影
後宮は静かであった。それに反して金蓉の不安とお腹は大きくなっていく。この年、わずか十三歳の仙金長公主が西域に嫁いだ。和平交渉の一環だった。
愛娘の仙金長公主を西域に嫁がせた安太嬪は病を得て呆気なく亡くなった。
慶事と訃報の連続に皇上は頭を抱えた。皇后は取り留めていない様子であった。粛嬪こと魏承閒は皇上に不吉な予兆である、と言い続け最後には巫術を用いるしかないと断言したのだ。彼女は変に迷信深い。粛嬪は団扇で皇上に風を送りながらいつものように話しかけた。
「皇上、わたくしめは不安ですの。いつか莫氏の霊が襲ってくるのではないかと」
「またか。信仰と迷信は紙一重だ。信じすぎるのはよくないぞ」
皇上は持っていた書を卓へ放り投げた。そして蓋碗に手を伸ばした。今日の茶菓子は花餅であった。
「そうでしょうか…噂ですけれど莫氏の死に顔は深い怨念に満ちたものだったそうですよ」
「噂は噂だ」
「皇上、考えてもみてくださいませ。もし、莫氏の霊が御子を害したらどうなさいます」
「譚婕妤のことか!?」
「はい。わたくしめも皇上と同じように心配していますのよ。お願いします。巫女で霊を鎮めてくださいませ」
「ん…うん」
翌日、莫氏の霊を鎮めるために巫女が招かれた。怪しい呪文が一日中、後宮に響き渡った。太后はこれを耳障りとして離宮に移ってしまった。三日間にも及ぶ巫女の巫術は莫氏の霊を鎮めたと言って撤収していった。粛嬪もこれに安心したのか笑顔をみせるようになった。
寵愛が離れていく一方の麗妃のもとに李婕妤こと李修媛が訪れた。李婕妤の傍らには見窄らしい格好の娘が立っていた。
「あら、李婕妤。あなたから来るなんて入宮いらいじゃなくて?」
「そうでしたかしら?わたくしめは麗妃様を慮って参らなかっただけですわ」
「で、何の用?」
「今日は麗妃様に紹介したい方が」
「あなたの隣にいる方?」
「はい」
麗妃が言うと李婕妤の傍らにいた娘が一歩前に出て深く礼をした。娘が顔を上げると見覚えのある面差しをしている。
「婕妤…この娘…」
「はい。莫氏の妹ですわ…今は容児と呼んでおります」
麗妃は容児の顎を引いた。華やかな美貌はしていないが、珊瑚色の唇が美しかった。磨けば輝きを増すであろう、と麗妃は思った。
「容児、使えるかもしれない」
容児は寶壽宮の宮女となった。彼女は麗妃によく仕えた。黙々と仕事をこなす姿は姉の莫氏とは大違いだった。




