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◆3◇


『失礼します』


昂と一緒に職員室に行き中を覗いてみるが、見渡す限り樫本先生の姿は見あたらない。


「あれ、なんでかっしーいねぇんだ?」

「え?だって部活終わったら来いって言ってたのは先生だよ?いないわけないよ」

「だって現に見当たらねーじゃん…あっ、ちょっと、まつもっちゃん!」


ちょうど目の前を通りかかったところを昂が声をかけた。

"まつもっちゃん"とは我らが担任の松森美代子先生の事で(年齢不詳だが)見かけは40代のなかなか美人な面白い姉御肌の先生だ。長い髪を後ろでお団子にしていてフレームなしのお洒落な眼鏡をかけている。

まつもっちゃんの眉間にぐっとしわが寄った。


「ちょっと、楠原!アンタ、先生に対して"まつもっちゃん"なんて慣れ慣れしく呼ぶんじゃないよ」

「えー?だって今更じゃないスか。皆呼んでんだし」

「アンタ言うならせめて私の陰で言いなさい、陰で。じゃなきゃ最低限の教師の態度として示しがつかないじゃないの」

「は?それこそ今更無理―――ぃ痛っ!!」


ばこんとイイ音が教員室に響いた。


うわぁー…痛そう…

今間違いなく思いっきりぶったな、まつもっちゃん……


昂は「ありえねー本気で叩きやがった」とブツブツ言いながらまつもっちゃんに叩かれた頭をさすっている。


「あーもうアンタじゃ話にならないね。薫、教員室に何か用があって来たんでしょ?どうした?」

「え?ああ、ハイ。樫本先生に呼ばれてるんですけどいらっしゃらないみたいで…」

「樫本先生?さっきまでそこでコピーかなんかとって―――あっ!いたいた!樫本センセー」


ちょうど教員用のドアからぬっと背の高い男が姿を見せたところだった。樫本先生はまつもっちゃんの声に反応し私達に気が付くと、片手を軽くあげて


「すまんな、コピー機の調子がどうもおかしかったから業者の人呼んでたんだ」


と言いながらこちらへ向かってきた。


「で、どうした二人揃って。なんか用か?」

「何言ってんだよかっしー…かっしーが呼んだんだろ?」

「あぁ、そうだったそうだった。色々忙しくてすぐ忘れちゃうんだよなー。来週の合宿の件でお前ら二人を呼んだんだよ」

『えっ!?合宿!?』


昂と私が同時に驚きの声をあげた。


「は!?聞いてねぇよかっしー!なんでいきなり"合宿"なんて事になってんだよ!」

「そうですよ!しかも来週ってすぐじゃないですかっ!!」


そうなのだ。

バスケ部の顧問は女子も男子もこの樫本カシモトイサム(27)がやっているのだが、去年は合宿なんていう気配は微塵もなく話もないまま一年が過ぎてしまっていた。


それなのにいきなり合宿ってなにっ!?

しかも来週!?


声を荒らげて反論する私達に教員室にいる先生達が何事かと顔を覗かせている。「まぁ、とりあえず落ち着けよお前ら」と樫本先生が刈り上げた頭をポリポリかきながら宥めるように言った。


これのどこが落ち着いてられるわけっ!?

何悠長なこと言ってんだこのオッサン!!!


暢気に笑っている目の前の顔にもはや苛立ちは頂点に達しそうになっていた。昂は怒りを越えて呆れて物が言えなくなっているようだ。


「去年はお前達が入部したてだったから知らなかっただけで、たまたま合宿所に空きがなかったから行けなかったんだよ。だけど今年は俺の知り合いがちょうど経営してる旅館を急に借りれることになったから、こんなに報告すんのが遅くなっちまったけど。悪かったな」

『…………』


あんなに興奮して大声を出してしまった自分が恥ずかしい。

なんて大人げない態度をとっちゃったんだろう。

私は申し訳なさが胸にどっと急に押し寄せてきて先生の顔を見れず俯いた。昂もどこか気まずそうに先生から視線をそらす。


「しかも聞いて驚けよ。おまけに近くにはコートが二面ある新設の体育館と海も付いてくるぞ」

『…えぇっ!!?』


新設の体育館に海っ!?

俯けていた顔を思わずばっと上げる。


ちょっと待ってよ!すごいっ、これ以上合宿に適した場所なんてないんじゃない!?前言撤回!!先生、散々酷いこと言ってきて(口には出してないけど)ごめんなさい!!


心の中でさりげなく謝っておく。昂の様子を横目で伺うと、嬉しそうに目を輝かせてこれ以上はないというほど喜んでいるのが分かる。顔に浮かべている少年のような笑顔に見惚れてしまった。


あーあ…絶対女の子達この顔見たら騒ぐんだろーな…


私は小さく苦笑した。


「すげぇなかっしー!俺思わず見直しちゃったよ!珍しくかっしーにしては殊勝な心がけに涙出そうになったし」


昂が満面の笑顔で言う。


…って、遠回しにすごく失礼なこと言ってるし……

気付いてないなこりゃ……


鈍いのか鈍くないのかイマイチ分からないが、先生は期待していた反応が返ってきたからか「そうだろそうだろ?」と満足そうにしたり顔で笑みを浮かべた。

それから先ほどから抱えていたファイルから紙を二枚抜き出すと、そのまま私達に一枚ずつ手渡す。


「…何だこれ」

「"合宿事前の手引き"?」

「これから今週中にやんなきゃなんねー事だ。そこに書いてある通りなんだがかいつまんで言っとくと、まずバスケ部全体での説明会ん時に合宿の出席人数の確認だろ。保険証のコピーも集めとけ。あとプリント全員に配んなきゃなんねーからコピー機が直り次第人数分コピーしてホッチキスでまとめる作業、体育館が近くにあるっつってもまだ予約した訳じゃねーからその手配と、ああ、あとボールとボトルとテーピングの買い出しにも行かなきゃ駄目だな。残りはリストに載ってる通りだ。大変だとは思うが、俺はお前ら年の割にしっかりしてるし信用している。だから忙しい俺の代わりに任せることにした!」


「だから有り難く思えよ」なんて台詞が続きそうな余韻を残して長々とそう言うと、はははと笑いながら私達の肩をぽんと叩いて、樫本先生はその場を軽やかな足取りで去っていってしまった。


とんでもないことを最後の最後に言い残され、私達は呆然としてその場から動けなくなっていた。



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