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◆15◇

一瞬、空気が止まったような感覚に襲われた。


「あ………」


何か喋ろうと思っても、うまく言葉が続かない。

昂は黙ったまま視線を私の水着に向けていたが、そのまま顔をすぐに横に逸らした。


ズキン………


言い様のない痛みが胸を襲う。


遅かった………

昂の事だ。きっと「似合わない」とでも思っているんだろう。


今すぐこの場を立ち去りたいのに、足が竦んで動けない。

こんな姿を晒す気はこれっぽっちもなかったのに………


気まずさで昂を見れずに顔を俯ける。

羞恥心のあまり、体が震えた。


いま、昂は何を考えてるの?

みっともない、ってやっぱり思ってる?


実際は数秒のことなのだろう。

だけどこの沈黙の間はとんでもなく長いものに思われた。


すると、いきなり頭上から何かが覆いかぶさってきた。

視界がいきなり真っ暗になったことに驚き、慌てて「それ」を頭上から下ろす。


え………?


手にあるのはさっきの昂の黒いパーカーだった。

何が何だか分からず昂の顔を見上げると、昂は目線を逸らしたまま、


「着てろよ、それ」


とぶっきらぼうに言い放った。


「え……?」


聞き間違いかと思った。

びっくりして瞬きを何度か繰り返す。

昂の表情は横を向いていたから読みとることは出来ないが、どこか不機嫌そうなオーラを漂わせている。

呆然としてパーカーを見つめていたが、すぐに独り合点した。


昂はこのパーカーを貸してくれるのだ。

気を遣ってくれたのだろう。


昂は優しい。昔からそうだった。怪我をしたときも、他の男子と喧嘩したときも一番に駆けつけて慰めてくれたのはいつも昂だったように思う。


その優しさは今でも変わらない。

たとえそれ以上見苦しい姿を晒すな、という意味で貸してくれたのだとしても。


だけど……今の自分にしてみればその優しさは残酷なものでしかないのだ。

ぎゅっと胸が締め付けられ、途端に熱いものが胸の奥から込み上げてきた。


まずい……!


急いで笑顔を装うと立ち上がって、そのまま昂の胸にパーカーを押しつけた。


「このままで大丈夫。わざわざ貸してくれたのにごめん。ちょっとトイレ行ってくる」

「は?お、おいっ!」


昂の呼び止める声を無視して、人混みの中へと入っていく。


ぶっちゃけトイレがどこにあるかなんて全く分からない。

だけどこの場にはもういたくなかった。

どこでもいいから一刻も早く逃げてしまいたかった。


同情なんかで優しくされても辛いだけ。

たとえその気がなくても中途半端に優しくされるぐらいなら、思いっきり突き飛ばされた方が断然マシだ。


自分がどこへ向かっているのかも分からぬまま、ただひたすら足を進めていく。


途中で櫻坂さんとすれ違った。

目が合った瞬間、鋭く睨まれる。

そして可愛いらしい顔にはふさわしくない挑戦的な微笑みを浮かべてから、軽快な足取りで彼女は皆のもとへと戻っていった。


振り向くことは出来なかった。

昂と櫻坂さんの仲睦まじい姿を今だけは………今だけは見たくなかった。


もう泣いたりしない、と心に誓ったから。



***** ***** ***** ***** *****



ここは一体どこだ………?


知らぬ間に随分遠くまで来てしまったみたいだった。

辺りをきょろきょろと見回すがどこを見ても人、人、人のオンパレード。

あまりにも人が多すぎて現在地すらよく分からない。


こ、困った………

もともとトイレに行く気はなかったけど、これではトイレどころか皆のもとに帰ることすら危うい。


何を隠そう、実は結構な方向音痴だったりする。

自慢じゃないが、自分の学校の校舎内ですらたまに迷子になるくらいなのだ。

後先考えずにこんなところまで来てしまったのは間違いだったのかもしれない。


それに………

気のせいかもしれないが、さっきからやたらと行き違う人に見られている気がする。

単に自意識過剰なだけかもしれないが…


この格好がやはり目立つのかもしれない。

人目にもきっと変に映るのだろう。


なんだか急に居心地が悪くなった。

さっさと戻ろう……


人混みの間からは海の家が何件かちらちらと見えた。


しょうがない……海の家の人に尋ねるしかないか。

せめて旅館……えっと躑躅荘だったっけ?その場所だけでも確定できればあとは自力でなんとかなるだろう。


このまま戻らない自分を心配して迷子放送なんてかけられたら、たまったもんじゃないし……

うわっ……それだけは勘弁してほしいかも。

恥ずかしすぎるにも程がある。


「ねぇねぇ、きみさぁー」

「……」

「ちょっと?君に話しかけてんだけどー」

「……え?」


肩を後ろから掴まれて振り返ると、そこにはニヤニヤと笑っている男2人組。

金に近い茶髪に焼けた小麦色の肌。形容するならまさに「チャラ男」って感じ。大学生ぐらいの年齢に見えるけど……


「あの……なにか?」

「君さぁ、大学生?超美人だね!つーかスタイル良すぎだし」

「ホントホント。もしかしなくてもモデルとかやってんのー?」

「は?」


やってるわけがない。意味不明だから。

というか一体何の用があって話しかけてきたんだ?


