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◆19◇

目の奥で揺らめいているのは、明らかな憎悪の色。

記憶を遡らせても、はっきりと頭の中に残っている。

今までに何度もぶつかってきた強い視線。


「私が言いたい事は分かってるわよね?」


櫻坂さんが何の事を指しているのかはすぐに分かった。

黙ってその言葉に小さく頷く。


「……そう。なら話は早いわ。これ以上昂に近づかないで」


---『昂』

彼女なんだから呼び捨てなのは当たり前なのに。

そんなのは筋違いだと分かっていても、奥から這い上がってくる「嫉妬」という感情を抑えられなかった。

なんて滑稽なんだろう。

いくら嫉妬したところで変わるものなんて何一つないのに。


「昂とあなたが幼馴染だということは前々から知っていたけど……ちょっと図々しすぎるんじゃない?彼女でもない癖に」


え?

びっくりして俯けていた顔を上げる。


私と昂が「幼馴染」であるという事実は理子と暁君のおそらく2人しか知らないはずだった。

中学からほとんど昂と喋ってこなかったから、誰も気が付くわけがない。そう思っていたのに―――。


私の疑問を見透かすかのように、櫻坂さんが口元を上げた。


「バカじゃないの?昂から聞いたに決まってるじゃない。昂はなんでも私には話してくれるんだから」


それだけ親密な関係なのよ―――その言葉はまるでそう言っているようで。

ちくりと鋭い痛みが胸を走る。


櫻坂さんは私の顔を見てからぷっと吹き出した。


「ふふ、ひどい顔。真っ青になってるわよ。大丈夫?」


余程ショックを受けたような顔をしていたのか―――私の顔を見て可笑しそうにくすくすと笑い続ける。

羞恥で、かっと顔が熱くなった。

櫻坂さんはなぜかじっと私の顔を見回した後、また笑い始める。


「にしても…ホントにあなたって男みたいね」


は……?


どこか馬鹿にしたような言葉に、なぜだか分からないがカチンとくる。


そんなの……そんなの言われなくても嫌と言うほど自覚している。

子供の頃からずっとそう言われ続けてきたのだ。


櫻坂さんのように、可愛さも、女の子らしさも自分は何一つ兼ね揃えてない。

今更どうこう出来るものでもないから、とっくに諦めてはいたけど…

だからと言ってなにもわざわざ再認識させるようなことを言わなくてもいいのに―――


思わずそう反論しそうになって口をツグみながら、ふと思う。


……だけど。

だけどもし、仮にその要素がひとつでも自分にあれば、昂は自分のことを「女」としてちょっとは気にしてくれたのだろうか……


そこまで考えて、慌てて首を横にぶんぶん振った。


馬鹿か、わたし…

そんな仮定をしたって何の意味もないのに。


「昂の言ってた通りね。くすくす……そうね。あなたには特別に教えてあげるわ」


昂が言ってた…?


意味が分からず眉間にしわを寄せると、櫻坂さんが得意気に微笑んで言う。


「この前、昂が言ってたのよ。『アイツ幼馴染だけど男みたいにしか思えないし、ぶっちゃけ告白されても迷惑なだけなんだよな。』って」


………え?


「でも、ほら。昂ってあの通り優しいじゃない?あなたのせいですっかり気に病んじゃったみたいで練習でも調子悪いし……。だからこれ以上〈幼馴染〉を理由に付き纏って、彼を苦しめるのはやめてくれないかしら」

「……っ」


頭の中が急に真っ白になった。

櫻坂さんの声が遠くなる。

心臓のドクドクと波打つ音が全身に逆流していくかのように伝わっていく。


---『アイツ幼馴染だけど男みたいにしか思えないし、ぶっちゃけ告白されても迷惑なだけなんだよな』


分かっていた、はずだった。


自分の気持ちが昂を困らせていることも、

昂と櫻坂さんの間にとって邪魔でしかないことも。

昂に告白した時だって「友人」という関係も壊れてしまう事を覚悟していた筈だった。


なのに昂の普段と変わらない様子にどこか安心して、昂の「優しさ」に流されて―――……

昂は私が傷つかないように振舞っていてくれただけなのに、その事に気付かなかったせいで逆にもっと昂を苦しめる結果になっていたなんて……


…なんで気付かなかったんだろう。

「おさななじみ」なのにそんな事も気付かなかったのか、私は。


「やだ、泣いてるの?」


え……?

