ていた。いや、呆然となるしかなかったのかもしれない。
…思い出した。僕はこのアリシアと言われる王女に無理やり日本から連れてこられたのだ。つまり、これは夢ではない!!
聖バレリア王国は聖女の国と呼ばれていて、女性が主となり、男性はその召使いであるというアーデルハイド教に基づいて統治されているらしい。つまり、この国での王位(王族)は女性のみ。
そんな国の王族として僕が加わるなんてイヤだ。本当にどうしてこれが夢ではないのだろうか?
普通だったら、王族に加えてもらえて嬉しいかもしれない。でも、僕には喜べない理由がある。
だって、僕こと斉藤夏海には誰にも言えない秘密があるから…
僕って言っている言葉から分かる通り…
───その秘密とは、実は僕が男であるということ。