訝しげに眉間にしわを寄せてチャラ男達を見ると、なぜか彼らはニヤついたまま視線を下に――……


「……っ!?」


ぞわっと寒気がした。

明らかに目線の先は胸に向けられている。

ヤバい……何だか嫌な予感がする。


「ねぇ、これから暇?俺ら超穴場知ってんだよね。良かったら一緒行かない?」

「いえ……いいです。あの、急いでるんで失礼します」


早くこの場を離れなくては。

男達の返事も待たずに歩き始めようとする……

―――が、両腕をがっちりと掴まれ行く手をふさがれてしまった。


「ちょっ……!」

「ちょっとぐらい時間あんだろぉ―?ケチケチすんなよなぁ。おい、連れてこーぜ」


片方の男がもう1人の男に目配せする。

そして腕を掴んだまま、人影の少なそうな方向に歩き始めた。


ち、ちょっとちょっと!!?

ま、待って、これってかなりピンチ!?


腕をほどこうとしても男と女の力の差では所詮たちうち出来るわけがなかった。しかも相手は2人。


「ちょっと!やめっ…………誰かっ」


叫んで誰かに助けを求めようとした瞬間だった。


突然後ろからもの凄い力で体を引っ張られた。あまりの勢いにバランスが崩れ転びそうになったところを、後ろからしっかりと抱きかかえられる。


「お兄さん達、俺のに手を出すのやめてくんない?」


聞き慣れた声が耳元で響いた。

この声……っ


「……昂っ!?」


な、なんでこんなところに!?


「薫、大丈夫か?」


心配そうに顔を覗き込まれる。


バカ……こんなの反則だよ……


ヤバイ。昂の顔を見てほっとしたのか泣きそうになってしまった。

今更、恐怖で体が震えてくる。

こんなのに怯えるなんてキャラじゃないのに……それに気付かれたくなくて何度も首を縦に振って「大丈夫」と平気な振りを装った。

だけどその瞬間、


「……っ!?」


いきなり力強く抱きすくめられた。


「……バーカ。無理して強がる必要なんかないだろ」


昂が耳元でそっとササヤく。

そのままぎゅっと昂の少し汗ばんだ胸に顔を押しつけられた。

香水のものだと思われる爽やかな匂いが鼻を掠める。


ドクドクドク………


今にも心臓が飛び出してしまいそうなくらい鼓動が高鳴っていた。

密着した体から昂にも伝わってしまっているだろう。


な、な、なな…………!?


恐怖心なんてとっくにどこかに吹っ飛んでいってしまっていた。

何でこんな状況になってしまったのか分からず頭が真っ白になる。


な、なんでこんなことに!?


脳を正常に働かせることが出来ず、昂に抱きしめられたまま体は石像のように硬直してしまった。

昂はぽかんと突っ立っていた男たちに向き直ると、これ以上ないぐらいの笑顔を浮かべて言った。


「悪いけど、お兄さんたち他の女当たってくれる?コイツ俺のだし。……今度手出したりしたら殺すから」


(…………っ!?)


思わずごくんと息を呑んだ。


普段の昂では想像がつかないほどの冷たい目。

殺気まで感じられるのは気のせいだろうか?


そして同時に昂の台詞にひどく動揺してしまった自分がいた。

この場を凌ぐためのものである事は嫌でも分かっていたはずなのに……

心のどこかで嬉しく思うのを避けれなかった。


男たちは昂の気迫に怯んだのか、何も言わずにあっと言う間に退散していってしまった。

仮にも相手は年下だというのに、少し情けなさすぎる気もするが……


男たちが消えても、昂の腕に閉じ込められたままだった。

きっと今自分の顔はのぼせたように赤くなっているに違いない。


考えてみれば、こうやって2人きりになるのはあの告白以来なのだ……

何だか急に気まずくなってきて、慌てて身動きをとろうとした。


「あ、の……ごめん。もう大丈夫だから…離して?」

「……」


昂は黙ったままそっと腕をはなした。

昂から離れてもなお心臓は煩く鳴っている。


そういえば……

昂はなんでこの場所にいたんだろう?さっきの所からはかなり遠いはずなのに……


「昂?なんでこんな所にいるの?」

「…………だろ」

「え?なに?」

「……何でもない。ほら、行くぞ」


昂は私の返事を待たずに手をとって歩き始る。

その横顔はどこか苛々としているように見えた。


な、なんで………?


聞き返す暇もなく強引に引っ張られる。

わけが分からないまま引きずられる様にして慌てて足を動かした。





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