櫻坂さんの言葉で初めてそのことに気が付く。


うそっ……!


慌ててごしごしと右腕で涙を拭うと、目の前にいる櫻坂さんの表情が険しく歪んだ。


「…なんであなたが泣くのよ?泣きたいのはむしろ……むしろこっちの方なのに!」


突然、語尾が強まった口調に驚いて目を見開くと、今までのどこか余裕そうだった表情は完全に彼女の顔から消え去っていた。

櫻坂さんの唇がわなわなと震えている。

言葉に詰まって黙り込んでいると、しびれを切らしたように櫻坂さんが叫んだ。


「ホントに…なんであなたなのよ!あなたさえ邪魔しなかったら…っ…あなたなんていなければ良かったのにっっ!!」


大きな目から耐え切れなかったようにぽろぽろと涙が零れ落ちた。

彼女の小さな体が小刻みに揺れる。

泣いている彼女の姿はどこか扇情的で、あまりにも綺麗で……


……ああ、本当に昂のことが好きなんだな。


自然とそう思った。

ぎゅっと唇を噛み締める。


彼女はこんな小さな体でどれだけ苦しんでいたんだろう。

今までの牽制するような視線だって昂を想う故の行動でしかない。

私は―――……


「ごめ―――」


ごめん。今まで邪魔して、苦しめて。

もう昂に近寄ったりしないから。


そう、謝ろうと思った次の瞬間のことだった。


「これ以上、私と昂の間を引き裂くような真似は二度としないでっっ!!」


いきなり頬に焼け付くような痛みが走る。

叩かれたのだと気が付いたのはその3秒後だった。


呆然として彼女を見つめ返すと、彼女の目にはただ憎しみの炎しか篭っていない。

彼女の右腕が再び、振り上げられた。


まずいっ……また…!


叩かれる!

反射的に身構えて目をぎゅっと閉じた時だった。


「やめろよ、櫻坂!」


静寂な廊下に突然響き渡った大声。

振り下ろしかけていた櫻坂さんの腕は伸びてきた手に押さえつけられていた。

この声は―――


「暁君!?」


なんでここに!?


「ちょっと!?なんなのよ、いきなり!!暁君には関係ないでしょ!?腕を放してっ」


暁君から逃れようと必死に抵抗するが、力の差は歴然なわけで―――

息を切らしながら櫻坂さんは長身の暁君を睨みつける。

が、まったくと言っていいほど暁君は無表情のままだった。


「女の喧嘩に口出すのもどうかと思ってたけど…暴力はよくないんじゃないか、櫻坂」


暁君の言葉に櫻坂さんは悔しそうにぎゅっと唇を噛む。


ち、ちょっと待て!!

暁君は一体いつからそこに!?

ま、まままままままさか、ぜ、全部聞いてたとか……

ってことは…バレた!?

昂が好きだったことも全部暁君にバレちゃったわけ!?


「波風」

「ハ、ハイッ!!」


な、なに!?

いきなり名前を呼ばれて、体がびくりと跳ね上がる。

動揺して声が裏返っちゃったし…!


「いけよ」

「え?」

「いいから行けって、早く。―――アイツ待ってるから」

「!」


弾かれた様に暁君を見上げると、暁君の真剣な目とぶつかる。


知ってる……!?


暁君の表情からは何も読み取る事は出来なかった。

だけど明らかに暁君が言ってる「アイツ」って……


「ちょっと!?波風さんと話してるのは私よ!しかも行くってどこに―――」

「波風!!」


暁君の声に押されるようにして、私は目的の場所へと駆け出した。




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